「仁和寺と御室派のみほとけ」 東京国立博物館

東京国立博物館・平成館
「仁和寺と御室派のみほとけー天平と真言密教の名宝」
1/16~3/11



東京国立博物館・平成館で開催中の「仁和寺と御室派のみほとけー天平と真言密教の名宝」を見てきました。

平安時代、光孝天皇の発願により造営がはじまり、宇多天皇によって創建された真言密教の寺院である仁和寺は、長らく皇室の私寺こと御願寺として崇敬を集めて来ました。

その仁和寺から、選りすぐりの寺宝が一堂に会しました。あわせて仁和寺にゆかりの寺院の仏像も参照し、御室派に花開いた仏教美術も紹介しています。


「宇多法皇像」 室町時代・15世紀 京都・仁和寺
*展示期間:2月14日(水)~3月11日(日)


冒頭が宇多法皇の肖像画でした。宇多天皇は譲位後に出家し、904年、仁和寺に僧坊を造営し、隠棲しました。その僧坊こそが御室と称され、以降の歴代門主は、宇多法皇の法流を汲む親王や法親王が継承しました。その歴代の御室を記録したのが「御室相承記」で、略伝や法会の概要などが記されました。


国宝「高倉天皇宸翰消息」 高倉天皇筆 平安時代・治承2(1178)年 京都・仁和寺
*展示期間:1月16日(火)~2月12日(月・休)


御室としての仁和寺を物語るのが、天皇直筆の書、すなわち宸翰でした。うち代表的なのが「高倉天皇宸翰消息」で、中宮平徳子の皇子の誕生の悦びを、仁和寺第六世の守覚法親王に宛てて送った、高倉天皇の現存唯一の遺墨とも言われています。守覚法親王は後白河天皇の第二皇子で、1169年に御室に就任し、先述の高倉天皇の皇子の誕生の際、御産のために孔雀経法を行いました。宸翰に対する守覚法親王の返書も、附として伝わっているそうです。

宸翰では「後陽成天皇宸翰一行書」も印象に深い作品でした。思いに邪はないことを意味する「思無邪」を記した書で、動きのあるような筆跡に力強さを見ることが出来ました。空海の書風にも影響を与えたとされています。


国宝「三十帖冊子」 空海ほか筆 平安時代・9世紀 京都・仁和寺
*展示期間:通期展示(帖替あり)、1月16日(火)~28日(日)限定全帖公開。


その空海の記した「三十帖冊子」も見どころの1つでした。弘法大師、空海が、唐で書写して持ち帰った経典類で、真言密教の秘書として大切に伝えられて来ました。経典は唐の写経生による書写と、空海の自筆部分に分かれ、中には空海と同じく三筆の一人として讃えられた、橘逸勢の書も含まれると言われています。

展示は全期間に及びますが、会期当初、1月28日までは三十帖の全てが公開されていました。(現在は帖替で展示。)冊子はそれこそメモ帳サイズで、文字も実に細かく、中には肉眼では確認し得ないほど小さなものもありました。とはいえ、空海の、どこか柔らかく、また流れるような筆跡も見られないわけではありません。なお全帖公開は、2014年の修復後、初めてのことでもあります。

密教で最も重要なのは、仏の力によって現実世界に影響を与える修法と呼ばれる儀式でした。天変地異などの災いを除き、幸福をもたらすため、修法は大いに期待され、特に平安時代以降は国家的行事として行われました。よって真言密教の寺院である仁和寺にも、修法に関する数多くの文物が残されてきました。


国宝「孔雀明王像」 中国 北宋時代・10~11世紀 京都・仁和寺
*展示期間:1月16日(火)~2月12日(月・休)


中でも無双の大秘法とも呼ばれる、孔雀経法に関する作品が充実していました。「孔雀明王像」は、孔雀経法のための本尊画像で、大きな羽を広げた孔雀の上に、明王が座る姿を描いています。線は極めて緻密でかつ、彩色もかなり残っていて、孔雀の羽の緑なども殊更に美しく見えました。明王は、三つの顔と六つの腕をした三面六臂と呼ばれる姿で、経典には見慣れない特異な図像でもあるそうです。左右の対照的な正面性の高い作品で、いわば写実的な明王の表情なども印象に残りました。

また「金銅火焰宝珠形舎利塔」も、見応えがあるのではないでしょうか。おおよそ50センチほどはあろうかという大きな舎利塔で、繊細な作りの蓮華台座の上に、丸みを帯びた大きな宝珠が安置されていました。ほか、修法に際して用いられた仏画や法具もかなり揃っていました。

931年、宇多天皇が御室で崩御すると、膨大な数の御物が仁和寺へと移され、宝蔵が成立しました。以降、皇室の私寺の宝蔵として厳重に管理され、途中に戦火などに見舞われながらも、貴重な宝物類が現代まで守られて来ました。


重要文化財「僧形八幡神影向図」 鎌倉時代・13世紀 京都・仁和寺
*展示期間:1月16日(火)~2月12日(月・休)


日本最古の医学書として伝えられる「医心方」をはじめ、鴨長明の著した現存最古の写本である「方丈記」、さらには「延喜式」の年紀の入った最古の写本などが重要ではないでしょうか。また「僧形八幡神影向図」も見逃せません。扉の内側に二人の男臣が跪き、僧の姿をした八幡の神が現れる様子を表現していて、僧の右上には人影があり、神の影とも、神そのものの姿とも言われています。開け放たれた扉の外から覗き込むような構図も面白く、静けさに包まれながら、何とも言い難い緊張感も漂っていました。

応仁の乱で荒廃した仁和寺が、現在のような伽藍に再建されたのは、江戸時代初期、覚深法親王の時代でした。覚深法親王は、時の将軍、家光に働きかけ、仁和寺再建の援助を取り付けることに成功しました。さらに御所の紫宸殿や清涼殿なども移され、堂舎として改築されました。うち観音堂も同じ頃に再建されました。堂内には本尊の「千手観音菩薩立像」をはじめ、「二十八部衆立像」、さらには「風神・雷神立像」などの33体の仏像が安置されました。現在は、僧侶の修行道場のために、一般には非公開とされています。よって仁和寺へ赴いたとしても、拝観は叶いません。



その観音堂の33体の仏像が、まとめて東京国立博物館へとやって来ました。さらに単に展示するだけでなく、内陣の板壁の壁画も高精細画像で再現し、まさに実際の観音堂へ迷い込んだかのような空間を作り上げていました。しかも観音堂の再現展示は、全て撮影が可能でした。率直なところ、驚きました。



中央に鎮座するのが「千手観音菩薩」で、両脇を「降三世明王立像」と「不動明王立像」が構え、その周囲に「二十八部衆立像」が配置されています。左右の一番手前で、少し高い位置から威容を見せるのが、「風神・雷神立像」でした。



いずれの仏像も観音堂が再建された当時に安置された考えられているものの、作者自体は明らかにされていません。「二十八部衆立像」は、鎌倉時代に作られた京都の妙法院三十三間堂の像を模していて、まさに力強く、堂々とした姿を見せていました。



重厚な甲冑に身を包んだ像の多い中、ともすると異彩を放つのが「婆藪仙人」で、やせ細った上半身を露わにしながら、右手で杖をつき、口を大きく開いては前を見据えて立っていました。殺生の罪で地獄に落ちるものの、仏門に入ったことで救われ、経巻を捧げては、多くの罪人を連れて帰ろうとした姿を表現しました。まさに写実的で、鎌倉期の作を巧みに模していると言えるかもしれません。



内部の壁画の再現も実にリアルであるのにも驚きました。いずれも江戸時代の京都で活動した木村徳広によるもので、観音菩薩の救いの有り様などを、極彩色にて描きました。壁画はあくまでもレプリカではありますが、本物と見間違うかもしれません。



これほどまでに力の入った展示も、そう滅多にありません。まさに濃密極まりない仏教的空間が、東博に出現しました。

まさにハイライトではありますが、ここで終わりでないのが、「仁和寺と御室派のみほとけ展」の凄いところかもしれません。さらに続くのは仏像の饗宴でした。全国各地に点在する御室派の寺院から、普段は非公開の秘仏を含む、貴重な仏像が、数多くやって来ました。

まず目立つのが「阿弥陀如来坐像」でした。目を伏し、やや笑みをたたえたような表情をした阿弥陀如来で、仁和寺を創建した宇多天皇が、父の光孝天皇の菩提をともらうために供養した仏像とされています。つまり仁和寺創建時の本尊で、腹の前で両手を重ね合わせる形式をした阿弥陀如来像としては、最も古い作例だとも考えられているそうです。

一際背の高い仏像が目に飛び込んで来ました。それが福井県の明通寺の「降三世明王立像」で、像高は約250センチにも及ぶ、国内でも類例のない降三世明王の立像でした。顔は4面あり、8本の手が4方へと伸びていました。正面の顔は、何か見る者をあざ笑うかのようで、炎のごとくに逆立つ髪や、大口を開けた表情などは、異形と言っても良いかもしれません。大変な迫力でした。



同じく凄まじい形相をしているのが、同じく福井県の中山寺よりやって来た「馬頭観音菩薩坐像」でした。同寺では秘仏本尊として伝えられ、鎌倉時代の作品にも関わらず、まだ鮮やかな色彩を残していました。くわっと正面を睨むような表情は、野趣味に富んでいるとも言えそうです。

古墳時代の土師氏の氏寺として創建された、大阪府の道明寺に伝わる「十一面観音菩薩立像」の端正な姿も忘れられません。平安時代の仏像で、体は肉付きも良く、やや泰然としたような様で立っています。頭上の仏面から手足はおろか、台座に至るまで一木で造られていて、衣文も極めて流麗で、洗練されていました。

さらに同じく秘仏本尊である兵庫県の神呪寺の「如意輪観音菩薩坐像」も目を引くのではないでしょうか。平安後期の作で、如意輪観音像の古い例としても知られる、一木の仏像でした。ちょうど肩を右に落とし、左手で体を支えるように座る姿も独特で、何やら怒ったような表情をしているようにも見えなくはありません。

これらの仏像が、一部を除き、露出で展示されていたのにも驚きました。かの運慶展を彷彿されるような照明で、仏像の彫刻としての魅力を余すことなく伝えていました。秘仏も多く、仏像ファンにとっても見逃せない展覧会だと言えるのではないでしょうか。



感想をまとめるのが遅くなってしまいましたが、会期早々、第1週目の金曜日の夜間開館に行ってきました。それゆえか、場内にも余裕があり、「三十帖冊子」のコーナーこそ一部に僅かに列が出来ていたものの、どの作品も最前列でスムーズに観覧することが出来ました。既に会期も半月ほど経過しましたが、今のところ、特に混み合っていないようです。



「三十帖冊子」の全帖公開は既に終了しましたが、それ以外も、2月の第3週を境に、かなり多くの作品が入れ替わります。

「仁和寺と御室派のみほとけー天平と真言密教の名宝」出品リスト

2月14日からは、チラシ表紙にも掲げられ、天平の秘仏とも呼ばれる葛井寺の国宝、「千手観音菩薩坐像」が出陳されます。そのタイミングを狙い、私も再度、見に行くつもりです。


3月11日まで開催されています。これはおすすめします。

「仁和寺と御室派のみほとけー天平と真言密教の名宝」@ninnaji2018) 東京国立博物館・平成館(@TNM_PR
会期:1月16日(火)~3月11日(日)
時間:9:30~17:00。
 *毎週金・土曜は21時まで開館。
 *入館は閉館の30分前まで。
休館:月曜日。但し2月12日(月・祝)は開館。2月13日(火)は休館。
料金:一般1600(1300)円、大学生1200(900)円、高校生900(600)円。中学生以下無料
 *( )は20名以上の団体料金。
住所:台東区上野公園13-9
交通:JR上野駅公園口より徒歩10分。東京メトロ銀座線・日比谷線上野駅、京成電鉄上野駅より徒歩15分。

注)写真は第4章「仁和寺の江戸再興と観音堂」の観音堂再現展示。撮影可コーナー。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
見応えありました (もきち)
2018-02-16 20:25:24
仁和寺展、私も1月に行ったのですが、葛井寺の国宝、「千手観音菩薩坐像」を目当てに、金曜日の夜間開館を利用して行ってまいりました。満足しました(^^♪
 
 
 
Unknown (はろるど)
2018-03-06 21:17:58
@もきちさん

こんばんは。

千手観音菩薩坐像、いよいよ見納めですね。
連日、昼間の時間を中心に行列となっているようですが、
夜間はまだ狙い目のようです。
出来れば再度、行きたいものです。
 
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