「ヴァロットン展」 三菱一号館美術館

三菱一号館美術館
「ヴァロットンー冷たい炎の画家」 
6/14~9/23



三菱一号館美術館で開催中の「ヴァロットンー冷たい炎の画家」展のプレスプレビューに参加してきました。

スイスに生まれ、19世紀末のパリで活動し、「外国人のナビ」とも呼ばれた画家、フェリックス・ヴァロットン(1865-1925)。

ともすると画家の知名度は今ひとつかもしれません。しかしながらチラシ表紙を飾る一枚、「ボール」(1899)には見覚えがあるという方も多いのではないでしょうか。2010年に国立新美術館で行われた「オルセー美術館」に出品がありました。


左:フェリックス・ヴァロットン「5人の画家」1902-1903年 油彩/カンヴァス ヴィンタートゥール美術館

またこの同じ年の「ザ・コレクション・ヴィンタートゥール展」にも少ないながらも一定数の出品があった。ナビ派の画家を描いた「5人の画家」(1902-1903)など約5点ほど展示。実のところ私はこの時初めてヴァロットン画を意識したことを覚えています。

何故あまり知られていないのか。端的にまとめて紹介されたことがなかったからかもしれません。ここにようやく実現、国内初のヴァロットン回顧展です。監修はオルセー美術館及びヴァロットン財団。3カ国の国際巡回展です。パリのグラン・パリにアムステルダムのゴッホ美術館を経て、東京の一号館美術館へとやって来ました。


左:フェリックス・ヴァロットン「チューリップとマイヨールによる彫像」1913年 油彩/カンヴァス スイス、個人蔵

出品は油彩に版画他をあわせて計134点。油彩と版画はおおよそ半分ずつです。時系列ではありません。7つのキーワードからヴァロットン芸術の特性を探る内容となっていました。

第1章 線の純粋さと理想主義
第2章 平坦な空間表現
第3章 抑圧と嘘
第4章 「黒い染みが生む悲痛な激しさ」
第5章 冷たいエロティズム
第6章 マティエールの豊かさ
第7章 神話と戦争

いくつか代表的な作品を挙げてみましょう。


フェリックス・ヴァロットン「公園、夕暮れ」1895年 油彩/厚紙
三菱一号館美術館


「公園」(1895)です。今回の展示にあわせての一号館の新収蔵品、曲線を描いて進みゆく小路と半円状の緑地、そこで思い思いに語り、また遊ぶ人たちを描いている。ナビ派の画家が多く手がけたパリの公園を主題としたものですが、どこか平面的で装飾的な画風は、同派の特徴を示しているとも言えるのではないでしょうか。

「化粧台の前のミシア」(1898)も同様です。この頃のヴァロットンはヴュイヤールらとの交流も盛ん。モデルのミシアもナビ派の画家のミューズであった人物です。ヴァロットン絵画にしては比較的親密感もあります。

では「夕食、ランプの光」(1899)はどうでしょうか。円卓を囲んでは食事をともにする人々。デモルは自身の家族です。右手に妻ガブリエル、奥に座っているのが子ども。妻と前夫の間の出来た子、いわゆる連れ子です。そしてテーブルの上にはボトルが置かれ、果物も盛られている。ではヴァロットンはどこにいるのか。一番手前のシルエットこそ画家本人の姿なのです。


フェリックス・ヴァロットン「夕食、ランプの光」1899年 油彩/板に貼り付けた厚紙
パリ、オルセー美術館
Paris, musee d'Orsay


食事時の団らんというシーンであるにも関わらず、どこか冷めても見える家族間の関係。それぞれはとりあえず集まったものの、心はあらぬ方向にあるかのように座っている。そもそもシルエットのヴァロットンは表情すら伺えない。大きな影絵。さも絵のこちら側に立つ鑑賞者の影、言い換えれば異界から闖入した傍観者のようでもあります。また子どもはヴァロットンと目を合わしているのではなく、画面を飛び越して、我々に向いているのではないか。強い自我を思わせる眼差し。目はキラリと輝いている。画家の存在は殆ど視界に入っていない。何とも言い難い疎外感を感じさせます。

実際にもヴァロットンは結婚後、妻の連れ子を「仕事の障害物と見なしていた」(図録より)。それを暗示したかのような作品です。どこかぎくしゃくした家族、親子間の関係。そこに近代的な家族観を見出すことが出来るのかもしれません。

またこうした心理劇とも言える複雑でかつ謎めいた人物同士の関係、「貞節なシュザンヌ」(1922)でも表現されてはいないでしょうか。


右:フェリックス・ヴァロットン「貞節なシュザンヌ」1922年 油彩/カンヴァス ローザンヌ州立美術館

ピンク色に輝く大きなソファ。座るのは3名。手前には禿頭の男が2名です。ともに後ろ向き、恰幅の良い姿をしている。両者とも黒い服に身を包むものの、一人は前屈みになり、またもう一人は首をすくめてやや上を向く。その二人の前でこちらを見やるのが女性です。緑色の帽子についた白や黄などの紋様。着飾っているのでしょう。やや深く被った帽子の下には太い眉とともに横に長い目が妖しく光る。曲がった口元は縦にのびる。よからぬ話をしているのか。何とも不敵な笑み。貞節どころか卑猥です。結論から述べれば聖書のパロディー。本来的に貞節なシュザンヌを娼婦にして描いている。大胆な読み替えでもあります。

それにしても隣のソファから覗き見するかの光景。もはや悪趣味です。また先に心理劇とも書きましたが、さながら映画のワンシーン、演劇的だとも言えるのではないでしょうか。そしてドラマテックなまでの明暗の対比です。猥雑なピンクを引き立てる漆黒の闇。一見、善なる光には常に邪な闇が迫っているのか。もはや男は女から逃れられない。思わず背筋が寒くなりました。

さて少し視点を代えて裸婦像を見てみましょう。もはやフェティシズムとしても言っても良いかもしれません。それはヴァロットンの絵画おける臀部の表現です。


フェリックス・ヴァロットン「トルコ風呂」1907年 油彩/カンヴァス
ジュネーヴ美術・歴史博物館
© Musee d'art et d'histoire, Ville de Geneve


と言うのもヴァロットン、後ろ向きの裸婦の女性、とりわけ臀部を見定めた作品が少なくない。例えばアングルに傾倒していた頃に描いた「トルコ風呂」(1907)、全裸の女性が寛いだ姿でいる様子が描かれていますが、如何せん一人背を向けて立つ女性の臀部に着目せざるを得ません。また両肘を立てて横たわりながらこちらを流し目で見る女性の「赤い絨毯に横たわる裸婦」(1909)も同様です。画面の下段中央に位置する臀部。さも全ての視線を集めるかのように描かれています。


フェリックス・ヴァロットン「赤い絨毯に横たわる裸婦」1909年 油彩/カンヴァス
ジュネーヴ、プティ・パレ美術館
© Association des Amis du Petit Palais, Geneve / photo Studio Monique Bernaz, Geneve


極めつけは「裸婦の習作」(1884)です。時代は戻り、まだ10代の画家の描いた油彩画、文字通り臀部しか描かれていません。それにしてもボリューム感のある力強いまでの臀部。一つの肉塊として浮き上がる。習作とは思えません。細部の筆致、肌の皺や光の陰影までを見事に描ききっています。


フェリックス・ヴァロットン「赤ピーマン」1915年 油彩/カンヴァス
ソロトゥルン美術館、デュビ=ミュラー財団
Kunstmuseum Solothurn Dubi-Muller-Stiftung


そして実のところ臀部だけでなく、ヴァロットンの画肌は意外に緻密です。「赤ピーマン」(1915)です。白いテーブルの上のピーマン。オレンジ色のものもある。かなり熟れているのでしょうか。もはや表面は艶やかですらある。細い実の襞。丹念な描写です。確かに「リアリズム」(キャプションより)という言葉も誇張ではないかもしれない。そして手前のナイフ。先端に赤い色がついている。まるで血のようにねっとりとした質感。これは目を引きます。


左:フェリックス・ヴァロットン「竜を退治するペルセウス」1910年 油彩/カンヴァス ジュネーヴ・歴史博物館

ヴァロットンは神話もパロディ化してしまいます。例えば「竜を退治するペルセウス」(1910)です。ギリシャ神話のペルセウスとアンドロメダの物語、無表情のペルセウスが退治するのは竜どころか着ぐるみのようなワニ。背を向けるアンドロメダはどこか嫌悪の眼差しを見せている。そもそもヴァロットンは神話を通して男女の葛藤なり闘争を描こうとした。二人の奇妙な関係。もはや読み取れません。

晩年のヴァロットンは第一次世界大戦を経験します。自身も画家として従軍、戦地の様子を捉えたいわゆる戦争画を描きました。


左:フェリックス・ヴァロットン「ヴェルダン、下絵」1917年 油彩/カンヴァス パリ、オルセー美術館

中でもポイントになるのが木版画の連作、「これが戦争だ!」(1915-1916)です。戦地での兵士の姿に塹壕で炸裂する爆弾を描く。また油彩の「ヴェルダン、下絵」(1917)では大戦の激戦地の様子を抽象的とも言える表現で表している。未来派との関連も指摘される作風。上空のサーチライトと大地で燃え盛る炎が交錯する姿。この地の戦闘では計70万名もの死傷者が生じたそうです。


右:フェリックス・ヴァロットン「短刀で刺された男」1916年 油彩/カンヴァス ヴィンタートゥール美術館

目の前に現れた「死」の世界。その意味ではホルバイン作に由来するという「短刀で刺された男」(1916)も大いに関係あるのかもしれません。元々ヴァロットン絵画には不気味な「影」があった。木版画には「自殺」(1894)や「処刑」(1894)などを描いた作品もあります。それが戦争を切っ掛けにより顕著になる。「戦争と死」が大きなテーマになっていたことは間違いありません。

最後に改めて「ボール」(1899)を振り返ってみましょう。おそらくは国内で最も知られているヴァロットン絵画、夏の陽射しの差し込む公園の中で女の子がボールを追ってかけていく。何よりもさも遠方から覗き込んだかのような引きのある空間、そして女の子の走る前景と二人の女性の立つ後景との二分された構図が際立つ。これは2枚のスナップ写真を組み合わせることで初めて得られた視点だそうです。


左:フェリックス・ヴァロットン「ボール」1899年 油彩/板に貼り付けた厚紙 パリ、オルセー美術館

それにしても何とも言い難い不安感。何処に由来するのでしょうか。遠くの女性は女の子を見守る親なのか。もはや手の届かないほどに離れている。女の子はそのまま走り去ってもう二度と戻らないのかもしれない。木立の影はまるで触手のように彼女を後ろから襲っています。前後で引き裂かれた日常。一見、何気ない、いやむしろ朗らかなまでの光景が描かれているにも関わらず、その奥に隠れている不穏でただならぬ気配。やはりこれこそがヴァロットンの最も「魅力」と言うべき点なのかもしれません。

長くなりました。ともすると「変態」などとも語られるヴァロットン。冷ややかな眼差しは見る者を決して温かくは包み込まない。好き嫌いは分かれるかもしれません。ただ異様なまでに気に懸かり、また何か捉え難く謎めいたものを持っている。時に神秘的な象徴派絵画を連想します。また適切な言葉はではないかもしれませんが、中毒性のある画家と言えるかもしれません。思わず時間を忘れて見入ってしまいました。


「ヴァロットン展」会場風景

会期は長く9月後半までです。ただし一号館の展覧会は後半に混雑が集中する傾向があります。早めの観覧がベストです。

国内巡回はありません。9月23日までの開催です。もちろんおすすめします。

「ヴァロットンー冷たい炎の画家」@vallotton2014) 三菱一号館美術館
会期:6月14日(土)~9月23日(火・祝)
休館:毎週月曜。但し祝日の場合は翌火曜休館。9/22(月)は18時まで開館。
時間:10:00~18:00。毎週金曜日(祝日除く)は20時まで。
料金:大人1600円、高校・大学生1000円、小・中学生500円。
 *「W相互割引」あり:「バルテュス最後の写真展」のチケットを提示すると100円引。
住所:千代田区丸の内2-6-2
交通:東京メトロ千代田線二重橋前駅1番出口から徒歩3分。JR東京駅丸の内南口・JR有楽町駅国際フォーラム口から徒歩5分。

注)写真は報道内覧会時に主催者の許可を得て撮影したものです。
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