英語脳をつくる!~日本人はいかに効率良く英語を学べるか~

英語学習に関する事いろいろです。日本人がいかにすれば実用英語を身に付けられるか、その最短距離を考察!

「英語脳をつくる!」 英語学習法(EG)・索引(1)

2013年09月30日 | 索引欄

【チョット気になる英語(か?)(^^;】 2007年03月05日(月)
国名の「シンガポール」ですが、発音注意です。‘Singapore’は、「シ」にアクセントを置きながら、「シンガポー」という感じで発音します。ちょっと微妙ですね。

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                  EC30・考えて選ぶ、 (,06/09/25)
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【索引(1)・各EG番号順】  ■ タイトル索引 (1) EG01 ~ EG50 
EG01EG02EG03EG04EG05EG06EG07EG08EG09EG10
EG11EG12EG13EG14EG15EG16EG17EG18EG19EG20
EG21EG22EG23EG24EG25EG26EG27EG28EG29EG30
EG31EG32EG33EG34EG35EG36EG37EG38EG39EG40
EG41EG42EG43EG44EG45EG46EG47EG48EG49EG50

「英語脳をつくる!」 英語学習法(EG)・索引(2)

2006年09月16日 | 索引欄

【索引(2)・各EG番号順】  ■ タイトル索引 (2) EG51 ~ EG100
EG51EG52EG53EG54EG55EG56EG57EG58EG59EG60
EG61EG62EG63EG64EG65EG66EG67EG68EG69EG70
EG71EG72EG73EG74EG75EG76EG77EG78EG79EG80
EG81EG82EG83EG84EG85EG86EG87EG88EG89EG90
EG91EG92EG93EG94EG95EG96EG97EG98EG99EG100

「英語脳をつくる!」 英語学習法(EG)・索引(3)

2006年09月11日 | 索引欄

【索引(3)・各EG番号順】  ■ タイトル索引 (3) EG101 ~ EG150
EG101EG102EG103EG104EG105EG106EG107EG108EG109EG110
EG111EG112EG113EG114EG115EG116EG117EG118EG119(,06/10/17)
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【コラム】 ■ 英語コラム (EC) 索引 ■ (,06/09/25)

【学習】
★01・日本語と英語の語順/ ★02・品詞(1)/ ★03・品詞(2)/ ★04・名詞(1)/
★05・名詞(2)/ ★06・名詞(3)/ ★07・名詞(4)/ ★08・名詞(5)/ ★09・名詞(6)/
★10・品詞(3)/ ★11・品詞(4)/ ★12・品詞(5)/ ★13・品詞(6)/ ★14・品詞(7)/
★15・品詞(8)/ ★16・品詞(9)/ ★17・品詞(10)/ ★18・品詞(11)/ ★19・句の概念(1)/
★20・句の概念(2)/ ★21・使役動詞‘have’(1)/ ★22・‘yesterday’割り込み/
★23・‘easy’構文/ ★24・関係代名詞(1)/ ★25・同格節(1)/ ★26・関係代名詞(2)/
★27・同格節(2)/ ★28・関係節と同格節の共通点/ ★29・‘when ~’「~ とき」/
★30・「時」や「条件」を表す節(1)/ ★31・‘there’構文(1)/ ★32・否定(1)/
★33・「時」や「条件」を表す節(2)/ ★34・受身文(1)/ ★35・受身文(2)/ ★36・否定(2)/
★37・不定詞/ ★38・不定詞・名詞用法/ ★39・副詞(1)/ ★40・副詞(2)/
★41・文の中の文 (名詞節)/ ★42・不定詞・副詞用法/ ★43・‘for A for B’/
★44・副詞一族 (副詞句と副詞節)/ ★45・前提の概念(1)/ ★46・前提の概念(2)/
★47・疑問詞の移動/ ★48・‘wanna’にひそむワナ/ ★49・通行禁止エリア(1)/
★50・‘enough to’の不定詞/ ★51・不定詞・形容詞用法(1)/
★52・不定詞・形容詞用法(2)/ ★53・関係代名詞(3)/ ★54・関係代名詞(4)/
★55・自動詞/ ★56・他動詞/ ★57・動名詞(1)/ ★58・動名詞(2)/
★59・通行禁止エリア(2)/ ★60・二重目的語(1)/ ★61・二重目的語(2)/
★62・‘seem’の構文/ ★63・否定(3)/ ★64・二重目的語(3)/ ★65・二重目的語(4)/
★66・知覚動詞(1)/ ★67・知覚動詞(2)/ ★68・使役動詞‘have’(2)/ ★69・状態動詞(1)/
★70・‘be’動詞(1)/ ★71・‘be’動詞(2)/ ★72・「限定」と「特定」の概念/
★73・不定冠詞‘a’と定冠詞‘the’/ ★74・‘there’構文(2)/★75・分詞構文(1)/
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★87・主語(3)/ ★88・主語(4)/ ★89・通行禁止エリア(4)/ ★90・‘to be’の消去/
★91・「相互」の代名詞‘each other’(1)/ ★92・「相互」の代名詞‘each other’(2)/
★93・「目的語+‘to’不定詞」の構文(1)/ ★94・「目的語+‘to’不定詞」の構文(2)/
★95・再帰代名詞(1)/ ★96・再帰代名詞(2)/ ★97・「目的語+‘to’不定詞」の構文(3)/
★98・「目的語+‘to’不定詞」の構文(4)/ ★99・通行禁止エリア(5)/ ★100・代名詞(1)/
★101・代名詞(2)/ ★102・移動の性質(1)/ ★103・移動の性質(2)/
★104・通行禁止エリア(6)/ ★105・比較の構文‘as ~ as ・・・’(1)/
★106・比較の構文‘as ~ as ・・・’(2)/ ★107・比較の構文‘-er than ~’(1)/
★108・比較の構文‘-er than ~’(2)/ ★109・比較構文の共通点(1)/
★110・比較構文の共通点(2))/ ★111・比較構文の共通点(3)/
★112・比較構文の共通点(4)/ ★113・比較の構文‘-er than ~’(3)/
★114・比較の構文‘-er than ~’(4)/ ★115・比較の構文‘as ~ as ・・・’(3)/
★116・比較の構文‘as ~ as ・・・’(4)/ ★117・強調構文(1)/ ★118・強調構文(2)/
★119・命令文/ (,06/10/17)

【その他】
サイト・リニューアルのお知らせ (,06/01/26)
過去記事改訂のお知らせ (,05/07/03)
お悩み解消BOXに答えてみました
英作文の質問に答えてみました (,05/03/01)

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英語学習法(119)

2006年09月10日 | 命令文
今回、命令文です。以下、見ましょう。

(1)Study English every day. (英語は毎日勉強しなさい。)
(2)Don't study English every day. (英語なんて毎日勉強するなよ。)

(1)は命令文ですが、特徴は、主語のない文で、動詞の原形で始まるところにあります。つまり、動詞のカタチが原形のままなので、とても簡単です。命令文は否定のカタチも決まっていて、(2)のように、(1)の先頭に‘don't’を加えるだけです。 (‘do not’というカタチにしてもOKです。)

(3)You study English every day. (あなたは、英語を毎日勉強する。)
(4)You don't study English every day. (あなたは、英語を毎日勉強しない。)

そこで、(3)は、(1)の先頭に二人称の‘you’「あなた」を補ったものですが、逆に言えば、(1)は、(3)から‘you’を消去したものと言えます。一方、(4)は、(2)の先頭に二人称の‘you’「あなた」を補ったものですが、やはり、逆に言えば、(2)は、(4)から‘you’を消去したものと言えます。

(5)Wash yourself every day. (体を毎日洗いなさい。)
(6)Don't wash yourself every day. (体は毎日洗わないで。)

(5)と(6)は、命令文の目的語に再帰代名詞‘yourself’が現れていますが、(1)~(4)で考えたとおり、命令文の主語がもともとは‘you’であり、それが消去されているのならば、この目的語‘yourself’の出現は当然のことと言えます。 (EG95、EG96、参照。)

(7)Wash him every day. (〇) (彼の体を毎日洗いなさい。)
(8)Wash himself every day. (×) (訳同上)

(7)と(8)のコントラストからわかるように、命令文の目的語として、代名詞‘him’の出現はOKですが、一方、再帰代名詞‘himself’は、アウトになります。再帰代名詞は、目的語として現れる場合、主語と一致するものでなくてはなりません。逆に、代名詞は、目的語として現れる場合、主語と一致するものであってはなりません。このことから、やはり、命令文の潜在的な主語は、‘you’であると考えられます。 (EG100、EG101、参照。)

(9)You wash yourself. (〇) (あなたは自分の体を洗う。)

(10)You wash him, (〇) (あなたは彼の体を洗う。)
(11)You wash himself. (×) (訳同上)

つまり、命令文の動詞が三人称・単数の‘-s’を語尾に伴わず、常に原形のカタチであったり、一方、命令文の否定形が‘doesn't’ではなく、don't’であったりするのは、その潜在的な主語として、二人称の‘you’の存在があり、それが影響している結果だと言えます。

(12)Wash yourselves every day . (〇) (あなたたちは、体を毎日洗いなさい。)

(12)は、命令文の目的語として複数形の再帰代名詞‘yourselves’が現れていますが、OKです。ここから、単数であるか複数であるかを問わずに、二人称であれば潜在的に命令文の主語と見なせるという結果になります。

そこで、よく考えてみれば当たり前のことなんですが、命令という行為は、実際に話しかける相手に対して行うものですから、どうしても二人称「あなた、あなたたち」が主語となって行う動作が妥当であり、一方、三人称「彼、彼ら、彼女、彼女ら」は話しかける相手ではないので、命令という行為自体が成り立たないわけですね。

(13)Somebody help me. (〇) (誰か助けて。)
(14)Somebody helps me. (×) (訳同上)

命令文には、(13)のように、二人称ではない‘somebody’「誰か」のような表現が、一見、主語のように振る舞っているものもあるため、カン違いしやすいのですが、(13)をよく見てみると、動詞‘help’が三人称・単数の語尾‘-s’を取っていなくてもOKであり、逆に、(14)のように、動詞‘help’が三人称・単数の語尾‘-s’を取っていると、命令文としてはアウトになってしまいます。 ((14)は、ただの平叙文としてならOKです。)

(15)John、help me with my homework. (ジョン、宿題を手伝ってよ。)
(16)John helps me with my homework. (ジョンは私の宿題を手伝います。)

(15)の‘John’は、(16)の主語‘John’とは異なり、呼びかけとして使われています。このような例からもわかるとおり、一応、(13)の‘somebody’も、呼びかけという行為の対象になっているわけですから、この点においては、(13)の‘somebody’も、(15)の‘John’も、二人称「あなた、あなたたち」の特徴となっている前提、つまり、常に話しかける相手が前提になるという特徴を共有しています。

ここから発展的に考えれば、命令文は、その話者が話しかけることが可能な、または、話しかけられると話者が想定している範囲の相手を潜在的な主語とした表現であると考えられます。例えば、無人島に置き去りにされた人物が、(13)を発話した場合は、誰かが近くにいるかも知れないので、とにかく、そのような人に呼びかけるつもりで、‘somebody’を使っている場合であると言えます。

(17)Open the door、will you ? (ドアを開けてくれないかな。)
(18)John、open the door、will you ? (ジョンはドアを開けてくれないかな。)

(17)と(18)は、付加疑問文として命令文を使っている場合ですが、主語が現れていない標準的な命令文である(17)では、‘will you’が付加されています。そして一方、(18)では、呼びかけとして、‘John’が現れていますが、この‘John’は、二人称を使うべき状況に準拠して用いられていますので、やはり、‘will you’が付加されてOKになります。

今回のポイントは、命令文の基本です。命令文は、一般に主語が現れないという特徴があるため、その潜在的な主語を補うとしたら、どのようなものになるかということを考えてみました。その基本は、単数・複数のどちらであっても、二人称‘you’であり、仮に二人称以外の表現が主語として現れたとしても、その使用は二人称の特徴に準拠したものになります。

今回は、命令文のカタチの上で最も基本的なことを扱いましたが、その理解としては、今回の内容で十分だと思われます。しかし、命令文は、意味的な面においては、ちょっと厄介な側面があるので、また別の機会に扱うことにしたいと思います。

●関連: EG95EG96EG100EG101

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英語コラム(30)

2006年09月09日 | コラム
今回、何も考えないで構文の丸暗記などしていると、思考停止に陥ってしまうという典型的なケースです。

(1)George asked Ann [ whether the earth is round ] . (〇)
  (ジョージはアンに [ 地球は丸いのか ] 尋ねた。)

(2)George asked Ann [ that the earth is round ] . (×) (訳同上)
  
(1)で使われている構文は、‘ask A whether ~’「A に ~ かどうか尋ねる」というものです。特に‘whether’を使った節は、「~ かどうか」という「問い」を表す節を導くもので、意味的にも、‘ask’に直接に対応させやすく簡単なので、‘ask A whether ~’のカタチでそのまま暗記してしまうのが、1つの方法だと思われます。

また、この丸暗記型の考え方を支持するのは、(2)のように、‘ask A that ~’となった場合、アウトになってしまうということです。つまり、‘whether’節や、‘that’節といったように、いくつかの種類をもつ節は、予め述語によって、どういった節を取るのかが決まっていて、1つの構文の中にそのままセットとして組み込まれているという考え方です。

(3)I know [ that the earth is round ] . (私は [ 地球が丸いことを ] 知っている。)
(4)I know [ whether the earth is round ] . (私は [ 地球が丸いかどうか ] 知っている。)

しかし、(3)のように、‘know’「知っている」という動詞は、通常、‘that’節を取りますが、一方、(4)のように、‘whether’節を取ってもよいことになっています。ということは、‘know’の場合は、とりあえず、‘that’節と‘whether’節、どちらでも常にOKと暗記してしまうべきなのかということになりますが、ここで問題が発生します。

(5)I do not know [ that the earth is round ] . (×)
  (私は [ 地球が丸いことを ] 知らない。)

(6)I do not know [ whether the earth is round ] . (〇)
  (私は [ 地球が丸いかどうか ] 知らない。)

(5)のように、(3)を否定文にしたものは、一般的にアウトになり、一方、(6)のように、(4)を否定文にしたものはOKです。つまり、‘know’を使った否定文の場合、それが取り得る節の種類が‘whether’節に制限されてしまうという条件があるということになります。

(7)I did not know [ that the earth is round ] . (〇)
  (私は [ 地球が丸いことを ] 知らなかった。)

(7)でも、‘know’が‘that’節を取っていますが、しかし、(5)と同じく否定文であるにもかかわらず、何とOKになっています。(5)では‘know’が、現在形の否定文ですが、一方、(7)では、‘know’が過去形の否定文になっています。つまり、‘know’は現在形であり、かつ、否定文の場合、‘that’節が許されない、という条件に修正することになります。

(8)George does not know [ that the earth is round ] . (〇)
  (ジョージは [ 地球が丸いことを ] 知らない。)

今度は(8)ですが、この場合も、‘know’が‘that’節を取っていてOKです。(8)で注意すべきは、‘know’が現在形の否定文ですが、何と、それでもOKなのです。(8)の場合、(5)の主語である‘I’「私」が、‘George’「ジョージ」に変わっただけです。

つまり、‘know’は、現在形の否定文では‘that’節を取ることができないが、それは主語にもよる、などという非常にややこしい条件を付けなければならないことになっているわけです。しかし、こんな構文の覚え方なんて一体どんな意味があるんでしょうか?

そこで、もう一度、(3)~(8)をよく観察してみて、‘know’「知っている」の意味を考えてみればわかると思いますが、まず、「知っている」という表現は、否定文では、もちろん、「知らない」となるわけです。ヒトは知らないことを正しく述べることはできません。

(9)私は、3日後に地球が滅亡することを知らない。
(10)私は、3日後に地球が滅亡するかどうかは知らない。

(9)のような発言は矛盾しており、現実的にはあり得ないものです。ただし、(9)がOKになるような状況は一応あって、それは、地球の滅亡が確定されていて、かつ、そのことを、(9)の話者である「私」が知っているような場合です。しかし、そのような状況は、SFやドラマの世界で、「私」が「私」から分離してナレーションをするなどの第三者的な立場になるような場合のみです。

ですので、現実世界で、「私」が地球の滅亡を知らなければ、(10)のように発言するのが正しく、これは自然なことだと思われます。これを言いかえれば、逆に、「私」が地球滅亡を知っていて、それを伝える表現にするならば、あえて、「~ かどうか」などといった表現を使うことはないわけです。要するに、(9)の奇妙さは、知らないのに知っていることを前提としたような発言が矛盾しているということからくるものです。

(11)私は、3日後に地球が滅亡することを知らなかった。

(11)のように発言するのは、現実世界では可能です。過去に起こった出来事ならば、その時に知らなかったとしても、発話している時点で知っていれば (かつ、「私」が生き残っていれば (笑)) よいわけですから、事実上、(11)の「私」は、地球滅亡を知っている上での発言として何ら矛盾はありません。

(12)ジョージは、3日後に地球が滅亡することを知らない。

(12)は、もちろん、ジョージが知らないだけであって、話者である「私」が地球滅亡が確実であることを知っていて発言している場合は、何ら矛盾にはなりません。つまり、こういったことをトータルで考えると、結局のところ、発話している人物本人が、発話している時点で知らないことを、知っているかのような前提で、「知らない」と言っていることが、(5)をおかしくしている原因ということになります。

(13)I would like to know [ whether he will come ] . (〇)
  (彼が来るかどうか知りたいのですが。)

(14)I would like to know [ that he will come ] . (×)
  (彼が来るのが知りたいのですが。)

話者が知らないようなことかどうかが、‘know’の‘that’節の可否に関する決め手になるので、(13)がOKで、一方、(14)がアウトなのは、もちろん、話者である「私」が尋ねたい内容 (知らない内容) が‘know’以下に続いているからです。

(15)Do you know whether he will come ? (〇) (彼が来るか知ってますか?)
(16)Do you know that he will come ? (〇) (彼が来るのを知ってますか?)

(15)と(16)は共にOKですが、(15)の場合は、‘know’以下が話者が知りたいと思っている内容か、または、話者自身は知っているが、尋ねている相手に正しい情報を答えさせようという意図がある場合のどちらかです。一方、(16)は、‘know’以下の情報を話者自身は知っていて、相手に、こんな情報があるが知っているか、と尋ねている場合になります。

ですので、‘that’節か‘whether’節か、といった問題は、‘ask’のように単純な場合はともかく、煎じ詰めて考えると、暗記構文として処理すべき問題ではなく、結局は、しっかりと文全体の意味を考えて判断した上で自然なものを選ぶ、というようなことにつきると言えますね。

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英語コラム(29)

2006年09月03日 | コラム
今さら聞けない英語の疑問なんて、どんなものがあるかな?とも思いますが、こんなのどうでしょう?

(1)All the angles of a triangle are less than 180゜.
  (三角形の内角は、どれも180度より小さい。)

(1)で述べているようなことは、もちろん、三角形の3つの角は常に全部足し合わせて180度ジャストという誰でも知っている三角形の法則があるわけですから、当たり前のことなんですが、しかし、これが、なかなか面白い問題提起につながっていきます。

(2)All the angles of a triangle are 180゜.
  (三角形の内角は、全て足し合わせると180度だ。)

(1)から‘less than ~’「~ より下」を取り除くと、(2)のような英語になりますが、それでも正しい英語です。しかし、その意味が、単純に‘less than’を取り除いただけの解釈になっているわけではなく、根本的に意味が変わってしまっていることに注意して下さい。

(1)も(2)も、主語の‘all the angles of a triangle’「三角形の全ての角」は同じ表現です。しかし、(1)では、「全ての三角形の内角1つ1つが」という解釈になる一方で、(2)では、「1つの三角形における内角の総和が」という解釈になっているわけですから、この2つの異なる解釈が発生する原因はどのようなところにあるのか、ということになります。

(3)All the batters hit a home run in the game last night.
  (昨夜、その試合では、バッター全員がホームランを打った。)

そこで、(3)のような英語ですが、別に難しくも何ともなさそうな平易な英語に見えますが、これをとっさに会話などで言おうとすると、意外に、ん?ちょっと待てよ、と考えてしまうことがあります。それは、英語では名詞表現に、逐一、「単数・複数」の区別がともなうからです。

真面目なヒトなら、必ず、バッターが全員ホームランを打ったということは、バッターの数だけホームランの数があるはずだ。だから、(3)の目的語は、単数形の‘a home run’ではおかしく、‘home runs’と複数形にするのが正しいのではないか?などと考えてしまうわけです。

しかし、結論から言うと、別に、(3)はおかしいということはなく正しい英語であり、全く問題はありません。これは‘all’「全て」や、それに類する語句、‘every’などの表現が共通にもっている性質に着目し、その性質を予め理解しておけば、割とスッキリと解決してしまうようなことなのです。

(4)Every student in this school hates a teacher.
(5) a. この学校では、全ての学生に嫌いな先生が1人はいる。
   b. この学校では、全ての学生がある1人の先生を嫌っている。

まず、(4)のような英語は、一般的に、(5a)と(5b)のような2通りの解釈があります。(5a)は、学生それぞれに1人ずつ嫌いな教師がいる、と言っているわけですから、学生の数だけ嫌いな教師の数がある、というようなことを言っているわけです。

一方、(5b)は、学校の中に、ある嫌われ者の教師が1人いて、しかも、学生全員がその教師を嫌っているような状況を言っているわけです。つまり、潜在的に、「全て」というような意味をもった表現は、①・「全ての中で、それぞれ」というような解釈もあれば、一方、②・「全てが1つにまとまって」というような解釈も許してしまうので、もともとの性質として、その解釈があいまいなのです。

ですので、(4)のような英語は、たまたま、「全て」という表現のもつ2通りの解釈の可能性のうち、どちらも許しているようなケースになる、というだけのことなのです。ここで、(1)と(2)に戻って考えてみると、まず、私たちは、「不変の真理」として、1つの三角形がもっている3つ内角の総和は180度ジャストである、という知識がその前提としてアタマの中にあります。

すると、(1)は、‘less than 180゜’「180度より下」の表現から、180度ジャストではないと判断されるので、‘all the angles of a triangle’の‘all’は、①と②の解釈のうち、②・「全てが1つにまとまって」という解釈にはなり得ないと常識的に判断するわけですね。

一方、(2)は、もちろんこの逆で、‘~ are 180゜’「~ は180度だ。」の表現から、180度ジャストが確定するわけですから、三角形の内角の1つが180度になってしまったら、残り2つの内角はなくなってしまうじゃないか、と判断するので、①と②の解釈のうち、①・「全ての中で、それぞれ」という解釈にはなり得ないとなるわけですね。

つまり、(1)と(2)の解釈が1つに決まってしまい、かつ、お互いに異なる解釈になるのは、「全て」という表現が、もともともっている2通りの解釈というあいまい性があり、それに加えて、私たちが不変の真理としている三角形に対する知識があると、一方が他方を排除し合うような選択しかなくなってしまう、ということなのです。

そこで、(3)ですが、これは、①と②の解釈のうち、①の解釈を利用した英語表現であることは、もうおわかりになると思います。もし仮に、②の解釈になってしまったら、それは、バッター全員で力を合わせて1本のホームランを打ったというような、野球のルールを全く無視したような解釈になってしまいますから。

(6)All the batters hit home runs in the game last night. (訳同(3))

(6)は、(3)の目的語を複数形‘home runs’に変えたものです。今回の考え方からすると、(6)はどんな解釈になるのかというと、全てのバッターが、1人2本以上のホームランを打ったという解釈になりますが、一方、全てのバッターがホームランを打ったことは確かだが、1本だけの者や、2本以上打った者が混じり合っている、という解釈にもなります。

と言うよりも、「複数×複数」のような掛け算が文の中にあると、もう数が入り乱れてゴチャゴチャした感じになってきますので、実際、(6)は、あまりにも繁雑すぎて、情報伝達上、不親切な表現の仕方になり、好ましくないとされています。

(7)Each of the batters hit home runs in the game last night. 
  (各々のバッターが複数のホームランを打った。)

そこで、あえて、1人につき2本以上のホームラン、と言いたければ、(7)のようにするのが自然です。もちろん、言うまでもなく、いろいろ工夫すれば、他にも、(7)の日本語訳を意図するような英語表現はたくさんありますが。う~ん、何ともややこしいですね。

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英語コラム(28)

2006年08月04日 | コラム
今回、代名詞のお話なんですが、代名詞というのは、もちろん、‘he’「彼」とか、‘she’「彼女」とか、‘it’「それ」のことです。これらは、何かを受けて指しているとよく解説されますが、代名詞は、当然のこと、話しかける相手が、予め何を指すのかわかっていないと使っても意味がないものです。「彼が ・・・」、「彼を ・・・」、「彼と ・・・」、などと一方的に言っているだけでは、結局、その「彼」って誰のことよ?となってしまいますから。

つまり、代名詞の性質は、基本的に、何か指す対象に常に依存しているわけです。典型的には、ある会話の中で、何らかの初登場となるような名詞が出てきて、それから後に代名詞が登場する、というのが最もわかりやすい解説になると思います。

(1)Eric likes books. He is always reading some book. (‘Eric’=‘he’)
  (エリックは本が好きで、彼は、いつも何か読んでるんだよ。)

代名詞には、このいわゆる、「後追い型・他者依存型」の性質があるため、少し詳しい解説本などになると、「古い情報」を担っている、と解説されることがよくあります。(1)で言えば、‘Eric’「エリック」は、会話の中に、先に登場している名詞であり、「新しい情報」ということになります。

その‘Eric’に依存して後追い的に、今度は、代名詞‘he’「彼」が、結局は、2回目に出てきた‘Eric’としての解釈を受けて、続く文の中で使われているわけですから、この点、代名詞は「古い情報」、という考えは正しいと思われます。

そして、発音に関しては、(1)での‘he’は、通常、ストレスを置くようなイントネーションにはならず、‘Eric’の方にストレスが置かれるのが普通です。これは、新しい情報は注目度が高いが、一方、古い情報は注目度が低いと見なされやすいため、話者の発音の力点が自然とそのようになるのだと思われます。

(2)Eric was in the office last night. I think not George but he stole our secret file.
  (昨夜は、エリックがオフィスにいた。ジョージではなく彼が我々の機密ファイルを
   盗んだんだと思う。)

そこで、(2)ですが、通常のイントネーションで発音される際は、‘not George but he’「ジョージではなく、彼が」のうち、‘he’の方にストレスを置くような発音になります。と言うのも、ジョージに疑いがかかっているところに、(2)の話者は、エリックが犯人ではないか、というような、他人とは違う新しい意見を持ち出しているからです。

(2)の中の‘Eric’も‘George’も、共に代名詞ではありませんから、「新しい情報」と見なされているはずです。そして‘Eric’を指し示す代名詞‘he’は、古い情報でなければならないはずなのに、話者がストレスを置いて発音するということは、もちろん、(2)の‘he’が、‘George’よりも新しい情報を担っていることを示唆しています。

つまり、(1)に反して、(2)では、代名詞に発音の力点が置かれるわけですから、代名詞が「古い情報」である、というような考えに疑問を投げかける反例となっているわけです。

ここで、大事なのが、「新しい情報・古い情報」のとらえ方です。よく考えてみれば簡単なんですが、「新しい・古い」といった概念は、絶対的なものではなく、主観的・相対的なものです。例えば、10年前に買ったクルマは、5年前に買った別のクルマと比べれば、もちろん、古いと言えますが、一方、15年前に買った、また別のクルマと比べれば、新しいということになります。

このように、「新しい・古い」とは主観的・相対的な概念なので、見方によっては、古いと思っているものが新しいと思われているということもあり、一方、新しいと思われているものが古いと思われているということにもなり得るわけです。

そこで、「代名詞は古い情報を担う」、という、誤解されやすい断定的な解説についてですが、こういった解説は、あくまでも、代名詞自体は、何を指しているのかを、自分で指し示す能力がない、という点で、「後追い型・他者依存型」であり、この点においてのみ、必然的に「古い情報」であると理解すべきなのです。

これを言いかえると、名詞‘Eric’は依存するものを必要としないが、一方、代名詞‘he’は依存するものが必要なので、イコール (=) 関係が成り立つ‘Eric’と‘he’のような2つの表現の間でのみ、「新しい・古い」といった関係が、常に付きまとう結果になる、ということなのです。

(2)での代名詞がストレスを置かれる発音になる要因は、こういった理解とは、もちろん、次元が違います。つまり、代名詞という単語そのものが、もともともっている、言わば、「他者依存型」という語彙的な性質とは全く関係ないものです。

ただ単純に、「異なる人物」である2人、‘George’と‘he’(=‘Eric’) という点から、そのコントラストにおける情報の新しさ・古さの比較になっているわけですから、もはや、代名詞は指し示す相手が必要だから、どうのこうの、ということとは全く関係ない別次元の問題だということがわかると思います。

というわけで、結構、誤解されやすい、「代名詞は古い情報を担う」、という解説は、そのままストレートに文字通りの解釈をしてはならず、「指し示す相手が前提となる性質上、その指し示す相手と比較した場合、常に古い情報を担う立場にある」、と補足して理解するべきものなのです。

コトバの問題に常につきまとう、「新しい情報・古い情報」の概念は、何かとの比較において相対的に決定されるべきものなので、単語そのものに、最初から、「新しい情報・古い情報」を指定することは、本来的には不可能なのです。

つまり、(2)のような代名詞の使い方があるのは、コトバの在り方としては、むしろ、自然なことであり、一方、(1)のような例から、代名詞の本質を語ろうとするのは、巨視的に観た場合、特殊なことなのです。「一般・特殊」の関係を常に念頭に置いてモノゴトを観察するようにしておかないと、事態を見誤ってしまいますね。

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タイトル索引 (3) EG101 ~ EG150

2006年08月01日 | 索引欄
EG101・代名詞(2)
EG102・移動の性質(1)
EG103・移動の性質(2)
EG104・通行禁止エリア(6)
EG105・比較の構文‘as ~ as ・・・’(1)
EG106・比較の構文‘as ~ as ・・・’(2)
EG107・比較の構文‘-er than ~’(1)
EG108・比較の構文‘-er than ~’(2)
EG109・比較構文の共通点(1)
EG110・比較構文の共通点(2)

EG111・比較構文の共通点(3)
EG112・比較構文の共通点(4)
EG113・比較の構文‘-er than ~’(3)
EG114・比較の構文‘-er than ~’(4)
EG115・比較の構文‘as ~ as ・・・’(3)
EG116・比較の構文‘as ~ as ・・・’(4)
EG117・強調構文(1)
EG118・強調構文(2)
EG119・命令文

タイトル索引 (2) EG51 ~ EG100

2006年07月31日 | 索引欄
EG51・不定詞・形容詞用法(1)
EG52・不定詞・形容詞用法(2)
EG53・関係代名詞(3)
EG54・関係代名詞(4)
EG55・自動詞
EG56・他動詞
EG57・動名詞(1)
EG58・動名詞(2)
EG59・通行禁止エリア(2)
EG60・二重目的語(1)

EG61・二重目的語(2)
EG62・‘seem’の構文
EG63・否定(3)
EG64・二重目的語(3)
EG65・二重目的語(4)
EG66・知覚動詞(1)
EG67・知覚動詞(2)
EG68・使役動詞‘have’(2)
EG69・状態動詞(1)
EG70・‘be’動詞(1)

EG71・‘be’動詞(2)
EG72・「限定」と「特定」の概念
EG73・不定冠詞‘a’と定冠詞‘the’
EG74・‘there’構文(2)
EG75・分詞構文(1)
EG76・分詞構文(2)
EG77・一般人称
EG78・状態動詞(2)
EG79・動作動詞(1)
EG80・動作動詞(2)

EG81・前提の概念(3)
EG82・前提の概念(4)
EG83・通行禁止エリア(3)
EG84・形式主語‘it’
EG85・主語(1)
EG86・主語(2)
EG87・主語(3)
EG88・主語(4)
EG89・通行禁止エリア(4)
EG90・‘to be’の消去

EG91・「相互」の代名詞‘each other’(1)
EG92・「相互」の代名詞‘each other’(2)
EG93・「目的語+‘to’不定詞」の構文(1)
EG94・「目的語+‘to’不定詞」の構文(2)
EG95・再帰代名詞(1)
EG96・再帰代名詞(2)
EG97・「目的語+‘to’不定詞」の構文(3)
EG98・「目的語+‘to’不定詞」の構文(4)
EG99・通行禁止エリア(5)
EG100・代名詞(1)

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タイトル索引 (1) EG01 ~ EG50

2006年07月30日 | 索引欄
EG01・日本語と英語の語順
EG02・品詞(1)
EG03・品詞(2)
EG04・名詞(1)
EG05・名詞(2)
EG06・名詞(3)
EG07・名詞(4)
EG08・名詞(5)
EG09・名詞(6)
EG10・品詞(3)

EG11・品詞(4)
EG12・品詞(5)
EG13・品詞(6)
EG14・品詞(7)
EG15・品詞(8)
EG16・品詞(9)
EG17・品詞(10)
EG18・品詞(11) 
EG19・句の概念(1)
EG20・句の概念(2)

EG21・使役動詞‘have’(1)
EG22・‘yesterday’割り込み
EG23・‘easy’構文
EG24・関係代名詞(1)
EG25・同格節(1)
EG26・関係代名詞(2)
EG27・同格節(2)
EG28・関係節と同格節の共通点
EG29・‘when ~’「~ とき」
EG30・「時」や「条件」を表す節(1)

EG31・‘there’構文(1)
EG32・否定(1)
EG33・「時」や「条件」を表す節(2)
EG34・受身文(1)
EG35・受身文(2)
EG36・否定(2)
EG37・不定詞
EG38・不定詞・名詞用法
EG39・副詞(1)
EG40・副詞(2)

EG41・文の中の文 (名詞節)
EG42・不定詞・副詞用法
EG43・‘for A for B’
EG44・副詞一族 (副詞句と副詞節)
EG45・前提の概念(1)
EG46・前提の概念(2)
EG47・疑問詞の移動
EG48・‘wanna’にひそむワナ
EG49・通行禁止エリア(1)
EG50・‘enough to’の不定詞

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英語学習法(118)

2006年07月29日 | 強調構文
EG117の続きです。強調構文です。以下、見ましょう。

(1)Mary saw John in the park. (メアリーはジョンに公園で会った。)
(2)It is John that Mary saw _ in the park. (メアリーが公園で会ったのは、ジョンだ。)

強調構文のカタチの上での特徴は、(1)のような文があると、その中の一部の要素 (ここでは、‘John’) が、(2)のように、‘it is’と‘that’の間に挟まれることで、残った要素は、全て、‘that’の後に後続させるということでした。ですので、必然的に、‘that’に後続する要素は、‘it is’と‘that’の間に挟まれているものが欠けていることになります。

一方、強調構文の意味的な特徴は、‘it is’と‘that’の間に挟まれたものに、焦点を当てる、つまり、際立ちを与えるということなので、例えば、(1)のような文では、どこに重要な情報があるのかが、特にわかりませんが、(2)を見れば、一発で、‘John’が重要なのだなとわかる仕組みになっているわけです。

(3)It is in the park that Mary saw John _ . (メアリーがジョンに会ったのは、公園だ。)

(3)では、(1)の‘in the park’を‘it is’と‘that’の間に挟んでいますので、やはり、‘that’に後続する文は、(1)の中から、‘in the park’が欠けたものになっています。こうして見ると、焦点が当てられるべき要素を、‘it is’と‘that’の間に挟むだけで済むわけですから、何でもこのやり方で通してしまえばOKだろう、と考えてしまいます。

(4)It is see that Mary did _ John in the park. (×)
  (メアリーが公園でジョンにしたことは、会うということだ。)

しかし、何と、(4)のように、動詞に焦点を当てるような強調構文は、一般的に容認されない傾向にあります。さらに、単体の動詞だけではなく、動詞句になった場合も、やはり、容認度がかなり落ちます。 ((4)での助動詞‘did’の出現に関しては、EG20、参照。)

(5)It is see John that Mary did _ in the park. (×)
  (メアリーが公園でしたことは、ジョンに会うということだ。)

(6)It is see John in the park that Mary did _ . (×)
  (メアリーがしたことは、ジョンに公園で会うということだ。)

(5)では、‘see John’「ジョンと会う」という小さな動詞句が焦点であり、一方、(6)では、‘see John in the park’「ジョンと公園で会う」という大きな動詞句が焦点ですが、やはり、両方とも容認度が悪く、ほぼアウトであると言ってよいでしょう。 (動詞句の成り立ちに関しては、EG20、参照。)

つまり、動詞を中心とした表現である限り、いかなる要素であっても、強調構文を使って焦点を当てるというようなことは、ほぼ困難であると知っておく必要があります。このように、強調構文は、何にでも焦点を当てられるというような万能型の構文というわけではありません。

(7)It is John in the park that Mary saw _ . (×) 
  (メアリーが誰にどこで会ったのかというと、ジョンに公園で、ということだ。)

では、動詞を含まない、(7)のような‘John in the park’「ジョンに公園で」のみに焦点を当てた強調構文はどうかというと、これもアウトです。この場合は、少し考え方を変えて、「句」という単位が重要であると考えられます。つまり、「目的語‘John’+前置詞句‘in the park’」というつながりは、句ではない、ということに原因があると考えられます。

(8)John hit the robber with a stick. 
(9) a. ジョンは、その強盗を棒で殴打した。 (〇)
   b. ジョンは、棒をもったその強盗を殴打した。 (〇)

(8)は、その解釈があいまいであり、一般的に、2通りの解釈が可能です。まず、(9a)の解釈ですが、‘with a stick’を、「棒で」と解釈して、‘hit the robber’「強盗を殴打した」にかかるような解釈にした場合があります。そして、一方、(9b)のように、‘with a stick’を、「棒をもった」と解釈して、‘the robber’「その強盗」にかかるような解釈にした場合もあります。

(10)It is the robber with a stick that John hit _ .
(11)a. ジョンが殴打したのは、その強盗を棒で、だ。 (×)
   b. ジョンが殴打したのは、棒をもったその強盗だ。 (〇)

そこで、(9)の‘the robber’と‘with a stick’を、強調構文の中で、共に焦点が当たる位置にもっていくと、その解釈が1つに決まってしまい、(11a)はアウトで、一方、(11b)のみがOKとなります。解釈(11a)は、解釈(9a)に対応していますが、一方、解釈(11b)は、解釈(9b)に対応しています。

もちろん、(9a)の解釈では、‘the robber’と‘with a stick’がつながって1つの句になっていませんが、一方、(9b)の解釈ならば、‘the robber with a stick’「棒をもったその強盗」は、1つのまとまりをもった名詞句という単位になりますので、そういったことが、(10)の解釈を(11b)に決定している要因と考えられます。

ここで、(7)に戻って考えてみると、やはり、(7)がアウトになるのは、(10)に対して、(11a)の解釈がない理由と同様であり、‘John’と‘in the park’が1つのつながりをもった句であるとは考えられないからだと判断できます。 (‘John’は固有名詞であり、最初から唯一的に指す人物が決定されているため、限定表現を受けつけず、名詞句になることは困難です。)

ここまで見て、強調構文のある特徴が明らかになりましたが、それは、焦点になれる要素は、文法的なカタチの上での制約として、「句」という1つにまとまった単位であることが条件である、ということです。ただし、(4)~(6)から明らかなように、動詞句 (動詞のみの場合も含む) はその対象とはされません。

「句」というカタチの上での文法上の単位は、同時に、1つの意味的なまとまりをも示すものなので、結局のところ、強調構文においては、その焦点となる表現が、1つの意味的なまとまりを成していることが重要だということになります。

(12)John was happy <because there were many girlfriends>.
  (カノジョがたくさんいたので、ジョンは幸せだった。)

(13)It is <because there were many girlfriends> that John was happy _ .
  (ジョンが幸せなのは、カノジョがたくさんいたからだ。)

(12)をもとにして、(13)の‘because ~’のように、「節」も強調構文の焦点になることができます。節も、句と同じく、カタチの上では、文法上の1つ単位であり、かつ、意味的なまとまりを成しているので、1つの焦点と見なせるからです。ですので、最終的には、「句」と「節」が強調構文の焦点の位置に来れるということですね。

今回のポイントは、強調構文における「句」や「節」といった文法上の単位の重要性です。焦点という概念は、他のものを差し置いて、あるものに際立ちを与えることにその意義があるわけですから、焦点が複数あると、その際立ちがボヤけてしまいますので、焦点は1つであることが望ましいということです。

「焦点」とは意味的な概念ですが、今度はそれを強調構文という文法上のカタチの中に収めなければならないわけで、そこから、当然のこと、カタチの上での区切りが必要になってきます。その区切りの単位として重要なのが、「句」や「節」という単位になるわけです。

英語では、「移動」や「消去」の単位も、大半が「句」や「節」といった単位に依存していますから、こういったカタチの上での単位を知っておくことは、結構重要であることがわかると思います。強調構文は、今回のカタチの上での制限が、最も基本となることですが、その他にも、様々な制約を受けています。また別の機会です。

●関連: EG20EG117

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英語学習法(117)

2006年07月28日 | 強調構文
今回、強調構文とよばれるものを扱います。以下、見ましょう。

(1)John broke the window yesterday. (ジョンはその窓を昨日壊した。)

(1)を、見ただけでは、その中のどんな要素に焦点が当たっているのかは、わかりません。普通、文のどこかにストレスを置いて発音すれば、そのストレスが置かれた要素は、焦点になっていると言えます。ですので、例えば、(1)の‘John’にストレスを置いて発音すれば、‘John’に焦点が当たっているのがわかります。

(2)Who broke the window yesterday ? (誰が昨日その窓を壊したの?)

そこで、(2)のような質問があると、窓を壊した人物が誰かが問題となっており、その窓を壊した人物には焦点が当たっていると言えますから、(2)のような質問に対して、(1)で答えるときは、必然的に‘John’にはストレスが置かれた発音になります。

(3)It is John that broke the window yesterday. (その窓を昨日壊したのはジョンだ。)

そこで、(3)が、強調構文と呼ばれる構文です。強調構文は、‘it is ~ that ・・・’のカタチが特徴です。この構文のポイントは、‘it is’と‘that’の間に強調されるもの、つまり、焦点が当たるものを挟み込むことで、ストレスなどの音声にたよることなく、文を見ただけで何に焦点が当たっているのかが判断できるというものです。

ただし、発音される際は、やはり、‘it is’と‘that’の間に挟まれたものに、ストレスが置かれるように発音されるのが通常ですから、音声上の効果とカタチの上での効果は重複しています。ですので、この構文のありがたみは、どちらかと言えば、文で読む際 (音声がともなわないような伝達のやり方) に、感じられると言った方が適切でしょう。

(3)を見て、すぐにわかるのは、(1)の主語‘John’が、‘that’によって隔てられているだけであり、‘that’の後には、(1)の述語である‘broke the window yesterday’がそのまま続いているということです。このように、強調構文では、ある文の強調したい要素を、‘it is’と‘that’の間に挟みこんで、あとは、残った要素をそのまま‘that’の後に続けるだけですので、使い方はとても簡単です。

(4)It is the window that John broke _ yesterday. (ジョンが昨日壊したのは、その窓だ。)
(5)It was yesterday that John broke the window _ . (ジョンがその窓を壊したのは、昨日だ。)

(4)では、‘it is’と‘that’の間に‘the window’が挟まれて、焦点の当たる要素になっていますが、‘that’に後続しているのは、やはり、(1)の中から、‘the window’が欠けている文です。(5)では、‘it was’と‘that’の間に‘yesterday’が挟まれて、焦点の当たる要素になっていますが、この場合も、‘that’に後続しているのは、やはり、(1)の中から、‘yesterday’が欠けている文です。

ここで、思い出して欲しいのは、強調構文の使い方は、関係代名詞の場合と、かなり似ている点がある、ということです。それは、強調構文でも、関係代名詞の文でも、文の中に空所ができるということです。 (関係代名詞の基本については、EG24、EG26、参照。)

(6)This is the window [ that John broke _ yesterday ] .
  (これが、[ ジョンが昨日壊した ] 窓です。)
(7)This is the window [ which John broke _ yesterday ] . (訳同上)

(6)では‘that’、そして、(7)では‘which’というように、どちらも関係代名詞を用いて関係節をつくった文ですが、関係節がかかる名詞がモノである場合、関係代名詞は、‘that’でも‘which’でも、どちらでも構わないということになっています。関係代名詞は、一方、ヒトにかかる場合は、もちろん‘who’になりますね。

(8)It is John who _ broke the window yesterday. (訳同(3))
(9)It is the window which John broke _ yesterday. (訳同(4))

そこで、(8)や(9)のように、強調構文の‘that’が関係代名詞の‘who’や‘which’と入れかわることも可能です。ですので、関係代名詞による節と強調構文は、その中に空所ができるという点で共通点があり、また、‘that’、‘who’、‘which’という表現も共有し得るという類似性をもっています。

ただし、基本的に、関係節は、それがかかるものの存在を前提とした構文であるのに対し、一方、強調構文には、そのような前提はありません。(6)や(7)の関係節の場合、関係節 (カギカッコの部分) が‘window’にかかっています。しかし、(8)がOKであるのに対し、以下の文はアウトです。

(10)This is John [ who broke the window yesterday ] . (×) 
  (こちらが [ 昨日その窓を壊した ] ジョンです。)

(10)は、関係代名詞‘who’による関係節が‘John’にかかっていますが、そのようなやり方で、‘John’という表現が、何らかの意味的な限定をされるような表現の仕方は、英語の場合、不可能です。それは、‘John’という表現が純粋な固有名詞であり、すでに、唯一的なものとして特定されている人物を表現しているからです。 (EG72、参照。)

そこで、もし、(10)をOKにするためには、‘John’が唯一的ではないような解釈にする必要がありますが、それは、例えば、ジョンという名前の人物が2人存在していて、その2人のうちのどちらを指しているのかを述べるような場合になりますので、そのような状況が予め了解されていることが必要となります。

(11)This is the boy [ who broke the window yesterday ] . (〇) 
  (こちらが [ 昨日その窓を壊した ] 少年です。)

ですので、関係節がかかり得る表現は、通常、(11)の‘boy’「少年」のような、もともと唯一的ではないような表現になるのが普通です。ここで、(8)に戻って考えてみると、‘John’が限定されているわけではないことは、すぐにわかります。

つまり、「焦点」が当たるということは、「限定」や「特定」の概念とは異質な概念であり、同じ情報伝達の中での概念とはいっても、むしろ、焦点とは、他のものとの対比によって、あるものに「際立ち」を与えるといった概念です。これを、比喩的にわかりやすく言うと、光の明度の関係とも言えるもので、どれも均一的な明度で平坦に見える視界の中から、特別に何か重要と思われるものを拾い出して、それに光を当てて見やすくする、といった概念です。

今回のポイントは、強調構文の基本的な特性です。強調構文は、通常、ストレスという発音上の方法によってコントロールするはずの「焦点」(=「際立ち」) という、情報伝達の1つとなる概念を、構文のカタチそのものによって表現するという、極めて特殊な表現方法です。

今回は入門編ということで、基本的なことばかりを見ましたが、案外、学校などで習うような内容としては、精々、今回見たようなことで終わってしまっているような印象がありますので、もう少し掘り下げて、実用上の問題点などを明らかにして見たいと思います。また次回です。

■注 :(11)をOKにするためのもう1つの方法としては、‘John’の直後にポーズを置いて、それから、‘who’以下を発音するような場合があります。しかし、このやり方で発音した場合、意味が変わってしまい、「こちらがジョンですが、彼は昨日その窓を壊してしまったのです。」、というような意味になります。このようにすると、‘John’を限定しているのではなく、ジョンに対する後付けの追加説明をしているような文になります。

●関連: EG24EG26EG72

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英語学習法(116)

2006年07月25日 | 比較
EG105、EG106、EG115の続きです。比較の構文‘as ~ as ・・・’です。今回、ちょっとした変則例です。以下、見ましょう。

(1)John is as old as Tom. (ジョンはトムと同じ年齢だ。)

(1)は、比較の構文‘as ~ as ・・・’「・・・ と同じくらい ~ だ」で、その述語には‘old’「歳を取った」が使われています。「歳を取った」という意味は、誰にでもわかるとおり、高年齢である、ということですが、(1)でのジョンやトムは、そのような年齢に達しているのでしょうか。

(1)は、もちろん、ジョンとトムが共に80歳といった場合も考えられますが、一方、ジョンとトムが共に10歳といった場合も考えられます。もし、ジョンとトムが共に80歳の場合ならば、これは、‘old’のもつ意味が、そのまま活かされていますが、一方、ジョンとトムが共に10歳の場合ならば、(1)では、‘old’のもつ意味は活かされていない、ということになります。

にもかかわらず、(1)では、ジョンとトムが共に10歳といった場合でも、OKになるわけですから、ちょっと不思議な感じがします。ところで、一般的に、‘old’「歳を取った」の反対の意味を表す表現には、‘young’「若い」があります。

(2)John is as young as Tom. (ジョンとトムは同じくらい若い。)

(2)では、比較の構文‘as ~ as ・・・’「・・・ と同じくらい ~ だ」に、その述語として‘young’「若い」が使われていますが、「若い」の意味は、もちろん、低年齢であり、その判断に個人差はあっても、一般的に、40歳や50歳、または、それよりも高年齢のヒトが、若い、などとは通常考えられません。

そこで、(2)には、ジョンとトムが共に80歳といった解釈はなく、共に10歳や20歳といった場合など、一般に「若い」と見なされる年齢での解釈になります。つまり、比較の構文‘as ~ as ・・・’の中で、‘young’が使われる場合は、その単語がもつ「若い」という意味が活かされていなければならない、ということになります。

このように、(1)と(2)の差異は、普段、あまり意識されることはないのですが、よくよく考えてみると、これは、ちょっと難しい問題です。と言うのも、一般には、「老いた」と「若い」は正反対の概念だと考えられていますから、単純に考えるならば、(1)と正反対の解釈が(2)になければおかしい、または、(2)と正反対の解釈が(1)になければおかしい、と思ってしまうからです。

しかし、事実として、(1)と(2)の間には、解釈上の不均衡があるわけですから、「老いた」と「若い」の間には、ただ単純に、「正反対」の概念である、とは言えないような何らかの別の概念が存在するように思われます。そこで、以下のような例も併せて考えてみましょう。

(3) a. John is as tall as Tom. (ジョンはトムと同じくらいの背丈だ。)
   b. John is as short as Tom. (ジョンはトムと同じくらい背が低い。)

(4) a. This book is as heavy as that box. (この本は、あの箱と同じくらいの重さだ。)
   b. This book is as light as that box. (この本は、あの箱と同じくらい軽い。)

(5) a. This entrance is as wide as that exit . (この入り口は、あの出口と同じくらいの幅だ。)
   b. This entrance is as narrow as that exit . (この入り口は、あの出口と同じくらい狭い。)

(3a-b)で使われている述語は、‘tall’「背が高い」と‘short’「背が低い」、(4a-b)では、‘heavy’「重い」と‘light’「軽い」、そして、(5a-b)では、‘wide’「広い」と‘narrow’「狭い」というように、いわゆる、正反対の意味となるペアであり、これら各ペアが、‘as ~ as ・・・’の構文で使われています。

(3a-b)~(5a-b)で、正反対の意味をもつ述語の各ペアは、‘as ~ as ・・・’の構文の中で使用されると、(1)と(2)の間にある解釈の関係とほぼ類似した関係をもつことになるのがわかります。つまり、(3a)の‘as tall as’は、ジョンとトムの身長が高くても低くてもどちらでもよいような解釈を許しますが、一方、(3b)の‘as short as’は、ジョンとトムの身長が高い解釈を許さず、両者の身長が低い解釈しか許しません。

(4a)の‘as heavy as’は、本と箱の重さが重くても軽くてもどちらでもよいような解釈を許しますが、一方、(4b)の‘as light as’は、本と箱の重さが重い解釈を許さず、両方とも軽い解釈しか許しません。(5a)の‘as wide as’は、入り口と出口の幅が広くても狭くてもどちらでもよいような解釈を許しますが、一方、(5b)の‘as narrow as’は、入り口と出口の幅が広い解釈を許さず、両方の幅が狭い解釈しか許しません。

このように、正反対の意味を表すとされているペア表現が、比較の構文‘as ~ as ・・・’の中では、正反対と呼べるような関係にならないことは数多く確認できます。そこで、今回見てきた表現の各ペアにおいて、一般法則として言えることは、高い数値をマークする方にのみ中和作用がはたらいている、ということです。

つまり、‘old’「年齢値が高い」、‘tall’「身長の値が高い」、‘heavy’「重さの値が高い」、‘wide’「広さの値が高い」、というように、これらの表現は、数値で表す上での値が、ペアの相方となる表現のカバーし得る数値よりも高いという特徴があり、そのような表現は、‘as ~ as ・・・’の中では、ペアの相方がカバーする数値をもカバーできるように意味的な中和がはたらいている、と言えます。

そこで、高い数値をマークする表現 (‘old’、‘tall’、‘heavy’、‘wide’など) が、そうでない相方表現 (‘young’、‘short’、‘light’、‘narrow’など) を差し置いて、意味的な中和が起こるという、この優位性はどこからもくるものなのか、ということになるわけですが、その前に、これらの表現に関する、ある種の誤解を解く必要がありそうです。

今回出てきた表現は、全て、「メートル」や「キログラム」、といった独特の単位で表すことが可能な表現ですが、その全てが、「無」から「有」へと向かうやり方でしか表現し得ないというところにポイントがあります。つまり、数値ゼロから始まり、10、20、30、・・・、というように数値を伸ばしていく表現方法を取っているわけですね。

そこで、例えば、「背が高い」の反対表現が、「背が低い」であったとして、それを数値で表すとなれば、190cmの反対表現は、140cmである、などと単純な数値上の置きかえは不可能です。というのも、プラス (+) 190という数値の反対を、あえて言うならば、それは、マイナス (-) 190であり、「正」の数に対しては、「負」の数という概念が真の正反対ということになっているからです。

このように、コトバで表現する正反対と、数値上の正反対は、必ずしも一致するとは限りません。ここで、現実離れしていますが、架空の想定として、年齢300歳や400歳まで生きたヒトがいると考えた場合、そのようなヒトは、当然、アタマに「超」が付くほどのお年寄りであることになりますが、これが例え、500歳になろうと、800歳になろうと、それ以上になろうとも、コトバの上では、「老人」として、ひとくくりに表現されることに違いはありません。

一方、若者の場合は、ゼロ歳から始まって、精々30歳手前くらいが常識と考えると、極めて限られた狭い範囲でしか、その表現が許されないということになります。つまり、コトバの表現としては、「若さ」の概念は有限である一方、「老い」の概念は無限なわけですから、これらを正反対の概念というよりも、むしろ、「大 (老い)」の中にある「小 (若さ)」という捉え方の方が、より本質的な捉え方ということになります。

無限の中に位置付けられた有限は、言わば、相対的に、「点」の存在でしかなく、かなり特殊な概念と見なされます。ですので、無限の範囲をカバーする‘old’に対して、決められた範囲しかカバーできない‘young’は特殊な表現であると考えられるわけです。

以上のような考え方からすれば、もちろん、無限の‘tall’に対して、有限の‘short’、無限の‘heavy’に対して、有限の‘light’、無限の‘wide’に対して、有限の‘narrow’というような関係が、やはり並行的に成り立ちます。ですので、‘young’と同じく、‘short’、‘light’、‘heavy’といった表現は、やはり、特殊な表現という位置付けになると考えられます。

ここで、今回の中和作用の優位性に関して結論を述べると、中和作用の効力は、特殊な表現ではなく、一般性の高い表現に優位性がある、ということですね。では、以下のペアも併せて確認しておきましょう。

(6) a. Mary is as beautiful as Susan. (メアリーはスーザンと同じくらい美しい。)
   b. Mary is as ugly as Susan. (メアリーはスーザンと同じくらい不細工だ。)

(6a)の‘as beautiful as ’は、メアリーとスーザンが共に美しいという前提をもつ解釈が一般的です。つまり、‘beautiful’のもつ意味が中和されていません。一方、同様に、(6b)の‘as ugly as’も、メアリーとスーザンが共に醜いという前提をもつ解釈しかなく、その意味が中和されていません。というのも、‘beautiful’「美しい」と‘ugly’「醜い」は、真の正反対表現とされており、かつ、この関係は、もともと数値で表すことも困難だからです。

今回のポイントは、比較の構文‘as ~ as ・・・’「・・・ と同じくらい ~ だ」は、一見、正反対の意味をもつと思われる、‘old’-‘young’などのペアに対して、一方には意味的な中和作用がはたらくが、他方には、はたらかない、という不公平な意味的変化をもたらす傾向があり、それはどういった要因によるものなのか、ということです。

これは、‘old’「歳を取った」の反意語が、‘young’「若い」であるというようなコトバの上での常識が、数値上の関係で捉え直してみると、実は、正反対の概念であるというよりも、むしろ、「無限」の中に位置付けられる「有限」、つまり、「一般」の中に位置付けられる「特殊」というような関係であり、そういった本質的な関係が見逃されやすいために起こる一種の誤解が原因だったわけです。

今回見たように、比較の構文は、述語として使われる表現の意味に変化をもたらす場合がありますが、その要因を追求するのは容易なことではありません。今回扱った述語は、比較的、精度が高いものの、話者の個人差が出るような述語もあります。機会があったら、また改めて扱ってみたいと思います。

■注: 一見、反例になると思われがちですが、‘My grandfather is as young as my grandmother.’「俺のじいちゃんは、ばあちゃんと同じくらい若いよ。」というような表現がOKになる場合は、もちろん、年齢的な若さ、つまり、数値上の若さ、ではなく、歳の割にはピンピンしているぞ、というような意味で、いわゆる、「健康年齢」や、「精神年齢」といった別次元のものを対象にしている場合ですね。

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英語学習法(115)

2006年07月23日 | 比較
EG105、EG106の続きです。比較の構文‘as ~ as ・・・’です。以下、見ましょう。

(1)John is as old as Tom. (ジョンはトムと同じ年齢だ。)
(2)John is not as old as Tom. (ジョンはトムより年下だ。)

(1)は、普通、ジョンとトムの年齢が同じ (‘John’=‘Tom’) であることを表現しています。そこで、(2)ですが、(1)に否定語の‘not’を加えただけです。ですので、単純に考えるならば、(2)は、‘John’≠‘Tom’となり、その結果として、ジョンは、トムより年上 (‘John’>‘Tom’) かも知れないし、または、年下 (‘John’<‘Tom’) かも知れない、という解釈になりそうなものです。

しかし、事実としては、(2)の日本語訳にあるように、ジョンがトムよりも年下 (‘John’<‘Tom’) である解釈しかありません。これは、実は、本来的に、(1)が、‘John’=‘Tom’の関係以外に、‘John’>‘Tom’の関係も潜在的に表し得る、つまり、この解釈をあわせて、トータルで‘John’≧‘Tom’の関係を表し得るからです。 (EG106、参照。)

(3)‘Is John as tall as Tom ?’-‘Yes、in fact John is taller than Tom.’
   (「ジョンはトムと同じ背丈かい?」-「うん、実際は、ジョンの方が高いけど。」)

(4)‘Is John as tall as Tom ?’-‘No、John is shorter than Tom.’
   (「ジョンはトムと同じ背丈かい?」-「いや、ジョンの方が低いね。」)

そこで、(3)と(4)のコントラストですが、英語の場合、比較の構文‘as ~ as ・・・’を、‘yes’や‘no’で答えられる疑問文にして相手にたずねる場合、その答え方に、ある特徴を見出すことができます。まず、(3)のように、ジョンとトムの背丈が同じか、との質問に対して、ジョンの方がトムよりも背が高いことを知っている相手が、‘no’「いいえ」ではなく、‘yes’「はい」と答えても、不自然ではない、という事実があります。

つまり、(3)の疑問文が、もし本当に、「・・・ と同じくらい ~ だ」の意味しか表せないとするならば、それに対して、ジョンとトムの背丈は同じではなく、ジョンの方が高い、という答え方になる以上、質問者の発する疑問文に対しては、否定の答え方、つまり、‘no’で始まる文でなければならないはずです。

にもかかわらず、‘yes’で答えても自然な答え方になるのは、つまり、(3)の疑問文は、純粋に、‘John’=‘Tom’の関係を表しているだけではなく、‘John’>‘Tom’の関係をも表しており、この点、ジョンの方がトムよりも背が高いことを知っている相手にとっては肯定の余地があることになるので、結局、(3)の応答が自然なのは、その疑問文が、‘John’≧‘Tom’の関係を表しているからだ、と言えます。

一方、(4)の場合、‘John’≧‘Tom’の関係を表す疑問文に対して、ジョンの方がトムよりも背が低いことを知っている相手が、その旨を伝える答え方になる場合、つまり、‘John’<‘Tom’の関係を伝える答え方になるわけですから、どうしても、‘John’≧‘Tom’の関係を否定した答え方にならざるを得ないということで、‘no’で始まる答え方になってしまいます。

ここまで見て、比較の構文‘as ~ as ・・・’には、「・・・ と同じくらい ~ だ」の解釈に加えて、「・・・ よりも ~ だ」の解釈もある、ということは明らかなのですが、1つの疑問として、では、なぜ、(1)のような文は、よく学校などで教わるように、「・・・ と同じくらい ~ だ」の解釈の方が一般的なのか、ということになります。

(5)昨日は、パンを食べたよ。それと、野菜、鶏肉、あと、デザートもね。
(6)昨日は、パンを2個食べたよ。それと、もう2個、そして、あと3個ね。

ここで、(5)と(6)のコントラストを考えてみたいと思います。まず、(5)は、極めて自然な日本語ですが、一方、(6)の日本語は、普通、かなりおかしな印象を受けます。というのも、最初にパンを2個食べた、と言っておきながら、そのあと、その数を、わざわざ追加するような言い方になっているからです。

パンの数を、2個、2個、3個と、分けて伝えるよりも、2+2+3=7で、始めから、7個食べたと伝える方が、よほど自然な伝え方になると思います。しかし、一方、(5)のように、食べ物の種類を列挙するような伝え方は、自然ですので、種類と数量の相異にポイントがあるのは確かなようです。

(7)昨日は、あんパンを2個食べたよ。それと、ジャムパン2個、メロンパン3個もね。

そこで、(6)を(7)のように、パンの種類を明らかにして、それぞれ、その数を列挙するような伝え方にしてみると、全く不自然ではなくなります。つまり、種類が違うことが明示されていれば、その数・量を分けて列挙してもおかしくないのですが、一方、同種のものに関しては、その数・量を伝える場合、1つにまとまった総数・総量を伝えなければ、不自然と感じられる傾向があるのです。

これは、ヒトとヒトとのコミュニケーションにおいて、情報伝達する際の暗黙のルール、とでも言うべきものがはたらいている特殊なケースに該当します。よく考えてみれば、(6)などは、本当に、パンを合計7個食べたのならば、トッ散らかった印象はあるものの、別に伝達情報としては、間違ったことを述べているわけではありません。

さらに、(6)で、昨日はパンを2個食べた、とだけ伝えて、残りの5個に関しては何も言わない場合も厳密に言えば、ウソを伝えていることにはならず、少なくともパンを2個は食べた、という解釈にしてもらうつもりで発話するならば、真であり、偽にはならないのです。

この点、(5)も同じで、例えば、フランス料理などをコースで食べた場合、その中に、パンが品目として含まれていれば、昨日はパンを食べた、とだけ伝えて、残りの品目に関して何も言わない場合も、パンを食べたこと自体は、本当のことであり、厳密に言えばウソを伝えていることにはならず、やはり、真であり、偽にはならないので、情報伝達としては間違っていない、ということになります。

ですので、理屈で考えるならば、(5)であろうと、(6)であろうと、同じ問題の中に位置付けられているはずであるにもかかわらず、なぜか、(6)のように、同一種の数・量が、あえて別々に列挙されている場合のみ、その不自然さが、際立ってしまうことから、同一種の数・量を伝える場合、相手は、最初に伝えられた数・量が、イコール、その総数・総量である、という思い込みにつながるような情報伝達上の暗黙の了解があるのです。

ここで、比較の構文‘as ~ as ・・・’にもどって考えてみます。(1)は、その否定文である(2)の解釈を手がかりに、本質的には、‘John’≧‘Tom’を表現し得ることが明らかであるにもかかわらず、普通は、‘John’=‘Tom’の解釈が一般的です。

(8)John is older than Tom. (ジョンはトムよりも年上だ。)

そこで、(8)ですが、(1)は、今回のお話からすると、(8)のような比較の構文と、その意味内容における重複があることは明らかです。つまり、(8)においては、‘John’>‘Tom’の関係が表現されているので、(1)が、本来、表すはずの‘John’≧‘Tom’の関係の中で、‘>’の部分は重複内容になってしまうわけですね。

今回確認した、「情報伝達の原則」という観点からは、明らかにジョンがトムより年上であることを知っている場合、(1)よりも、(8)を発話する方が、情報伝達上は誤解を与えない伝え方になります。これは、(8)の場合、(1)の表す‘≧’の関係から、‘=’の関係が取り除かれる分だけ、話者の知っている情報に忠実な表現になるからですね。

もちろん、明らかにジョンがトムより年上であることを知っている場合でも、(1)を発話したからといって、ウソをついていることにはなりませんが、しかし、(6)を不自然な情報伝達であると見なす、「情報伝達の原則」がありますので、明らかにジョンがトムより年上であることを知っている場合、(1)を発話することは、結果的には、ウソの思い込みを相手に促してしまいます。

要するに、比較の構文にも、「情報伝達の原則」が適用されて、(8)を使わずに、(1)を使うということは、‘-er than ・・・’の構文には含まれず、一方、‘as ~ as ・・・’の構文にのみ含まれる、‘=’の解釈を優先すべきであるという意思表示と取られてしまう、ということなのです。

ところで、「情報伝達の原則」が、比較の構文に摘用される要因は何なのか、という問題があります。というのも、(5)と(6)のコントラストが示すように、「情報伝達の原則」は、適用される場合とそうでない場合があるからです。そこで、比較の構文は、あるものとあるものの相対的な優劣関係を表す構文なので、そこから、一種の「程度」を表現することが前提になるためである、と考えられます。

例えば、ジョンはトムよりも年上である、と述べるならば、それは、具体的な数値を使わないものの、その代わり、トムという基準を据えて、「トムよりは ~」、というように、程度を表すための基準自体は設けることができるため、言わば、数値を用いない独特の程度表現であると言えます。

そこで、「程度」は、もちろん、「種類」ではなく、「数・量」に近い概念なので、「程度」の概念は、「数・量」に摘用される「情報伝達の原則」にとっては、ほぼ共通した概念と見なされるものと思われます。

今回のポイントは、比較の構文‘as ~ as ・・・’が、「・・・ と同じくらい ~ だ」の意味と同時に、「・・・ よりも ~ だ」の意味も表せる、という事実があるにもかかわらず、(1)のような文においては、通常、「・・・ と同じくらい ~ だ」の意味でしか解釈されないのはなぜなのか、という問いです。

それは、今回見た、「情報伝達の原則」という、さらに広い視野から見た、ヒトのコミュニケーション上の原則が、基本的には、「数・量」の伝達において、かなり敏感にはたらいているからであり、それが比較の構文における「程度」表現という性質に合致してしまうためです。

比較の構文は、二者間の優劣関係を表現する際、‘-er than ・・・’の構文と‘as ~ as ・・・’の構文があるため、常に、どちらを選択するのが適切かを考慮しなければならず、言わば、お互いに相補的な均衡関係にあるわけですが、どちらかを選ぶ際に、この「情報伝達の原則」が介入してくる、というわけですね。

今回は、ちょっと難しいルールを扱ってみましたが、一度知ってしまえば、なるほど、そんなことは確かにあるな、と思わせるものですので、ちょっと意識してみると、比較構文の使い方に奥行きが出ると思いますよ。

■注 :(6)のように、同一種の総数を一度に伝えないような伝達の仕方が、自然になるようなケースもあります。例えば、1日の中で、3回食事をした場合、パンを、朝2個、昼2個、夜3個食べた、というような場合です。しかし、(6)は、一般に、そのような前提が了解された上での会話でもない限り、そのような前提は想定しづらく、1回の出来事の中でのこととして解釈されるのが、普通です。

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英語学習法(114)

2006年07月22日 | 比較
EG107、EG108、EG113の続きです。比較の構文‘-er than ~’「~ よりも」の中でも、それほど頻繁にお目にかかるものでもないのですが、しかし一方、よく物議をかもし出す傾向のあるものです。以下、見ましょう。

(1)A whale is no more a fish than a horse (is). (鯨は、馬と同様、魚ではない。)
(2)A whale is no less a mammal than a horse (is). (鯨は、馬と同様、哺乳類だ。)

一応、(1)は、‘no more ~ than ・・・’「・・・ と同様に ~ でない」、一方、(2)は、‘no less ~ than ・・・’「・・・ と同様に ~ だ」、などと暗記してしまうことになっているのが一般的です。そして、こういった構文は、その意味の成り立ちに関する説明がとても難しいので、これはこれで仕方のないことです。

こういった構文の大ざっぱな理解としては、‘no more ~ than ・・・’「・・・ よりも ~ ということは決して言えず、結局は、同等に ~ ではないのだ」、というものや、‘no less ~ than ・・・’「・・・ よりも ~ ないとは決して言えず、結局は、同等に ~ なのだ」、といった感じです。

ただ、とてもややこしいのは、(1)と(2)を見てわかるように、‘than’以下で、‘a horse’のみがOKであったり、一方、動詞を補った‘a horse is’がOKであったりする点です。‘than’は前置詞の場合もあれば、一方、接続詞の場合もあるので、両方とも、文法的には問題ないのですが、意味の点からは、ちょっとわかりづらい印象があります。 (‘than’の品詞に関しては、EG109、EG110、参照。)

(3)A horse is a fish. (馬は魚です。)
(4)A horse is a mammal. (馬は哺乳類です。)

そこで、(3)と(4)ですが、まず、(3)は、どう考えても、おかしなことを述べています。一方、(4)は、当然のことを述べています。ここから、(3)をもとに(1)、一方、(4)をもとに(2)を考えることになります。というのも、標準的な比較の構文は、‘than’以下では、不完全なカタチの文がある場合、‘than’よりも前の文における同一的な要素が消去されているもの、と考えられるからです。

(5)馬が魚でないのと同様、鯨も魚ではない。
(6)馬が哺乳類であるのと同様、鯨も哺乳類だ。

そこで、(5)の日本語は(1)、一方、(6)の日本語は(2)に対応した、いわゆる、別バージョンの日本語訳として、一般に知られています。これは、もちろん、(1)と(2)の‘than’以下で、‘a horse is’というように、‘be’動詞が現れることもあることから、(3)や(4)のような文がもとになっていると考えなければ、文法上、説明がつかないからであり、それに何とか対応する日本語訳としては、(5)や(6)のようになるだろう、という発想にもとづくものです。

しかし、(6)の場合はともかく、(5)の場合、今ひとつ納得のいかない点があり、それは、もちろん、「馬が魚でない」の部分です。単純に、(3)をもとにして(1)を考えるならば、なぜ、(5)のように、否定の意味を表す「馬が魚でない」の「~ ない」が、日本語訳に現れるのか、という疑問が常につきまとうわけですね。

確かに、(3)はおかしな事を述べているわけですから、どうしても、常識的に考えれば、それを否定した解釈にでもしなければ、(1)を、すっきりと意味の通る文として捉えることができなくなるわけで、逆に、(3)に否定語がないからといって、そのまま、「馬が魚であるのと同様に ~」などと、文字通りの日本語訳にするわけにはいかないのは明らかです。

これは、とても不思議なことのように思えるのですが、ある1つの観点からは、(3)のような奇妙な文を想定しても、それが許される、と言えるようなケースがあります。まず、以下の文を見ましょう。

(7)John is older than Tom (is). (ジョンは、トムよりも年上だ。)
(8)Tom is old. (トムは歳を取っている。)

(7)は簡単な比較の文ですが、‘than Tom is’の部分から、そのもととなる表現は、どうやら、(8)のような文を想定している、と考えられます。しかし、ここで注意すべきは、(8)の意味が、トムは年齢的に高齢者である、という解釈になる一方で、(7)では、その前提が消滅している、ということです。

つまり、(7)は、ジョンが年上でありさえすれば、トムの年齢はいくつであっても構わない、という極めて相対的な年齢値という解釈に変化しており、‘old’「歳を取っている」のもつ常識的な基準値が、意味を成さなくなるほどにまで広がってしまっている、ということです。

(9)Tom is young. (トムは若い。)

例えば、ジョンが10歳で、一方、トムが8歳だという事実があると、(7)の‘than Tom is’のもととなった文に、(8)を想定することは、やはり、おかしなことを述べているということになり、8歳児に対しては、正しくは、‘old’「高齢な」の真逆を述べる‘young’「若い」を用いた(9)を想定すべきだと考えたくなりますが、比較の構文の中では、もはや、そんなことは問題になりません。

(7)は、ジョンとトムが、共に高齢者である場合にも使えるので、その場合は、(7)の‘than Tom is’のもととなる文が、(8)であってもおかしく感じないものの、「事実」として、ジョンが10歳で、一方、トムが8歳であるとなれば、やはり、(8)よりも(9)の方が「事実」に忠実、となるわけです。

そこで、もともと、(3)と(4)のような場合、お互いの事実関係が、不変の真理として予め決まっているケースなので、(8)と(9)の関係のように、どちらが真であるかは事実確認をするまでわからない、といったものではなく、一発で判断できてしまうので、即座に、(3)が奇妙だ、となってしまうだけのことなのです。

しかし、馬が哺乳類であるか魚であるか、そして、トムが高齢者であるか若いか、ということに対する判断は、いずれのケースにせよ、「事実」に照らして判断する、という条件のもとでは、結局、同一の問題なのです。

こういったわけで、比較の構文においては、あるものとあるものの「相対化」という構文自体のもつ性質が原因で、ある表現の本質的な意味を、ある程度、弱めてしまったり、広げてしまったりしてしまうという、言わば、中和作用のようなはたらきがあるようなのです。

そこで、(3)のような文が、比較の構文において、‘than’以下のもとになるような表現としてはどうか、ということになるのですが、(3)は「〇・×」式に客観的な判断が下せる文であるにもかかわらず、これを、相対化のための「程度」表現として捉え直す、という見方になるものと考えられます。

つまり、比較の構文の‘than’以下では、たとえ、どんなに奇妙・極端であろうとも、相対化のためならば、馬が魚であることを、1つの基準として想定しても全く構わないということであり、これは、とにかく、他の例を引き合いに出して、相対的に、鯨がどの程度「魚」としての度合いが低いのかを示せればそれでよい、という発想からくるものと思われます。

哺乳類である馬を、あえて魚であると言える基準にまで「哺乳類度」を下げて、「魚度」を上げてみた場合、鯨がそれを越えられるほどの「魚度」をもっているかといえば、そんなことはなく、結局は、馬と鯨は同等の値であり、そこで、現実にもどった場合、馬は、「哺乳類度・100」であって、「魚度・0」なんだから、その馬と同等とされる鯨だって、「哺乳類度・100」で、「魚度・0」となり、結果的には、共に、魚ではない (哺乳類である)、ということなんですね。

と、まあ、(1)においては、かなりややこしい例を出しに使って比較をしていることになります。しかし、ここでのキモは、要するに、(1)は、ある1つの仮定をしているというに過ぎない、ということです。これを平たく述べると、馬が魚であるという仮定をしたとして、鯨がそれを超えるほどのものではなく、両者は同程度のものだ、というのが、精々直訳に近い解釈になります。

ですので、日本語訳(5)にまつわる疑問、すなわち、「馬が魚でない」の「~ ない」は、一体どこから出てきたものなのか、という問題は、本来、直訳に近いものにしても、もともと、突飛な想定をしている文なんだから、現実にもどった場合の表現に捉え直したものにしましょう、となった際に発生したものです。

比較の構文は、(7)のような単純な文においても、(8)とのコントラストから、よく考えてみれば、それなりに疑問をもつべき注意点があるにもかかわらず、その意味が簡単に理解できてしまうために、その注意点を、ほとんど意識することなく、見逃してしまいがちです。

そこで、(1)のような文に出くわすと、そういった注意点を、改めて根本的なところで考えなければならないハメになってしまいます。(1)は、客観的な表現をも、「程度」の表現に変えてしまった、ある意味、究極の比較構文とも言えますね。

今回のポイントは、比較の構文には、何でこんな日本語訳になったのだろうか、というようなものが存在するということです。(1)は、‘a horse’までで終わる文に関しては、‘no more ~ than ・・・’「・・・ と同様に ~ でない」、というような公式でも、何とかしのげるのですが、‘a horse is’というように、述語動詞まで含んだものもあるため、そこから、どうしても、(3)のような奇妙な文を想定せざるを得ないという、疑問がありました。

そして、さらに、(5)のような日本語訳もあるために、さらに疑問が深まるばかりで、とにかく暗記してしまう以外に道はない、という印象が強い構文でした。これは、(1)のような構文は、その理解に到るまでの道のりが、かなり難解なために、仕方なく起こってしまうことであり、何とか学習者にわかりやすく、公式と呼べるようなレベルのパターン化を考えた場合の苦肉の策であった、ということになります。

この種の構文は、本来なら、他にも言うべきことはまだあるのですが、実用性という点から考えれば、もともとお目にかかれる機会自体が少ないので、あまり深入りするだけの価値は低く、今回の理解のレベルでも、かなり上等な部類に入ってしまいます。否定に関する問題との絡みもありますので、もし機会があったら、また扱ってみることにします。

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