品詞分類というものについてです。既成の枠でくくるには、どうも無理があるようなものを選んでみたいと思います。以下、見ましょう。
(1)Even John studies Japanese. (ジョンでさえ、日本語を勉強します。)
(2)John even studies Japanese. (ジョンは、日本語を勉強しさえします。)
(3)John studies even Japanese. (ジョンは、日本語さえ勉強します。)
(1)~(3)では、全て、‘even’「~ さえ、すら」という単語が使われています。この‘even’「~ さえ、すら」という単語は、辞書で調べてみると、大方、副詞という品詞で扱われることになっています。副詞は、名詞にかかることができず、一方、動詞や形容詞にかかったり、他の副詞にもかかったりする、といった機能がありました。 (EG15、参照。)
しかし、(1)を見る限り、‘even’は、‘John’「ジョン」という名詞にかかっているように思われます。一方、(2)では、動詞‘study’「~ を勉強する」にかかっているように思われます。そして、(3)では、(1)と同じく、名詞‘Japanese’「日本語」にかかっています。
このように、‘even’「~ さえ、すら」という単語は、(1)や(3)のように、名詞にかかったりするわけですから、「副詞」という扱いを受けている事実に対しては、ちょっと変な印象をもってしまいます。ちなみに、名詞にかかる機能をもった品詞には、形容詞がありますが、しかし、形容詞は、名詞以外にかかることができませんから、‘even’を形容詞に変更した場合、(1)と(3)は、都合がよいとしても、今度は、逆に、(2)で不都合が生じます。
つまり、‘even’は、副詞と呼んでも、形容詞と呼んでも、いずれにせよ、矛盾を生じる単語です。ついでに、言うまでもないことですが、‘even’は、冠詞、動詞、名詞、接続詞なんて品詞にも、程遠い単語ですから、結局、どうにも居場所が定まらない単語ということになってしまいます。
こういったことが起こってしまうのは、ハッキリ言ってしまえば、実は、英語の品詞分類というものは、それほど完璧なものではなく、どうしても例外扱いしなければならないような単語がある場合、仕方なく、矛盾するのを承知の上で、どこかの品詞に分類してしまうしかないからです。
(4)Only John studies Japanese. (ジョンだけが、日本語を勉強します。)
(5)John only studies Japanese. (ジョンは、日本語を勉強するだけです。)
(6)John studies only Japanese. (ジョンは、日本語だけ勉強します。)
(4)~(6)の‘only’「~ だけ、のみ」も、一般には、副詞として分類されていますが、(1)~(3)の‘even’の位置に、そのまま現れています。(4)を見る限り、‘only’は、‘John’という名詞にかかっているように思われます。一方、(5)では、動詞‘study’にかかっているように思われます。そして、(6)では、(4)と同じく、名詞‘Japanese’にかかっています。ですので、‘only’が抱えている品詞分類の問題は、‘even’の抱えている品詞分類の問題と全く同じものだと言えます。
(7)John does not study Japanese. (ジョンは日本語を勉強しません。)
(7)は否定語‘not’を含む否定文ですが、否定文は、英語にせよ、日本語にせよ、実はかなりのクセモノです。というのも、もともとが多義的な文であり、本来的には、前後の文脈や、イントネーションによって、解釈が決定されなければならないので、文脈やイントネーションといった手がかりのない(7)のような場合、ただ、文そのものを見ただけでは、最終的な解釈が決定できません。 ((7)が多義的である理由については、EG32、EG36、EG63、参照。)
そこで、‘not’も、一応、副詞という分類を受ける単語です。そして、文の中では、‘not’の標準的な位置は、助動詞 ((7)では、‘does’) の直後ですが、しかし、‘not’の位置は、話者の意図によって、臨機応変に変化することがあります。
(8)not John studies Japanese. (日本語を勉強しているのは、ジョンじゃない。)
(9)John studies not Japanese. (ジョンが勉強しているのは、日本語じゃない。)
(8)では、話者の意図によって、「ジョンではない」の解釈になるように、主語‘John’の前に‘not’を置くことで、標準的な否定文のカタチではなくなっています。一方、(9)でも、話者の意図によって、「日本語ではない」の解釈になるように、目的語‘Japanese’の前に‘not’を置くことで、標準的な否定文のカタチではなくなっています。
そこで、(7)は、(8)にも(9)にも解釈できますし、さらに、それ以外の解釈も可能で、あまりにも多義的すぎて、一発で解釈が決定できない状態ですが、(8)や(9)では、文脈やイントネーションにたよることなく、一発で解釈が決定可能です。
しかし、その代償として、(8)では、副詞‘not’が、位置的には、名詞‘John’にかかる、とでも言わなければならない変な事態に陥っていますし、一方、(9)でも、同様に、副詞‘not’が、位置的には、名詞‘Japanese’にかかる、とでも言わなければならない変な事態に陥っています。
このように、とりあえず品詞指定は受けているものの、実際の使われ方を見る限り、とてもそうとは思われないような単語もありますが、それは、日本語にせよ、英語にせよ、多少はあることなので、ここら辺りは、臨機応変に対応していかなければならない、というのが実情です。
では、なぜ、今回、一例として出した単語のように、事実上は、明らかに品詞分類から漏れてしまうような単語が存在するのでしょうか。それは、そういった単語は、もともと、「文法」に支配されているのでなく、単純に、「意味」によってのみ支配されている、という性質をもっているからです。
つまり、意味的に最も妥当だと判断されるような位置に置けば、それがすんなり通ってしまうので、結果的に、文の中での配置ポジションの自由度が高くなってしまい、いくら品詞指定しても、結局、それを凌駕してしまう、ということなのです。
ここから、裏を返せば、完璧に品詞指定された単語は、文法の基盤にしたがって、ある程度、文の骨格を形成する部品としての資格が与えられているのですが、一方、品詞指定から漏れてしまうような単語は、言わば、既にでき上がった文に、後付けするようなカタチでしか、存在し得ない単語なので、どうしても、文の骨格に使う材料とは見なされることはない、という性質をもっています。
そのかわり、完全に後付け部品なので、どこにでも好きな位置にくっつくことが許されている、というような立場にあるわけですね。ここから、発展的にわかることとして、「文法」と「意味」というものは、相互に独立したものというのが、正しい見方で、意味が文法を決定するだとか、一方、逆に、文法が意味を決定するだとかの考え方は、原理的には、成り立たない、というものがありますが、これを詳しく話すのは、別の機会に譲ることにします。
今回のポイントは、品詞分類が完璧ではないのは、どういった事情によるものなのか、ということです。一般には、あまり語られることはないのですが、それは、品詞分類というものが、語句同士のカタチの上でのかかわり合いのみで決定されるものであり、所詮、意味によって決定されるものではない、という側面があるからです。
つまり、意味とは関係なく、まず、文法 (ここでは、品詞) というものがあって、それにしたがうカタチで、単語が選ばれて集められ、結果として、ある意味をもった文が完成するだけ、というのが正しい見方なので、結局、もともと、文法の側には、意味を完璧に制御する力はない、と見るのが当然ということになります。
ですので、もともと、完璧に意味を制御する力がないルールにおいては、意味だけに依存して存在しているような、言わば、変種のような単語の存在を、当然、許してしまいますし、そういった変種は、制御の対象外となりますので、現れる位置も自由に許してしまいます。これまで、文のカタチと意味は完璧に調和しているものだ、と考えていたヒトは、一度、アタマをリセットして、じっくり考え直してみることをお薦めします。
●関連: EG15、EG32、EG36、EG63
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(1)Even John studies Japanese. (ジョンでさえ、日本語を勉強します。)
(2)John even studies Japanese. (ジョンは、日本語を勉強しさえします。)
(3)John studies even Japanese. (ジョンは、日本語さえ勉強します。)
(1)~(3)では、全て、‘even’「~ さえ、すら」という単語が使われています。この‘even’「~ さえ、すら」という単語は、辞書で調べてみると、大方、副詞という品詞で扱われることになっています。副詞は、名詞にかかることができず、一方、動詞や形容詞にかかったり、他の副詞にもかかったりする、といった機能がありました。 (EG15、参照。)
しかし、(1)を見る限り、‘even’は、‘John’「ジョン」という名詞にかかっているように思われます。一方、(2)では、動詞‘study’「~ を勉強する」にかかっているように思われます。そして、(3)では、(1)と同じく、名詞‘Japanese’「日本語」にかかっています。
このように、‘even’「~ さえ、すら」という単語は、(1)や(3)のように、名詞にかかったりするわけですから、「副詞」という扱いを受けている事実に対しては、ちょっと変な印象をもってしまいます。ちなみに、名詞にかかる機能をもった品詞には、形容詞がありますが、しかし、形容詞は、名詞以外にかかることができませんから、‘even’を形容詞に変更した場合、(1)と(3)は、都合がよいとしても、今度は、逆に、(2)で不都合が生じます。
つまり、‘even’は、副詞と呼んでも、形容詞と呼んでも、いずれにせよ、矛盾を生じる単語です。ついでに、言うまでもないことですが、‘even’は、冠詞、動詞、名詞、接続詞なんて品詞にも、程遠い単語ですから、結局、どうにも居場所が定まらない単語ということになってしまいます。
こういったことが起こってしまうのは、ハッキリ言ってしまえば、実は、英語の品詞分類というものは、それほど完璧なものではなく、どうしても例外扱いしなければならないような単語がある場合、仕方なく、矛盾するのを承知の上で、どこかの品詞に分類してしまうしかないからです。
(4)Only John studies Japanese. (ジョンだけが、日本語を勉強します。)
(5)John only studies Japanese. (ジョンは、日本語を勉強するだけです。)
(6)John studies only Japanese. (ジョンは、日本語だけ勉強します。)
(4)~(6)の‘only’「~ だけ、のみ」も、一般には、副詞として分類されていますが、(1)~(3)の‘even’の位置に、そのまま現れています。(4)を見る限り、‘only’は、‘John’という名詞にかかっているように思われます。一方、(5)では、動詞‘study’にかかっているように思われます。そして、(6)では、(4)と同じく、名詞‘Japanese’にかかっています。ですので、‘only’が抱えている品詞分類の問題は、‘even’の抱えている品詞分類の問題と全く同じものだと言えます。
(7)John does not study Japanese. (ジョンは日本語を勉強しません。)
(7)は否定語‘not’を含む否定文ですが、否定文は、英語にせよ、日本語にせよ、実はかなりのクセモノです。というのも、もともとが多義的な文であり、本来的には、前後の文脈や、イントネーションによって、解釈が決定されなければならないので、文脈やイントネーションといった手がかりのない(7)のような場合、ただ、文そのものを見ただけでは、最終的な解釈が決定できません。 ((7)が多義的である理由については、EG32、EG36、EG63、参照。)
そこで、‘not’も、一応、副詞という分類を受ける単語です。そして、文の中では、‘not’の標準的な位置は、助動詞 ((7)では、‘does’) の直後ですが、しかし、‘not’の位置は、話者の意図によって、臨機応変に変化することがあります。
(8)not John studies Japanese. (日本語を勉強しているのは、ジョンじゃない。)
(9)John studies not Japanese. (ジョンが勉強しているのは、日本語じゃない。)
(8)では、話者の意図によって、「ジョンではない」の解釈になるように、主語‘John’の前に‘not’を置くことで、標準的な否定文のカタチではなくなっています。一方、(9)でも、話者の意図によって、「日本語ではない」の解釈になるように、目的語‘Japanese’の前に‘not’を置くことで、標準的な否定文のカタチではなくなっています。
そこで、(7)は、(8)にも(9)にも解釈できますし、さらに、それ以外の解釈も可能で、あまりにも多義的すぎて、一発で解釈が決定できない状態ですが、(8)や(9)では、文脈やイントネーションにたよることなく、一発で解釈が決定可能です。
しかし、その代償として、(8)では、副詞‘not’が、位置的には、名詞‘John’にかかる、とでも言わなければならない変な事態に陥っていますし、一方、(9)でも、同様に、副詞‘not’が、位置的には、名詞‘Japanese’にかかる、とでも言わなければならない変な事態に陥っています。
このように、とりあえず品詞指定は受けているものの、実際の使われ方を見る限り、とてもそうとは思われないような単語もありますが、それは、日本語にせよ、英語にせよ、多少はあることなので、ここら辺りは、臨機応変に対応していかなければならない、というのが実情です。
では、なぜ、今回、一例として出した単語のように、事実上は、明らかに品詞分類から漏れてしまうような単語が存在するのでしょうか。それは、そういった単語は、もともと、「文法」に支配されているのでなく、単純に、「意味」によってのみ支配されている、という性質をもっているからです。
つまり、意味的に最も妥当だと判断されるような位置に置けば、それがすんなり通ってしまうので、結果的に、文の中での配置ポジションの自由度が高くなってしまい、いくら品詞指定しても、結局、それを凌駕してしまう、ということなのです。
ここから、裏を返せば、完璧に品詞指定された単語は、文法の基盤にしたがって、ある程度、文の骨格を形成する部品としての資格が与えられているのですが、一方、品詞指定から漏れてしまうような単語は、言わば、既にでき上がった文に、後付けするようなカタチでしか、存在し得ない単語なので、どうしても、文の骨格に使う材料とは見なされることはない、という性質をもっています。
そのかわり、完全に後付け部品なので、どこにでも好きな位置にくっつくことが許されている、というような立場にあるわけですね。ここから、発展的にわかることとして、「文法」と「意味」というものは、相互に独立したものというのが、正しい見方で、意味が文法を決定するだとか、一方、逆に、文法が意味を決定するだとかの考え方は、原理的には、成り立たない、というものがありますが、これを詳しく話すのは、別の機会に譲ることにします。
今回のポイントは、品詞分類が完璧ではないのは、どういった事情によるものなのか、ということです。一般には、あまり語られることはないのですが、それは、品詞分類というものが、語句同士のカタチの上でのかかわり合いのみで決定されるものであり、所詮、意味によって決定されるものではない、という側面があるからです。
つまり、意味とは関係なく、まず、文法 (ここでは、品詞) というものがあって、それにしたがうカタチで、単語が選ばれて集められ、結果として、ある意味をもった文が完成するだけ、というのが正しい見方なので、結局、もともと、文法の側には、意味を完璧に制御する力はない、と見るのが当然ということになります。
ですので、もともと、完璧に意味を制御する力がないルールにおいては、意味だけに依存して存在しているような、言わば、変種のような単語の存在を、当然、許してしまいますし、そういった変種は、制御の対象外となりますので、現れる位置も自由に許してしまいます。これまで、文のカタチと意味は完璧に調和しているものだ、と考えていたヒトは、一度、アタマをリセットして、じっくり考え直してみることをお薦めします。
●関連: EG15、EG32、EG36、EG63
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僕の意見は「even は副詞として働くと考えていい」です。
(1)が John にかかっているように見えるのは副詞を通じて名詞が間接的に修飾されているからです。even が studies を修飾し、その結果 studies の主語である John が間接的に修飾され、文において重要な位置を占めるようになっていると考えます。日本語訳を見ても、even の訳語である「さえ」自体はみな「します」にかかっていますし、even 自体は副詞と見るのが妥当だと思います。
even 自体は副詞であり「修飾されるのは動詞」であっても、even によって「文における主要な意味を与えられるのが名詞」という所ではないでしょうか。ここでは順序や人間の感覚が入ってくるのですが、そこにも一定の法則は見いだせるのであり、それは文の法則、文法と呼べるものだと思います。
また、(8)については、It is not John who studies Japanese. が大幅に省略されたものとでもみなしたいです。John が強調されているということを考虜するとこの解釈が妥当だと思います。
言語は規則的なものである以上表面的な文法上のルールには従うべきであり、また、そうしなければ論理が破綻していくのではないでしょうか。
コメント、誠にありがとうございます。
品詞分類の問題は、どこまでも難しく考えてしまうと、本来の目的から乖離してしまい、
「あれ?何が出発点だったっけ?」というような本来の拠って立つべき出発点が見失われてしまいがちです。
結論から言うと、keiさんのように考えるならば、‘even’などような単語は、「副詞」であってもよいのです。
ただし、「keiさんのような考えならば」、という条件がついてしまう点で、それがどこまで一般性を得られるかどうかがカギになります。
今回のポイントは、‘even’のような単語は、名詞の直前に置いて使える点で、‘beautifully’や‘fortunately’(その他)のような単語とは違うのに、なぜ、同じ「副詞」なのか、ということです。そこで、どんなルールにでも共通することですが、「特殊な条件を付ければ」例外はなくなるんですね。
これは、裏を返せば、「特殊な条件なしでは同一分類が不可能な要素をもっている」、という事の証でもあるわけですから、そうなると、今度は、その特殊な条件を、どこまで、「特殊なものではない」、一般性のある法則にもっていけるかという別問題に移行してしまいます。
そのためには、「副詞」の定義って何なんだ?という、スタート地点を明確にせねばならず、「keiさんの述べる副詞」
は、‘beautifully’や‘fortunately’(その他)などと、「同一のルール」でまかなえる「副詞」になっているのかどうかです。
とは言っても、普通の人たちからすれば、理解できる範囲が示されればよいわけですから、条件付きで「副詞」というか、それとも、最初から異質なものとして扱っておくか、という問題は、所詮、言い方の違いでしかない、という点に帰着しますので、「~ すべき」論にはなり得ず、どっちでもいい、という性質をもっています。
>『言語は規則的なものである以上表面的な文法上のルールには従うべきであり、また、そうしなければ論理が破綻していくのではないでしょうか。』
keiさんの仰っている事は、誰しも一度は考える事であり、十分承知していますが、考察がある程度進んでいくと、言語が、「何に対して」規則的であるか、という問題は、多岐にわたる事が判明していきますので、keiさんのように断定してしまうと、ちょっと先が行き詰まってしまうのではないか、と心配してしまいますが・・・。
keiさんは、自身のサイトをお持ちのようですね。これは自説を存分に述べる場があるという事ですから、自由闊達に、keiさんの論を展開していくと良いと思います。応援しておりますので、頑張って下さい (笑)。
even は「主語と動詞」もしくは「動詞と目的語」を合わせて修飾しているんだと思います。なので、普通の「動詞」のみを修飾している副詞とは違いますね。
名詞と動詞を修飾するなら even は形容詞か副詞に近いということになりますから、どっちに分類するのが良いのかということになりますが、
これが形容詞なら Even John や even Japanese だけでも使えるはずですがこれは無理なので、even は形容詞ではない。
かと言っても、動詞だけを修飾している純粋な副詞というわけではないですが、どちらかというと副詞に分類した方が上手くいくと思います。副詞が少し進歩して主語や目的語の名詞まで修飾していると考えた方が理にかなっていると思います。
まあ、でも、even が純粋な副詞ではなくどの品詞にも当てはまらない例外であるという意見はよくわかります。
>>言語が、「何に対して」規則的であるか、という問題は、多岐にわたる事が判明していきますので、
それと、質問になりますが、これはどのようなことが判明するのでしょうか?
質問の件ですが、これをコメント欄の応答で納得いくような形で提示して答えるには、
ちょっとかなりの分量になりますし、自分のエネルギー不足 (泣) ということで、
申し訳ないのですが、回答は控えさせて下さい。
それに、よくよく考えてみれば、keiさんの目指す方向性を考慮した場合、
当面、あまり重要なことではないような気もしますんで。
力量不足で、誠に申し訳ありません。
keiさんの論考が自身のサイトで昇華することを切に願っております。
状況はとても良くわかります。理論を観念的に理解することと言葉に表現することは違いますからね。
色々と独自の考察を得ているんだろうなと推測します。このサイトは独創的なので色々と僕の思考の助けになりそうです。
では、いずれ調子の良い時に本文にでも書いて下さることを期待しています。
また、お返事ありがとうございました。