goo blog サービス終了のお知らせ 

英語脳をつくる!~日本人はいかに効率良く英語を学べるか~

英語学習に関する事いろいろです。日本人がいかにすれば実用英語を身に付けられるか、その最短距離を考察!

英語学習法(79)

2005年04月27日 | 動詞
今回は、動作動詞に関してです。とは言っても、まず、日本語の例で概念的なことを考えてみたいと思います。以下、見ましょう。

(1)トムは地面を掘った。
(2)トムは穴を掘った。

(1)と(2)ですが、「~ を掘る」という動詞は、「地面」も、「穴」も目的語に取ることができます。普段は、あまり意識して考えることはないんですけど、よく考えてみると、ちょっと、おや?と思ってしまうことがあります。

それは、(1)の場合、ただ単に、「掘る」、という行為の対象が、「地面」である、ということを述べているだけなんですが、一方、(2)では、掘った結果として、「穴」ができるのであって、(2)は、「掘る」、という行為が、最終的に行き着くところに、「穴」という完成したものがある、ということを意味しているんですね。

つまり、(1)と(2)は、それぞれ、動詞は同じ、「掘る」でも、目的語の質は違う、ということです。このように、目的語が質的に違うと、文法的に、どのようなことが起こるんでしょうか。ちょっと、そこら辺を考えてみたいと思います。

(3)トムは、3時間、その地面を掘った。
(4)トムは、3時間、その穴を掘った。

(3)は、ただ単に、トムが、地面を、どんどん堀り続けて、3時間が経ったと言っているわけですね。一方、(4)は、(2)と比べると、何だか、「穴」が、完成したもののようには感じられません。穴があっても、さらに、その穴の大きさを広げるべく、どんどん掘り続けた、という感じがします。このような場合、「穴」は、完成したものではなく、「掘る」、という行為の、対象として扱われることになりますから、質的には、(3)の、「地面」と同じ扱いをうけることになります。

これは、完成したものとしての「穴」は、未完成の状態から、あるとき、その完成を迎えるという、「変化」を含意する行為によって、表現されることを前提としているからです。(4)は、時間の長さを表す、「3時間」という表現が、均一的な、一続きの行為が起こり続けることを前提とした表現であるにも関わらず、「穴」を、完成したもの、として解釈すると、均一的行為を要求する、「3時間」と、完成という、「変化」が、表現上の不適合を起こすため、それを回避しなければアウトになる、と言えます。

ですので、(4)を、無理のない自然な解釈にするためには、「穴」を、完成したものではなく、「掘る」という行為の対象にしなければなりません。こういった、行為の対象と、完成したものの違いを、もう少し詳しく言うと、行為の対象は、動詞の表現する動作によって、何らかの影響を受けるだけのもの、と言うことができますが、一方、完成したものは、動詞の表現する動作によって、何かが影響を受けて、さらに、その結果として、後から存在するもの、ということができます。

そこで、行為の影響を受けるだけのものが、目的語になっている場合は、均一的に、影響を与えるという行為を、ずっと行うことができるので、時間の長さに幅をもたせた、一続きの行為として表現することが可能ですが、一方、行為の影響を受けた結果として、後から存在するもの (完成したもの) が目的語になっている場合は、「変化」が起こっているわけですから、その完成という行為自体を、時間の長さに幅をもたせた、一続きの行為として表現することができません。そこで、以下を見ましょう。

(5)イスを、3時間つくる。 (×)
(6)イスを、3時間つくり続ける。 (〇)

(5)はアウトです。なぜかと言うと、(4)の「穴」とは違って、「イス」はサイズが固定されていて、広げることができませんからね。つまり、「イス」は、「つくる」という、行為の結果としてでき上がった、完成したもの、という解釈しか、もともと許されないのです。そこで、「変化」を含意する行為、という解釈しかない、「イスをつくる」に、無理やり、「3時間」という、ただ時間の長さを表すだけの表現をくっ付けたので、(5)はアウトになった、ということですね。

しかし、一方、(6)はOKです。ですが、これは、「つくる」ではなく、むしろ、「続ける」の方が、「3時間」という、時間の長さを表す表現を許容するために、(6)はOKになった、ということですね。その証拠として、今度は、以下を見ましょう。

(7)今、イスをつくり続ける。 (×)
(8)今、イスをつくっている。 (〇)

(7)は、「今」と「続ける」の組み合わせが悪いため、アウトになっています。つまり、「続ける」という動詞は、元来、瞬間的な行為ではなく、時間の経過を含意している、ということです。しかし、一方、(8)のように、「つくる」に、進行形のカタチ、「~ ている」を付けて、「つくっている」のような表現にしてやると、瞬間的な表現である、「今」と適合します。そこで、以下は、どうでしょうか。

(9)今、イスをつくる。 (×)

今度は、(9)ですが、「イスをつくる」の「つくる」が、現在形である、とは言っても、「今」とは適合せず、アウトになる、ということです。しかし、一方で、(8)のように、イスが完成するまでのプロセスを進行形によって表現した場合は、「今」と適合するという事実があります。そこで、注意点としては、(6)であろうと、(8)であろうと、解釈としては、イスが未完成である、ということです。

ここから、2つの問題が発生します。つまり、①・進行形、「~ ている」や、「続ける」の力を借りれば、イスが、未完成状態であっても、OKにすることができる、ということと、②・「つくる」という表現は、現在形なのに、なぜ、「今」、という表現と適合しないのか、ということです。

そこで、(9)を、ちょっと考え直すと、(9)は、「今から、イスをつくる」の意味でなら、OKにできる、ということに気付きますね。つまり、(9)を、「今から、イスをつくり始める」、という文と、同じ意味に解釈するとOKになる、ということです。この場合も、「イス」は、未完成状態ですね。

実は、「イスをつくる」という表現の、本来的な意味的性質は、「つくる」、という行為の、「開始から終結」までを含意している、ということなのです。しかし、(5)の例がアウトである、という事実がありますので、行為の、「開始から終結」までを含意する、とは言っても、そのまま、「イスをつくる」のカタチでは、「つくる」という行為の、「開始から終結」全体が、瞬間的に行われる行為として解釈されます。

そこで、「~ 続ける」の力を借りて、瞬間的な行為として解釈されることを防いだり、「~ ている」の力を借りて、「開始から終結」までの、ある「時点」に焦点を当てたりする必要が出てくるわけです。ですので、「つくる」という表現自体は、素のカタチのままでは、「開始から終結」までの行為全体の瞬間的な描写、ということでなければ、OKにできないわけですね。

次に、問題は、(9)が、「今から、イスをつくり始める」、の解釈でない場合、その描写は、瞬間的であるにも関わらず、なぜアウトになるのか、ということなのですが、どうやら、これは、瞬間的な表現である、「今」は、必ず、「出来事」を表す表現と共起する、という、別個の視点が必要のようです。

(10)トムはイスをつくる。
(11)トムはイスをつくった。

(10)は、「つくる」が、現在形ですが、「出来事」の解釈はありません。(10)は、トムが、イスの職人である、というような職業を表現していたり、トムの習慣的な行為を表現している、という別の含意でしか解釈できませんので、動作動詞、「つくる」が、意表を突いて、「状態」としての解釈になってしまいます。

しかし、一方、(11)は、過去形、「つくった」が、「出来事」を表現しています。つまり、動詞の現在形とは、そもそも、何であれ、「出来事」を、素で表現することができないのです。ですので、現実に起こっている「出来事」として、「~ ている」の力を借りなければ、瞬間的な表現である、「今」と共起することができない、というわけですね。以下を見ても、動詞の現在形は、素で、「出来事」を表せないのがわかります。

(12)a. 今、トムは地面を掘る。 (×)
   b. 今、トムは地面を掘っている。 (〇)

(13)a. 今、トムは走る。 (×)
   b. 今、トムは走っている。 (〇)

(12a)は、現在形、「掘る」が、「今」と共起せず、アウトになっていて、やはり、(1)の過去形とは違って、「出来事」の解釈はありません。(13a)の「走る」は、そもそも、目的語すらとっていないのですが、そんなこととは関係なく、これも、「今」と共起せず、アウトになっていて、やはり、「出来事」の解釈はありません。

(14)地面を掘るのに3時間かかった。 (×)
(15)穴を掘るのに3時間かかった。 (〇)

今度は、「3時間かかった」という表現との適合性ですが、「3時間かける」、という表現は、単なる、「3時間」とは違って、例えば、3時間後に、何かが終結を迎えることに焦点が当てられたり、ある変化が起こることに焦点が当てられたりすることが、前提となる表現です。(14)は、「地面を掘る」という表現が、動作の終結を含意していない、ということが、アウトになった原因である、と思われます。

しかし、一方、(15)がOKになるのは、やはり、「穴」を、「完成したもの」、と解釈することで、動作の終結を含意している、と考えられるからです。この場合、(15)の「穴」は、(4)とは違って、「完成したもの」という解釈しかできず、影響を受け続けて拡大される、というような解釈がないことからもそれがわかると思います。

今回のポイントは、「動作」を表す動詞が、実質的な意味として、どのようなことを表現しているのか、ということです。まず、動作の概念は、状態の概念とは違って、「出来事」を表現し得るということです。しかし、それには制約があって、素のカタチ、つまり、現在形では、「出来事」を表現できず、過去形にしたり、進行形、「~ ている」を付け足す、といったことが必要になります。

そして、「掘る」のように、同じカタチの動詞であっても、目的語の種類に応じて、その動詞の表現し得る様相が、変化してしまうということです。特に、完成したものを目的語にとっている動作動詞は、素のカタチでは、一見、「完成の瞬間」のみを表しているように見えるのですが、「~ 続ける」や、「~ ている」といった、他のカタチとの組み合わせが可能な点で、その動作の「開始から終結」までを、潜在的に含意していると言えます。

今回扱った、動詞が、「完成したもの」を目的語にとっている場合と、そうではない場合の区別は、他に、状態動詞という分類分けがあるのと同じく、動詞の表している基本的な概念の分類分けの1つです。まだ、他の概念ありますが、またの機会に。

■注1 :「今、イスをつくった。」、はOKですが、ちょっと、惑わされやすい文です。この場合の、「今」は、「今しがた」、「今さっき」、の意味ですから、純粋に、「現在の瞬間」を表す、「今」とは、異質のものです。

■注2 :「トムは、3時間、イスをつくっている。」は、OKになりますが、これは、「~ ている」が、瞬間的に、「進行」している出来事を表現することもできるけど、一方、「状態」も、表現できるからで、「3時間」は、この「状態」の解釈と適合している、と言えます。しかし、「出来事」は、動作動詞の「~ ている」から派生的に得られる、「状態」、の解釈とは、矛盾することはありません。

■注3 :(10)のように、「出来事」として認識されない文は、その中に含まれる動作動詞が、現実的、具体的な行為を表現していないため、何とか、聞き手にとって、「情報的価値」のある文に、解釈しようとして、転用現象が起こります。その1つが、「職種」、「習慣」、といった含意で、その結果として、偶然に、「状態」という解釈が発生してしまう、ということですね。

■注4 :(14)は、OKである、という人もいますが、その場合は、想像をはたらかせて、「地面を、すっかり、堀りつくすのに、3時間かかった。」、という解釈にしているものと思われます。しかし、「掘りつくす」は、均一的な行為ではなく、もう、掘るべきところはなくなった、という、「変化」、を含意するため、「3時間かかる」、と適合するものと思われます。


みんなの英会話奮闘記★  ★元祖ブログランキング★  ★英語・人気blogランキング


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。