形式主語の‘it’と呼ばれるものを扱います。以下、見ましょう。
(1)John believes the story. (ジョンはその話を信じている。)
(2)John believes [ that Tom loves Mary ].
(ジョンは、[ トムがメアリーを愛していると ] 信じている。)
(1)は、他動詞の‘believe’「~ を信じている」が、目的語の‘the story’「その話」を取っていますが、一方、(2)では、同じく、‘believe’が、‘that’節である、‘that Tom loves Mary’「トムがメアリーを愛している (と)」、を取っています。ここから、‘that Tom loves Mary’は、他動詞‘believe’の目的語としてはたらいている、ということになります。(EG41参照)
(3)The story is believed by John. (その話は、ジョンに信じられている。)
(4) [ That Tom loves Mary ] is believed by John.
([ トムがメアリーを愛していると ] ジョンに信じられている。)
能動文である(1)を、受身文にしてみると、当然、(3)になります。能動文から、受身文を生成する条件としては、まず、「目的語」が、主語になる、というカタチの上での制約がありました。(EG35参照) ですので、その約束に従って、同じく、(2)の目的語である、‘that Tom loves Mary’を、主語位置に移動させて、受身文(4)をつくってみたわけですね。
しかし、どうも、受身文(3)とは違って、受身文(4)は、あまり、座りがよくない感じがするそうです。別に、能動文から受身文をつくる際、そのルールを無視したわけではありません。ちゃんと、「目的語」として、認められている‘that’節を、主語位置に移動したわけですからね。そこで、とりあえず、こういった問題を回避するため、以下のようにするのが、通例となっています。
(5) It is believed by John [ that Tom loves Mary ]. (訳同(4))
(5)は、(4)よりも、はるかに座りがよい文なんだそうです。カタチとしては、‘it’を主語に立てた後、‘that’節には、後方にまわってもらう、ということですね。この‘it’は、通常の代名詞の‘it’とは、ちょっと性質が違うものです。
(5)の‘it’は、通常の代名詞‘it’とは違って、何を指すのかは、文脈から選ぶ、といったものではなく、必ず、本来、‘it’が相手にするべき表現が、‘that’節である、というように、予め決まっているという、約束があります。ですので、「‘it ~ that節’の構文」、などとパターン化されて、教わることになっています。
(6) [ That Tom loves Mary ] is predictable.
([ トムがメアリーを愛しているなんて ] すぐ予想ついちゃうね。)
(7) It is predictable [ that Tom loves Mary ]. (訳同上)
ところで、「‘it ~ that節’の構文」が、適用される条件は、何も、(4)のような、受身文に限ったことではありません。(6)のような、「‘be’動詞 (is)+形容詞 (predictable)」、の場合にも、(7)のように、適用は可能です。というよりも、どういったカタチが、「‘it ~ that節’の構文」に適用が可能かは、基本的には、あまり、受身文がどう、「‘be’動詞+形容詞」がどう、といった、単純に文法上の問題であるとは、言い切れません。
しかし、やはり、(4)より(5)の方が、座りがよい、と判断されるのと同様に、(6)よりも(7)の方が、座りがよい、といった、共通の判断があります。そこで、こういった問題は、むしろ、英語における、文のスタイル、つまり、文体的バランスの問題、と言ってもよいようなことが、原因であると考えられます。
例えば、(3)と(4)の主語を比較すると、その長さが、やはり、(4)の‘that’節の方が単語の数が多い分だけ、長いですね。そして、その表している内容に関しても、単語の数が多くなった分だけ、情報的な量が、どうしても多くなってしまいます。
そこで、そういった、主語は、述語と比較してみて、どうも重たい感じがするので、何とかして、主語を軽くしようとする意図がはたらくようなのです。つまり、「重いもの」は、後 (つまり、右側) にまわってもらい、その空いた位置には、「軽いもの」 (つまり、‘it’) を置く、といった発想なんですね。
ですので、この、「‘it ~ that節’の構文」は、一見、文法の問題のように見えるんだけれども、その発動のトリガーとなる原因は、実は、あくまでも、その伝達しようとする、「情報量」といった、どちらかと言えば、意味的な要因によるものだ、と言えるのです。ここが、実に、ややこしい問題なんです。
(8)It is impossible for Tom to deceive Mary. (〇)
(トムがメアリーを騙すことは、不可能だよ。)
(9)To deceive Mary is impossible for Tom. (〇) (訳同上)
ちなみに、(8)のような文は、「‘it ~ (for A) ‘to’不定詞’の構文」、と呼ばれています。そして、この構文における、‘it’のはたらきも、「‘it ~ that節’の構文」の‘it’と、理屈は全く同じです。
そこで、(8)の‘it’は、‘to’不定詞の部分、‘to deceive Mary’「メアリーを騙すこと」、を受けています。そして、この不定詞表現を、主語位置に移動させて、(9)をつくってみます。 (もちろん、‘it’には、退場してもらいます。) そこでは、この移動そのものは、何の問題もなく、OKになりますので、「‘it ~ (for A)‘to’不定詞’の構文」は、‘it’が、不定詞だけを受けることもあるんですね。
(10)For Tom to deceive Mary is impossible. (訳同(8))
今度は、(8)から、‘for Tom to deceive Mary’を移動させました。 (もちろん、ここでも、‘it’には、退場してもらいます。) ‘for Tom to deceive Mary’の部分は、 ‘For Tom’が、主語で、‘to deceive Mary’が、その述語の役割をもっていますので、「‘for’ ~ ‘to’不定詞’」全体で、あたかも、1つの文であるかのような、意味的なまとまりを成している、と言えます。 (EG43参照)
そして、(10)は、一般的には、OKである、と判断されます。しかし、座りがよい文であるかどうかを判断させると、どうも、座りがよい、とは言えないらしいのです。そこで、(8)と(10)を比較してみると、(8)の方が、しっくりくる感じがする、つまり、座りがよい、と判断されます。
では、(9)はどうか、と問われると、それほど、座りが悪いとは思われない、と判断されます。このことから、主語の側に位置する情報量と、述語の側に位置する情報量とのバランスが、座りの「良い・悪い」を決定しているのではないか、と推測されます。
つまり、(8)は、主語が‘it’のみで、一方、述語は、‘is impossible for Tom to deceive Mary’と、圧倒的に、述語側に情報量があります。しかし、一方、(10)は、主語が、‘for Tom to deceive Mary’で、一方、述語が、‘is impossible’のみ、ということで、(8)とは、大きく異なり、圧倒的に、主語の側に情報量があります。
そこで、もちろん、(9)は、(8)と(10)の中間を占めており、主語の側が、‘to deceive Mary’で、一方、述語の側が、‘is impossible for Tom’となっているので、比較の問題上、当然、(8)よりは座りがよいとは言えないが、(10)に比べたら、全然マシである、と言えます。
今回のポイントは、学校でよく教わる、形式主語の‘it’と呼ばれるものの基本と、その機能です。カタチの上では、まさにその名の通り、形式的に主語を置いただけであり、実質的な主語は、後方にまわされた‘that’節や、‘to’不定詞である、ということに異論はないわけですが、その本質的な役割は、ただ単に、主語位置の交代と言うにとどまりません。
カタチの上での文法の問題とは別に、伝達される「情報」、と言った意味的な問題からも、本来、語られるべき構文なのです。そして、こういった、「情報」を処理する上での、コトバの問題の本質は、EC26と、EC27で述べた、「文法」の問題と、「知覚」の問題といった、2つの異なる要因の中では、後者である「知覚」の問題に属するものなのです。
そのような観点で述べる限り、今回扱った、「情報量」が及ぼす、文法上のカタチの変化は、まだまだ、言わなければならないことがありますので、これに関しては、ひとまず、別の機会ということに。
■注1 :「形式主語‘it’」は、「仮主語‘it’」、とも呼ばれています。ですので、後方にまわった、‘that’節や、‘to’不定詞は、これに対応する呼び方で、「真主語」などと、呼ばれます。
■注2 :(8)のような、「‘it ~ (for A) to不定詞’の構文」は、その‘to’不定詞が、いわば、「名詞(的)用法」です。ですので、本来、名詞表現がくる主語位置に、現れることが可能なんですね。
■注3 :(8)における、‘for Tom’は、「トムが」、という解釈と、「トムにとって」、という解釈の、両方がありますが、(9)では、「トムにとって」、という解釈しかなく、一方、(10)では、「トムが」、という解釈しかありません。これに関する議論は、EG43を参照して下さい。
●関連: EG35、EG41、EG43、EC26、EC27
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(1)John believes the story. (ジョンはその話を信じている。)
(2)John believes [ that Tom loves Mary ].
(ジョンは、[ トムがメアリーを愛していると ] 信じている。)
(1)は、他動詞の‘believe’「~ を信じている」が、目的語の‘the story’「その話」を取っていますが、一方、(2)では、同じく、‘believe’が、‘that’節である、‘that Tom loves Mary’「トムがメアリーを愛している (と)」、を取っています。ここから、‘that Tom loves Mary’は、他動詞‘believe’の目的語としてはたらいている、ということになります。(EG41参照)
(3)The story is believed by John. (その話は、ジョンに信じられている。)
(4) [ That Tom loves Mary ] is believed by John.
([ トムがメアリーを愛していると ] ジョンに信じられている。)
能動文である(1)を、受身文にしてみると、当然、(3)になります。能動文から、受身文を生成する条件としては、まず、「目的語」が、主語になる、というカタチの上での制約がありました。(EG35参照) ですので、その約束に従って、同じく、(2)の目的語である、‘that Tom loves Mary’を、主語位置に移動させて、受身文(4)をつくってみたわけですね。
しかし、どうも、受身文(3)とは違って、受身文(4)は、あまり、座りがよくない感じがするそうです。別に、能動文から受身文をつくる際、そのルールを無視したわけではありません。ちゃんと、「目的語」として、認められている‘that’節を、主語位置に移動したわけですからね。そこで、とりあえず、こういった問題を回避するため、以下のようにするのが、通例となっています。
(5) It is believed by John [ that Tom loves Mary ]. (訳同(4))
(5)は、(4)よりも、はるかに座りがよい文なんだそうです。カタチとしては、‘it’を主語に立てた後、‘that’節には、後方にまわってもらう、ということですね。この‘it’は、通常の代名詞の‘it’とは、ちょっと性質が違うものです。
(5)の‘it’は、通常の代名詞‘it’とは違って、何を指すのかは、文脈から選ぶ、といったものではなく、必ず、本来、‘it’が相手にするべき表現が、‘that’節である、というように、予め決まっているという、約束があります。ですので、「‘it ~ that節’の構文」、などとパターン化されて、教わることになっています。
(6) [ That Tom loves Mary ] is predictable.
([ トムがメアリーを愛しているなんて ] すぐ予想ついちゃうね。)
(7) It is predictable [ that Tom loves Mary ]. (訳同上)
ところで、「‘it ~ that節’の構文」が、適用される条件は、何も、(4)のような、受身文に限ったことではありません。(6)のような、「‘be’動詞 (is)+形容詞 (predictable)」、の場合にも、(7)のように、適用は可能です。というよりも、どういったカタチが、「‘it ~ that節’の構文」に適用が可能かは、基本的には、あまり、受身文がどう、「‘be’動詞+形容詞」がどう、といった、単純に文法上の問題であるとは、言い切れません。
しかし、やはり、(4)より(5)の方が、座りがよい、と判断されるのと同様に、(6)よりも(7)の方が、座りがよい、といった、共通の判断があります。そこで、こういった問題は、むしろ、英語における、文のスタイル、つまり、文体的バランスの問題、と言ってもよいようなことが、原因であると考えられます。
例えば、(3)と(4)の主語を比較すると、その長さが、やはり、(4)の‘that’節の方が単語の数が多い分だけ、長いですね。そして、その表している内容に関しても、単語の数が多くなった分だけ、情報的な量が、どうしても多くなってしまいます。
そこで、そういった、主語は、述語と比較してみて、どうも重たい感じがするので、何とかして、主語を軽くしようとする意図がはたらくようなのです。つまり、「重いもの」は、後 (つまり、右側) にまわってもらい、その空いた位置には、「軽いもの」 (つまり、‘it’) を置く、といった発想なんですね。
ですので、この、「‘it ~ that節’の構文」は、一見、文法の問題のように見えるんだけれども、その発動のトリガーとなる原因は、実は、あくまでも、その伝達しようとする、「情報量」といった、どちらかと言えば、意味的な要因によるものだ、と言えるのです。ここが、実に、ややこしい問題なんです。
(8)It is impossible for Tom to deceive Mary. (〇)
(トムがメアリーを騙すことは、不可能だよ。)
(9)To deceive Mary is impossible for Tom. (〇) (訳同上)
ちなみに、(8)のような文は、「‘it ~ (for A) ‘to’不定詞’の構文」、と呼ばれています。そして、この構文における、‘it’のはたらきも、「‘it ~ that節’の構文」の‘it’と、理屈は全く同じです。
そこで、(8)の‘it’は、‘to’不定詞の部分、‘to deceive Mary’「メアリーを騙すこと」、を受けています。そして、この不定詞表現を、主語位置に移動させて、(9)をつくってみます。 (もちろん、‘it’には、退場してもらいます。) そこでは、この移動そのものは、何の問題もなく、OKになりますので、「‘it ~ (for A)‘to’不定詞’の構文」は、‘it’が、不定詞だけを受けることもあるんですね。
(10)For Tom to deceive Mary is impossible. (訳同(8))
今度は、(8)から、‘for Tom to deceive Mary’を移動させました。 (もちろん、ここでも、‘it’には、退場してもらいます。) ‘for Tom to deceive Mary’の部分は、 ‘For Tom’が、主語で、‘to deceive Mary’が、その述語の役割をもっていますので、「‘for’ ~ ‘to’不定詞’」全体で、あたかも、1つの文であるかのような、意味的なまとまりを成している、と言えます。 (EG43参照)
そして、(10)は、一般的には、OKである、と判断されます。しかし、座りがよい文であるかどうかを判断させると、どうも、座りがよい、とは言えないらしいのです。そこで、(8)と(10)を比較してみると、(8)の方が、しっくりくる感じがする、つまり、座りがよい、と判断されます。
では、(9)はどうか、と問われると、それほど、座りが悪いとは思われない、と判断されます。このことから、主語の側に位置する情報量と、述語の側に位置する情報量とのバランスが、座りの「良い・悪い」を決定しているのではないか、と推測されます。
つまり、(8)は、主語が‘it’のみで、一方、述語は、‘is impossible for Tom to deceive Mary’と、圧倒的に、述語側に情報量があります。しかし、一方、(10)は、主語が、‘for Tom to deceive Mary’で、一方、述語が、‘is impossible’のみ、ということで、(8)とは、大きく異なり、圧倒的に、主語の側に情報量があります。
そこで、もちろん、(9)は、(8)と(10)の中間を占めており、主語の側が、‘to deceive Mary’で、一方、述語の側が、‘is impossible for Tom’となっているので、比較の問題上、当然、(8)よりは座りがよいとは言えないが、(10)に比べたら、全然マシである、と言えます。
今回のポイントは、学校でよく教わる、形式主語の‘it’と呼ばれるものの基本と、その機能です。カタチの上では、まさにその名の通り、形式的に主語を置いただけであり、実質的な主語は、後方にまわされた‘that’節や、‘to’不定詞である、ということに異論はないわけですが、その本質的な役割は、ただ単に、主語位置の交代と言うにとどまりません。
カタチの上での文法の問題とは別に、伝達される「情報」、と言った意味的な問題からも、本来、語られるべき構文なのです。そして、こういった、「情報」を処理する上での、コトバの問題の本質は、EC26と、EC27で述べた、「文法」の問題と、「知覚」の問題といった、2つの異なる要因の中では、後者である「知覚」の問題に属するものなのです。
そのような観点で述べる限り、今回扱った、「情報量」が及ぼす、文法上のカタチの変化は、まだまだ、言わなければならないことがありますので、これに関しては、ひとまず、別の機会ということに。
■注1 :「形式主語‘it’」は、「仮主語‘it’」、とも呼ばれています。ですので、後方にまわった、‘that’節や、‘to’不定詞は、これに対応する呼び方で、「真主語」などと、呼ばれます。
■注2 :(8)のような、「‘it ~ (for A) to不定詞’の構文」は、その‘to’不定詞が、いわば、「名詞(的)用法」です。ですので、本来、名詞表現がくる主語位置に、現れることが可能なんですね。
■注3 :(8)における、‘for Tom’は、「トムが」、という解釈と、「トムにとって」、という解釈の、両方がありますが、(9)では、「トムにとって」、という解釈しかなく、一方、(10)では、「トムが」、という解釈しかありません。これに関する議論は、EG43を参照して下さい。
●関連: EG35、EG41、EG43、EC26、EC27
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