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英語脳をつくる!~日本人はいかに効率良く英語を学べるか~

英語学習に関する事いろいろです。日本人がいかにすれば実用英語を身に付けられるか、その最短距離を考察!

英語学習法(114)

2006年07月22日 | 比較
EG107、EG108、EG113の続きです。比較の構文‘-er than ~’「~ よりも」の中でも、それほど頻繁にお目にかかるものでもないのですが、しかし一方、よく物議をかもし出す傾向のあるものです。以下、見ましょう。

(1)A whale is no more a fish than a horse (is). (鯨は、馬と同様、魚ではない。)
(2)A whale is no less a mammal than a horse (is). (鯨は、馬と同様、哺乳類だ。)

一応、(1)は、‘no more ~ than ・・・’「・・・ と同様に ~ でない」、一方、(2)は、‘no less ~ than ・・・’「・・・ と同様に ~ だ」、などと暗記してしまうことになっているのが一般的です。そして、こういった構文は、その意味の成り立ちに関する説明がとても難しいので、これはこれで仕方のないことです。

こういった構文の大ざっぱな理解としては、‘no more ~ than ・・・’「・・・ よりも ~ ということは決して言えず、結局は、同等に ~ ではないのだ」、というものや、‘no less ~ than ・・・’「・・・ よりも ~ ないとは決して言えず、結局は、同等に ~ なのだ」、といった感じです。

ただ、とてもややこしいのは、(1)と(2)を見てわかるように、‘than’以下で、‘a horse’のみがOKであったり、一方、動詞を補った‘a horse is’がOKであったりする点です。‘than’は前置詞の場合もあれば、一方、接続詞の場合もあるので、両方とも、文法的には問題ないのですが、意味の点からは、ちょっとわかりづらい印象があります。 (‘than’の品詞に関しては、EG109、EG110、参照。)

(3)A horse is a fish. (馬は魚です。)
(4)A horse is a mammal. (馬は哺乳類です。)

そこで、(3)と(4)ですが、まず、(3)は、どう考えても、おかしなことを述べています。一方、(4)は、当然のことを述べています。ここから、(3)をもとに(1)、一方、(4)をもとに(2)を考えることになります。というのも、標準的な比較の構文は、‘than’以下では、不完全なカタチの文がある場合、‘than’よりも前の文における同一的な要素が消去されているもの、と考えられるからです。

(5)馬が魚でないのと同様、鯨も魚ではない。
(6)馬が哺乳類であるのと同様、鯨も哺乳類だ。

そこで、(5)の日本語は(1)、一方、(6)の日本語は(2)に対応した、いわゆる、別バージョンの日本語訳として、一般に知られています。これは、もちろん、(1)と(2)の‘than’以下で、‘a horse is’というように、‘be’動詞が現れることもあることから、(3)や(4)のような文がもとになっていると考えなければ、文法上、説明がつかないからであり、それに何とか対応する日本語訳としては、(5)や(6)のようになるだろう、という発想にもとづくものです。

しかし、(6)の場合はともかく、(5)の場合、今ひとつ納得のいかない点があり、それは、もちろん、「馬が魚でない」の部分です。単純に、(3)をもとにして(1)を考えるならば、なぜ、(5)のように、否定の意味を表す「馬が魚でない」の「~ ない」が、日本語訳に現れるのか、という疑問が常につきまとうわけですね。

確かに、(3)はおかしな事を述べているわけですから、どうしても、常識的に考えれば、それを否定した解釈にでもしなければ、(1)を、すっきりと意味の通る文として捉えることができなくなるわけで、逆に、(3)に否定語がないからといって、そのまま、「馬が魚であるのと同様に ~」などと、文字通りの日本語訳にするわけにはいかないのは明らかです。

これは、とても不思議なことのように思えるのですが、ある1つの観点からは、(3)のような奇妙な文を想定しても、それが許される、と言えるようなケースがあります。まず、以下の文を見ましょう。

(7)John is older than Tom (is). (ジョンは、トムよりも年上だ。)
(8)Tom is old. (トムは歳を取っている。)

(7)は簡単な比較の文ですが、‘than Tom is’の部分から、そのもととなる表現は、どうやら、(8)のような文を想定している、と考えられます。しかし、ここで注意すべきは、(8)の意味が、トムは年齢的に高齢者である、という解釈になる一方で、(7)では、その前提が消滅している、ということです。

つまり、(7)は、ジョンが年上でありさえすれば、トムの年齢はいくつであっても構わない、という極めて相対的な年齢値という解釈に変化しており、‘old’「歳を取っている」のもつ常識的な基準値が、意味を成さなくなるほどにまで広がってしまっている、ということです。

(9)Tom is young. (トムは若い。)

例えば、ジョンが10歳で、一方、トムが8歳だという事実があると、(7)の‘than Tom is’のもととなった文に、(8)を想定することは、やはり、おかしなことを述べているということになり、8歳児に対しては、正しくは、‘old’「高齢な」の真逆を述べる‘young’「若い」を用いた(9)を想定すべきだと考えたくなりますが、比較の構文の中では、もはや、そんなことは問題になりません。

(7)は、ジョンとトムが、共に高齢者である場合にも使えるので、その場合は、(7)の‘than Tom is’のもととなる文が、(8)であってもおかしく感じないものの、「事実」として、ジョンが10歳で、一方、トムが8歳であるとなれば、やはり、(8)よりも(9)の方が「事実」に忠実、となるわけです。

そこで、もともと、(3)と(4)のような場合、お互いの事実関係が、不変の真理として予め決まっているケースなので、(8)と(9)の関係のように、どちらが真であるかは事実確認をするまでわからない、といったものではなく、一発で判断できてしまうので、即座に、(3)が奇妙だ、となってしまうだけのことなのです。

しかし、馬が哺乳類であるか魚であるか、そして、トムが高齢者であるか若いか、ということに対する判断は、いずれのケースにせよ、「事実」に照らして判断する、という条件のもとでは、結局、同一の問題なのです。

こういったわけで、比較の構文においては、あるものとあるものの「相対化」という構文自体のもつ性質が原因で、ある表現の本質的な意味を、ある程度、弱めてしまったり、広げてしまったりしてしまうという、言わば、中和作用のようなはたらきがあるようなのです。

そこで、(3)のような文が、比較の構文において、‘than’以下のもとになるような表現としてはどうか、ということになるのですが、(3)は「〇・×」式に客観的な判断が下せる文であるにもかかわらず、これを、相対化のための「程度」表現として捉え直す、という見方になるものと考えられます。

つまり、比較の構文の‘than’以下では、たとえ、どんなに奇妙・極端であろうとも、相対化のためならば、馬が魚であることを、1つの基準として想定しても全く構わないということであり、これは、とにかく、他の例を引き合いに出して、相対的に、鯨がどの程度「魚」としての度合いが低いのかを示せればそれでよい、という発想からくるものと思われます。

哺乳類である馬を、あえて魚であると言える基準にまで「哺乳類度」を下げて、「魚度」を上げてみた場合、鯨がそれを越えられるほどの「魚度」をもっているかといえば、そんなことはなく、結局は、馬と鯨は同等の値であり、そこで、現実にもどった場合、馬は、「哺乳類度・100」であって、「魚度・0」なんだから、その馬と同等とされる鯨だって、「哺乳類度・100」で、「魚度・0」となり、結果的には、共に、魚ではない (哺乳類である)、ということなんですね。

と、まあ、(1)においては、かなりややこしい例を出しに使って比較をしていることになります。しかし、ここでのキモは、要するに、(1)は、ある1つの仮定をしているというに過ぎない、ということです。これを平たく述べると、馬が魚であるという仮定をしたとして、鯨がそれを超えるほどのものではなく、両者は同程度のものだ、というのが、精々直訳に近い解釈になります。

ですので、日本語訳(5)にまつわる疑問、すなわち、「馬が魚でない」の「~ ない」は、一体どこから出てきたものなのか、という問題は、本来、直訳に近いものにしても、もともと、突飛な想定をしている文なんだから、現実にもどった場合の表現に捉え直したものにしましょう、となった際に発生したものです。

比較の構文は、(7)のような単純な文においても、(8)とのコントラストから、よく考えてみれば、それなりに疑問をもつべき注意点があるにもかかわらず、その意味が簡単に理解できてしまうために、その注意点を、ほとんど意識することなく、見逃してしまいがちです。

そこで、(1)のような文に出くわすと、そういった注意点を、改めて根本的なところで考えなければならないハメになってしまいます。(1)は、客観的な表現をも、「程度」の表現に変えてしまった、ある意味、究極の比較構文とも言えますね。

今回のポイントは、比較の構文には、何でこんな日本語訳になったのだろうか、というようなものが存在するということです。(1)は、‘a horse’までで終わる文に関しては、‘no more ~ than ・・・’「・・・ と同様に ~ でない」、というような公式でも、何とかしのげるのですが、‘a horse is’というように、述語動詞まで含んだものもあるため、そこから、どうしても、(3)のような奇妙な文を想定せざるを得ないという、疑問がありました。

そして、さらに、(5)のような日本語訳もあるために、さらに疑問が深まるばかりで、とにかく暗記してしまう以外に道はない、という印象が強い構文でした。これは、(1)のような構文は、その理解に到るまでの道のりが、かなり難解なために、仕方なく起こってしまうことであり、何とか学習者にわかりやすく、公式と呼べるようなレベルのパターン化を考えた場合の苦肉の策であった、ということになります。

この種の構文は、本来なら、他にも言うべきことはまだあるのですが、実用性という点から考えれば、もともとお目にかかれる機会自体が少ないので、あまり深入りするだけの価値は低く、今回の理解のレベルでも、かなり上等な部類に入ってしまいます。否定に関する問題との絡みもありますので、もし機会があったら、また扱ってみることにします。

●関連: EG107EG108EG109EG110EG113

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