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英語学習法(69)

2005年03月28日 | 動詞
動詞編です。動詞の表現している、意味について、少し詳しく考えてみたいと思います。英語の「状態動詞」についてです。以下、見ましょう。

(1) run (走る)、walk (歩く)、move (動く)、swim (泳ぐ)、fly (飛ぶ)

(1)の単語は、もちろん、全て動詞です。動詞の特徴は、その名前からして、動作を表現する、というのが、一般的な考えですが、(1)にある動詞も、全て、「動作」を表していますね。ところで、英語の動詞は、基本的なカタチの上での判断基準は、直接、主語を取るか取らないかというのが、最も確かな特徴と言えます。

(2) a. Tom runs. (〇) (トムは走る。)
   b. Tom smart. (×) (トムは頭が良い。)

(2a)の‘run’「走る」は、‘Tom’を直接主語に取り、OKですが、一方、(2b)の‘smart’「頭が良い」は、‘Tom’を直接主語に取ってアウトとなっています。これは、‘smart’が、動詞ではなく、形容詞であり、結果として、(2b)は、動詞がない文になっているからです。この場合は、‘be’動詞の活用形、‘is’を補ってやらなければ、(2b)をOKにすることはできません。

そこで、形容詞と違って、英語の動詞は動作を表現し、かつ、主語を取ることで、文をつくれることがわかりますが、動詞であるかないかの定義は、「直接、主語を取る」という、カタチの上での定義が最も確かな判断基準で、これだけでOKです。もう、何をもって動詞とするか、の問題は終わりですから簡単ですね。ところが、その動詞の意味の問題となると、ちょっと、いろいろありそうです。では、「動作」という意味の観点からは、以下の動詞はどうなるんでしょうか。

(3)know (知っている)、belong (所属している)、resemble (似ている)、love、(愛している)

(3)の動詞は、それぞれ、「~ ている」という語尾がくっついた日本語訳が与えられていていますが、これは、なぜなんでしょうか。「知る」、「所属する」、「似る」、「愛する」、ではダメなんでしょうか。例えば、「知る」と「知っている」では、どのように違うんでしょうか。

(4)When Jane told Mary Tom's affair、she knew it.
(5) a. ジェーンがメアリーにトムの浮気を伝えたとき、彼女はそれを知っていた。 (〇)
   b. ジェーンがメアリーにトムの浮気を伝えたときに、彼女はそれを知った。 (×)

(4)のような文では、(5a)のように解釈するのはOKですが、(5b)のような解釈はできないようです。(5a)は、誰かがおしえてくれるまでもなく、メアリーは、すでにトムの浮気に関する情報を得ていた、という解釈で、一方、(5b)は、メアリーは、ジェーンからトムの浮気に関する情報を得た、ということですね。

このような差が出るのは、純粋な意味で、「知る」という日本語を、(4)に当てはめることが不自然だからで、どちらかと言えば、日本語の「知る」は、情報を得るという「行為」に重点が置かれた表現であるのに対して、英語の‘know’は、何かの情報を得たあと、そのことが記憶として残っている「状態」の方に重点が置かれた表現だからです。

このように、‘know’は、「知る」と「知っている」のどちらか、と言うと、「知っている」という日本語の方がうまく適合しやすい、ということになります。これは、日本語の「~ ている」という表現そのものに、「状態」の意味が含意されていて、「知る」と、「~ ている」の2つの表現を組み合わせると、「状態」を表すようにすることができるからです。このことから、(3)のように、「~ ている」の日本語訳が当てはめられるような動詞を、「状態動詞」などと呼んでいます。しかし、以下のような場合は、どうなんでしょうか。

(6)Do you know what I mean?
(7) a. ボクの言ってる意味、知ってるかな? (×)
   b. ボクの言ってる意味、わかるかな? (〇)

(6)の英語の日本語訳ですが、‘know’に対して、「知っている」を当てはめた(7a)がアウトになっています。一方、かわりに、(7b)の「わかる」がOKになっています。これは、どういうことなんでしょうか。‘know’は、「知っている」にすら、ピタリとは一致しないことがある、ということですが、「わかる」、というのは、言いかえれば、「理解する」という感じになるので、(6)の場合の‘know’は、むしろ、‘understand’に近い、と言えるかも知れません。しかし、‘understand’は、以下のように、‘know’と同じ振る舞い方をする、という点で、「状態」を含意した表現なのだとわかります。

(8) a. I know your idea. (〇) (キミの考えは知っているよ。)
   b. I am knowing your idea. (×) (訳同上)

(9) a. I understand your idea. (〇) (あなたの考えは理解しています。)
   b. I am understanding your idea. (×) (訳同上)

(8b)と(9b)、どちらも進行形‘be+-ing’になっていてアウトです。「状態」を含意する動詞は、「動作の進行」を表現するような意味に変化することを強制されると、拒絶反応を示す性質があるのです。この点、‘understand’は、「理解する」というよりは、むしろ、「状態」的な表現の、「理解している」の方が、本来的な意味ということになります。それと、もちろん、(3)の動詞も、全て、「動作の進行」を表現することはできません。

(10) a. I belong to the tennis club. (〇) (テニス部に所属しています。)
    b. I am belonging to the tennis club. (×) (訳同上)

(11) a. I resembles my father. (〇) (私は父に似ています。)
    b. I am resembling my father. (×) (訳同上)

(12) a. I love Mary. (〇) (メアリーを愛しています。)
    b. I am loving Mary. (×) (訳同上)

ですので、(7b)の日本語訳もそれにしたがって、「~ わかっているかな?」にすれば、(6)に対する直訳に近づくわけで、それでも不自然な日本語訳ではありませんね。ただ、日本語としては、(7b)のような、「わかる」という行為で表現する習慣が一般的になっていますので、ここら辺りは、「行為」で表現しようが、「状態」で表現しようが、習慣の違い、という認識で収まる許容範囲内ということですね。

ただ、(6)の文の中の、‘know’の意味を考えると、ただ単に、その主語‘you’が、与えられた情報を盲目的に受け入れて、「知っている」のではなく、主語‘you’自身で考え、そして理解された上での知識として「知っている」ということにならなければならないので、ストレートに、英語の‘know’に日本語の「知っている」を対応させると、(6)のような使い方では、不適合が起こるというわけですね。これは‘know’に備わっている意味の守備範囲が、「知っている」とは、本来的にズレているからです。

この、(6)と(7a)の不適合の中身を調べると、(6)の話者‘I’は、発信している情報、「ボクの言っている意味」、を話題として出して発話する以前には、聞き手‘you’に理解は得られていないであろう、という前提で、(6)を発話しているので、話者‘I’自身の理解や主観を交えての考えを、聞き手‘you’に、これから理解させようと意図して発信しているわけです。

つまり、話者‘I’の気持ちにならない限り、知り得ないことを、聞き手‘you’に対して発信している最中なのに、話者‘I’が発信する以前に、聞き手‘you’がその内容について、すでに話者と気持ちを同化させて共有していることなどあり得ない、と想定しているわけですね。

こういった状況で、「知ってるかな?」という日本語の表現を使うのは、知らないことを知っているかな、というのと同じことで、意味が矛盾してしまうのです。ですので、どうしても、(6)の英語の場合は、日本語の「知っている」を当てると、意味がおかしく感じられるのです。しかし、(6)の英語がOKである事実からすると、‘know’には、「理解している」という状態も含意されているから、(6)はおかしくない、ということになるんですね。

「知っている」は既知の内容を前提としている動詞であり、未知の内容には不適合ですが、「理解している」は未知の内容に対して、考えて取り込むプロセスを含意する動詞なので、未知の内容と適合する動詞と言ってもよいでしょう。

以上から、‘know’は、動詞と言うには、「状態」的なので、日本語の動詞「知る」ほどには、行為的な性質をもってはいませんし、かと言って、じゃあ、「知っている」ならどうだ、と言われても、純粋に、ただ何の見識もなく情報を受け入れているだけの状態というわけでもなく、「わかっていて知っている」というような、どうも座りの悪い解釈をしなければならないようです。と言うよりも、直接対応する日本語が見あたらないので、その使われている文の含意に沿って適当な日本語を探しあてて使う、ということですね。

ところで、‘know’の「状態的」性質に関しては、‘know’に、‘get to’や‘come to’を足し合わせて、「知る」の意味に近づけるような、「知る+~ ている」で「状態」を表す日本語とは、ちょうど逆発想的な、意味の転換は可能です。

(13)I got to know her feelings. (彼女の気持ちを知った。)
(14)I came to know her feelings.  (訳同上)

以上から、文という単位のレベルだけでなく、単語という単位のレベルですら、日本語で対応させて記憶していたのでは、返って理解の妨げになる場合がある、というのがわかったと思います。まず、動詞においては、「状態動詞」と呼ばれる、日本語の動詞にはない、特有の概念があって、その性質は、「動作の進行」を表す意味に変化することをイヤがる動詞である、ということと、これとは全く別の側面として、純粋な日本語の意味とは、対応する訳にズレが生じてしまう場合がある、ということです。

そのため、日本語の語彙体系を習得している日本語話者からは、英語の語彙体系をよく考えてみる必要がある、ということです。今回のポイントは動詞といっても、日本語の動詞とはずいぶん違っていて、絶対に同じようなものだと決めてかかってはいけない、ということです。状態動詞については、まだ話すべきことはありますが、とりあえず、ここまで、ということで。

■注1 :日本語の「知る」は、英語では、他の動詞で表現されることの方が多いようです。ちょっと細かく分類されていて、‘learn’「(学んで)知る」、‘find’「(発見して)知る」、‘realize’「(悟って)知る」、などあります。
■注2 :日本語の動詞にも、「~ ている」の助けを借りずに、素で状態をあらわす動詞がないわけでもありません。「お金ならあるよ。」、の「ある」は動詞で、かつ、「状態」を表しています。「そりゃ、違うでしょ。」、の「違う」も動詞で、かつ、「状態」を表しています。


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