主語とか、動詞とか、目的語って何なんでしょうね。ちょっと考えてみると面白いことがあるかも知れません。以下、見ましょう。
(1)John died. (ジョンは亡くなりました。)
(2)John reads a book. (ジョンは本を読みます。)
(1)も(2)も簡単ですね。(1)の場合、‘died’が「亡くなった」になるわけで、動詞ですけど、主語は生き物であればOKですよね。「屋根裏が亡くなった」では意味が通りませんからね。「亡くなる」は、生命を持つものがその生命を失うことを意味しますから、生命を持つものでなければ主語になれません。
次に(2)ですが、‘reads’は、日本語の「読む」に対応します。「読む」というのも動詞ですが、「読む」という表現は「読む」という動作を行う人がいて初めて成り立つ表現です。その動作を行う人は主語になりますね。だから、「ジョンは読む」というようになります。
それから、「読む」は対象を必要とします。「読む」という動作は何を対象としているか。「黄色を読む」としても意味不明です。なぜ意味不明かと申しますと、もちろん「黄色」は読めないからなんですけど、くどくど説明すると、「黄色」は固体じゃないから手で触ることができないし、文字も印刷されてないし、という感じで要するに「読む」には不適合な表現なわけです。
「読む」は、文字として目で見て、何か情報を伝えているようなものでなければ、対象にすることができない表現なんですね。「本」だとそういった対象になるから、「本を読む」というのは自然なわけです。こういう風に、「読む」は予め目的語となれる意味的な対象が決まっています。
言い方を変えれば、「読む」は、あること (この場合、読めるもの) を前提としている表現であるとも言えますね。だから、(1)や(2)の単語のつながりは個々の単語が持つ「前提」に照らし合わせてつながり具合の良し悪しが決まるんですね。次を見ましょう。
(3)John died at three. (ジョンは3時に亡くなりました。)
(4)John reads a book at three, (ジョンは3時に本を読みます。)
(3)も(4)も、別に意味はおかしくないんですけど、(3)の‘died’「亡くなった」は、時間を前提とした表現でしょうか。死亡時刻を調べれば、それが何時かはわかるでしょうけど、常に死亡時刻が必要かと言えば、あってもなくても表現上は困らないもの、という感じがします。死亡時刻でも、死亡理由でも、死亡場所でも、必要に応じてつければいいし、必要でなければつけなくてもいい。
ただ、「死亡」という概念は生命が失われるという前提があるから、そういった意味で、主語に生命を持つものが必要になるだけですね。(3)も同じです。‘reads’「読む」という行為は、時間、理由、場所、その他などは必要に応じてつければいいだけで、前提にはなりません。ただ、「読む」という動作を行う人と、「本」、「新聞」、「雑誌」などの、いわゆる「対象」が前提になるだけですね。
単語のつながり具合は、このように、「前提」が基準になっている場合がほとんどです。そこで、そういった基準から、①・必要なものか、②・あってはならないものか、③・あってもなくてもいいものか、が決まります。しかし、実は英語の場合、そういった「前提」の概念が、カタチにうまく表現として現れないこともあるコトバなんです。
(5)a. The train reached Tokyo. (〇) (その電車は東京に到着しました。)
b. The train reached at Tokyo. (×) (訳同上)
(6)a. The train arrived Tokyo. (×) (訳同(5a))
b. The train arrived at Tokyo. (〇) (訳同(5a))
正しい文である(5a)と(6b)は、同じ意味なんですけど、カタチの上では違いがあって、‘reached’は、直後に名詞の‘Tokyo’があります。(6b)の場合は、‘arrived’の後に、直接‘Tokyo’を置かずに、前置詞の‘at’を置いてから、‘Tokyo’を続けます。「到着する」は、もちろん、行き着く先が「前提」となる表現ですから、(6a)みたく、いちいち‘at’なんか要らないんじゃない、って言いたくなりますが、有無を言わさず要るものは要るんです。それが英語なんですね。
よく、前置詞の謎を解明したぞ、と言わんばかりの英語関係の解説本を見かけますが、どんなに頑張って無理やり説明しようとしても、ムダなことなんです。意味的に(5a)=(6b)なんだから、(6b)の前置詞を取るカタチを説明したところで、じゃ、前置詞がない(5a)はどうなるんだ、という話になるだけです。つまり、(5a-b)の説明すれば(6a-b)が反例となり、逆に(6a-b)を説明すれば、(5a-b)が反例になるだけですから、ここは、‘reach ~’=‘arrive at ~’と素直に覚えるのが賢明です。
今回のポイントは、基本的な例をあげて、動詞を中心とした場合、それが意味的に前提としている表現として、主語と目的語があると述べました。しかし英語には、意味とカタチの対応の仕方に、ズレがある場合もあるので、それが英語学習を困難にしている原因の1つであるということを示したわけですが、見方を変えれば、そのズレの部分がどういったところにあるのか見極めがつけば、安心感がある分、学習上の不安を軽減することはできるということです。
そして、‘arrive at ~’のように意表をついて前置詞をともなうような表現は、頻繁に使う表現に多く、数もそう多くはないので、そんなに苦労もするわけではありません。素直に覚えるべきところは覚えましょう、ってことですね。
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(1)John died. (ジョンは亡くなりました。)
(2)John reads a book. (ジョンは本を読みます。)
(1)も(2)も簡単ですね。(1)の場合、‘died’が「亡くなった」になるわけで、動詞ですけど、主語は生き物であればOKですよね。「屋根裏が亡くなった」では意味が通りませんからね。「亡くなる」は、生命を持つものがその生命を失うことを意味しますから、生命を持つものでなければ主語になれません。
次に(2)ですが、‘reads’は、日本語の「読む」に対応します。「読む」というのも動詞ですが、「読む」という表現は「読む」という動作を行う人がいて初めて成り立つ表現です。その動作を行う人は主語になりますね。だから、「ジョンは読む」というようになります。
それから、「読む」は対象を必要とします。「読む」という動作は何を対象としているか。「黄色を読む」としても意味不明です。なぜ意味不明かと申しますと、もちろん「黄色」は読めないからなんですけど、くどくど説明すると、「黄色」は固体じゃないから手で触ることができないし、文字も印刷されてないし、という感じで要するに「読む」には不適合な表現なわけです。
「読む」は、文字として目で見て、何か情報を伝えているようなものでなければ、対象にすることができない表現なんですね。「本」だとそういった対象になるから、「本を読む」というのは自然なわけです。こういう風に、「読む」は予め目的語となれる意味的な対象が決まっています。
言い方を変えれば、「読む」は、あること (この場合、読めるもの) を前提としている表現であるとも言えますね。だから、(1)や(2)の単語のつながりは個々の単語が持つ「前提」に照らし合わせてつながり具合の良し悪しが決まるんですね。次を見ましょう。
(3)John died at three. (ジョンは3時に亡くなりました。)
(4)John reads a book at three, (ジョンは3時に本を読みます。)
(3)も(4)も、別に意味はおかしくないんですけど、(3)の‘died’「亡くなった」は、時間を前提とした表現でしょうか。死亡時刻を調べれば、それが何時かはわかるでしょうけど、常に死亡時刻が必要かと言えば、あってもなくても表現上は困らないもの、という感じがします。死亡時刻でも、死亡理由でも、死亡場所でも、必要に応じてつければいいし、必要でなければつけなくてもいい。
ただ、「死亡」という概念は生命が失われるという前提があるから、そういった意味で、主語に生命を持つものが必要になるだけですね。(3)も同じです。‘reads’「読む」という行為は、時間、理由、場所、その他などは必要に応じてつければいいだけで、前提にはなりません。ただ、「読む」という動作を行う人と、「本」、「新聞」、「雑誌」などの、いわゆる「対象」が前提になるだけですね。
単語のつながり具合は、このように、「前提」が基準になっている場合がほとんどです。そこで、そういった基準から、①・必要なものか、②・あってはならないものか、③・あってもなくてもいいものか、が決まります。しかし、実は英語の場合、そういった「前提」の概念が、カタチにうまく表現として現れないこともあるコトバなんです。
(5)a. The train reached Tokyo. (〇) (その電車は東京に到着しました。)
b. The train reached at Tokyo. (×) (訳同上)
(6)a. The train arrived Tokyo. (×) (訳同(5a))
b. The train arrived at Tokyo. (〇) (訳同(5a))
正しい文である(5a)と(6b)は、同じ意味なんですけど、カタチの上では違いがあって、‘reached’は、直後に名詞の‘Tokyo’があります。(6b)の場合は、‘arrived’の後に、直接‘Tokyo’を置かずに、前置詞の‘at’を置いてから、‘Tokyo’を続けます。「到着する」は、もちろん、行き着く先が「前提」となる表現ですから、(6a)みたく、いちいち‘at’なんか要らないんじゃない、って言いたくなりますが、有無を言わさず要るものは要るんです。それが英語なんですね。
よく、前置詞の謎を解明したぞ、と言わんばかりの英語関係の解説本を見かけますが、どんなに頑張って無理やり説明しようとしても、ムダなことなんです。意味的に(5a)=(6b)なんだから、(6b)の前置詞を取るカタチを説明したところで、じゃ、前置詞がない(5a)はどうなるんだ、という話になるだけです。つまり、(5a-b)の説明すれば(6a-b)が反例となり、逆に(6a-b)を説明すれば、(5a-b)が反例になるだけですから、ここは、‘reach ~’=‘arrive at ~’と素直に覚えるのが賢明です。
今回のポイントは、基本的な例をあげて、動詞を中心とした場合、それが意味的に前提としている表現として、主語と目的語があると述べました。しかし英語には、意味とカタチの対応の仕方に、ズレがある場合もあるので、それが英語学習を困難にしている原因の1つであるということを示したわけですが、見方を変えれば、そのズレの部分がどういったところにあるのか見極めがつけば、安心感がある分、学習上の不安を軽減することはできるということです。
そして、‘arrive at ~’のように意表をついて前置詞をともなうような表現は、頻繁に使う表現に多く、数もそう多くはないので、そんなに苦労もするわけではありません。素直に覚えるべきところは覚えましょう、ってことですね。
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