不定詞の「副詞 (的) 用法」と呼ばれるものを扱います。以下、見ましょう。
(1)To master English is my big purpose.
(英語をマスターすることが、大目標であります。)
(2)<To master English> we must read many books.
(<英語をマスターするために>、いっぱい本を読まねば。)
(1)と(2)に共通している不定詞表現、‘to master English’の部分は、パッと見た感じは同じなのに、直感的には、何かが違って感じます。それは、どういった要因によるものなんでしょうか?どうやら、‘to master English’が、文をつくるための骨格の一部であるか否かの違いだと言えそうです。
いくつかのタイプに分かれている不定詞には、「名詞 (的) 用法」と呼ばれるタイプがありますが、不定詞が名詞用法である場合、文字通り、名詞として扱える、ということになります。そこから、一歩踏み込んで考えれば、それは「主語」になれる資格をもつ、ということなのです。 (EG38、参照。)
ですので、(1)は、「主語 (to master English)+‘be’動詞 (is)+補語 (my big purpose)」、と考えればよいのですが、一方、(2)は、「主語 (we)+動詞 (must read)+目的語 (many books)」で文の骨格が既にできあがっています。つまり、‘we’が既に主語位置を占めていますので、‘to master English’に主語としての居場所はありません。そこで、残る手段は、その骨格に依存する (かかる) 側の立場になるしかない、ということになります。
ところで、「副詞」は、文のカタチを考えた場合、文の骨格に対して依存する (かかる) 側の立場になると考えられます。ですので、(2)の‘to master English’を文の骨格に対して依存する側の立場にしてしまえば、これは副詞であるということになります。実は、これが「副詞 (的) 用法」の不定詞と呼ばれるものです。 (副詞に関しては、EG39、EG40、参照。)
(2)の‘to master English’は、一般的な訳し方としては、その日本語訳にあるように、「~ (する) ために」という、何かの目的を表すような感じで訳すやり方がありますが、そう訳しても構わないような意味ならそれでOKです。しかし、意味の取り方に注意すると、そうではないような副詞用法も存在します。
(3)Little Cathy grew <to be a beautiful lady>.
(4) a. 幼いキャシーは成長して美女になりました。 (〇)
b. 幼いキャシーは美女になるために成長しました。 (×)
そこで、(3)の意味を考えると、(4a)がOKで、一方、(4b)はアウトです。普通、発育上の成長は自分の意志で達成できるものではありませんから、自分の意志で、5歳の幼児が、3年後に20歳になるなどということは不可能であり、自然にそうなることを待つだけのことなので、最初から「目標」とすることができません。
こういう副詞用法の不定詞は、「目的」ではなく「結果」を表すものとして解釈して、それを日本語訳に反映させるようにしなくてはならないので、(4b)のような日本語訳は、まず不可能です。
ただし、特別な考え方としては、例えば、キャシーが自分の成長をコントロールできる魔法使いであるような物語の中でならば、かろうじて、(4b)をOKにすることはできます。このような場合、‘grew’の直後に、コンマ・イントネーションを置いて、少しポーズを入れて発音することになります。
不定詞の副詞用法は、カタチの上では、文字通り、副詞と同じような分布上の制限に従いますので、見た瞬間に副詞用法だと判断するのは簡単ですが、1つのカタチに対して、多様な意味があり、単純に一対一で対応していないところが、多少厄介です。
文法の解説書でも、よく、「目的」、「結果」、「原因」、「理由」などと意味の種類を解説していますが、このような意味のバラエティを、逐一、機械的に暗記していくのでは、自然な解釈にもっていく際に、柔軟な動きが取れなくなってしまう点で、返って効率的ではありませんので、一応の目安程度に考えておくのがよいと思われます。
(5)She would be happy to see Tom.
(6) a. もしトムに会えたなら、彼女はうれしかろうに。 (〇)
b. 彼女は喜んでトムに会うだろう。 (〇)
(5)の場合、(6a)でも(6b)でも解釈は状況に応じて可能です。違いは、トムに会った後で‘happy’になるのか、それとも、会う前から積極的に‘happy’な姿勢でいるのか、という点です。(6a)の場合、‘happy’の直後に少しポーズを置いて発音します。
そこで、不定詞と文のつながり方は、そのカタチの上での依存関係が理解できてしまえば、あとは、文の述語が表現している意味からイメージで不定詞の表す意味をつかんでいく方が、意味の適切な許容範囲を感覚的にマスターしていき安いと思われます。
(7)I am sorry to disturb you. (お邪魔して、ごめんなさい。)
(8)You are kind to help me. (助けてくれるなんて、親切ね。)
(9)He is crazy to sleep on the ice. (氷の上で寝るなんて、ヤツは狂ってるよ。)
1つの方法として、不定詞とつながる文との関係を捉える際には、コトバの「前提」を考えながら解釈するのがよいと思います。特に、感情や判断に関する表現は、比較的、不定詞と結びつきやすいと言えます。(7)は、なぜ、「ごめんなさい」なのか、(8)は、なぜ、「親切」なのか、(9)は、なぜ、「狂っている」のかということを意味的に補完する必要性が感じられるので、そういった表現は不定詞と結びつきやすいと言えます。
(10)I am eager to go out with Susan. (スーザンとデートしたいねぇ。)
(11)I am ready to fight. (勝負する準備はできています。)
(10)と(11)は、(7)~(9)以上に、不定詞とそれにつながる文が意味的な面での結びつきが強いと言えます。何を「切望」しているのか、何を「準備」の対象としているのかは、もはや、あらかじめ前提となっていて必須項目といった感があります。よく参考書などで、‘be anxious to’や‘be ready to’はセット表現として扱われるのもそのためです。
こういった不定詞は、「目的」、「結果」、「原因」、「理由」のいずれでもなく、あえて言うなら、‘eager’や‘ready’の「対象」といったものです。この「対象」に該当する不定詞はそれなしでは、意味が完結しないほどに強い補完材料とされるので、どこか目的語としての役割をもっているような感じがあります。
ただ、不定詞なしで、‘We are ready.’などというという発話の場合は、話し手と聞き手の間には、何に対して‘ready’なのかが、既に了解済みであることが前提となっている場合が多いので、不定詞が省略されていても違和感がないのですね。
不定詞の副詞用法には、それがつながる文との結びつきが比較的強いものと、そうとまではいかなくとも、ある程度の結びつきが認められるものとがあり、後者の場合は、不定詞とその外の表現とのバランスを考えながら意味を取っていく必要があります。
ですので、「‘to’+原形動詞」というように、カタチが一定しているものの、それがつながっていく表現との関係においては、意味的な面で、「近い・遠い」といった関係性、つまり、「つながり具合」を考慮しなければならないことが、副詞用法の不定詞を複雑にしている原因と言えます。
今回のポイントは、まるで白から黒に向かうプロセスにグレーゾーンが存在するような感覚で、そういった中に、「目的」、「結果」、「原因」、「理由」などといった意味が抽出されるということです。この意味的な結びつきの強弱の流れが意識されているのとそうでないのとでは、英語脳の形成にかなりの違いがでてきます。
実は、副詞用法という呼び方も、単純に表面上のカタチを見た上でそう呼んでいるだけですので、意味的な結びつきの度合いといった観点からは、そのような呼び方で一括りにするのは不十分で、不定詞とそれがつながる文との結びつきが強い (つまり、不定詞が必須項目となりやすい) ものほど、副詞用法とは呼びにくい関係になります。
そのような不定詞は、副詞と呼ぶには、文の骨格の一部として半ば認めてもよいようなものです。最初のうちは、ちょっと難しく感じられるかも知れませんね。
●関連: EG38、EG39、EG40
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(1)To master English is my big purpose.
(英語をマスターすることが、大目標であります。)
(2)<To master English> we must read many books.
(<英語をマスターするために>、いっぱい本を読まねば。)
(1)と(2)に共通している不定詞表現、‘to master English’の部分は、パッと見た感じは同じなのに、直感的には、何かが違って感じます。それは、どういった要因によるものなんでしょうか?どうやら、‘to master English’が、文をつくるための骨格の一部であるか否かの違いだと言えそうです。
いくつかのタイプに分かれている不定詞には、「名詞 (的) 用法」と呼ばれるタイプがありますが、不定詞が名詞用法である場合、文字通り、名詞として扱える、ということになります。そこから、一歩踏み込んで考えれば、それは「主語」になれる資格をもつ、ということなのです。 (EG38、参照。)
ですので、(1)は、「主語 (to master English)+‘be’動詞 (is)+補語 (my big purpose)」、と考えればよいのですが、一方、(2)は、「主語 (we)+動詞 (must read)+目的語 (many books)」で文の骨格が既にできあがっています。つまり、‘we’が既に主語位置を占めていますので、‘to master English’に主語としての居場所はありません。そこで、残る手段は、その骨格に依存する (かかる) 側の立場になるしかない、ということになります。
ところで、「副詞」は、文のカタチを考えた場合、文の骨格に対して依存する (かかる) 側の立場になると考えられます。ですので、(2)の‘to master English’を文の骨格に対して依存する側の立場にしてしまえば、これは副詞であるということになります。実は、これが「副詞 (的) 用法」の不定詞と呼ばれるものです。 (副詞に関しては、EG39、EG40、参照。)
(2)の‘to master English’は、一般的な訳し方としては、その日本語訳にあるように、「~ (する) ために」という、何かの目的を表すような感じで訳すやり方がありますが、そう訳しても構わないような意味ならそれでOKです。しかし、意味の取り方に注意すると、そうではないような副詞用法も存在します。
(3)Little Cathy grew <to be a beautiful lady>.
(4) a. 幼いキャシーは成長して美女になりました。 (〇)
b. 幼いキャシーは美女になるために成長しました。 (×)
そこで、(3)の意味を考えると、(4a)がOKで、一方、(4b)はアウトです。普通、発育上の成長は自分の意志で達成できるものではありませんから、自分の意志で、5歳の幼児が、3年後に20歳になるなどということは不可能であり、自然にそうなることを待つだけのことなので、最初から「目標」とすることができません。
こういう副詞用法の不定詞は、「目的」ではなく「結果」を表すものとして解釈して、それを日本語訳に反映させるようにしなくてはならないので、(4b)のような日本語訳は、まず不可能です。
ただし、特別な考え方としては、例えば、キャシーが自分の成長をコントロールできる魔法使いであるような物語の中でならば、かろうじて、(4b)をOKにすることはできます。このような場合、‘grew’の直後に、コンマ・イントネーションを置いて、少しポーズを入れて発音することになります。
不定詞の副詞用法は、カタチの上では、文字通り、副詞と同じような分布上の制限に従いますので、見た瞬間に副詞用法だと判断するのは簡単ですが、1つのカタチに対して、多様な意味があり、単純に一対一で対応していないところが、多少厄介です。
文法の解説書でも、よく、「目的」、「結果」、「原因」、「理由」などと意味の種類を解説していますが、このような意味のバラエティを、逐一、機械的に暗記していくのでは、自然な解釈にもっていく際に、柔軟な動きが取れなくなってしまう点で、返って効率的ではありませんので、一応の目安程度に考えておくのがよいと思われます。
(5)She would be happy to see Tom.
(6) a. もしトムに会えたなら、彼女はうれしかろうに。 (〇)
b. 彼女は喜んでトムに会うだろう。 (〇)
(5)の場合、(6a)でも(6b)でも解釈は状況に応じて可能です。違いは、トムに会った後で‘happy’になるのか、それとも、会う前から積極的に‘happy’な姿勢でいるのか、という点です。(6a)の場合、‘happy’の直後に少しポーズを置いて発音します。
そこで、不定詞と文のつながり方は、そのカタチの上での依存関係が理解できてしまえば、あとは、文の述語が表現している意味からイメージで不定詞の表す意味をつかんでいく方が、意味の適切な許容範囲を感覚的にマスターしていき安いと思われます。
(7)I am sorry to disturb you. (お邪魔して、ごめんなさい。)
(8)You are kind to help me. (助けてくれるなんて、親切ね。)
(9)He is crazy to sleep on the ice. (氷の上で寝るなんて、ヤツは狂ってるよ。)
1つの方法として、不定詞とつながる文との関係を捉える際には、コトバの「前提」を考えながら解釈するのがよいと思います。特に、感情や判断に関する表現は、比較的、不定詞と結びつきやすいと言えます。(7)は、なぜ、「ごめんなさい」なのか、(8)は、なぜ、「親切」なのか、(9)は、なぜ、「狂っている」のかということを意味的に補完する必要性が感じられるので、そういった表現は不定詞と結びつきやすいと言えます。
(10)I am eager to go out with Susan. (スーザンとデートしたいねぇ。)
(11)I am ready to fight. (勝負する準備はできています。)
(10)と(11)は、(7)~(9)以上に、不定詞とそれにつながる文が意味的な面での結びつきが強いと言えます。何を「切望」しているのか、何を「準備」の対象としているのかは、もはや、あらかじめ前提となっていて必須項目といった感があります。よく参考書などで、‘be anxious to’や‘be ready to’はセット表現として扱われるのもそのためです。
こういった不定詞は、「目的」、「結果」、「原因」、「理由」のいずれでもなく、あえて言うなら、‘eager’や‘ready’の「対象」といったものです。この「対象」に該当する不定詞はそれなしでは、意味が完結しないほどに強い補完材料とされるので、どこか目的語としての役割をもっているような感じがあります。
ただ、不定詞なしで、‘We are ready.’などというという発話の場合は、話し手と聞き手の間には、何に対して‘ready’なのかが、既に了解済みであることが前提となっている場合が多いので、不定詞が省略されていても違和感がないのですね。
不定詞の副詞用法には、それがつながる文との結びつきが比較的強いものと、そうとまではいかなくとも、ある程度の結びつきが認められるものとがあり、後者の場合は、不定詞とその外の表現とのバランスを考えながら意味を取っていく必要があります。
ですので、「‘to’+原形動詞」というように、カタチが一定しているものの、それがつながっていく表現との関係においては、意味的な面で、「近い・遠い」といった関係性、つまり、「つながり具合」を考慮しなければならないことが、副詞用法の不定詞を複雑にしている原因と言えます。
今回のポイントは、まるで白から黒に向かうプロセスにグレーゾーンが存在するような感覚で、そういった中に、「目的」、「結果」、「原因」、「理由」などといった意味が抽出されるということです。この意味的な結びつきの強弱の流れが意識されているのとそうでないのとでは、英語脳の形成にかなりの違いがでてきます。
実は、副詞用法という呼び方も、単純に表面上のカタチを見た上でそう呼んでいるだけですので、意味的な結びつきの度合いといった観点からは、そのような呼び方で一括りにするのは不十分で、不定詞とそれがつながる文との結びつきが強い (つまり、不定詞が必須項目となりやすい) ものほど、副詞用法とは呼びにくい関係になります。
そのような不定詞は、副詞と呼ぶには、文の骨格の一部として半ば認めてもよいようなものです。最初のうちは、ちょっと難しく感じられるかも知れませんね。
●関連: EG38、EG39、EG40
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