英語脳をつくる!~日本人はいかに効率良く英語を学べるか~

英語学習に関する事いろいろです。日本人がいかにすれば実用英語を身に付けられるか、その最短距離を考察!

英語学習法(42)

2004年12月31日 | 不定詞
不定詞の「副詞 (的) 用法」と呼ばれるものを扱います。以下、見ましょう。

(1)To master English is my big purpose. 
  (英語をマスターすることが、大目標であります。)

(2)<To master English> we must read many books.
  (<英語をマスターするために>、いっぱい本を読まねば。)

(1)と(2)に共通している不定詞表現、‘to master English’の部分は、パッと見た感じは同じなのに、直感的には、何かが違って感じます。それは、どういった要因によるものなんでしょうか?どうやら、‘to master English’が、文をつくるための骨格の一部であるか否かの違いだと言えそうです。

いくつかのタイプに分かれている不定詞には、「名詞 (的) 用法」と呼ばれるタイプがありますが、不定詞が名詞用法である場合、文字通り、名詞として扱える、ということになります。そこから、一歩踏み込んで考えれば、それは「主語」になれる資格をもつ、ということなのです。 (EG38、参照。)

ですので、(1)は、「主語 (to master English)+‘be’動詞 (is)+補語 (my big purpose)」、と考えればよいのですが、一方、(2)は、「主語 (we)+動詞 (must read)+目的語 (many books)」で文の骨格が既にできあがっています。つまり、‘we’が既に主語位置を占めていますので、‘to master English’に主語としての居場所はありません。そこで、残る手段は、その骨格に依存する (かかる) 側の立場になるしかない、ということになります。

ところで、「副詞」は、文のカタチを考えた場合、文の骨格に対して依存する (かかる) 側の立場になると考えられます。ですので、(2)の‘to master English’を文の骨格に対して依存する側の立場にしてしまえば、これは副詞であるということになります。実は、これが「副詞 (的) 用法」の不定詞と呼ばれるものです。 (副詞に関しては、EG39、EG40、参照。)

(2)の‘to master English’は、一般的な訳し方としては、その日本語訳にあるように、「~ (する) ために」という、何かの目的を表すような感じで訳すやり方がありますが、そう訳しても構わないような意味ならそれでOKです。しかし、意味の取り方に注意すると、そうではないような副詞用法も存在します。

(3)Little Cathy grew <to be a beautiful lady>. 
(4) a. 幼いキャシーは成長して美女になりました。 (〇)
   b. 幼いキャシーは美女になるために成長しました。 (×)

そこで、(3)の意味を考えると、(4a)がOKで、一方、(4b)はアウトです。普通、発育上の成長は自分の意志で達成できるものではありませんから、自分の意志で、5歳の幼児が、3年後に20歳になるなどということは不可能であり、自然にそうなることを待つだけのことなので、最初から「目標」とすることができません。

こういう副詞用法の不定詞は、「目的」ではなく「結果」を表すものとして解釈して、それを日本語訳に反映させるようにしなくてはならないので、(4b)のような日本語訳は、まず不可能です。

ただし、特別な考え方としては、例えば、キャシーが自分の成長をコントロールできる魔法使いであるような物語の中でならば、かろうじて、(4b)をOKにすることはできます。このような場合、‘grew’の直後に、コンマ・イントネーションを置いて、少しポーズを入れて発音することになります。

不定詞の副詞用法は、カタチの上では、文字通り、副詞と同じような分布上の制限に従いますので、見た瞬間に副詞用法だと判断するのは簡単ですが、1つのカタチに対して、多様な意味があり、単純に一対一で対応していないところが、多少厄介です。

文法の解説書でも、よく、「目的」、「結果」、「原因」、「理由」などと意味の種類を解説していますが、このような意味のバラエティを、逐一、機械的に暗記していくのでは、自然な解釈にもっていく際に、柔軟な動きが取れなくなってしまう点で、返って効率的ではありませんので、一応の目安程度に考えておくのがよいと思われます。

(5)She would be happy to see Tom.
(6) a. もしトムに会えたなら、彼女はうれしかろうに。 (〇)
   b. 彼女は喜んでトムに会うだろう。 (〇)

(5)の場合、(6a)でも(6b)でも解釈は状況に応じて可能です。違いは、トムに会った後で‘happy’になるのか、それとも、会う前から積極的に‘happy’な姿勢でいるのか、という点です。(6a)の場合、‘happy’の直後に少しポーズを置いて発音します。

そこで、不定詞と文のつながり方は、そのカタチの上での依存関係が理解できてしまえば、あとは、文の述語が表現している意味からイメージで不定詞の表す意味をつかんでいく方が、意味の適切な許容範囲を感覚的にマスターしていき安いと思われます。

(7)I am sorry to disturb you. (お邪魔して、ごめんなさい。)
(8)You are kind to help me. (助けてくれるなんて、親切ね。)
(9)He is crazy to sleep on the ice. (氷の上で寝るなんて、ヤツは狂ってるよ。)

1つの方法として、不定詞とつながる文との関係を捉える際には、コトバの「前提」を考えながら解釈するのがよいと思います。特に、感情や判断に関する表現は、比較的、不定詞と結びつきやすいと言えます。(7)は、なぜ、「ごめんなさい」なのか、(8)は、なぜ、「親切」なのか、(9)は、なぜ、「狂っている」のかということを意味的に補完する必要性が感じられるので、そういった表現は不定詞と結びつきやすいと言えます。

(10)I am eager to go out with Susan. (スーザンとデートしたいねぇ。)
(11)I am ready to fight. (勝負する準備はできています。)

(10)と(11)は、(7)~(9)以上に、不定詞とそれにつながる文が意味的な面での結びつきが強いと言えます。何を「切望」しているのか、何を「準備」の対象としているのかは、もはや、あらかじめ前提となっていて必須項目といった感があります。よく参考書などで、‘be anxious to’や‘be ready to’はセット表現として扱われるのもそのためです。

こういった不定詞は、「目的」、「結果」、「原因」、「理由」のいずれでもなく、あえて言うなら、‘eager’や‘ready’の「対象」といったものです。この「対象」に該当する不定詞はそれなしでは、意味が完結しないほどに強い補完材料とされるので、どこか目的語としての役割をもっているような感じがあります。

ただ、不定詞なしで、‘We are ready.’などというという発話の場合は、話し手と聞き手の間には、何に対して‘ready’なのかが、既に了解済みであることが前提となっている場合が多いので、不定詞が省略されていても違和感がないのですね。

不定詞の副詞用法には、それがつながる文との結びつきが比較的強いものと、そうとまではいかなくとも、ある程度の結びつきが認められるものとがあり、後者の場合は、不定詞とその外の表現とのバランスを考えながら意味を取っていく必要があります。

ですので、「‘to’+原形動詞」というように、カタチが一定しているものの、それがつながっていく表現との関係においては、意味的な面で、「近い・遠い」といった関係性、つまり、「つながり具合」を考慮しなければならないことが、副詞用法の不定詞を複雑にしている原因と言えます。

今回のポイントは、まるで白から黒に向かうプロセスにグレーゾーンが存在するような感覚で、そういった中に、「目的」、「結果」、「原因」、「理由」などといった意味が抽出されるということです。この意味的な結びつきの強弱の流れが意識されているのとそうでないのとでは、英語脳の形成にかなりの違いがでてきます。

実は、副詞用法という呼び方も、単純に表面上のカタチを見た上でそう呼んでいるだけですので、意味的な結びつきの度合いといった観点からは、そのような呼び方で一括りにするのは不十分で、不定詞とそれがつながる文との結びつきが強い (つまり、不定詞が必須項目となりやすい) ものほど、副詞用法とは呼びにくい関係になります。

そのような不定詞は、副詞と呼ぶには、文の骨格の一部として半ば認めてもよいようなものです。最初のうちは、ちょっと難しく感じられるかも知れませんね。

●関連: EG38EG39EG40

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英語学習法(41)

2004年12月30日 | 
文を文の中に組み込むやり方です。‘that’節と呼ばれるものを例に取ってみます。以下の日本語、見ましょう。

(1)太郎は信じている。
(2)花子は正直者だ。
(3)太郎は [ 花子は正直者だと ] 信じている。

(1)の中に(2)を組み込むと(3)が完成します。(2)の末尾に「~と」が付くのがポイントですね。では英語ではどうでしょうか。

(4)John believes. (ジョンは信じている。)
(5)Mary is honest. (メアリーは正直者だ。)
(6)John believes [ (that) Mary is honest ]. ([ ジョンはメアリーが正直者だと ] 信じている。)

(4)の中に(5)を組み込むと(6)が完成します。(5)の先頭に‘that’が付くのがポイントですが、これはオプションでもいいのですね。ところで、普通は、「信じる」というような表現は、目的語が必要ですね。

(7)太郎はその噂を信じている。
(8)John believes the rumor. (ジョンはその噂を信じている。)

(7)の「その噂を」の部分と、(3)の「花子は正直者だと」の部分は分布(現れる位置)が一致していますね。同様に、英語の場合、(8)の‘the rumor’と、(6)の‘(that) Mary is honest’の部分は分布が一致しています。つまり、日本語も英語も目的語の位置に文が組み込まれているということがわかります。

もうおわかりかと思いますが、文は目的語として働くことができるんです。目的語になれるということは、一歩踏み込んで考えれば、名詞であるということですので、組み込まれた文は名詞(的)であるとも言えますね。文法の解説書などを読むと「名詞節」というコトバが出てきますが、これのことを言っているんです。名詞として文が使えるということは、主語の位置にも使えそうですね。

(9)The story is our secret. (その話はボクらの秘密だぞ。)
(10)[ That James is a spy ] is our secret. 
   ([ ジェームズがスパイだってことは ] ボクらの秘密だぞ。)

(9)の‘the story’と同じ位置に‘that James is a spy’が分布していますので、やはり名詞として使えるんですね。ただ、主語の位置に文がくる場合、‘that’は省略できない傾向があるので注意して下さい。

これは先頭に主語として組み込まれた文があると思って読んで(聞いて)くれよな、というシグナルとして‘that’を残しておきたいからで、普通、文の出だしでは、組み込まれた側よりも、組み込む側の方が先にくると思って聞き手は聞いているので、一種の、心の準備をしておくように、という指示みたいなものです。ですので、文が目的語として組み込まれているときには省略されていても特に違和感を感じないのですね。

今回は、何だかとても簡単なことをやっているようですが、文を組み込むというシステムを習得すると表現方法にグンと広がりが出てきます。このやり方を単純反復させて長めの文をつくり、意味内容の濃い表現にすることができます。今度は(6)を更に組み込んだ文をつくってみます。

(11)I imagine [ (that)John believes [ (that) Mary is honest ] ].
  (ボクはね、[ ジョンは [ メアリーが正直者だと ] 信じている ] と想像してるん
  だけどね。)

(11)では、「孫」である‘(that) Mary is honest’を中に組み込んだ‘John believes ~’が「子」であるとすると、今度は、その「子」が、組み込まれる側の立場になり、‘I imagine ~’が、それを組み込む側の立場、つまり「親」になっているということですね。

このように文法には、単純なルールを反復させて複雑な表現を可能にしている側面があるので、一見、難しそうに見える文も、実はそんなに大掛かりな仕組みを用いているわけではない場合があります。単純な仕組みの反復こそが英語脳の大きな仕組みの一部であるという例でした。

■注1 :今回扱った、‘that’節は、学校で習う英文法では、「従属節」とか、「従位節」と呼ばれています。それに対して、‘that’節を組み込む側の文を、「主節」と呼んでいます。これは、‘that’節が、組み込む側の文に依存することで成り立っている、という、依存の関係を、比喩的に、「主従」の関係で表現したものです。

■注2 :(10)のような‘that’節を、主語として組み込んだ文は、一応、文法的ではありますが、あまり座りがよくない、と判断される場合があります。この点に関しては、EG84を参照して下さい。


●関連: EG84

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英語学習法(40)

2004年12月29日 | 副詞
EG39・副詞の基本の続きです。EG39では意味の面から副詞を判断するだけでなく、形式の面からも副詞を判断することの重要性を説いたわけですが、さっそく以下、見ましょう。

(1)I am at home. (家にいるよ。)

(1)の‘home’は‘at home’で使われていますね。前置詞の後には名詞がくるというルールもありますし、普通は‘home’=「家」で覚えているので、名詞のイメージが強いんですが、(2)はどうでしょう?

(2)a. Let's go home.(〇) (帰りましょう。)
   b. Let's go to home.(×) (訳同上)

ん?(2a)が正しく、(2b)が誤りであるのは、(1)の帰結からは矛盾しています。まず考え方として、(2a)からは、‘go’には他動詞(目的語を取る動詞)としての用法があるかなと推測しますが、(3)を見る限り、そう考えてもあまり良い答えにはならないようです。

(3)Let's go to the station.(〇) (その駅に行ってみよう。)

(3)では、「前置詞(to)+名詞(the station)」が‘go’の後にありますので、やはり‘go’に自動詞(目的語を取らない動詞)としての性質は生きているようです。ここは、‘go’よりも、むしろ‘home’に原因があると考えた方が良さそうです。

(4)I fell down on my way to the station.(〇) (駅に行く途中で転んだ。)
(5)I fell down on my way home.(〇) (帰宅する途中で転んだ。)

(4)と(5)の対比から‘to the station’と‘home’が入れ換えの対象になっていることがわかります。では、‘home’には特別に前置詞を含んだ表現法があると考えてはどうでしょうか?そうすると(6)がダメな理由がわかりますね。

(6)I fell down on my way to home.(×) (訳同(5))

このように、一見、名詞的な感じがするものの、実は前置詞の役割も含んだ擬似副詞(とでもいうんでしょうか?)が英語には存在します。‘home’は、(1)のように、ある場所に既に存在していることが主張される場合に名詞としての優先権が発生するのです。(2a)と(5)の類例を見ましょう。

(7)go overseas (海外に行く)、go abroad (海外へ行く)、go there (そこへ行く)、
   come here (ここに来る)、等

(7)の表現は動詞との間に前置詞が付くことはないので要注意です。こういった表現は、大体は、向かう場所に関するものが多いんですが、時間に関するものもあります。

(8)Yesterday's paper (昨日の新聞)
(9)I studied English <yesterday>. (昨日、英語を勉強した。)

(8)では‘yesterday’が明らかに名詞ですが、(9)では、「主語(I)+動詞(studied)+目的語(English)」が文の骨格となっていて、<yesterday>が副詞として扱われています。これは慣れている人が多いと思いますから簡単ですね。

(10)a. I ate bread <this morning>.(〇) (今朝、パンを食べた。)
   b. I ate bread <in this morning>.(×) (訳同上)

(10a)は割と見慣れているのですが、書いたり話したりするときは思わず(10b)をやってしまいますね。これは、‘in the morning’「午前中」との混同からくるようです。以下はどうでしょうか。

(11)There were a lot of people in the room. (その部屋には大勢の人がいた。)
(12)a. A car is <a lot> faster than a bicycle. (クルマは自転車よりずっと速いぞ。)
   b. A car is <much> faster than a bicycle. (訳同上)

(11)は、‘a lot of ~’「たくさんの」で覚えている人が多いと思いますが、‘a lot’の部分は名詞的に感じられます。事実、名詞なんですが、そういった先入観を持つと、(12a)の‘a lot’が、(12b)のように、‘much’(比較級に付いて「はるかに」の意味)で置き換えができるような副詞であることに気付きにくいんですね。

(13)I am <twenty years> old. (オレはもう二十歳だ。)

‘I am ~ years old.’の年齢を表す表現は暗記してしまってる人が多いんですが、(13)の< >の部分は実は、「程度」を表現する副詞で、「主語(I)+be動詞(am)+補語(old)」の骨格となる文に、「今までどの程度生きているか」を表現する副詞として、年数、<~ years>を入れることになっているのです。ここでもやはり、「骨格とそれに依存するもの」といった依存関係がありますね。

EG39では、文中の「依存関係」、すなわち、骨格とその骨格に依存するもの(副詞やそれに類するもの)の相対関係を形式的な面から見抜くことは大切だと言ったのですが、今回は新たなポイントとして、基本となる骨格に対して依存する側のものには、形式上のトリックが存在する場合があるのを見ました。一見、名詞のように見えても副詞のように振る舞う表現があるんですね。

英語の仕組みに関しては、こういった注意点を1つ1つしっかり確認して基礎固めをしていけば、比較的、短期間で英語脳の大方は完成してしまいます(←マジですか?)。やっぱり、あれこれと不安を抱えながら英語を話すよりも、自信を持って話したいですもんね。自分の英語を自己分析する力を養いましょう。

●関連: EG39

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英語学習法(39)

2004年12月28日 | 副詞
副詞の基本です。まず、日本語との違いから出発します。以下、見ましょう。

(1)<速く>走る

日本語の場合、形容詞の「速い」が活用して、「速く」になれば、(1)にあるように、動詞にかかることができるようになります。これを、国文法では、「連用形」になる、とか言いますが、基本として、英語には、そもそも、そのような発想がありません。そういった事情で、連用形の「速く」に相当するものを、英文法の品詞分類では、「副詞」と呼んでいます。ですので、最初から、日本語の連用形のような活用自体がなく、副詞は、もとから、副詞として存在しています。

それと、英語における副詞の役割は、もちろん、(1)の日本語のように、動詞にかかる、というような側面もあるのですが、加えて重要となるのが、基本となる文型、つまり、英語の「骨格」となるカタチに依存するということです。英語の副詞は、あれやこれや、深く考察するとややこしい機能をもっていますが、識別の仕方として、文のカタチから見た場合は、比較的、簡単に見分けることができます。

(2)Tom runs. (トムは走る。)
(3)Tom runs <fast>. (トムは<速く>走る。)

(3)の< >の部分が副詞です。(2)は、主語‘Tom’「トム」と、動詞‘runs’「走る」から成る文ですが、これに、何らかの付加情報を加えたいときに、(3)の<fast>のように、副詞が活躍します。副詞は、あくまでも、文の骨格となるものに対して、付加的な情報を提供する役割を担っているだけなので、何かに依存する (かかる) ことが前提となる表現です。ですので、(2)のような、骨格となる文が前提となって、初めて、副詞が存在する価値を認められることになります。それと、あともう1つ、決まりごとがあります。

(4)Tom is a runner. (トムが走者である。)
(5)Tom is a fast runner. (トムが速い走者である。)

(4)の‘runner’「走者」に対して、付加的な情報、‘fast’「速い」を加えると、(5)になりますが、その機能がちょっと異なります。(3)では、<fast>「速く」が、‘runs’「走る」に、依存して (かかって) いるのに対して、(5)では、‘fast’が、‘runner’に依存して (かかって) います。‘runner’は名詞ですが、英文法のルールでは名詞にかかるものを副詞とは見なしません。(5)の‘fast’は形容詞としての扱いを受けます。そこで(6)が成立します。

(6)副詞は名詞や、それに類するものにかかることはない。
  名詞(類)にかかるのは形容詞である。

副詞は、もとからある文の情報を、さらに濃くするためにあるので、よりかかる対象が必要である、ということに加えて、(6)にあるような、副詞と形容詞の機能上の違いを認識していれば、もう基本は、OKです。

(7)John was kicked. (ジョンは蹴っ飛ばされた。)
(8)John was <strongly> kicked. (ジョンは<強く>蹴っ飛ばされた。)

受身文 (EG35、参照) は、もとになる能動文からの変形ですが、(7)のように、「主語 (John)+‘be’動詞 (was)+過去分詞 (kicked)」が、構成材料となってつくられるのが基本ですので、そういった材料は、英文の骨格なわけです。ですので、(8)を見たときに、<strongly>は、受身文の骨格とはならず、副詞だなと、すぐにわかりますね。(8)では、<strongly> は、意味的に‘kicked’に依存して(かかって)います。

(9)Tom runs <<very> fast>. (トムは<<とても>速く>走る。)

(9)は、(3)に、更なる情報を付加した文です。単なる「速く」よりも、「とても速く」の方が、意味内容が濃いですもんね。(9)の場合、<very>が<fast>にかかっています。<very>は文の骨格に使われる材料ではありません。そして通常は名詞にかかることもありません。つまり、副詞であり、<<very> fast>では、副詞‘very’「とても」が、副詞‘fast’「速く」にかかっているわけです。ルール(6)は、副詞が副詞に依存する関係を妨げるものではありませんので、(9)がOKなんですね。

(10)Mary got the ring. (メアリーはその指輪を手に入れた。)
(11)<Fortunately>、Mary got the ring. 
  (<運良く>、メアリーはその指輪を手に入れた。)

(10)では、「主語 (Mary)+動詞 (got)+目的語 (the ring)」で、文の骨格となりますので、(11)の<Fortunately>「運良く」が、付加情報となり、副詞です。この場合、ポイントは、<Fortunately>の及ぶ勢力範囲です。(3)、(8)、(9)では、副詞が、意味的に文中の一部に依存するケースでしたが、(11)では、<fortunately>の意味が、文全体に依存しています。つまり、‘Mary got the ring.’全体を依存の対象としているのです。これは、意味的な面から、大体見当がつくでしょうから、ここでは、副詞の勢力範囲は、意味に応じて広がることがあると理解しておけばOKです。

と、ここまで言って、以上のような例からだと副詞は一見、簡単そうに見えるんですが、それは日本語的な感覚で意味の面からのみ処理していれば、大体わかってしまうことがあるからです。こういったわけで、それで理解は十分と勘違いしてしまうケースがよく見受けられます。

しかし、英語の場合、意味だけでなく形式 (カタチ) 的な面からも、判断する練習が大事です。英語の、副詞と文の骨格の識別は、日本語以上に、その文法性に密接に関わってくるので、練習を怠ると、結果として、かなり中核的な部分で、英語脳の形成が破綻してしまいます。

今回のポイントは文中の「依存関係」、すなわち、骨格と、その骨格に依存する副詞の、相対関係をカタチの面から見抜くことにあります。英語では、この関係を見抜く練習をした方が、意味的な面から勘にたよって判断するよりも格段に上達が早いことは上級者ほどよくわかっていることなのです。ここで手抜きは絶対にしないようにして下さい。他のポイントは、またの機会にでも。

■注1 :英語の副詞にも活用がないわけではありません。ただし、‘fast、faster、fastest’のような、比較級・最上級での活用になりますので、国文法における、「連用形」のような活用とは、無関係なものになります。

■注2 :学校で習う場合は、副詞は、基本5文型(文の骨格となるもの)、「S+V」、「S+V+C」、「S+V+O」、「S+V+O+O」、「S+V+O+C」のいずれにも属さないもの、というような教わり方をします。これら、骨格となる文型、(基本5文型)自体が短くても、付加されている副詞要素の、多い・少ないが、文の長短を決定している場合がありますので、この点、注意が必要です。


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英語学習法(38)

2004年12月27日 | 不定詞
不定詞の基本です。あの‘to’の後に動詞の原形がくっつく形ですね。不定詞は‘to’がない原形だけのものもあるんですが、今回は‘to’付きの場合ということで。しかも、文法的に変種もいっぱいありますので、特定の用法、「名詞(的)用法」と呼ばれるものに絞ります。以下、見ましょう。

(1)I want to eat steak. (ステーキ食べたい。)

(1)で、‘want’は他動詞(目的語を取る動詞)の扱いを受けています。ですので、目的語が必要なんですけど、‘to eat ~’にあたかも名詞のようなステイタスを与えて、目的語の役割をはたしてもらうというのがキモなんですね。

日本語の場合、「食べ(る)」と「~(し)たい」を合体させると、「食べたい」になるという発想ですが、英語の場合は、‘to eat’「食べること」と‘want’「欲する」を合体させて‘want to eat’にするわけです。ですので、ちょっと、ギコチない解釈ですが、「食べることを欲する → 食べたい」が初心者には理解しやすいかも知れないですね。類例を見ましょう。

(2)I tried to drink wine. (ワインを飲むことを試みた。→ ワインを飲もうとした。)
(3)I remember to go there. (そこへ行くことを覚えておく。→ 忘れずにそこへ行く。)
(4)I forgot to do my homework. (宿題をすることを忘れた → 宿題やり忘れた。)
(5)To see is to believe. (見ることは信じることだ。 → 見りゃ信じるようになるさ。)

というように、名詞用法の基本は、日本語の「~こと」に対応させて考えるとわかりやすいと思います。しかし、あくまでも英語の側ではそのような都合は考慮していませんので、これは非常にありがたい、単なる偶然である、ということを肝に銘じて下さい。

(6)I learned to like the cat. (そのネコを好きになった。)
(7)I pretended to be sick. (病気のふりをした。)

(6)の‘learn to’「~(する)ようになる」や、(7)の‘pretend to’「~(する)ふりをする」のように、「~こと」に対応させにくい表現もあります。しかし、やはり基本はこれらの不定詞が「目的語」と見なされ、結果として名詞的に振る舞っているということに違いはありません。ですので、最終的には、(2)~(7)のこういった動詞に不定詞が付く場合はこんな感じで理解するのだなと軽く考えながら練習するのがベストです。

それと、主語ではなく、目的語になる場合の不定詞は慣れることが何よりも重要で、あまり勝手に予測しながら文をつくることはおすすめできません。

(8)a. I finished to read the book.(×) (その本を読み終えた。)
   b. I finished reading the book.(〇) (訳同上)

(9)a. I gave up to marry Mary.(×) (メアリーと結婚なんて諦めちゃったよ。)
   b. I gave up marrying Mary.(〇) (訳同上)

‘-ing’の形は、ときに不定詞と衝突することがあるので要注意です。これは、どっちが正しいかは該当する述語に対して、逐一、覚えていかなければならないので面倒くさいんですけど、諦めましょう(泣)。

‘-ing’と不定詞の概念上の違いに関しては、何とか楽に習得したいと思うものです。そこで、しのぎを削るように躍起になってゴチャゴチャと説明がなされている解説書が氾濫しているんですけど、残念ながら、どれも百発百中の予測力を誇るというわけではないので、大雑把に参考しておく程度にして金科玉条にはしない方がよいと思います。

不定詞の難しさは、形が一定している割には意味のバラエティが非常に豊かなので意味をどう取ってよいのかわからなくなることが多いというものです。その中でも名詞用法は比較的手を付けやすい部類ですが、上記のような暗記ものが多いのも事実なので注意して下さい。

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英語学習法(37)

2004年12月26日 | 不定詞
「不定詞」と呼ばれるものを扱います。入門編です。以下、見ましょう。

(1)swim (泳ぐ)
(2)to swim (訳同上)

(1)は‘swim’「泳ぐ」という、ただの動詞です。一方、(2)は、「前置詞‘to’+動詞‘swim’」で、‘to swim’になっています。(1)は、原形動詞であり、そのカタチは、別に、「三人称・単数・現在」の‘swims’と変化したりしていませんが、このように、原形のままの姿である動詞を、別名、「原形不定詞」と呼んだりします。

一方、(2)ですが、前置詞‘to’に、原形動詞 (原形不定詞) をくっつけて、「‘to’不定詞」と呼んだりします。‘to’不定詞は、前置詞‘to’の後に、名詞ではなく、例外的に、動詞がくっつくのが特徴で、(2)のようなカタチのままでも、別に非文法的ということではありません。ですので、‘to’の後に原形動詞があったら、それは、‘to’不定詞という、りっぱに文法的なカタチだと思えばよいのです。

(3)to swims (×)
(4)to swam (×)
(5)to swum (×) 

(3)~(5)は、全てアウトです。(3)では、‘to’の後に、「三人称・単数・現在」の‘swims’をくっつけたのですが、これがアウト。(4)では、‘to’の後に、‘swim’の過去形‘swam’をくっつけたのですが、これもアウト。そして、(5)では、‘to’の後に、‘swim’の過去分詞‘swum’をくっつけたのですが、これも、やはり、アウトです。

以上から、トータルでわかるのは、不定詞と呼ばれるものは、常に、動詞の原形であるか、または、それに、‘to’がくっついたものであるかの、どちらかでしかなく、それ以外は、あり得ないということです。ですので、結構、不定詞のカタチの可否を判断するのは簡単なんですが、そのカタチが、あまりにも単純すぎて、問題が起こってしまうこともあります。

(6)to swim yesterday (×) (昨日、泳いだ)

(6)はアウトです。問題は、不定詞である‘to swim’に、‘yesterday’を付け足したことで発生したのであろうということは、一目瞭然なんですが、それが何で悪いんだ、という疑問が起こるわけですね。というのも、(4)から明らかなように、もともと、不定詞には過去形が使えないからです。

不定詞は、過去形を使ってはいけない、とされているわけだから、不定詞の場合、(6)のように表現するのは仕方ないことなのではないか、と思えるわけです。しかし、事実上、アウトになるわけですから、不定詞で過去のことを表現するのを諦めるか、または、別の抜け道を模索するかしかありません。

(7)to have swum yesterday (〇) (訳同(6))

そこで、(7)ですが、これはOKです。(7)は、実質的に、アウトである(6)の代替として使われるカタチで、特徴としては、「‘to’+‘have’+過去分詞」で、‘to’の後が、「完了形」と全く同じ姿をしている、ということです。このやり方だと、‘have’が常に動詞の原形であるため、(4)や(6)のような矛盾を引き起こさない、というメリットがあります。

(8)John has swum yesterday. (×) (ジョンは、昨日泳いだ。)

しかし、その一方で、(8)はアウトです。完了形の決まりごととして、よく説明されることですが、完了形は、過去の一点を表す‘yesterday’のような表現とは共起できない、というルールがあります。つまり、(7)は、カタチとしては完了形の姿をしてはいますが、‘yesterday’と共起できるという点において、実質的に、(8)のような完了形とは似て非なるもの、ということになります。

(9)I have studied English since last year. (〇) (私は、昨年から英語を勉強しています。)
(10)to have studied English since last year (〇) (昨年から英語を勉強している)

(9)では、完了形と共起するのが特徴である‘since ~’「~ 以来」を使って、‘since last year’「昨年以来」となっていますが、一方、(10)においても、同様に、「‘to’+‘have’+過去分詞」である、‘to have studied ~’「~ を勉強している」と共に用いても、何の問題もなくOKになります。

つまり、(10)の場合は、「‘to’+‘have’+過去分詞」のカタチで、(7)のように過去のことを表現しているのではなく、(9)と同様に、そのまま完了形として使われていることになります。ですので、結果的には、「‘to’+‘have’+過去分詞」は、「過去形の代替」と「完了形」の2つの表現が可能なカタチである、ということになります。

(11)John may succeed in life. (ジョンは、出世するかも知れない。)
(12)John might succeed in life. (訳同上)

(11)では、助動詞の‘may’「~ かも知れない」が使われ、一方、(12)では、‘may’の過去形‘might’が使われていますが、しかし、日本語訳は、(11)も(12)も同じで、特に、(12)の過去形‘might’は、単純に、「~ だったかも知れない」というような、過去を表現するような日本語訳にはなりません。

この場合、一応、表面上は、(11)も(12)も同じ日本語訳になるとは言っても、実質的には、(11)の場合、ジョンの出世は、事によると、あり得るかも知れない、と言っているのに対し、一方、(12)では、心にもないことだが、天と地がひっくり返るような事態でも起これば、そりゃジョンの出世だってあり得ますわな、と無内容な例えを表現する場合ですから、(11)と(12)は、結構、大きな意味の違いがあります。

しかし、いずれにせよ、(12)の過去形‘might’は、「~ だったかも知れない」というような、過去を表現するような日本語訳にならないわけで、だとすれば、どうやって、「~ だったかも知れない」を表現すればよいのか、という問題になります。

(13)John may have succeeded in life. (ジョンは、出世したかも知れない。)
(14)John might have succeeded in life. (訳同上)

(13)では、やはり、助動詞の‘may’が使われ、一方、(14)では、‘may’の過去形‘might’が使われていますが、しかし、共に、「‘have’+過去分詞」のカタチが後に続いているという共通点があります。そして、どちらも、「~ したかも知れない」という日本語訳にすることができる点も共通しています。

つまり、過去のことを言い表せる部分は、実質的には、「‘have’+過去分詞」のカタチの方が主導権を握っていると思われます。つまり、(11)対(12)と(13)対(14)のコントラストからは、‘may’と‘might’の意味の差は、「現在・過去」の違いではなく、現実的にクリアする可能性のある「条件」であるか、それとも、単なる、途方もない「仮定」であるかの違いでしかない、ということになります。

ここに、‘might’が過去形と呼ばれているが故のトリックが潜んでいます。今回扱わなかった他のケースも総合的に考慮すれば、‘might’を過去形と呼んでも、特に問題はないのですが、少なくとも、(12)と(14)の場合は、過去形という呼び方が、どうしても、正しい判断を曇らせる原因になってしまいます。

ここで、話を不定詞に戻すと、助動詞には、様々なタイプのものがありますが、最も標準的には、‘will’、‘may’、‘must’などのように、後には、動詞の原形しかこれないので、過去形が過去としての意味を成さないような(12)や(14)の場合、「過去形の代替」として、「‘have’+過去分詞」のカタチが登場する、というわけなんですね。 (助動詞のタイプ分けに関しては、EG12、EG13、EG14、参照。)

もちろん、(11)~(14)のように、‘to’が付いていなくても、結局、「‘have’+過去分詞」の‘have’は、原形不定詞という扱いを受けるだけなので、最終的には、不定詞の場合、‘to’不定詞であろうが、原形不定詞であろうが、単純な過去形は存在せず、過去のことを表現する場合は、「(‘to’+)‘have’+過去分詞」のカタチで過去形とする、という定義で決まりです。

今回のポイントは、不定詞の最も基本的な出発点として、不定詞のカタチについてです。英語の動詞は、例外なく、必ず過去形をもっている、という前提があります。そして、不定詞には、「原形不定詞」と「‘to’不定詞」という、2タイプのカタチが存在するものの、いずれも動詞を活用させない、というルールがあります。

動詞を全く活用させないことから、「三人称・単数・現在」や、過去形や、過去分詞といったカタチが定まらず、不定のままなので、「不定詞」という名前で呼ばれるのですが、だからと言って、過去の意味を表現する権利を奪うことまではできないところに、この不定詞の矛盾があったわけです。

ですので、「(‘to’+)‘have’+過去分詞」のカタチを用いることで、結果的に、動詞を活用させることなく、過去の意味を表現できるというアイデアが生まれたわけですが、ハッキリ言ってしまえば、これは、英語においては、種々雑多な意味の表現をまかなう上での、文法上の可能なカタチが貧困であることに起因するものです。

そして、これが同時に、文法上の可能カタチが、比較的、豊かな日本語との相性の悪さの原因でもあり、日本人からすれば、習得の厄介な盲点になっているわけですね。

●関連: EG12EG13EG14

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英語学習法(36)

2004年12月25日 | 否定
また否定文です。EG32って何かウソっぽ~い。だって、「部分否定」ってのがあるんだよ~。知らないの~?え!そんなものがあるんスか?どれどれ。ガーン!以下、見ましょう。

(1)Susan is not always happy. (スーザンはいつも幸せというわけではない。)

「部分否定」というのは、例えば、‘not always’(いつも~とは限らない)に代表されるような、‘always’「いつも、常に」という全ての場合において100%とされる事が前提になる表現に対して、大体の場合はそうかも知れないけど、たまにゃそうじゃない事だってあるんだよ、というように、100%をそれより下の確率に格下げする表現方法です。

「部分否定」という名前の由来は、‘not’のような否定語が、あたかも‘always’に直接かかる事で‘always’のみを否定している、というような印象がある事からきているようです。

しかし、EG32では否定語は「文全体(=文そのもの)」を否定していると述べ、「‘not’が~にかかる」とかいう説明自体がナンセンスであると言い切ったわけですから、(1)のような文があると、ストレートな反例があるではないか、と疑問に感じるわけですね。

でも(1)のような例でも、EG32の説明にとって取り立てて問題になる事はありません。(1)を平たく説明調に言うと(2)になりますね。

(2)Susan is not always happy. (「スーザンはいつも幸せだ。」は偽である。)

(2)の解釈法は、「スーザンはいつも幸せだ。」そのものを「偽」と考え、ではどこにその原因があるのかというと、「いつも」の部分ですよ、と捉えればよいだけです。だから、「・・・ はいつも~だ、じゃない → いつもとは限らない」となります。

ここで注意を要するのは、「いつもじゃない = いついかなるときでも~でない」と捉えてはいけないという事です。EG32では‘not’は「偽」のマーキングを施す仕事をしているだけだと言いましたが、そこから‘not’は「真逆」を述べると勘違いしてはいけません。

(3)I do not like George very much. 
(4)a. ジョージをあまり好きではありません。((3)の解釈として、〇)
   b. ジョージは全く好きではありません。((3)の解釈としては、×)

つまり(3)は、「ジョージをとても好きだ。」、はやっぱり「偽」やな~と考えて、ちょっと「とても」の部分が問題やな~とします。だから、「・・・ はとても~だ、じゃない」→「あんまり~じゃない」ならOKなわけです。

解釈の仕方として、美人じゃない、と聞くと、じゃブスだな、と思ってしまう人がいるわけで、これはただ単に心理的バイアスが働いてのこと(可もなく不可もない顔の場合もアリますんで)だから、コトバそのものの仕組みとは別個の問題なのです。ですので(4b)のような「真逆」解釈をしないように注意しましょう。

ここで本題の「部分否定」に戻って、やはり、否定文の基本は(2)の日本語訳(解説文?)なのです。(1)は一般的に‘always’にストレスを置くイントネーションになりやすい文ですから、学習者に対して、‘not always’をセットにして覚えさせた方が良いだろうという配慮からだと思われます。

しかし、実はこれは一時しのぎなやり方で、後々厄介な問題が出てきます。(3)もその1つで、‘not~very・・・’も「あまり~でない」と暗記することなく、EG32のやり方だとスッキリ理解できます。

(1)も実は、‘Susan’にストレスを置けば、「いつも幸せなのはスーザンではないよ(キャシーだよ)。」という解釈もOKなのです。だから、‘not always’のセットを金科玉条にしてしまうと、それ以外の解釈に関して動きが取れなくなってしまいます。ただし、そのような解釈にしたければ、‘Not Susan is always happy.’や‘It is not Susan that is always happy.’を普通は使うでしょうけど。

否定文を使っていると、ややこしい問題が随分と潜んでいるので、できるだけ簡単に構文化して暗記してしまいたくなるんですけど、ここから逃げない事が英語脳をつくる上での正念場です。頑張りましょう。

●関連: EG32

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英語学習法(35)

2004年12月21日 | 受身文
EG34の続きです。受身文の基本です。また、EC11でも大雑把に触れましたが、ちょっとネタを足してみます。以下、見ましょう。

(1)Everybody respects John. (みんな、ジョンを尊敬してるぞ。)
(2)John is respected _ (by everybody). (ジョンは、(みんなから) 尊敬されてるぞ。)

ご存知のように、(1)は能動文で、(2)は、(1)に対応する受身文ですね。能動文(1)の目的語‘John’が、主語の位置に移動して、‘respect’は、「‘be’動詞 (is)+過去分詞 (respected)」になります。 (下線部は、‘John’の移動によって空所になった位置)

この際、(2)の‘by everybody’「みんなによって」は、一応、(1)の主語である‘everybody’が、前置詞‘by ~’と共に、文の末尾に位置していると考えられますが、これはオプションとして扱われることが多いので、あってもなくてもOKです。このように、受身文は、必ず例外なく、「目的語」が主語位置に移動してつくられるという法則があります。

(3)受身文は「目的語」が主語の位置に移動することでつくられる。

受身文の法則(3)によれば、必ず、主語位置への移動の対象は、「目的語」ということですので、(3)を踏まえた上で、ここから、ちょっと発展的に考えるならば、「前置詞+名詞」の場合も、その名詞が目的語の扱いを受けていますので、以下のような受身文がつくれます。

(4)Mary spoke to Tom. (メアリーは、トムに話しかけた。)
(5)Tom was spoken to _ (by Mary). (トムは (メアリーに) 話しかけられた。)

能動文(4)からも、受身文(5)がつくられますが、(4)のような場合、‘speak to’「~ に話しかける」を、あたかも、1つの動詞 (他動詞) であるかのように考えて、前置詞‘to ~’を付けたままにしておくことがポイントとなります。

(6)Mary spoke Tom. (×) (メアリーは、トムに話しかけた。)
(7)Tom was spoken _ (by Mary). (×) (トムは (メアリーに) 話しかけられた。)

能動文(6)は、もともとアウトですが、(6)に対応する受身文(7)も、アウトです。これは、‘speak’が普通、自動詞 (他動詞のように目的語を取らない動詞) の扱いをうけるからで、前置詞なしでは、直接、目的語を取れない動詞だからです。

つまり、もとになる能動文がアウトであるなら、それに連動するカタチで、対応する受身文もアウトになる、という点で、能動文と受身文は、密接な関係をもっていると言えます。これを言いかえれば、変形は、もとが正しくなければ、それを派生させたものも、また正しくない、ということなんですね。

と、ここまで言って妙に簡単な印象を受けるんですが、日本語の発想から考えると、これまで述べてきたような、受身文における、この簡単な仕組みを、やけに難しくしているような部分があります。例えば、「~ と聞かされた」というような日本語の表現は、「~ された」で、受身文として考えて、よく以下のようにやってしまいます。

(8)I was heard [ that he had broken his arm ]. (×) 
  (私は [ 彼が腕を骨折したと ] 聞かされた。)

(9)Someone heard me [ that he had broken his arm ]. (×) 
  (ある人が私に [ 彼は腕を骨折したと ] 聞かせた。)

受身文(8)はアウトですが、ここで、考え方としては、受身文の法則(3)を、常に守ることを念頭に置かねばなりません。(3)があると、(8)に対応する能動文として、(9)がOKであるかどうかを、チェックしなければならないんですが、やはり、能動文(9)もアウトなのです。

つまり、‘hear’「~ だと聞く」は、(9)のように、「‘hear’+A (目的語)+‘that’節」というような使い方をしない動詞なのです。ですので、能動文(9)を正しいと思い込んで、受身文(8)をつくっても、アウトになるわけですね。

(10)I heard [ that he had broken his arm ]. (〇)
  (私は [ 彼が腕を骨折したと ] 聞かされた。)

そこで、正しいのは、(10)のように、‘hear’の直後に‘that’節を取るカタチです。日本語で、「~ と聞かされた」と表現されていても、よく考えてみれば、結局、それは、「~ と聞いた」と言ってるのと、実質的には同じことですから、英語の側では、「~ と聞いた」の方に近い発想で表現するんですね。では、類例をもう1つ。

(11)I was pointed _ out my fault (by someone). (×)
  (自分の落ち度を、(ある人に) 指摘されてしまいました。)

(12)Somebody pointed me out my fault. (×)
  (ある人が、私の落ち度を指摘しました。)

もう、おわかりだと思いますが、一応、受身文(11)が、なぜ、アウトなのかをチェックすると、(11)に対応する能動文(12)が、やはり、アウトだからです。‘point out’「~ を指摘する」という表現は、(12)のように、目的語を、2つは取れず、1つしか取れないので、以下のような受身文しかつくれません。 ((11)のような文に関連する解説は、EG21、参照。)

(13)My fault was pointed _ out (by someone). (〇) (訳同(11))

今回のポイントは、英語の受身文は、一般的に簡単と思われがちですが、日本人にとっては、いざ会話などで使うとなると、障害要因が多岐にわたり、思いの他、使いにくいということです。つまり、英文法の観点からは、ただ単に、(3)のようなルールを知っておけばよいだけなのですが、これに、日本語の発想が絡むと、かなりややこしい話になってくる、ということなのです。

今回、取り上げた受身文に対する日本語の障害要因は、まだ、ほんの一例にすぎず、また別の機会に扱いたいと思いますが、要するに、ここは、思い切って日本語の発想を捨てることが肝要で、踏ん張ってコツコツと、「能動文・受身文」の変形パターンという基本的なチェックを、常に念頭においてトレーニングするしか、英語脳を鍛えあげる方法はない、ということです。

今回は、英語の受身文にとっては、まさに日本語こそが大敵であるという一例だったわけですね。

●関連: EC11EG21EG34

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英語学習法(34)

2004年12月20日 | 受身文
受身文の入門編です。3つの要点に絞って、以下、見ましょう。

(1)John is loved by Mary. (ジョンは、メアリーから愛されています。)

(1)にあるように、‘~ is loved by ・・・’「~ は ・・・ から愛されている」のカタチの部分が受身文の最たる特徴です。ところで、‘loved’の部分は、一見、過去形に見えますが、実はそうではなく、「過去分詞」と呼ばれているものです。

(2)love-loved-loved

(2)は、動詞‘love’「愛する」の、言わば、活用ですが、こういった動詞の活用を学校などで習いますね。(2)の配列の順序としては、「原形 (love)-過去形 (loved)-過去分詞 (loved)」という順序で並んでいます。ですので、動詞の三段活用とでも言うべき語形変化が起こっているわけです。

そして、(2)では、2番目ではなく、3番目の‘loved’が過去分詞ですので、(1)の受身文で使われているのは、3番目の‘loved’の方なのです。と言っても、そんなの、2番目でも、3番目でも、結局、カタチは同じなんだから、どっちでもいいじゃない、と考えたくなりますが、まあ、他のケースもあわせて考えると、やはり、3番目と考えておいた方が無難です。

(3)A nice guy is chosen by a pretty girl. (いい男は、いい女から選ばれるものだ。)
(4)choose-chose-chosen

受身文(3)の‘chosen’ですが、(4)の三段活用を見ると、それぞれカタチが異なっていて、3番目のカタチでなければならないことがわかります。このように、動詞の三段活用において、「原形-過去形-過去分詞」が、全て違う語形をしているような、言わば、不規則変化の場合がありますから、やはり、3番目 (過去分詞) を選んで、受身文をつくる、ということをしなければなりません。

(5)John was loved by Mary. (ジョンは、メアリーから愛されていた。)
(6)John was chosen by Mary. (ジョンは、メアリーから選ばれた。)

次のポイントですが、(5)と(6)では、‘be’動詞が‘was’になっています。これは、もちろん、過去形なんですが、それにともなって、意味の方も過去の文になっています。つまり、受身文では、「‘be’動詞+過去分詞」というように、動詞が2つ並んでいて、その中でも、‘be’動詞の方が、時制に関する情報を担うことになっているわけですね。

これは、受身文で、動詞が2つ並んでいるとはいっても、実質的に、過去分詞の方は、三段活用の2番目、つまり、過去形ではないので、「過去」分詞と名前がついていても、過去のことを表せる資格は与えられていないことに起因するものです。ですので、残った‘be’動詞の方が時制についての仕事をするわけですね。

(7)John will be loved by Mary. (ジョンは、メアリーから愛されるでしょう。)
(8)John will be chosen by Mary. (ジョンは、メアリーから選ばれるでしょう。)

(7)や(8)からもわかるとおり、未来のことについて表現する場合は、さして特別なことをするわけでもなく、ただ単純に、助動詞‘will’を補ってやればよいだけです。もちろん、‘be’動詞は原形にします。これは、別に受身文に特有の規則ではないから、簡単ですね。では、以下が最後のポイントになります。

(9)John was killed by Mary. (ジョンはメアリーに殺害された。)

(10)John was killed by a gun. (×) (ジョンは拳銃で殺害された。)
(11)John was killed with a gun. (〇) (訳同上)

(9)の‘by Mary’のように、受身文の末尾には、一般的に、‘by ~’「~ によって」という前置詞の表現がきますが、常にそうとは限りません。(10)の‘by a gun’「拳銃で」はアウトで、一方、(11)の‘with a gun’がOKになっています。

これは、受身文の‘by ~’は、「行為者」に相当する表現しか取ることができないためで、拳銃のようなものは行為者ではなく、むしろ、「道具」であると考えられるからです。つまり、行為者が使用した道具、というような解釈になるので、以下のような表現も可能です。

(12)John was killed with a gun by Mary. (〇) (ジョンは、メアリーに拳銃で殺害された。)

(12)では、「道具」を表現した‘with a gun’と、「行為者」を表現した‘by Mary’を同時に使っています。ここで補足ですが、このような区別は、ヒトかモノかで判断されるような性質のものではないので、その点、注意が必要です。

(13)John was hit by a car. (〇) (ジョンは、クルマにはねられた。)

(13)のような場合、‘by a car’がOKになるので、クルマが行為者として表現されていることになります。ですので、実は、この辺の判断基準は、結構あいまいなもので、どことなく行為者と感じられるならば、‘by ~’を使って表現しようというものらしいのです。

この基準を大ざっぱに考えると、一見、道具に思えるようであっても、まるでヒトの意思が乗り移っているかのように感じられるような場合は、それを行為者と見なして‘by ~’で表現しようという発想です。確かに、クルマは、拳銃とは違って、運転者の意思で動かして操っている、という感じはします。

(14)John was surrounded by many buildings. (〇)
  (ジョンは、たくさんのビルに囲まれていた。)

しかし、(14)のような例にもなると、‘many buildings’「たくさんのビル」が、あたかも意思をもって、ジョンを囲んでいるかのように見なされるとは言っても、クルマとは違って、実際にビルを操っている人物などいるわけがないので、これは、もう比喩のレベルに達していると思われます。

(15)John was hit with a car by Mary. (〇) (ジョンは、メアリーにクルマではねられた。)

(15)はOKですが、可能な解釈としては、メアリーが、運転せずに押して転がしてきたクルマにジョンがはねられた、あるいは、怪力女のメアリーがクルマを持ち上げて、ジョンに投げつけて命中した、というような描写になるようです。つまり、「道具」という解釈は、ヒトが使うのを前提としていながらも、それが手からすぐに離せるような状態にある、ということが条件であったりするわけですね。

ここから、再度、(14)を考えると、ビルはヒトが使っていて、かつ、すぐに手から離せるようなものではありません。そこで、道具とは見なせなくなるので、改めて、行為者としての解釈が浮上してくるのではないか、と思われます。つまり、道具と見なせないようなら、消去法的に、行為者としての解釈を取る、というやり方なんですね。

今回のポイントは、受身文の入門編を、3つのポイントに絞って解説したということです。1つ目は、「‘be’動詞+過去分詞」というカタチが基本形であり、2つ目は、時制の主導権は‘be’動詞の側で担うということであり、そして、3つ目は、‘by ~’という前置詞表現は、どのような場合に別の前置詞と区別されるのか、ということです。

今回は、受身文のカタチを最初から使っていましたが、もちろん、能動文からの変形を説明しなくてはなりませんから、次回、また受身文を、変形という観点から扱ってみたいと思います。

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英語学習法(33)

2004年12月18日 | 
EG30の続きです。EG30では、‘when~’「~のとき」などの「時」に関係する表現は、同時に、「条件」を提示する内容になる文であることがわかりました。そこで、今回は、「条件」そのものを表す、‘if ~’「~ ならば」の文との比較をしてみたいと思います。以下、見ましょう。

(1) a. <When I see John tomorrow>、I will tell him the truth. (〇) (=EG30(1))
    (<明日ジョンに会ったとき>、ホントの事言おっと。)
   
   b. <When I will see John tomorrow>、I will tell him the truth. (×) (=EG30(2))
    (訳同上)

(2) a. <If it is fine tomorrow>、we will go on a picnic. (〇)
    (<明日晴れなら>、ピクニックじゃ。)

   b. <If it will be fine tomorrow>、we will go on a picnic. (×) 
    (訳同上)

(1a)が正しく、(1b)がダメな理由は、EG30で定義した通り、時に関係する、<接続詞+文>の中では、これから先のことを言おうとするのに、「未来」の‘will’は用いず、現在時制で表現する、というルールがあるからですが、どうやら、‘if ~’「~ ならば」の文の場合も、(2a)と(2b)を見る限り、‘when~’「~のとき」の場合と同じく、このルールに従うようです。

ここで、確認として、(2a)の場合も、カタチとしては、やはり、(1a)の、<when+文 (I see John tomorrow)>が、他の文である、‘I will tell him the truth’にかかっているのですが、これと同様に、(2a)の、<if +文 (it is fine tomorrow)>も、他の文である、‘we will go on a picnic’にかかるカタチになっているのがわかると思います。このように、「時」を表す、<接続詞+文>のカタチの場合と同じく、「条件」を表す、‘if ~’「~ ならば」も、接続詞であり、<接続詞+文>のカタチになっています。そこで、一応、以下のようなルールが成立します。

(3)「時」や「条件」を表す副詞節中では、これから先のことを言おうとするのに、
   「未来」の‘will’は用いず、現在時制で表現する。

とりあえず、(1a-b)と(2a-b)の文法性に関しては、英文法の解説本などを調べると、(3)のような定義になっていて、これが、スタンダードなものとなっています。定義(3)では、EG30の定義(6)に、「条件」の概念が加わっているのがわかります。ちなみに、「副詞節」というのは、ここでは、< >で括られている表現のことです。 (EG44参照)

しかし、既に、EG30で確認した通り、(3)のように、「時」と「条件」の概念を、別々に述べて、あたかも、それぞれが、独立した項目であるかのように、理解するのは、本質的ではないと思われます。「時」に関係している<接続詞+文>は、過去のことを述べるときとは違って、これから先のことを述べようとする場合は、必然的に、「条件」を含んだ内容になっているからです。ですので、定義(3)の本質は、「条件」の概念が、ベースになっていて、付随的に、「時」に関係する表現も、「条件」の言いかえとして表せる、と見るのが正しいようです。

例えば、これから先、こうなったら、そのときには、かくかくしかじかのことをします、という文においては、ある「条件」にもとづいて、あることをする、と言っているわけですから、「~ とき ・・・ する」の、「~ とき」の部分が、一種の「条件」を提示していると言えます。ですので、そこで、「条件」という概念と、未来の‘will’との関わり合いを考えてみたいと思います。

(4) It will be fine tomorrow. (明日は晴れるだろう。)

(4)は、‘will’が使われていて、OKですが、普通、天気が晴れかどうかというようなことは、完璧な予測が不可能で、「予定」としては成り立ちません。このように、予測が不可能であったり、「予定」として成り立たないような表現は、‘tomorrow’「明日」といった、これから先のことを表す表現をともなうと、普通は、‘will’が必要となります。しかし、以下のような場合もあります。

(5) I will be twenty years old next month. (オレは、来月で20歳だ。)

(5)では、来月で20歳だ、ということを言っていますが、これは完璧に予測が可能です。だから、この場合の‘will’は、「単純な未来」を表現している、といえるのですが、OKなんです。ですので、予測が可能か否かということは、‘will’の出現可能性に対する基準にはなりません。そこで、(4)と(5)を、別の観点から考えると、(4)と(5)は、予測可能性に差はあるわけですが、共通点としては、どちらも、「話者の判断」が含まれている、と言えます。

(6)a. The queen、[ who opens Parliament tomorrow ]、may be detained
    at the airport. (〇)
    (女王様は、[ 明日、議会を開くが ]、空港で拘留されるかも知れない。)

   b. The queen、[ who will open Parliament tomorrow ]、may be detained
    at the airport. (×)
    (訳同上)

(6a)は、関係節である、カギカッコ内で、‘tomorrow’が使われていますが、‘will’のない現在形‘opens’で、OKです。しかし、一方で、(6b)は、関係節である、カギカッコ内で、‘will open’のカタチになっていますが、アウトなんです。

これは、‘will’が、「話者の判断」を含意している確かな証拠となるもので、(6a)は、‘opens’「開く」が、現在形ですが、現在形には、「予定」を含意させることは可能です。そこで、(6a)の現在形‘opens’は、単なる「予定」を表現していますので、女王の議会開催という「予定」が、くつがえされるかも知れない、と話者が「判断」することは、あり得るわけですね。しかし、(6b)では、話者自身が、‘will’を使って、女王の議会開催を確信するという、「判断」を下しているのに、一方で、それが妨害されるかも知れない、と「判断」するのは、意味的に矛盾することになります。

(7) It is fine tomorrow. (×) (訳同(4))

(7)は、(4)の‘will be’を、現在形‘is’にかえてみましたが、アウトです。これは、もちろん、天気を「予定」として組むことなど不可能だからです。これから先の天気を述べる場合は、「話者の判断」が含まれるのが当然と言えます。ここから、(5)の‘will’を考えると、話者が、生年月日を間違えていないなら、当然、来月で20歳になる、と確信する「判断」を下していると言えます。

ですので、結論として言えるのは、予測可能であるような「単純な未来」は、「話者の判断」という概念とは、お互いに独立した別個の概念であり、かつ、必ずしも、お互いが矛盾を引き起こすものではない、ということです。ですので、(5)にあるように、予測可能な単純未来でも、「話者の判断」が入り込むことは十分にあり得ます。

ここで、定義(3)にもどって考えると、「条件」の概念は、「話者の判断」含む‘will’を排除する、と言えるでしょう。(2a)がOKなのに、一方、(7)がアウトです。そして、(2b)がアウトなのに、一方、(4)がOKです。こういった逆説的なことが起こる原因は、「予定」としては成り立たない、「話者の判断」が必ず含まれる天気の予測に対して、「話者の判断」を排除した意味を、「条件」という概念が要求しているからに他なりません。

つまり、「条件」という概念は、「話者の判断」とは矛盾を引き起こす概念だと言えます。英文法の解説本にあるような定義(3)は、実は、ただ単に、英語学習者が、未来は‘will’で表現する、とだけ認識している場合が多いので、それにつられないようにするために、注意点を述べているに過ぎないもので、本来、正しい認識は、「条件」の概念は、「話者の判断」を排除する、というものです。定義(3)では、それを、「現在時制で表現する」とこっそり、言いかえているんですね。

(8) a. <If Mary must know John's affair>、she will go mad. (×)
    (<メアリーがジョンの浮気を知っているに違いないなら>、発狂モンでしょうね。)

   b.<If Mary knows John's affair>、she will go mad. (〇)
    (<メアリーがジョンの浮気を知っているなら>、発狂モンでしょうね。)

(9) a. <If John may be in his office>、I will go there. (×)
    (<ジョンが事務所にいるかも知れないなら>、そこまで行きますよ。)
   
   b. <If John is in his office>、I will go there. (〇)
    (<ジョンが事務所にいるなら>、そこまで行きますよ。)

(8a)がアウトなのは、もちろん、話者の強い推量 (つまり、「話者の判断」) を表す‘must’「~ にちがいない」が、< >内で使われているからです。さらに、(9a)もアウトですが、これも、もちろん、話者の推量 (つまり、「話者の判断」) を表す‘may’「~ かも知れない」が、< >内で使われているからです。

そこで、‘must’「~ にちがいない」や、‘may’「~ かも知れない」が、定義(3)に含まれていないのは、なぜなのかと言うと、(8a)や(9a)は、対応する日本語訳を見てもわかる通り、もともと日本語にしても、おかしいと感じられるからなんですね。日本語としては、(8b)や(9b)の日本語訳の方が自然な表現ですからね。ですので、始めから、英語学習者は、正しく、(8b)や(9b)の英語を使うだろうから、カン違いする可能性は低い、と考えられているわけですね。

今回のポイントは、英文法の定義(3)は、実は、典型的な日本人向けの注意書きのようなもので、本来の定義とは異なる、ということです。EG30では、「時」と「条件」の概念が、副詞節の中で重なり合うものである、という観察をした後、「条件」の概念に1本化される、ということを見ました。

さらに、今回、その「条件」の概念は、未来の‘will’というよりも、むしろ、「話者の判断」を排除する概念であることを見ました。この一般化の正しさは、(8a-b)と(9a-b)の各ペアの文法性からも支持されると思います。そして、助動詞‘will’は、(5)のような例ですら、純粋に単なる未来を表現しているのではなく、大なり小なり、「話者の判断」が混じっているということも注意点です。これは、未来のことは、現在や過去のこととは違って、「事実」としては成り立たないという、至極当然のことからくる帰結だからです。

■注1 :She'll be happy <if you will help her with her homework>.「<宿題やるのを手伝ってくれたら>、彼女は喜ぶでしょうね。」のように、<if+主語+動詞 ~>の主語が、自分でやろうと思えばできることに関しては、「主語の意志」を表す‘will’を使うことが可能です。ここから、(6b)の関係節、‘who will open Parliament tomorrow’ の中にある‘will’は、「話者の判断」ではなく、「主語の意思」、つまり、「女王様の意思」を表現して、「明日、議会を開くつもりでいるが」、という解釈ならば、OKにすることができます。

■注2 :よくある、定義(3)の詳しい説明として、定義(3)の副詞節の内容は、「確定」されたことを述べている、というものがありますが、以下の例からは、説得力に欠ける説明だと思われます。‘<If it is possible that John is in his office>、I will go there.’「<ジョンが事務所にいる可能性があるなら>、そこまで行きますよ。」、という文は、(9a)から、「話者の判断」のみを取り除いた、「可能性」に言及している文、と言えますが、OKになります。このように、「話者の判断」になりさえしなければ、「確定」されていない内容を表現する文であっても一向に構いません。


● 関連: EG29EG30EG44

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英語学習法(32)

2004年12月17日 | 否定
否定文の基本的な考え方です。以下、見ましょう。

(1)John did not break the watch yesterday. 
  (ジョンは昨日その時計を壊さなかった。)

普段はあまりよく考えない事が多いんですけど、(1)は、実は複数解釈があって基本的なものだけでも、以下のような解釈が可能です。

(2)実は(ジョンではなく)トムが壊したのだ。
(3)(昨日ではなく)今朝壊したばかりだ。
(4)壊したのは(その時計ではなく)ラジオなのだ。
(5)(壊したのではなく)ただ分解しただけなのだ。

英語では普通、(1)を(2)~(5)のどの意味で言っているかを、イントネーションによってコントロールします。(1)を(2)の意味で言うなら‘John’にストレスを置きます。同様に(3)なら‘yesterday’、(4)なら‘the watch’、(5)なら‘break’という風にストレスの置き方で(1)の解釈を決定します。

ここで注意して欲しいのは、(2)~(5)は「基本的な解釈」に過ぎないという事です。もっと複雑な場合もあります。例えば(2)と(3)を組み合わせた場合は、(1)は(6)の解釈も可能になります。

(6)ジョンが昨日壊したんじゃないよ。トムが今朝その時計を壊したんだよ。

一例として(6)のようなやり方がありますが、その他、(2)~(5)の組み合わせ方によっていくらでも複雑になります。と、ここまで言って、要するに何が言いたいのかと申しますと、標準的な否定文というのは、何も特別な仕組みは持っていないという事なんです。

普通、否定文というのは、ただ単に、肯定文に‘not’のような否定語を加えただけのものなので、これは「この文全体は真ではないんですよ、偽なんですよ~、その印に‘not’を置きましょうね~」っと述べているだけなんです。だから、否定語はただ単に「文全体(=文そのもの)」に対して「偽」のマーキングを施す仕事をしているだけであって、いわゆる、世間一般でよく議論される、「この文で否定されているのはどこどこの部分で・・・」などと特定する働きそのものは持っていないんです。平たく説明調に言うと、(1)は(7)ように言えます。

(7)John did not break the watch yesterday. 
  (「ジョンは昨日その時計を壊した」はどこかに誤りが含まれている。)

つまり、ここで本当によく誤解されているのは、「否定されている部分」や「打ち消されている部分」というコトバの使い方なんですね。違うんです。「文そのもの」が否定されて(というよりも、「偽」とされて)いるんです。そこで、その「偽とされている文」中のどこかに「偽とされる原因」があるので、英語の場合は、そこにストレスを置くようなイントネーションにしましょうね、っという事なんです。

否定文中の「偽とされる原因」は‘not’そのものによって決定されるわけではないので、話者がどのような意図を持って否定文を発したかは、どんな話題の中でその否定文が発せられたかを考慮して初めてわかるものです。

だから、よくある否定文の説明に対して今ひとつピンとこない原因は、「否定されている部分」や「打ち消されている部分」というコトバが、無意識のうちに「他の部分は肯定されている」という、ある意味で誤った逆発想を促してしまっているという事なんです。だから、「この‘not’は ~ にかかる」とかいう、見当ハズレな考え方をしてしまうんです。

例えば、(1)において、(6)の解釈のように、「偽とされる原因」が複数にわたる場合は、この、「~にかかる」が無力であることがよくわかります。(1)の、‘John’と‘yesterday’の両方に、‘not’が同時に「かかる」なんて変ですよね。

ところで、‘not’は、文法的には、「副詞」としての扱いを受けていますが、こういった点で、他の副詞とは決定的に性質が違います。ただ文の骨格となるような要素にはなり得ないので、とりあえず、カタチの上で判断すると、副詞として分類される、というだけのことなんですが、意味の面における機能では、上で述べたように、かなり特殊なステイタスをもっています。

この話のポイントは、基本的な否定文の発想そのものに誤解が蔓延しているのを根本的に正すところにあります。英語脳をつくるというより言語脳をつくると言った方が良いかも知れません。

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英語学習法(31)

2004年12月16日 | there構文
「~がある」という意味を表現する構文です。以下、見ましょう。

(1)The book is on the desk. (〇) (その本なら机の上にあるよ。)
(2)There is the book on the desk. (×) (訳同上)

‘there is/are ~’は「~がある」と習っているから、(2)もOKのような気がしますけど、(1)のみが正しいそうです。(2)は何が悪いんでしょうか。(3)~(6)を見ましょう。

(3)There is a book on the desk. (〇) (机の上に本があるよ。)
(4)There are two books on the desk. (〇) (机の上に2冊本があるよ。)
(5)There are some books on the desk. (〇) (机の上に数冊本があるよ。)
(6)There are many books on the desk. (〇) (机の上にたくさん本があるよ。)

(3)~(6)はどれもOKです。つまり本の数は関係ないという事らしいですね。じゃ(2)がダメなのは‘the’があるからという事か?もうちょっと詳しく見ましょう。

(7)There is Tokyo Dome at Korakuen. (×) (後楽園に東京ドームがあるよ。)

うぐぅ~。(7)は‘the’がなくてもアウトです。‘the’は関係ないようです。実は、(2)と(3)~(6)の相異点として言える事は、本が特定されているか否かです。でも、「特定」って何でしょうかね。大雑把に言うと、「唯一的に解釈できる」という事らしいです。

例えば、自動車ですと、トヨタのカローラは世の中たくさん走ってますけど、ナンバーが一致するカローラは一台もないですよね。つまり、「車種」として、クラウンでもない、ヴィッツでもない、マーチでもない、という意味では、「種類」ということになりますね。「種類」として捉えると、カローラという車種は、全国で何万台も走っていて、たくさんある事になります。

しかし、今度は、金井さんのカローラ、山本さんのカローラ、金剛寺さんのカローラというように、「個体」として捉えると、もともと1つしかないものだから、数える事自体に意味がありません。だから、「特定」とは大雑把に言えば、「固体性(あるいは、固有性)を持つ(=唯一的に解釈できる)」と考えられそうです。

「特定されていない」ことを、言い換えると、「不定である」、とも言えます。「種類」を述べているときのカローラは、個別的に特定されていない、という意味で、「不定である」とも言います。「リンゴをたくさん食べたよ。」というときのリンゴは、「ミカンじゃないよ。」、という「種類」に対する言及ですから、「不定」ということになりますが、「花子のリンゴ食べちゃったよ。」というときは、どんなリンゴであるかが、特徴付けられていますので、「特定」されていますね。もう一度、カローラを例にとって、(8)と(9)で比較してみましょう。

(8)There are a lot of Carollas in Japan. (〇) 
  (日本はカローラが多いよね。)

(9)There is Mr. Yamada's Carolla in the park. (×) 
  (公園に山田さんのカローラがあるぞ。)

(8)では、もちろん、「車種」、つまり「種類」としてのカローラのことを言っています。だから、「でも、クラウンはそれほどでもないよ。」などと続けることができます。この場合、カローラという車種とクラウンという車種が比較されているわけです。しかし、どのようなカローラかは特徴付けられていませんので、「不定」になります。このような場合に、‘there is/are ~’を使った文はOKです。

(9)では、「伊藤さんのカローラには見えないよね。」などと続けることができます。つまり、カローラという車種の中でも、その一台、一台に見出される差異、特性、個性などを判断することで、特徴付けられていますので、唯一のものとして、「特定」されているわけです。このような場合に、‘there is/are ~’を使った文はアウトになるのです。

というわけで、結論として、「特定される(=唯一的に解釈される)」ものは、‘there is/are ~ ’には使えないようです。(2)がダメなのは、‘the’が付いてしまうと特定物と見なされる事が多いので、‘there is/are~ ’の構文には不向きという事なんですね。でも、そういう場合は(1)のような表現をすれば問題ないので、御安心を。では、(7)と(9)を正しい文にしてみます。

(10)Tokyo Dome is at Korakuen. (〇) (訳同(7))
(11)Mr. Yamada's Carolla is in the park. (〇) (訳同(9))

今回のポイントとしては、ただ単に、「~ がある」という日本語から、即座に‘there is/are~ ’の構文を直接の置き換え公式のように捉えてしまうのは、残念ながら、安直な発想でしかないということです。この構文自体は中学校で習うようなものなので、簡単なものだと、タカをくくってしまう人が多いことから、詳しく見てみることにしましたが、「特定」と「不定」のイメージをしっかり理解していないと、使いこなせないことがわかったと思います。実は「特定」という概念は、冠詞の‘a’、‘an’、‘the’、を理解する上でも、とても重要な概念なので、もちろん、「英語脳」的には重要な概念と見なします。必ずマスターして下さい。

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英語学習法(30)

2004年12月14日 | 
EG29の続きです。‘when~’「~のとき」の使い方の注意点です。これから先のこと、未来のことを言おうとする場合も、‘when~’が使えますよね。以下、見ましょう。

(1)<When I see John tomorrow>、I will tell him the truth. (〇) 
  (<明日ジョンに会ったとき>、ホントのこと言おう。)

(2)<When I will see John tomorrow>、I will tell him the truth. (×)
  (訳同上)

(1)と(2)の違いは、< >内の‘will’の有無しかありません。明日のことだから、確実に、「未来」のことなんですけど、‘will’がある(2)が、ダメなんです。これは厄介ですが、当面は、‘when~’が疑問詞の「いつ」ではなく、明らかに、「~のとき」の意味をもつ場合は、そういうものなんだなと思って、(1)のような文で反復練習をするのがよいと思います。

って、それじゃ無責任だ、と言われてしまうので、とりあえず、説明らしきことを申しますと、‘when ~’「~ とき」は、もちろん、「時」に関係する表現ですね。このような場合、その、「~ とき」の、「 ~ 」の部分には、「未来」を表す‘will’が入り込めない、というルールがあるんです。そこで、とりあえず、「時」に関係している他の表現も、見てみたいと思います。

(3) a. I will finish it <before you come home>. (〇)
   (<あなたが帰る前に>それを済ましておきます。)

   b. I will finish it <before you will come home>. (×) (訳同上)


(4) a. Wait here <until I return>. (〇) 
    (<戻って来るまで>ここで待ってて。)

   b. Wait here <until I will return>. (×) (訳同上)


(5) a. Please lend the book <after you read it>. (〇) 
    (<読んだ後で>その本貸してよ。)

   b. Please lend the book <after you will read it>. (×) (訳同上)

(3a-b)~(5a-b)の各ペアでの、‘before~’「~ の前に」、‘until~’「~ まで」、‘after~’「~ の後で」は、‘when~’「~ とき」と同じく、「時」に関する表現ですね。これら、「時」に関係している表現は、全て、EG29で述べたように、‘when’「~ とき」と同じような使い方をする、特殊な接続詞です。

そして、(3a-b)~(5a-b)の各ペアにおいて、(a)がOKで、(b)はアウトになっています。この理由は、(2)がアウトになる理由と全く同じで、‘when ~’と同じく、「時」に関係する接続詞を用いているからなんです。そこで、EG29で説明したのは、‘and’「そして」や、‘but’「しかし」などとは、性質の異なる接続詞があり、<接続詞+文>で、1つのカタマリを成す表現方法が英語にはある、ということでした。そういった接続詞が、「時」に関係のある表現だと、そのカタマリの中では、未来を表す‘will’は使えない、ということになっています。

ところで、これら、「時」に関する接続詞の中身を、もう少し、詳しく見てみると、ある一定の傾向があることに気付きます。例えば、これから先、こうなったら、そのときには、かくかくしかじかのことをします、という文においては、言いかえれば、ある「条件」にもとづいて、あることをする、と言っているわけです。ですから、‘when ~’「~ とき」を使って、「~ とき ・・・ する」を表現する際は、「~ とき」の部分が、一種の「条件」を提示していると言えます。

そこで、(1)の場合は、「明日ジョンに会う」という、条件が成立したら、そのときは、という解釈になる、ということですね。そして、同様に、(3a)の、‘before~’「~ の前に」、(4a)の、‘until~’「~ まで」、(5a)の、‘after~’「~ の後で」も、‘when~’「~ とき」と同じく、一種の「条件」を提示していると言えます。

(3a)だと、< >内で、この先、「あなたが帰る」という条件が成立したら、その前に、ということになります。(4a)では、< >内で、この先、「私が戻って来る」という条件が成立したら、そのときまで、ということですね。(5a)では、< >内で、この先、「あなたがその本を読む」という条件が成立したら、その後で、ということになります。

つまり、なぜか、「時」に関係する、<接続詞+文>のカタマリを成す表現には、常に、「条件」という概念が、付きまとうのです。このことに関しては、もう少し、詳しく見ていく必要がありそうなので、別の機会に回しますが、とりあえず、以下に、今回、明らかになったルールを述べておきます。

(6)時間に関係する、<接続詞+文>の中では、これから先のことを言おうとするのに、
   「未来」の‘will’は用いず、現在時制で表現する。

今回のポイントは、これから先のことを言おうとするのに、なぜか、未来を表す助動詞‘will’を用いることができなくなるようなケースがある、ということです。そして、このようなことが起こる文法的な要因は、EG29で扱った、<接続詞+文>というカタマリをつくって、他の文にかかる、日本語の接続詞にはない、特殊な接続詞にあります。

そして、さらに、この<接続詞+文>のカタマリの中の接続詞が、意味的に、「時」に関係する表現である場合、結果的に、そのカタマリとなる文は、「条件」を提示する内容になっていて、これが、未来を表す‘will’を排除するのは、偶然そうなっているとは思われない何かがある、ということです。この「条件」の概念と、未来の‘will’との関わりは、また別の機会に詳しく見ていきたいと思います。 (EG33に続く)

■注1 :今回の、‘when ~’「~ とき」の文の中での、‘will’の有無に関しては、「いつ」の意味になる疑問詞‘when’との区別が重要です。‘I don't know when John will come.’「いつジョンが来るかわからない。」の文はOKになります。この場合、明らかに、疑問詞‘when’「いつ」が使われているので、このような場合は、未来の‘will’を用います。

■注2 :今回扱った、<when+文>の部分を、文法的には、「副詞節」と言います。詳しくは、EG44を参照して下さい。


● 関連: EG29EG44

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英語学習法(29)

2004年12月12日 | 接続詞
「~ するとき、 ・・・ だ。」という表現です。ご存知のように、‘when~’「~ とき」を使いますね。実際、もう本当に頻度が高い表現です。でも、見落とされがちなポイントがあることも事実です。以下、見ましょう。

(1)ボクは高校生だった。
(2)ボクは野球部に入っていた。
(3)<ボクは高校生だったとき>、野球部に入っていた。

(1)と(2)の日本語を、同時期のことだと考えて、「~とき」という表現を用いてつなぐと、(3)が完成しますね。このときの注意点は、「~ とき」が、(1)の日本語の「末尾」にくっ付くということです。ここで、(1)と(2)を、それぞれ英語で表現すると、以下のようになります。

(4)I was a high school student. (訳同(1))
(5)I belonged to the baseball club. (訳同(2))

次に、(4)と(5)の英語をつなぎ合わせて、(3)の日本語に対応する意味になる英語をつくろうとすると、‘when ~’「~ とき」を用いることになります。この‘when ~’には、ある文を、他の文と接続するはたらきがあるわけですが、以下のようになります。

(6)<When I was a high school student>、I belonged to the baseball club. (訳同(3))

日本語(3)を、英語で表現すると、(6)のようになりますが、(6)の< >で括ってある表現は、日本語(3)の、< >で括ってある表現に、直接対応しています。しかし、ここでポイントとなるのは、日本語の「~とき」と、‘when ~’の位置の違いです。(3)で確認したように、日本語の「~ とき」は、< >内で、その末尾に位置していますが、英語(6)では、‘when ~’が、< >内の先頭に位置しています。この日本語と英語における逆語順は、誤解のもとになりやすく、なかなか初心者泣かせな部分です。その誤解の代表例として以下のようなものがあります。

(7)I was a high school student when I belonged to the baseball club.
(8) a. ボクは高校生だったとき、野球部に入っていた。 (×)
   b. ボクは野球部に入っていたとき、高校生だった。 (〇)

(7)は、(8a)の意味には解釈できません。ただし、(8b)の意味でなら、OKになります。 (ちょっと変な意味になりますが) つまり、(3)と(6)の< >部分の対比から明らかなように、日本語の「~ とき」と、英語の‘when~’は語順的に全く逆であることが、文法のルールとして意識されていないと、誤って、(7)を(8a)のように解釈してしまうのです。

(9)I belonged to the baseball club <when I was a high school student>. (訳同(3))

(6)は、(9)のように表現しても同じ意味になります。‘I belonged to the baseball club’と、<when I was a high school student>の部分は、基本的には、左右語順を入れかえても構わないのです。つまり、‘when ~’と、それが先頭にくっ付いている文は、1つのカタマリと見なされます。そして、<‘when’+文>という、1つカタマリは、つながる相手となる、もう1つの文に対して、(6)のように、前からくっ付いても構わないし、また、(9)のように、後からくっ付いても構いません。

ですので、こういった英文法のルールからは、(7)のような文は、< >を用いて示せば、‘when’以下を、<when I belonged to the baseball club>という風に、1つのカタマリと見なしてしまうのです。(7)が、(8a)の解釈にはならずに、(8b)の解釈となるのは、①・<‘when’+文>のカタチで1つのカタマリとなる、ということと、②・<‘when’+文>のカタマリは、もう1つの文に対して、前からでも、後からでもくっ付いてよい、という、2つの理由によるものです。

ここで、なぜ、初心者が(7)を(8a)のように、誤解して解釈してしまうのかというと、その原因は、‘when‘「~ とき」が、文法用語の「接続詞」というコトバで表現されているという点にあります。一般に、国文法の接続詞というと、「そして」や、「しかし」などが連想されます。もちろん、「A、そして B」や、「A、しかし B」などには、直接対応する英語として、‘A and B’や‘A but B’などがありますから、このような例においては、概念的に、ほぼ間違うことなく、マスターできると思います。

しかし、英語の接続詞には、ちょっとした文法上の種類分けがあって、‘when ~’は、‘and’や‘but’とは性質が異なる接続詞と見なされているのです。‘when ~’は、(4)と(5)のような文をつないで、(6)や(9)をつくる、という意味では、確かに、文と文が「接続」されていますから、「接続詞」と言えるのでしょうが、国文法の接続詞のイメージをもっている初心者の人たちからすれば、ちょっと誤解の原因となってしまいます。

理解のポイントしては、‘and’や‘but’によってつながれた文とは違って、<when+文>のカタチは1つのカタマリとなって、もう1つの文に対して、寄りかかるような、いわゆる、「依存関係」がある、ということです。日本語(3)の< >の表現は、それ自体では、独立できないもので、常に、もう1つの文に、「寄りかかる」ということをしなければなりません。これと同じく、ある文が他の文に寄りかかる、という依存関係が、(6)や(9)の英語でも表現されています。

今回のポイントは、英語の接続詞には、‘A and B’や‘A but B’とは性質が異なるものがあるということです。‘when ~’「~ とき」を、このような接続詞と同じように考えてしまうと、(7)を(8a)のように、誤って解釈してしまいます。これは、本来、便利なはずの文法用語が、時に誤解を生じさせるという、代表的な例です。初めて英語を習う際に、(6)のような文から‘when’が「接続詞」だと言われても、ピンと来ないのは当たり前ですよね。

ちなみに、‘when ~’「~ とき」の仲間となる接続詞には、‘before ~’「~ 前に」、‘after ~’「~ 後で」、‘while ~’「~ している間」、‘until ~’「~ まで」、‘since ~’「~ 以来」、などがあります。これに関する詳しい話は、またの機会にでも。 (EG30に続く)

■注1 :英文法の用語で言うと、‘and’「そして」や‘but’「しかし」は、「等位接続詞」と呼ばれています。これは、‘A and B’や‘A but B’の、A と B を、文法的に等価である、と見なすためです。一方、‘when ~’「~ とき」は、「従属接続詞」とか「従位接続詞」と呼ばれています。これは、‘<when A>、B’「A のとき B だ」や、‘B <when A>’「A のとき B だ」には、常に、「主従」の関係があり、 B が、「主」(柱となるもの)で、一方、A が、「従」(柱に寄りかかるもの)になっているからです。ポイントは、‘when ~’が先頭にくっ付いている文の方を、「従」と見なす、ということです。

■注2 :今回扱った、<when+文>の部分を文法的には、「副詞節」と言います。詳しくは、EG44を参照して下さい。


● 関連 :EG44

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英語学習法(28)

2004年12月11日 | 変形
EG24、EG25、EG26、EG27の続きです。関係節と同格節の共通した特徴です。以下、見ましょう。

(1)The rumor [ that John talked about the scandal ] is going around.
  ([ ジョンがそのスキャンダルを話題にしたという ] うわさが広まっている。)

(2)The rumor [ which John talked about _ ] is going around.
  ([ ジョンが _ 話題にした ] うわさが広まっている。)

(1)のカギカッコ内は同格節であり、一方、(2)のカギカッコ内は、関係代名詞の‘which’を用いた関係節です。ポイントは、(1)のように、同格節内には、‘rumor’「うわさ」に該当するような空所がなく、一方、(2)のように、関係代名詞による関係節内には、‘rumor’に該当する空所がある、ということです。

その意味としては、(1)では、ジョンが、あるスキャンダルをキャッチして話題にしたら、その行為がうわさとなって、周囲の人々を通して広まっている、と言っているのに対し、一方、(2)では、例えば、ジョンやトムが、それぞれ聞きつけたうわさがあるが、ジョンの聞きつけて話題にしたうわさの方は、特に広まってしまった、というようなケースです。

(3)The rumor is going around [ that John talked about the scandal ]. (〇) (訳同(1))

(4)The rumor is going around [ which John talked about _ ]. (〇) (訳同(2))

そこで、(3)と(4)ですが、(1)に対応しているのが(3)で、一方、(2)に対応しているのが(4)です。それらのカタチとしては、(1)の同格節が文の末尾に位置しており、一方、(2)の関係節も、同様に、文の末尾に位置しています。そして、(3)も(4)も、共にOKとなっています。

そこで、(1)の同格節であれ、(2)の関係節であれ、‘rumor’にかかる節であることに違いはないわけですから、(1)や(2)のように、‘rumor’にピッタリとくっ付いて合体している状態が原則なんですが、(3)や(4)のように、共に、‘rumor’から切り離して用いてもOKになる場合がある、ということなんですね。これは一体どういうことなんでしょうか。

(5)The rumor [ which is going around ] is denied by Mary. (〇)
  ([ 広がっている ] そのうわさは、メアリーには否定されている。)

(6)The rumor is denied by Mary [ which is going around ]. (×)
  (訳同(5))

そこで、(5)の関係節を、(6)のように、文の末尾に移動してみましたが、今度は、何とアウトになってしまいました。 関係節は、(2)から(4)のような変形は、確かに、OKになるんですが、一方、同じ性質であるハズの(5)から(6)の変形はアウトになってしまうわけですね。

つまり、関係節を文の末尾に移動する変形には、それをOKにしたりアウトにしたりする、何らかの制約が存在すると見なければなりません。そこで、‘rumor’「うわさ」という単語の意味に注目してみたいと思います。一般に、「うわさ」は、人から人へと伝えられていくものです。ですので、主語‘the rumor’に対して、‘is going aroud’「広がる」という述語が選ばれるのは、別に意外性も何もない、ということになります。

しかし、うわさが否定されるということは、広がって当然のはずのものに歯止めをかける何かが存在するという、言わば、意外性のある情報の存在を示唆することになりますから、これは、聞き手にとっては、反応度の高い関心事になる可能性が十分にあります。

こういった視点から、(6)がアウトになるのを考えると、「うわさの否定」は、情報としての価値が高いと思われるのに、‘is denied by Mary’「メアリーに否定される」という述語を飛び越えて、相対的に情報としての価値が低い‘which is going around’「広がっている」が、文の末尾に移動したからだ、と言えるのではないかと考えられます。

つまり、(5)から(6)の変形が阻止されるのは、情報としての価値に重点が置かれるものと、そうでないもののバランスが、位置関係としておかしいと判断されることに起因しているものと思われます。そこで、(2)から(4)の変形がOKになっているのは、‘the rumor’に対して、‘John talked about’「ジョンが話題にした」という関係節が、誰が取り上げた話題なのかという点で関心事になり得るし、かつ、それが‘going around’よりも情報的価値が高いと見なされているからだと言えます。

そして、(2)と(4)は両方ともOKであることから、関係節の基本的なカタチを守った(2)のような文の場合は、特に、情報的価値うんぬんとは関係なく、OKになるということですね。ですので、(5)は、基本的なカタチのままで、情報的価値のある‘is denied by John’が文の末尾にあるので、わざわざ、その基本形を破壊してまで、変則的な(6)のような移動変形を施す必要はない、ということになります。

(7)The rumor [ that John talked about the scandal ] is denied by Mary. (〇)
  ([ ジョンがそのスキャンダルを話題にしたという ] うわさは、メアリーには否定されている。)

(8)The rumor is denied by Mary [ that John talked about the scandal ]. (×) (訳同(7))

今度は、同格節になりますが、(7)では、‘the rumor’の具体的補足をカギカッコ内の同格節が担っています。同格節の場合、関係節とは違って、どんな名詞でも、かかる相手にすることができるというわけではなく、抽象名詞に限られますので、例えば、「うわさ」のような抽象名詞は、もともと、具体的な補足を前提としている名詞と言えます。

つまり、かかる相手となる抽象名詞からすれば、もともと、同格節の存在そのものは、当然の前提となっているので、同格節が表す内容は、関係節の表す内容ほどにはバラエティに富むものではなく、情報的価値が高いものではないという傾向があります。 (もちろん、関係節は、表せる内容に自由度がある分だけ、その情報的価値は、ピンからキリまである、ということになり、(4)と(6)のようなコントラストが発生します。)

そこで、(3)のように、‘the rumor’のような主語に対して、‘is going around’のような述語なら、同格節の具体的内容にも相対的に情報的価値が発生して、文の末尾に移動しても、OKになりますが、しかし、一方、(8)のように、「うわさの否定」ということになると、やはり、そのうわさの内容よりも、否定されているという事実の方が情報的価値が高いと見なされますので、文の末尾に同格節が移動するとアウトになります。

今回のポイントは、関係節と同格節の共通点として、かかる名詞からの切り離しが可能であるという点と、その容認可能性が、同一の制約から導き出されるということです。その制約の本質とは、相対的な「情報的価値」という、通常の文法的な法則とは極めて異質な概念によるものです。

英語において、カタチが変化するという文法現象が、時として複雑に思えるのは、こういった純粋に文法上の制約とは考えられないような概念に強く縛られているケースがあるからです。こういった概念の存在は、よく、その本質が理解されず、誤解されたままで、解説本などの話題の出しに使われがちなので、実用に耐え得るカタチでは、なかなか一般には浸透していないようです。また機会があったら扱ってみたいと思います。

■注 :今回扱った、名詞 (句) からの節の切り離し現象に関して、よくある解説としては、一般には、「文末重点原理」であるとか何とかいった解説のものが大半ですが、「~ 原理」などと、大仰な呼び方を紹介するだけで、その割には、(6)や(8)のような例とのコントラストを全く無視した解説が多く、何でもかんでも、(3)や(4)のように文末に移動できるとカン違いしている解説本やサイトがあるので、要注意です。

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