英語脳をつくる!〜日本人はいかに効率良く英語を学べるか〜

英語学習に関する事いろいろです。日本人がいかにすれば実用英語を身に付けられるか、その最短距離を考察!

チョット気になる英語(か?)・2006年07月20日(木)

2006年07月20日 | その他
【チョット気になる英語(か?)(^^;】 2006年07月20日(木)
免許持ってても、普段、運転しない人は、「ペーパー・ドライバー」ですが、通じません。‘Sunday driver’「日曜運転手」というのですね。というわけで、「日曜大工」は、‘Sunday carpenter’と表現できるわけですね。

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突然、言い訳 (涙)!

2006年07月10日 | その他
毎年の事ではありますが、仕事柄、4月〜7月は忙しく、その中でも特に、
6月末から7月の中ごろまでは非常に忙しい時期でありまして、それ故、
更新ペースが極端に鈍る傾向にあります。

そのかわり、と言っては何ですが、8月〜9月頃は、最も時間に余裕のある時期であります。
昨年は住まいの引越しなどあり、特に頻繁に更新していたわけではありませんが、
今年は、これといった予定もなく、更新ペースをアップできそうな感じです。

「英語脳!」をご愛読いただいている皆様には大変申し訳ありませんが、
今しばらくお時間を頂きたく存じます。

もう少ししたら、また、更新を開始いたしますので、何とぞ、よろしくお願い申しあげます。
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英語学習法(113)

2006年04月02日 | 比較
EG107、EG108の続きです。比較の構文‘-er than 〜’「〜 よりも」です。以下、見ましょう。

(1)John is sadder than Tom (is). (ジョンはトムよりも悲しんでいる。)

(1)は、ジョンとトムの悲しみの度合いを、どちらが強いかで比較しています。そこで、‘sadder than 〜’「〜 よりも悲しい」という比較の構文で、ジョンの悲しみの方が、トムの悲しみよりも強い (‘John>Tom’) という関係を表しています。

ここで、(1)のような比較の構文における注意点ですが、2人の人物に対して、ある共通した1つのことに焦点を当てて比較をしているわけです。つまり、この構文では、異なる別々の人物が登場していることが前提とされています。

(2)John is more sad than angry. (ジョンは、怒っているというよりも、悲しんでいる。)
(3)John is sadder than angry. (×) (訳同上)

ところで、(2)のような比較の構文もあります。その特徴としては、‘sad’「悲しい」が、‘sadder’という比較の活用をしておらず、‘more sad’というように、ただ単に‘more’を付けただけ、というものです。これを‘sadder’にはできないのか、と考えても、(3)がアウトです。

そして、さらに、(2)は、(1)のように、2人の人物における比較ではなく、1人だけの人物の中で比較がなされている、という意味的な違いがあります。(2)の場合で言えば、1人の人物の中での、「悲しみ」と「怒り」の比較であり、そのどちらを取るべきか、というような解釈になっています。

ここで、(2)の解釈について押さえておかなければならないことは、‘sad’「悲しい」と‘angry’「怒っている」の比較の次元が、通常のものとは異なっている、ということです。つまり、ジョンが、悲しんでいる度合いと怒っている度合いとで、どちらが上か、というような解釈にはなっていない、ということです。

これをわかりやすく言うと、(2)では、ジョンは、怒っているのではなく、悲しんでいるのだ、ということを述べているのであって、怒っているという事実はない、ということになります。ですので、ジョンは、怒ってもいるが、それよりも悲しみの方が上だ、ということを述べているわけではない、ということです。

(4)John is sadder than he is angry. (ジョンは怒ってもいるが、それよりも悲しみの方が大きい。)

もし、ジョンは怒っているという事実もあるが、悲しみの方がより大きい、というような解釈を比較の構文で表現するのであれば、(4)のような文にしなくてはなりません。(4)では、‘more sad’ではなく、‘sadder’が使われているのが特徴です。そして、‘than’以下で、‘he is angry’というように、主語と動詞が、しっかりと表現されていなくてはなりません。 ((3)は、いかなる解釈も許されず、その文自体がアウトであることに注意。)

(5)John is more sad than he is angry.
(6) a. 訳同(2)
   b. 訳同(4)

(5)では、‘more sad’が使われていて、かつ、‘than’以下が、‘he is angry’というように、主語と動詞が、しっかりと表現されています。この場合、解釈は、何と、(6a)のように、怒っているという事実はない、という解釈と、一方、(6b)のように、怒ってもいるが、それよりも悲しんでもいる、という2通りが可能であり、あいまいになります。 (ただし、(6a)の解釈では、(5)よりも、(2)のカタチの方が一般的です。)

(7)John is more sad than he's angry.
(8) a. 訳同(2) (〇)
   b. 訳同(4) (×)

(7)では、(5)と違って、‘than’以下の‘he is’が、‘he's’というように縮約されたカタチになっていますが、すると、その解釈に制限がついてしまい、(2)の解釈はOKのままですが、一方、(4)の解釈が不可能になってしまいます。これは、一体どういうことなんでしょうか。

(9)‘Is John a teacher ?’−‘Yes、he is.’ (〇)
   (「ジョンは教師なんですか?」−「ハイ、そうですよ。」)

(10)‘Is John a teacher ?’−‘Yes、he's.’ (×) (訳同上)

ところで、(9)のように、‘Is John a teacher ?’「ジョンは教師ですか?」、というような疑問文に対して答えるときは、‘Yes、he is.’「はい、そうです」というように、‘he’と‘is’を、それぞれしっかりと分けて発音し、(10)のように縮約するようなカタチにはしません。

これは、英語では、‘Yes、he is a teacher.’から、‘a teacher’が消去されているような場合、つまり、‘be’動詞の直後に本来あるべき表現が消去されているような場合、その‘be’動詞は、ストレスを置くイントネーションで発音され、さもなくば、短縮形で使うことが不可能になるからです。

そこで、どうやら、(9)がOKで、一方、(10)がアウトであるような法則性が、(7)における(4)の解釈を妨げる要因を発見するカギになると考えられます。(7)は、(2)の解釈ならば、‘sad’と‘angry’のどちらが適切であるか、というような、二者択一式の比較になるような解釈なので、結局は、‘John is sad’という文と、‘John is angry’という文のどちらを取るべきか、というような、言わば、文対文の比較になっています。

しかし、一方、(7)を(4)の解釈で考えた場合、それは、‘sad’と‘angry’の二者択一ではなく、お互いの程度の比較ということになってしまい、‘John is sad’という文と、‘John is angry’という文の比較ではなく、あくまでも、ジョンの‘sad’と‘angry’の程度を比較するという、より小さな単位での比較というに留まってしまいます。

(11)John is sadder than he is very angry. (×)
  (ジョンはとても怒っているが、それよりも悲しみの方が大きい。)

(11)では、(4)の‘angry’に、程度表現の‘very’が加わっていますが、それが原因でアウトになってしまいました。つまり、(4)は、‘than’以下では、あたかも、‘he is angry’が、何ら消去のない文のように見えるのですが、実は、何らかの程度表現が消去されていると考えられ、故に、‘very’のような程度表現が現れるとアウトになるわけです。

つまり、(7)を(4)の解釈にしようとするならば、‘than’以下の‘be’動詞の直後に、本来あるはずの程度表現が消去されていると考えられますので、‘he's’のような縮約は阻止されることになります。ですので、無理に縮約すると、(4)の解釈は不可能ということになります。

しかし、一方、(7)において、(2)の解釈がOKであるという事実からは、‘he is angry’の中で、何も消去は起こっていないと考えられます。これは、もちろん、もともと、‘John is sad’という文と、‘John is angry’という、文対文の二者択一式の比較であるから、程度表現とは無関係であることに起因するものです。

ここで、(2)のような二者択一式の解釈となる比較の構文が、なぜ、‘sadder’というカタチにならず、必ず、‘more sad’というカタチでなければならないのかもわかります。二者択一式の解釈となる比較の構文は、‘sad’の「程度」を問題にしているのではないため、あえて、程度以外の解釈も可能な‘more’を選ぶことになるわけですね。さらに、以下も見ましょう。

(12)John is more an office worker than a teacher. (〇)
  (ジョンは教師というよりも、むしろ、ただの会社員だ。)

(13)John is a more office worker than a teacher. (×) (訳同上)

(12)では、‘more’+‘an office worker’というように、冠詞の付いた名詞表現の前に‘more’が付いていてOKですが、一方、(13)では、冠詞と名詞表現の間に‘more’が入り込んでいて、アウトになっています。ここからも、(2)のような二者択一式の解釈において、‘more sad’が、‘sadder’にならないことが理解できます。

つまり、‘more’は、‘sad’自体を相手にしているのではなく、‘John is sad’という文全体を相手にしているため、‘sad’のみと融合して1つの単語になるようなカタチになるわけにはいかず、他の要素も相手にできるようなカタチを保持しておかなければならない、ということですね。

今回のポイントは、比較とは言っても、様々な比較の在り方があって、そう単純ではない、ということです。「・・・ というよりも、むしろ 〜」、というような、「程度」の比較ではなく、「二者択一式」の比較表現は、厳密な意味では、比較とは言えないものの、コトバのもつ雰囲気から発する、言わば、拡大解釈の比較表現と言えるものです。

特に、‘more’のような単語は、単純な程度比較はもとより、それ以外にも独立した他の意味ももっているため、今回扱ったような、二者択一式の比較構文にも利用されます。‘more 〜 than ・・・’「・・・ というよりも、むしろ 〜」という構文は、よく考えてみると、結構、奥が深いものですよ。

●関連: EG107EG108

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英語学習法(112)

2006年04月01日 | 比較
EG109、EG110、EG111の続きです。比較構文の共通点です。以下、見ましょう。

(1) a. John has more money than Tom has 10 dollars.
    (ジョンは、トムの10ドルを越える額をもっている。)

   b. John has more money than 10 dollars.
    (ジョンは、10ドルを越える額をもっている。)

(1a)からわかることとして、‘John has money’と‘Tom has 10 dollars’の2つの文が、比較されていると言えます。もちろん、(1a)においては、‘than’以下で、‘Tom has 10 dollars’のような文が続いているので、‘than’は、接続詞ということになります。

しかし、一方、(1b)のような比較の構文も存在し、‘than’以下が、‘10 dollars’のような名詞表現だけなら、‘than’は、前置詞と見なせます。 (ただし、‘than’以下の文に対して消去が行われた結果、名詞表現のみが残ってしまう場合もあるので、その場合は、「‘than’+名詞表現」と言えども、‘than’を接続詞と見なしても構いません。EG110、参照。)

(2)John has more than 10 dollars. (訳同(1b))

しかし、(1b)以外にも、(2)のような表現の仕方があります。実質的には、(1b)も(2)も同じ意味です。恣意的に考えるならば、(1b)から、‘money’を消去してしまえば、(2)のような文をつくり出すことは可能です。ですので、(2)は、(1b)からの変形である、と関連付けて説明したくなります。

(3)John has no more than 10 dollars. (ジョンは、たったの10ドルしかもっていない。)
(4)John has no less than 10 dollars. (ジョンは、10ドルもの額をもっている。)

(3)の‘no more than 〜’「たったの 〜」や、(4)の‘no less than 〜’「〜 もの (多くの)」は、よく、慣用表現としてそのまま覚えてしまうことになっていますが、(1b)と(2)を手がかりとして、とりあえずは、‘no more money than’や‘no less money than’といった表現を想定して、そこから‘money’が消去されたと考えれば、一応の説明はつきます。

(5)More than 10 dollars were lost in the gamble. (その賭博で10ドルを越える額が失われた。)

(5)では、‘more than 10 dollars’が主語位置にあり、1つのカタマリと見なされているわけですから、やはり、‘more money than 10 dollars’と同じ解釈でよいと言えます。 (この場合、‘than’は、接続詞ではなく、前置詞としての扱いを受ける以外に選択肢はありません。EG110、参照。)

(6)John more than hates Tom. (ジョンはトムを嫌っている以上のものがある。)

(6)のような文では、(1a-b)のように、‘than’の前に文があるわけではなく、‘John’という名詞と‘more’があるだけで、かつ、‘than’の直後で、‘hates Tom’という、「動詞+目的語」がきており、一見、‘John more than’が、1カタマリの主語かと見当をつけてしまいますが、それでは、‘than’の直後 (‘hate’の前) にあるはずの比較対照要素がありません。

というわけで、‘than’の直後には、何もないということになり、どう見ても、何が消去されているのか見当がつきません。そこで、(6)の日本語訳を見ると、実は、(6)は、‘than hates’の部分の意味が、「嫌っている以上」となっています。ですので、(6)は、その意味からして、明らかに、動詞‘hate’「嫌う」が比較対照要素とされていることだけは、確かなようです。

(7)John can jump better than he can run. (○)
  (ジョンは、走るよりもジャンプの方が得意だ。)

(8)John can jump better than run. (×) (訳同上)

ところで、(7)はOKですが、一方、(8)はアウトです。つまり、‘jump’「ジャンプする」に対して、‘run’「走る」のように、お互いの動詞が比較の対照要素である場合、例え、‘run’以外の他の要素‘he can’が、‘John can’=‘he can’のように同一要素であることから、消去の対象とされる場合であっても、残しておかなければならない、というような制約があります。

そこで、(8)がアウトであるという事実からすると、(6)の‘than’以下では、‘hates Tom’の主語が欠けており、同様にアウトとなっても、別におかしくはないはずですが、事実としてOKなのです。ですので、(7)に関しては、これまでとは考え方を根本的に改めなければなりません。

そこで、(6)では、ただ単に、‘more than’という1つのカタマリが、‘John hates Tom.’という文に割り込んだ、というような考え方が、最も妥当ではないかと思われます。つまり、(6)は、文と文をつないだ状態から派生されて、最終的にでき上がったのではなく、‘more than 〜’「〜 以上」という、ワンセットの表現が、もともと存在していて、ただ単に意味の付加を行っているだけ、という考え方です。

(9)John plays baseball as well as Tom.
(10)a. ジョンは、トムと同じくらい野球が上手い。
   b. ジョンは、トムと同じく野球をします。

(9)では、‘as well as 〜’という比較の構文が使われていますが、その意味はあいまいであり、(10a-b)のように、2通りの解釈が可能です。まず、(10a)の解釈では、‘well’「上手く」自体がもっている意味が、そのまま活かされています。しかし、一方、(10b)の解釈では、‘well’のもつ意味は消えてしまい、ただ単に、「〜 と同じく」といった意味しかもっていません。

(11)John as well as Tom plays baseball well. (訳同(10a))
(12)John as well as Tom plays baseball. (訳同(10b))

そこで、(11)ですが、‘John as well as Tom’「トムと同様にジョンも」の‘well’には、「上手く」の意味が残されていません。その証拠として、文の末尾に、改めて‘well’が用いられて、(10a)と同じ解釈になります。ですので、(12)のように文の末尾に‘well’のない文の解釈は、(10b)と同じものになります。

つまり、(11)のような場合、主語位置に、‘John as well as Tom’という表現があると、それが1つのカタマリと見なされるわけですから、‘well’が動詞‘play’にまで及ぶことができず、当然、‘well’には、副詞としてのはたらきが不可能となり、別の選択肢 (この場合、「〜 と同じく」の解釈) があるなら、それを取るより他にない、ということになります。

ですので、やはり、‘as well as 〜’は、比較の構文として、「〜 と同じくらい上手く」の意味で使う場合もあれば、一方、それとは関係のない、単なる慣用表現として、「〜 と同じく」の意味も、別に存在すると考えなければならず、ちょっと紛らわしいと言えます。

(13)John as much as admits his guilt. (ジョンは自分の罪を、事実上、認めている。)
(14)John went as far as Japan. (ジョンは、日本まで行った。)

この種の比較構文からの慣用表現には、(13)の‘as much as 〜’「事実上 〜」のように、挿入的に使われるタイプ ((13)の場合、主語と動詞の間に挿入) のものや、一方、(14)の‘as far as 〜’「〜 まで」のように、本来の表現の代替的な役割をもって使われるタイプ ((14)の場合、‘to’の代用) がありますが、いずれも、‘much’や‘far’がもっている本来の意味がつかみにくいという特徴があります。

(15)As soon as John came、Mary left. (ジョンが来たら、すぐにメアリーは立ち去った。)
(16)As far as I know、John is naive. (私が知る限り、ジョンはバカ正直です。)

(15)の‘as soon as 〜’「〜 するとすぐに」や、(16)の‘as far as 〜’「〜 する限り」のように、文と文をつなぐ接続詞としての用法が定着しているものもありますが、いずれにせよ、比較の構文としての特徴は見られず、1つのカタマリとして、別用法と認識すべきものです。

(17)They are more or less the same. (それらは、多かれ少なかれ同じものですよ。)
(18)John has more than two sons. (ジョンは、息子が2人いるだけではない。)

(17)は、‘more or less’「多かれ少なかれ」が、1つのカタマリと見なされます。特徴としては、‘than 〜’といった表現をともなうことがないので、この点、やはり、比較の構文とは異なっています。(18)は、‘more than 〜’が、「〜 より多く」といった意味のみならず、「〜 以外」といった意味ももっていて、息子が3人以上いる、といった解釈もあれば、一方、息子の他に娘もいますよ、といった解釈もあります。

今回のポイントは、‘〜 -er than ・・・’や、‘as 〜 as ・・・’が用いられている文で、一見、比較の構文のように見えるのですが、実は、単なる慣用表現である場合があり、それらを単純に比較の構文と結び付けて考えることは不可能であるということです。

対策としては、予め、そういった表現を覚えておく以外に方法はなく、慣用表現としての使い方のみのものもあれば、また、比較の構文としても用いる場合もあるものもあって、とてもややこしいのが難点ですが、明らかに比較の構文とは異質な使い方をしている場合は、無理に比較の構文からの派生とは考えたりせずに、ただ単に、比較の表現を借用してきた1カタマリの別構文くらいに考えておくのが正解ということです。

比較の構文は、基本形の理解もさることながら、擬似表現も結構多くて奥が深いものです。

●関連: EG109EG110EG111

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英語学習法(111)

2006年03月31日 | 比較
EG109、EG110の続きです。比較の構文における対比要素‘as 〜’と‘than 〜’の共通点です。以下、見ましょう。

(1)Tom jumps very high. (〇) (トムは、とても高くジャンプする。)
(2)John jumps as high as Tom (does). (〇) (ジョンは、トムと同じくらい高くジャンプする。)

(1)の文をもとにして、(2)のような比較の構文をつくることができます。後半の‘as’以下では、‘Tom does’の‘Tom’が、主語としてはたらいているので、ちょうど、主語‘John’と、同じ主語同士ということになり、構文的なバランスがとれています。

ここから、接続詞‘as’によって、(1)の文を、(2)の中に、その一部としてつないだ後、動詞句‘jump very high’が消去された、と説明することができます。 (動詞句の消去、および、助動詞‘does’の出現に関しては、EG20、参照。)

(3)The world record jumps very high. (×) (世界記録がとても高くジャンプする。)

(4) a. John jumps as high as the world record does. (×)
    (ジョンのジャンプは世界記録とタイだ。)
   b. John jumps as high as the world record. (〇) (訳同上)

今度は(3)ですが、(3)は、意味不明でアウトです。ですので、当然、(4a)もアウトになるわけですが、一方、(4b)がOKになっています。(4a)は、‘the world record’「世界記録」が主語であることを示す‘does’が後に続いていますが、もちろん、動詞句‘jump very high’などの消去と考えても、(3)がもともとアウトなので、意味がありません。

そこで、(4b)のように、‘does’が続かない‘the world record’だけならば、OKにできるのですが、その理由は、‘as’には、接続詞としての用法以外に、前置詞としての用法もあるからだ、と考えなければなりません。そして、もちろん、接続詞としてだけではなく、前置詞としての用法があることは、‘than’にも共通しています。

(5) a. John jumps higher than Tom does. (〇)
    (ジョンは、トムよりも高くジャンプする。)
   b. John jumps higher than Tom. (〇) (訳同上)

(6) a. John jumps higher than the world record does. (×)
    (ジョンは、世界記録よりも高くジャンプする。)
   b. John jumps higher than the world record. (〇) (訳同上)

(5a-b)は、共にOKです。これは、(5a)の場合、(1)を手がかりにして、「‘than’(接続詞)+‘Tom’(主語)+‘does’(助動詞)」 (動詞句‘jumps very high’の消去) であると考えておけばよく、一方、(5b)の場合、さらに、‘Tom’の後にある助動詞‘does’が消去されていると考えれば、説明がつきます。

しかし、(6a)がアウトである一方、(6b)がOKです。(6a)の場合は、もちろん、アウトである(3)にもとづいた(4a)がアウトになることと理由は同じですが、その一方で、(6b)がOKになるわけですから、これは、もはや、(5a)から(5b)が派生されるようなケースとは同じではありません。

そこで、(6b)は、(6a)から‘does’が消去された、などと考えることはできず、やはり、‘than’も‘as’と同様、前置詞としての選択肢があるケースを認める以外に説明はつかない、という結論になります。

(7)John ate more oranges than Tom bought apples. (〇)
  (ジョンが食べたミカンの数は、トムが買ったリンゴの数より多い。)

(8)More oranges than Tom bought apples were eaten by John. (×)
  (トムが買ったリンゴの数よりも多いミカンが、ジョンによって食べられた。)

(7)と(8)は、共に、「‘than’(接続詞)+‘Tom bought apples’(文)」をもった比較の構文ですが、(7)はOKで、一方、(8)はアウトです。(7)の‘than Tom bought apples’は文の末尾に置かれていますが、一方、(8)の‘than Tom bought apples’は、受身文の主語の一部であり、‘More oranges than Tom bought apples’「トムが買ったリンゴの数よりも多いミカン」という1つのカタマリ (名詞句) となっています。

つまり、接続詞としての‘than’が後にしたがえる表現は、文の末尾に位置していなければ、OKにできず、名詞にかかることを強制されるような位置に置くことはできない、といった制約があるようです。しかし、前置詞としての‘than’というオプションもあることが、既に証明済みなので、この前置詞‘than’ならばどうか、ということになります。

(9)More oranges than apples were eaten by John. (〇)
  (ジョンによって食べられたミカンの数は、リンゴの数より多い。)

(9)はOKです。‘more oranges than apples’「リンゴよりも多くのミカン」という表現は、主語位置にある1つのカタマリであり、その中の‘than apples’は、(8)にあるような‘than Tom bought apples’とは違って、別に文の末尾に位置している必要など、全くありません。

(10)John ate more oranges than Tom bought _. (〇)
  (ジョンは、トムが買った数より多くのミカンを食べた。)

ところで、比較の構文には、(10)のように、目的語‘oranges’のみが、前半と後半の文での共通した語句であり、かつ、それのみが‘than’以下で表現されないようなものもあります。考え方としては、やはり、「‘than’(接続詞)+‘Tom bought oranges’(文)」のような表現から、‘oranges’の消去があった、というやり方でよいと言えます。ですので、(10)の下線部は、‘oranges’として解釈されるべき空所ということですね。

(11)More oranges [ than Tom bought _ ] were eaten by John. (〇)
  ([ トムが買った数より ] 多くのミカンが、ジョンによって食べられた。)

そこで、(11)ですが、何とOKです。(11)は、(10)にあるような、‘more oranges than Tom bought _’を、主語位置に置いた受身文ですが、これがOKであるとなると、一方で、(8)がアウトであるという事実に対して、ちょっとややこしい話になってきます。

なぜならば、「接続詞‘than’(または‘as’)+文」から、その文の中の要素を消去した結果、(4b)や(6b)といった比較の構文が派生されるわけではなく、むしろ、(4b)や(6b)は、「前置詞‘than’(または‘as’)+名詞」という、全く別の選択肢を取っているからだ、という結論が既に確定しているからです。

そこで、(11)を、再度、考え直してみると、その主語位置の‘than’以下は、あたかも、関係節のような成り立ちになっているのがわかります。つまり、‘than Tom bought _’を、関係代名詞‘than’と、その目的語の空所から成る関係節に見立てて、それが‘more oranges’にかかるようなカタチになっています。 (関係節の基本に関しては、EG24、EG26、参照。)

ここから、どうやら、比較の構文は、名詞 (句) にかかって、1つのカタマリと見なされるようなカタチになる場合は、他の構文と類似的な振る舞い方を許す、という考えが成立しそうです。つまり、「前置詞+名詞」のカタチは、名詞にかかることができるし、一方、関係節も、名詞にかかるカタチですので、比較の構文は、その2つの構文の性質を受け継ぐことが許されている、ということになります。

(12)As many oranges as apples were eaten by John. (〇)
  (リンゴの数と同じだけのミカンが、ジョンによって食べられた。)


(13)a. John ate as many oranges as Tom bought _ . (〇)
    (ジョンは、トムが買った数と同数のミカンを食べた。))

   b. As many oranges [ as Tom bought _ ] were eaten by John. (〇)
    ([ トムが買った数と ] 同数のミカンが、ジョンによって食べられた。)

今度は、‘as 〜 as ・・・’「・・・ と同じくらい 〜 だ」の構文です。(12)では、やはり、‘as apples’が、「前置詞+名詞」と見なされて、‘as many oranges’にかかり、 OKになります。そして、(13a)は、目的語‘oranges’のみが、前半と後半の文での共通した語句であり、かつ、それのみが、後半の‘as’以下で表現されていません。

(13a)の場合、「‘as’(接続詞)+‘Tom bought oranges’(文)」のような表現から、下線部で示されているように、‘oranges’の消去があった、という考え方でよいと言えます。ですので、(13a)の下線部は、‘oranges’として解釈されるべき空所です。

(13a)からは、さらに、(13b)が派生可能と思われますが、これは、‘as John bought _’の部分が、関係代名詞‘as’と、その目的語の空所から成る関係節に見立てて、‘as many oranges’にかかるようなカタチになっていることから、偶然に、‘as many oranges [ as Tom bought _ ]’全体で、関係節がかかっている名詞句と見なせます。

今回のポイントは、比較の構文における‘as’や‘than’には、結構、様々な用法があるということです。接続詞としての使い方以外に、「前置詞」としての使い方もあったのですが、そこから、さらに、「関係代名詞」のような使い方もある、ということです。

これら「前置詞」や「関係代名詞」としての使い方は、接続詞としての使い方に不都合があるような場合に、可能な選択肢として機能します。主に、名詞にかかるような環境に置かれた場合は、必然的に、接続詞としての機能は放棄せねばならず、「前置詞」か「関係代名詞」のどちらかの用法を選ぶことになります。

比較の構文は、一通りの可能なカタチを押さえていくだけでも、結構、大変なんですが、今回までのものが一応の基本形となります。あとは、細かい派生を見ていくことになりますが、別の機会にでも。

●関連: EG20EG24EG26EG109EG110

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英語学習法(110)

2006年03月30日 | 比較
EG109の続きです。比較の構文における対比要素‘as 〜’と‘than 〜’の共通点です。以下、見ましょう。

(1)John plays baseball as well as Tom. (ジョンは、トムと同じくらい野球が上手い。)
(2)John plays baseball as well as basketball. (ジョンは、バスケと同じくらい野球が上手い。)

(1)と(2)は、‘as 〜 as ・・・’「・・・ と同じくらい 〜 だ」の構文です。そこで、(1)では、‘John plays baseball’の中の主語‘John’との対比で、やはり、‘Tom’を主語に見立てて、その述語として、‘plays baseball’が、暗黙の了解となっています。

一方、(2)では、‘John plays baseball’の中の目的語‘baseball’「野球」との対比で、やはり、‘basketball’「バスケットボール」を目的語に見立てて、それを支える「主語+動詞」として、‘John plays’が、暗黙の了解となっています。つまり、(1)であれ、(2)であれ、前半の文の同一要素となるものは、後半の‘as ・・・’以下では表現されずに、対比要素となるものだけが表現されています。

(3)John plays baseball better than Tom. (ジョンは、野球がトムよりも上手い。)
(4)John plays baseball better than basketball. (ジョンは、野球がバスケよりも上手い。)

(3)と(4)は、‘〜 -er than ・・・’「・・・ よりも 〜 だ」の構文です。そこで、(3)では、‘John plays baseball’の中の主語‘John’との対比で、やはり、‘Tom’を主語に見立てて、その述語として、‘plays baseball’が、暗黙の了解となっています。

一方、(4)では、‘John plays baseball’の中の目的語‘baseball’「野球」との対比で、やはり、‘basketball’「バスケットボール」を目的語に見立てて、それを支える「主語+動詞」として、‘John plays’が、暗黙の了解となっています。つまり、(3)と(4)のペアも、前半の文の同一要素となるものは、後半の‘than ・・・’以下では表現されずに、対比要素となるものだけが表現されています。

というわけで、(1)〜(4)をトータルで見る限り、‘as 〜 as ・・・’「・・・ と同じくらい 〜 だ」の構文と、‘〜 -er than ・・・’「・・・ よりも 〜 だ」の構文は、かなり類似した振る舞い方をしているのがわかります。

(5)John sells as good cars as Tom.
  (ジョンは、トムと同じくらい、良いクルマを売っている。)

(6)John sells as good cars as Porsches.
  (ジョンは、ポルシェと同じくらい良いクルマを売っている。)

(5)と(6)に関しても、これまで見てきた比較の構文‘as 〜 as ・・・’と同様であり、やはり、(5)では、主語‘John’に対して、後半の‘as’の後で対応している表現が、‘Tom’であり、一方、(6)では、目的語‘cars’に対して、後半の‘as’の後で対応している表現が、‘Porsches’となっています。

(7)As good cars as Tom are sold by John. (×)
  (トムと同じくらい、ジョンによって良いクルマが売られている。)

(8)As good cars as Porsches are sold by John. (〇)
  (ポルシェと同じくらい良いクルマが、ジョンによって売られている。)

しかし、(7)と(8)では、その可否にハッキリとした差が出ています。(7)は、(5)からつくった受身文であり、アウトですが、一方、(8)は、(6)からつくった受身文で、OKです。ここでのポイントは、受身文の主語位置は、通常、名詞 (句) という1つのカタマリで占められている、ということです。故に、(7)であろうと、(8)であろうと、‘as good cars as 〜’という主語は、1つのカタマリである、と考えられます。

(9)John sells better cars than Tom. (ジョンは、トムよりも、良いクルマを売っている。)
(10)John sells better cars than Porsches. (ジョンは、ポルシェよりも良いクルマを売っている。)

今度は、(9)と(10)ですが、これまで見てきた比較の構文‘〜 -er than ・・・’と同様であり、やはり、(9)では、主語‘John’に対して、‘than’の後で対応している表現が、‘Tom’であり、一方、(10)では、目的語‘cars’に対して、‘than’の後で対応している表現が、‘Porsches’となっています。

(11)Better cars than Tom are sold by John. (×)
  (トムより良いクルマが、ジョンによって売られている。)

(12)Better cars than Porsches are sold by John. (〇)
  (ポルシェより良いクルマが、ジョンによって売られている。)

そこで、(11)と(12)でも、やはり、(7)や(8)と同様に、その可否にハッキリとした差が出ています。(11)は、(9)からつくった受身文であり、アウトです。一方、(12)は、(10)からつくった受身文で、OKです。既に述べたとおり、受身文の主語位置は、通常、名詞 (句) という1つのカタマリで占められていますので、(11)と(12)の両方とも、‘better cars than 〜’という主語は、1つのカタマリとして見なされます。

つまり、これまでの観察から言えることとして、比較の構文‘as 〜 as ・・・’や、‘〜 -er than ・・・’は、文法上、1つのカタマリとみなされる表現の中に現れる場合は、その2つの比較要素が適切につり合っていなければならない、というような制約があるようなのです。

ここで、受身文の主語位置が、1つのカタマリである、という前提があると、(8)の‘as good cars as Porsches’「ポルシェと同じくらい良いクルマ」や、(12)の‘better cars than Porsches’「ポルシェよりも良いクルマ」の文法的な成り立ちは、一体どうなっているのか、という疑問が生じてきます。

(13)As good cars are sold by John as Porsches (are). (〇) (訳同(8))

そこで、(13)は、OKです。ポイントは、受身文の主語‘good cars’に合わせるカタチで、後半の‘as’以下でも、‘Porsches’が主語になっているという点です。ですので、その述語の動詞として、‘are’はなくても構わないのですが、現れていても、一向に構いません。

(14)As good cars as they are sold by John. (×)
  (それらと同じくらい良いクルマが、ジョンによって売られている。)

(15)As good cars as them are sold by John. (〇) (訳同上)

そこで、(13)を踏まえて、(14)と(15)のような比較の構文‘as 〜 as ・・・’を考えてみます。(14)は、主語位置の‘as ・・・’以下で代名詞‘they’を用いていますが、(13)のような例から類推する限り、主格の代名詞‘they’は、主語‘Porsches’のように、同じ主語で揃っていると見なされますし、かつ、意味的にも、適切な比較要素になり得るので、一見、OKかと思われるのですが、(14)は、何とアウトです。

そのかわり、(14)の‘they’の位置に、(15)のような目的格の代名詞‘them’を用いた場合は、OKになります。ですので、こうなってくると、もはや、比較要素に関して、主語がどうとか、目的語がどう、といったような視点からでは、どうにも解決できないということになってしまいます。

(16)Better cars are sold by John than Porsches (are). (〇) (訳同(12))

(16)は、‘〜 -er than ・・・’の構文ですが、これも、OKです。ポイントは、(13)と同様で、受身文の主語‘better cars’に合わせるカタチで、‘than’以下でも、‘Porsches’が主語になっているという点です。ですので、その述語の動詞として、‘are’はなくても構わないのですが、現れていても、一向に構いません。

(17)Better cars than they are sold by John. (×)
  (それらと同じくらい良いクルマが、ジョンによって売られている。)

(18)Better cars than them are sold by John. (〇) (訳同上)

今度は、(16)を踏まえて、‘〜 -er than ・・・’の構文を用いた(17)と(18)を考えてみます。この場合も、やはり、主語位置で、‘than ・・・’以下に主格の代名詞‘they’が現れるとアウトになり、一方、目的格の代名詞‘them’が現れると、OKになります。

これまで、比較の構文‘as 〜 as ・・・’や、‘〜 -er than ・・・’では、後半の‘as’や、‘than’は、「接続詞」として扱うのが妥当ではないか、という見方をしてきたのですが、今回の観察結果を考慮すると、後半の‘as’や、‘than’は、どうやら、ある特定の状況に限り、「前置詞」としての用法も可能なのではないか、という見方が有力になってきます。

(19)John is taller than he is. (〇) (ジョンは、彼より背が高い。)
(20)Who is John taller than _ is ? (×) (ジョンは、誰より背が高いの?)

(21)Who did John meet Mary before _ came here ? (×)
  (ジョンは、誰がここにくる前に、メアリーに会ったの?)

(19)はOKですが、一方、(20)はアウトです。(20)は、(19)をもとにして、‘than’以下の主語‘he’を疑問詞‘who’に変えて文の先頭に移動させたものですが、これがアウトになるのは、(21)がアウトになる理由と同じで、英語には、「副詞節の中からは、いかなる要素もその外に移動させてはならない」、という移動を妨げるエリアが存在するためです。 ((21)のように、「‘before’+文」の副詞節をつくる場合、‘before’は接続詞と見なされます。なお、(20)や(21)がアウトになる制約については、EG49、参照。)

(22)John is taller than him. (〇) (訳同(19))
(23)Who is John taller than _ ? (〇) (訳同(20))

(24)Who did John go there with _ ? (〇) (ジョンは、誰とそこへ行ったの?)

しかし、その一方で、(22)にあるように、‘than him’といった、目的格のカタチもOKになる、となれば、‘than’を前置詞と見なして、(23)を、OKにすることができます。これは、(24)のように、前置詞‘with 〜’の目的語が、疑問詞になって文の先頭に移動しても、OKであることから支持されます。

(25)John cannot be taller than himself is. (×)
  (ジョンが彼自身より背が高いなんて、アリエナイ。)

(26)John cannot be taller than himself. (〇) (訳同上)

(25)はアウトですが、一方、(26)はOKです。英語の再帰代名詞には、「主格を与えられる位置に生じてはならない」、というルールがあり、(25)の‘is’ように、述語となる動詞が後に続くと、その時点で‘himself’が主格をもっていると見なされて、アウトになります。

しかし、一方、(26)のように、述語となる動詞が後に続いていないならば、OKです。これは、(19)の‘than he is’にあるような、「‘than’+主語+動詞」以外のオプションとして、「前置詞‘than’+目的語」があり、‘than himeself’の‘himself’が、前置詞‘than’から直接、目的格を与えられる、とういう選択肢があるからだ、と考えなければ説明がつきません。この文法性は、‘as 〜 as ・・・’の構文でも同様です。 (再帰代名詞に関しては、EG95、参照。)

(27)Who is John as tall as _ is ? (×) (ジョンは、誰と同じ背丈なの?)
(28)Who is John as tall as _ ? (〇) (訳同上)

(29)Of course、John is as tall as himself is. (×)
  (ジョンが彼自身と同じ背丈って、そりゃ当然だよ。)
(30)Of course、John is as tall as himself. (〇) (訳同上)

今回のポイントは、これまで、比較の構文‘as 〜 as ・・・’や、‘〜 -er than ・・・’では、後半の‘as’や、‘than’は、「接続詞」として扱うのが妥当ではないか、という見方をしてきたのですが、それが、「前置詞」として扱わねばならない場合がある、という、ほぼ決定的な証拠が上がったということです。

大ざっぱには、‘as’や、‘than’による比較要素の表現が、文の末尾におかれる場合は、接続詞、前置詞のいずれの用法も共に可能ですが、他の条件によって、接続詞としての用法が不都合を起こすような場合、接続詞の用法は却下され、前置詞としての用法に限られることがある、ということです。

そこで、結論としては、‘as’や、‘than’による比較要素の出現が、文の末尾ではない場合は、常に、前置詞の用法に限られるのか、と言い切れるかというと、実は、そうでもなく、比較の構文には、まだまだ検証が必要な部分が残されています。

比較の構文は、ちょっとした想像をはるかに越えて、かなり手強い側面をもっているのです。またの機会に扱いますので、今回は、これまでということで。

●関連: EG49EG95EG109

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英語学習法(109)

2006年03月28日 | 比較
EG105、EG106、EG107、EG108の続きです。比較の構文‘as 〜 as ・・・’と‘-er than 〜’の共通点についてです。以下、見ましょう。

(1)ジョンは、トムを、ジャックと同じくらい強く蹴っ飛ばした。

まず、(1)の日本語です。パッと見た感じ、意味は簡単そうですが、しかし、実はそれほど簡単なことでもありません。日本語(1)は、よく考えてみると、その解釈があいまいで、以下のように、2通りの解釈が可能です。

(2)ジョンはトムを蹴ったが、それは、ジャックがトムを蹴ったのと同じくらいの強さだった。
(3)ジョンはトムを蹴ったが、それは、ジャックを蹴ったのと同じくらいの強さだった。

つまり、解釈(2)では、ジョンとジャックが、トムを蹴ったので、結局、2人で1人を蹴った、と言っているのに対し、一方、解釈(3)では、ジョンが、ジャックとトムを蹴ったので、結局、1人で2人を蹴った、と言っているわけですね。そこで、日本語(1)の「ジャックと同じくらい」の部分が、(2)と(3)のような、あいまいな解釈を引き起こす原因となっていることがわかります。

(4)John kicked Tom as strongly as Jack. (訳同(1))

そこで、(4)の英語では、比較の構文‘as 〜 as ・・・’「・・・ と同じくらい 〜 だ」が使われていますが、日本語訳としては、(1)と同じです。そして、実は、英語(4)に関しても、日本語(1)と同様に、解釈(2)と(3)が成り立つという、とても不思議な類似性があります。そこから、(4)においても、‘as Jack’の部分が、(2)と(3)のような、あいまいな解釈を引き起こす原因となっていることがわかります。

(5)ジョンは、トムを、ジャックよりも強く蹴っ飛ばした。

今度は、(5)の日本語ですが、「ジャックよりも」の部分に関して、やはり、2通りの解釈が発生します。日本語(5)の場合も、日本語(1)と同じく、ジャックが蹴る側の立場にあるのか、それとも、蹴られる側の立場にあるのか、が解釈の分かれ目となります。

(6)ジョンはトムを蹴ったが、その強さは、ジャックがトムを蹴った時よりも強かった。
(7)ジョンはトムを蹴ったが、その強さは、ジャックを蹴った時よりも強かった。

つまり、日本語における、「・・・ と同じくらい 〜 だ」であれ、「・・・ よりも 〜 だ」であれ、全く同じ、共通した特徴を示しているわけですね。そして、やはり、英語においても、これと全く共通した特徴が見られます。

(8)John kicked Tom more strongly than Jack. (訳同(5))

(8)の英語でも、やはり、その解釈があいまいであり、(6)である一方、(7)でもある、という事実があります。そこで、一応の考え方としては、(4)の‘as Jack’や、(8)の‘than Jack’について、‘Jack’が、‘kick’「蹴る」という動詞の主語であるか、それとも、目的語であるか、という観点が必要、ということになります。

(9)Jack kicked Tom. (ジャックは、トムを蹴った。)
(10)John kicked Jack. (ジョンは、ジャックを蹴った。)

つまり、(9)の文を前提にして、(4)や(8)を発話すれば、(4)では、解釈が(2)に決まり、(8)では、解釈が(6)に決まります。一方、(10)の文を前提にして、(4)や(8)を発話すれば、(4)では、解釈が(3)に決まり、(8)では、解釈が(7)に決まります。ですので、結構、ややこしい話なんですね。

(11)John kicked Tom as strongly as Jack does. (訳同(2))
(12)John kicked Tom more strongly than Jack does. (訳同(6))

そこで、あいまいな解釈を許す(4)や(8)のような問題を避けるための手段として、(11)や(12)のように、‘Jack’の後に、助動詞‘does’を後続させて、意図的に‘Jack’に主語としての解釈をさせるように仕向ける方法があります。 (助動詞‘does’以下の表現は、「動詞句」の消去によって消えています。EG20、参照。)

このようにすれば、最初から、(11)の解釈は、(2)に決定されますし、一方、(12)の解釈も、(6)に決定されます。そして、(11)の‘as Jack does’や、(12)の‘than Jack does’のようなカタチが、OKである、という事実からは、‘as’(前半の‘as’ではなく、後半の‘as’) や、‘than’が、「接続詞」である、という結論になります。

(13)John wants as many cars as Tom has bicycles. (〇)
  (ジョンが欲しがっているクルマの数は、トムが所有している自転車の数と同数だ。)

(14)John wants more cars than Tom has bicycles. (〇)
  (ジョンが欲しがっているクルマの数は、トムが所有している自転車の数より上だ。)

(13)の‘as’+‘Tom has bicycles’や、(14)の‘than’+‘Tom has bicycles’からも明らかなように、やはり、‘as’や‘than’は、文をつなげるはたらきをもった接続詞である、と断定できるでしょう。

つまり、(4)の‘as Jack’や、(8)の‘than Jack’においては、前半の文で、既に使われている‘kicked Tom’や、‘John kicked’という同一表現の繰り返しを避けるために、(9)をもとにして、主語‘Jack’を残し、‘kicked Tom’が消去されている、または、(10)をもとにして、目的語‘Jack’を残し、‘John kicked’が消去されている、とでも説明されることになるでしょう。

(15)John kicked Tom when Jack kicked him. (〇)
  (ジャックがトムを蹴っ飛ばしたと同時に、ジョンはトムを蹴っ飛ばしたのだ。)

(16)John kicked Tom when Jack _. (×) (訳同上)

しかし、‘as’や‘than’が接続詞である、とは言っても、単純な接続詞というわけにはいきません。(15)は、接続詞‘when 〜’「〜 とき」が、‘John kicked Tom’と‘Jack kicked him’をつないでいて、当然のこと、OKですが、一方、(16)では、(15)において同一表現である‘kicked Tom’が消去されていて、何とアウトです。

つまり、本来、「接続詞+文」においては、その文の中の要素を、既に出てきたものと同一表現である、という理由で、どんなものでも自由に消去してもよいわけではない、ということなのです。

(17)John is as tall as I (am). (〇) (ジョンは、ボクと同じくらい背が高い。)
(18)John is as tall as me. (〇) (訳同上)

(19)John is taller than I (am). (〇) (ジョンは、ボクよりも背が高い。)
(20)John is taller than me. (〇) (訳同上)

さらに、(17)や(19)のような比較の構文では、‘I (am)’の‘I’が主格なので、前半の‘John is’の‘John’が主格であることに対して、バランスが取れているものの、一方、(18)や(20)のように、いきなり、目的格の‘me’を用いても、OKになるという不思議な現象が起こっています。

そして、(17)や(19)のような主格‘I (am)’は、格式ばった言い方であるため、あまり一般的であるとは言えない一方、(18)や(20)のような目的格‘me’は、(17)や(19)のような主格‘I (am)’よりも、一般に、かなりよく使われているという事実があります。

このように、比較の構文において、比較の対照を示す‘as’や‘than’は、後続する文に対して、特殊な振る舞い方を許す接続詞という点で、かなり、慎重な扱いが必要になってくるのがわかると思います。というよりも、もっとハッキリ言ってしまえば、今回の観察結果からは、‘as’や‘than’が接続詞である、という結論自体が、まだまだ怪しいのではないか、という疑問も、まだ残されています。

今回のポイントは、比較の構文、‘as 〜 as ・・・’「・・・ と同じくらい 〜 だ」と、‘〜 -er than ・・・’「・・・ よりも 〜 だ」における共通した特徴です。比較の構文において、その比較対象を明示するはたらきがある‘as’(前半の‘as’ではなく、後半の‘as’)や‘than’は、共通した特徴をもってはいるものの、どういった分類をすればよいのか、その一般化が、なかなか困難な特殊な性質をもっている、ということを示しました。

また次回も、この問題について扱ってみたいと思います。

●関連: EG20EG105EG106EG107EG108

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桜が咲きました。やっぱり、きれいですね。

2006年02月25日 | その他
桜の写真を撮ったので、珍しく画像をアップしてみます。
毎年、暖かくなり始めた頃、ほんの短い間だけ
咲いて楽しませてくれます。
今年は、暇をつくって花見に行けるかなぁ、
なんて思ってますが、どうなるんでしょうか?
とりあえず、浅草・隅田川の桜を希望ですが ・・・(焦)。

■注 :この記事は3月30日の記事だったものですが、索引欄をトップに上げる関係で、
    日付違いのエントリーに移しています。御了承下さい。


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サイト・リニューアルのお知らせ

2006年01月26日 | その他
現在のEG (英語学習) シリーズから、コラムを独立させて、EC (英語コラム) シリーズというカテゴリーを立ち上げる予定です。これまで、27本のコラム記事を書いていますが、「英語脳!」は、もともと、現在のような学習記事が主体になるようなサイトにするつもりではなく、漠然と英語に関するあれこれを書こうと、無計画なまま見切り発進したサイトでした。

しかし、いつの間にか、筆者の気が変わってしまい、各学習記事が特定の記事とリンクし合いながら、具体的に英語の構文などを扱う、積み重ね解説型の英語サイトへと変貌していきました。というわけで、やたらと初期の記事にコラムが偏っており、最近は、全くと言ってもよいほど、コラムの執筆をしておりません (涙)。

そこで、コラムも学習記事も、1つの枠組みで扱っている以上、学習記事を主体にするEGナンバーが進むにつれて、コラム記事を差し挟むタイミングなどをうかがわねばならず、躊躇している間に、学習記事の方をどんどん書き上げてしまったため、実際、最近は、かなりのコラムネタを見送ってしまいました。

このままでは、コラムとして気軽に書きたい内容にも、何かと制限がついてしまうという不都合が生じてしまうので、やはり、コラムをちゃんとEGから独立させて、ナンバーを分けた方が良いだろうと判断しました。

というわけで、ここしばらくは、コラム記事の移設作業という形式で、サイトリニューアルを致しますので、その際は、各記事のリンク切れが発生してしまう恐れがあります。御不便をおかけしますが、何とぞ、御容赦頂きたく存じます。

リニューアルプランとしては、これまでの各コラム記事27本のEGナンバーを、ECナンバーとして、新たに、EC01 〜 EC27として、リセット致します。その際、空白になったEGナンバーは、新たに埋め合わせのためのEG記事を書き下ろすことに致します。

そうすると、EGシリーズの埋め合わせ記事としては、初期構成の記事に該当するものが大半になるわけですから、映画「スターウォーズ」式に、かなり初歩的、かつ、初期的な段階の学習記事を、最新作として、後から書くことになりますが、それでも、なお、このサイト独特の、いわゆる、「重箱の隅を突付きまわすようなネットリ型解説」にしたいと思っておりますので、よろしくお願いします (笑)。

■2006年5月14日をもちまして、27本、全てのリニューアル記事を、無事書き終えました。

【仮設】 英語コラム (EC) 索引  

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「英語脳をつくる!」 英語コラム(EC)・索引

2006年01月26日 | 索引欄

【索引(1)・各EC番号順】 
EC01EC02EC03EC04EC05EC06EC07EC08EC09EC10
EC11EC12EC13EC14EC15EC16EC17EC18EC19EC20
EC21EC22EC23EC24EC25EC26EC27EC28EC29EC30
(,06/09/25)

【コラム】
★01・英語は、「実技」/ ★02・「習うより慣れよ」は、ホントか?/ ★03・外人さんと話すときは/ 
★04・ホントに必要な構文か?(1)/ ★05・ホントに必要な構文か?(2)/ 
★06・リスニングの正体/ ★07・日本語は難しい/ ★08・電子辞書/ 
★09・関係節にお世話になる/ ★10・‘a’とか‘the’っても/ ★11・能動文と受身文/ 
★12・ハロウィンの惨劇/ ★13・文法用語/ ★14・避けられる完了形/ 
★15・やっぱり暗記ですかね?/ ★16・挿入っても ・・・/ ★17・記憶とは?/ 
★18・つくっちゃうコトバ/ ★19・二つの疑問詞/ ★20・どちらを取るか?/ 
★21・コトバで理解する/ ★22・過去形は使いにくい(1)/ ★23・過去形は使いにくい(2)/ 
★24・せっかくだから使いましょう/ ★25・発音記号廃止論?/ 
★26・正しい・間違いの判断(1)/ ★27・正しい・間違いの判断(2)/
★28・「代名詞は古い情報」はホントか?/ ★29・「全て」の謎にせまる/
★30・考えて選ぶ/ (,06/09/25)

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英語コラム(27)

2006年01月26日 | コラム
EC26の続きです。EC26では、日本語を例に取って、コトバの可否を判断する上で、文法性の他に、知覚的にどう感じられるか、という、観点も必要であると述べました。今回は、英語を例に取って、以下、見ましょう。

(1)This is the dog that chased the cat that killed the rat that ate the malt
   that lay in the house that Jack built.

いきなり、(1)ですが、はぁ?何ディスカ、これは?となってなってしまいますね(笑)。(1)は、ちょっと不親切な出し方だったかも知しれませんね。では、(1)を、順を追って解釈してみたいと思います。

(2)This is the dog [ that chased the cat ]. 
  (これが、[ そのネコを追いかけていた ] イヌだ。)

(3)This is the dog [ that chased the cat [ that killed the rat ] ].
  (これが、[ [ そのネズミを殺した ] ネコを追いかけていた ] イヌだ。)

(4)This is the dog [ that chased the cat [ that killed the rat [ that ate
   the malt ] ] ].
  (これが、[ [ [ その麦芽を食べた ] ネズミを殺した ]
   ネコを追いかけていた ] イヌだ。)

(5)This is the dog [ that chased the cat [ that killed the rat [ that ate
   the malt [ that lay in the house ] ] ] ].
  (これが、[ [ [ [ その家に積んである ] 麦芽を食べた ]
   ネズミを殺した ] ネコを追いかけていた ] イヌだ。)

(6)This is the dog [ that chased the cat [ that killed the rat [ that ate
   the malt [ that lay in the house [ that Jack built ] ] ] ] ].
  (これが、[ [ [ [ [ ジャックが建てた ] 家に積んである ] 麦芽を食べた ]
   ネズミを殺した ] ネコを追いかけていた ] イヌだ。)

まず、(2)から出発します。カギカッコは関係節です。(EG24、EG26参照)その関係節が、‘the dog’「イヌ」にかかっています。次の(3)では、(2)の関係節内にある目的語、‘the cat’「ネコ」に、新しく、関係節が付加されています。つまり、関係節の中に、もう1つの関係節が、組み込まれるカタチになっていますね。このとき、新しく、内側に組み込まれた関係節内は、‘the rat’「ネズミ」が目的語で、かつ、最後にきている単語であることに、注意して下さい。

次に、(4)でも、同じく、新しい関係節が、‘the rat’に付加されています。ですので、(4)では、また、さらに、関係節の内側に、新しい関係節が追加されている、という状態です。このとき、最後の単語は、目的語の‘the malt’「麦芽」です。次に、(5)でも、同じことを、繰り返しますので、最後の目的語‘tha malt’「麦芽」に、関係節が付加されて、最も内側の関係節が、もう1つ増えています。最後に、(6)でも、最後の目的語‘the house’に、関係節を付加して、同じことを繰り返す。つまり、また、最も内側に関係節が、もう1つ増えています。そうすると、最終的に、(1)のようになる、というわけです。

結局、(1)の成り立ちは、(2)〜(5)まで、順を追って、最後の名詞に、それぞれ、新しい関係節をくっつけていくことで、次第に、文がふくれ上がっていった、というだけのことで、生成過程そのものは、単純で簡単なことを繰り返したにすぎません。

ところで、(1)の文は、英語として文法的かどうか、という話になります。順を追って、確認しながらやったので、想像はつくと思いますが、(2)から(6)に到るまでの生成プロセスで、何ら英文法のルールに違反することはやっていません。順序正しく、かつ、規則正しく、関係節を付け足していきましたので、もちろん、自信を持って文法的であると言えるでしょう。

しかし、ここで問題となるのは、実際に、(1)のような文を発話する話者がいるのか、と問われたら、答えは、まず、いないでしょう、と言うしかありません。何かのコトバ遊びで、ゲーム感覚として、意図的に発話されることはあるでしょうが、あまりに長すぎて、通常の会話文としては、あり得ないでしょう。

じゃ、通常の会話文として、あり得ないから、という理由は、コトバではない、という主張に転換可能かというと、そうでもなく、ごく稀に、とは言えども、コトバ遊びで使われることが可能であるのなら、それは、立派なコトバとして成立するんですね。そこで、(1)のような文に、あえて文句を言うなら、「悪文」という言われ方をするのでしょう、きっと。

ところで、興味深いのは、英語を母語とする話者が、(1)のような文を聞いて、どう感じるかというと、長い文だなぁ、とは言うけど、解釈の方はどうかというと、ちゃんとマジメにキッチリと最後まで聞いてさえいれば、さして無理なく、解釈できてしまう、ということなのです。実を言うと、これは、コトバの問題というよりも、「記憶力」の問題であって、(1)のような文が、何語であろうとも、コトバを使う能力とは異質な能力において、エネルギーを必要としますので、コトバからは独立した、ヒト共通の別個の問題なのです。次に行きましょう。

(7)The rat the cat the dog chased ate died.
(8)The rat、the cat、and the dog chased、ate、and died.

まず、(7)の文を見てください。(7)の文は、(1)と比べるとはるかに短いですね。しかし、解釈の方は大丈夫でしょうか。実は、(7)のような文を、英語のネイティヴに見せて、解釈させてみると、ほとんどの話者は、以下のように解釈してしまいます。

(9) そのネズミとネコとイヌは、追いかけ、食べ、死んだ。

確かに、一見したところ、(7)は、(9)の解釈であるかのように感じますが、しかし、(9)の解釈は本来、(8)の文に対する解釈であって、(7)に対する、正しい解釈ではありません。かなり、わかりづらいとは思いますが、実は、(7)の文は、(1)と同じく、関係節による文なのです。以下は、カギカッコによる、(7)の成り立ちと、その正しい解釈になります。

(10)The rat [ (which) the cat [ (which) the dog chased _ ] ate _ ] died.
   ([ [ そのイヌが追っていた ] ネコが食べた ] ネズミは死んだ。)

英語のネイティヴでも、(7)を読む際、結構、注意深く読んでも、なかなか(10)のような解釈に気付かないようです。もちろん、(7)は、(10)が示す通り、文法的な文であり、かつ、(1)よりも短い文であるにも関わらず、解釈としては、(7)の方が、(1)よりも、はるかに間違う確率が高いということなのです。ここで、(7)の解釈が、なかなかうまくいかない原因として、EC26で述べた、「知覚困難」があげられます。

どちらも関係節を使っているとは言え、(1)と(7)の決定的な違いが、(6)と(10)から明らかです。(1)に関しては、(2)〜(6)の生成プロセスにあるように、「最後の単語」に、関係節を順に付加していくようなつくりになっています。これは、文が終わってから、次の文、また終わってから、次の文、というようになっています。つまり、解釈のユニットがそれぞれ、まとまっているため、切れ目の良さがあり、故に、文が長いために記憶力のエネルギーが多少必要とされる、という点を除けば、解釈ユニットとしてのまとまり自体は、読みやすさに貢献しています。

しかし、一方で、(7)に関してはどうでしょうか。まず、(8)と比べてみると、姿カタチが、とてもよく似ている、と言えます。目的語の関係代名詞‘which’の省略があるため、最初の出だしからして、あたかも、「名詞(the rat)+名詞(the cat)+名詞(the dog)」というカタチで、それが「ネズミとネコとイヌ」のように解釈することを、要求している感じがしてしまいます。ここから、(10)のような関係節の成り立ちが予測できない話者は、手っ取り早い、単純な解釈にしようとして、本来の(7)対する解釈の意識が、どうしても(8)と被ってしまうのです。

さらに、解釈ユニットという点からも、(10)は、主語‘the rat’「ネズミ」に対する、述語‘died’「死んだ」にたどり着くまでの障害要因が多く、関係節内の主語‘the cat’「ネコ」が、その述語‘ate’「〜 を食べた」にたどり着くまでに、一度、‘(which) the dog chased’という関係節を、またがなければなりません。つまり、主語‘the rat’「ネズミ」に対する、述語‘died’「死んだ」に向かうまでに、ジッとガマンしている最中に、その中の関係節内にある、主語‘the cat’「ネコ」の述語‘ate’「〜 を食べた」が現れるのを、さらに待つという、ガマンが追い討ちをかけ、トータルで関係節2回分の、「二重ガマン」を強いられる状態になりますので、解釈上の精神的ストレスがここから発生します。

以上の観察から、コトバの「知覚困難」は、文の長さとは関係なく起こる、ということがわかったと思います。そして、さらに重要なのは、こういったことは、そのコトバが、「文法的」であるか否かとは、全くもって無関係である、ということです。

「文法の問題」と「知覚の問題」は、全く、別個に独立していて、ヒトが、コトバを、文法という観点からしか使用しない生き物であれば、ことは単純なのですが、そうはいかず、たとえ文法的ではあっても、その文法の使い方によっては、解釈上の「知覚困難」が発生して、結果的に「容認度」が低下することがある、ということです。この「容認度」低下の原因を、あたかも、非文法的であるからだ、として安易に結論付けるようなことはせずに、コトバを使用する上での処理の仕方の問題である、と捉えることが、外国語を学ぶ上での上達の早道なのは、言うに及ばないと思います。

●関連: EG24EG26EC26

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英語コラム(26)

2006年01月26日 | コラム
コトバの、「正しい・間違い」についてです。あまり、一般的には、それほど議論されることがない観点がありますので、あえて、そこにスポットを当てて、取り上げてみたいと思います。日本語を例に取って、以下、見ましょう。

(1)入場料が半額だ。
(2)あの映画館が入場料が半額だ。

(1)と(2)の日本語は、特に問題なく、普通にOKにできると思います。ここでのポイントは、(1)では、「〜 が」が1つ、(2)では、「〜 が」が2つ使われている、という点です。この点を踏まえて、さらに以下の日本語を見てみましょう。

(3)あの映画館が水曜日が入場料が半額だ。
(4)あの映画館が水曜日が女性が入場料が半額だ。

(3)は、「〜 が」が3つです。さすがに、「〜 が」が3つでは、ちょっと、う〜ん、と唸ってしまいますし、さらに、(4)では、「〜 が」が4つです。こりゃダメだわ、となってしまう人が、かなりいると思います。そこで、ちょっと、(3)と(4)に、変更を加えてみたいと思います。

(5)あの映画館は水曜日の入場料が半額だ。
(6)あの映画館は水曜日は女性の入場料が半額だ。

(5)と(6)は、「〜 が」を、部分的に、適当に他の助詞に変えてみましたが、(3)や(4)に比べると、かなりよくなっていると思います。ところで、(3)や(4)は、文法的には、どのような扱いを受けるんでしょうか。非文法的である、との判断を受けるんでしょうか。そこで、もし非文法的というなら、何を基準にして、非文法的とされるのか、ということを考えてみたいと思います。

もし、日本語の「名詞+助詞」は、同じ助詞を使った場合、複数ならんではいけない、と仮定するなら、OKとされる(2)も、非文法的でなければなりませんから、この仮定は、おそらく、ダメでしょう。では、同じ助詞を用いて、「名詞+助詞」が、3つ以上ならんだら、非文法的とするのはどうでしょうか。

(7)あの映画館は水曜日は入場料は半額だ。
(8)あの映画館は水曜日は女性は入場料は半額だ。

(7)では、「〜 は」が、3つ使われていますし、(8)では、「〜 は」が、4つ使われています。でも、(3)よりも(7)、(4)よりも(8)の方が、比較的、ましな感じはします。助詞によっては、同じものを連続して使っても、それほど悪くも感じないものがある、という事実は、助詞の数うんぬんという観点だけからは、語れないものがあります。今、「比較的」、と言いましたが、文法の世界では、このように、「比較的」、というよりも、ハッキリと、「〇・×」をつけなければならない、という印象があります。

でも、コトバって、そんなに、ハッキリと、「〇・×」で判断できるものなのでしょうか。今回、見た日本語の例は、そういった文法うんぬんの問題とは、ちょっと異質な問題である、という気がします。では、以下の会話を見てみましょう。

(9)A:「ねえ、一体、どこの映画館が、女性が、入場料が
     安いと思いますか?」
  B:「そうですね〜、新宿の映画館が水曜日が、女性が
    入場料が安いと思いますよ。」

(9)の会話は、(3)、(4)の日本語と類似した文を使っていますが、かなり、違和感が低減されているように感じますね。というのは、文の発音に抑揚をつけたり、話題の流れから、相手の発話にそって似たような文を使ったり、ということをしていると、さほど、おかしく感じないんです。

ここで、何を言いたいのかと申しますと、(3)や(4)の日本語は、いきなり急に、脈絡なしに、ポンと与えられると、変に感じてしまうけど、適切な状況(文脈)で用いると、意外に悪く感じない、ということなんです。これが、「〇・×」式にコトバを扱うことに抵抗を感じる原因なんですよね。これは、どう扱かったらいいんでしょうか。

ここで結論を言うと、ヒトのコトバに対する感じ方は、「文法的」かどうかに反映される、ということも、もちろんあるんですが、それだけではなく、「知覚的」にどう感じられるか、ということにもある、ということなんです。ですので、今回の(3)と(4)のような例は、「非文法的」である、というよりも、むしろ、「知覚困難」である、とした方がよい例なのです。

(3)と(4)の場合、その意味を考えてみると、意味的には、何ら破綻してはいません。ちょっと、「〜 が」が、しつこく連続するので、うっとうしい感じがするだけです。しかし、そのうっとうしさも、会話の中で、上手にコントロールしながら処理してやれば、(9)のように、そんなに違和感なく受け入れることができるのです。(もちろん知覚には個人差がありますので、(9)でもダメだという人もいますが。)

ここから、英語の場合でも、同じことが言えると思います。知覚上の、「容認度」というものが発生して、容認不可とされた場合、該当する英語が、本来、文法的であり、かつ、適切な文脈と適切なイントネーションで発話されれば、OKになることがあるにもかかわらず、「非文法的」と判断されてしまったりするケースがあるのです。この問題は、ことのほか、慎重になった方がよいと思います。

よく、こんな英語は使わない、というような評論をしている記事を、本やインターネットで見かけますが、その「〇・×」の判断の仕方に、筆者のコトバに対する姿勢(および、センス)が、よく反映されています。丁寧に調査した結果を、真摯に報告しているものもあれば、その一方で、一体、この「〇・×」の判断は、どういう調査をした結果なんだ、というような、ちょっと信用してもいいのか疑わしい根拠薄弱なものもあります。

今回の日本語に関する観察は、日本語の勉強をしている外国人に対して、(3)と(4)のような例を、特に何も考えずに、即座に、「非文法的」として伝えてしまう日本人がいる状況を、英語を学んでいる日本人と、英語のネイティヴという立場に逆転させて考えてみればよいと思います。

ネイティヴがそう言ったから、正しい、間違い、の問題は、どうのような調査がなされたのか、にかかっていると思います。英語のネイティヴに英語の可否を尋ねる場合、いきなり尋ねたい英語を、そのまま出すのではなく、類似する例文を列挙して、比較させてみたり、適切と思われる文脈においてみて、その上でどう感じるかを尋ねてみたりするのが、よりよい答えを得る方法の1つだと思います。

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英語コラム(25)

2006年01月26日 | コラム
自分の知り合いで英語の勉強している人たちには、発音記号が読めない人ってたくさんいます。そう言えば、自分も学校の授業で系統立てて習った記憶がないんですよ。ちょこちょこ人に質問して覚えていったような気がします。

最近はCDなどの音声教材って多いですもんね。電子辞書にもスイッチをピコって押せば発音が音で出てくるものがありますし。ま、趣味で英語やってるだけなら発音記号なんて、別に知ってなくたっていいんじゃないって思いもします。自分の旦那さんがネイティヴだとか、いつも職場にネイティヴいるとかいうならそれでいいですし。けど連中だって忙しいですもんね。いちいち何度も捕まえて尋ねられたりしたらイヤになるんじゃないかな、って思うんですが(←余計なお世話じゃイ!)。

例えば、CDや電子辞書からも知ることができない単語の発音で、どうしても使いたい単語がある時にはどうするんでしょうか。やっぱローマ字読みですか?というわけで、知り合いの1人に何で発音記号覚えないのって尋ねてみたところ、やっぱメンドくさいからって言うんです。

うぐぅ。ここはひとつ妥協して、カタカナ&平仮名を上手く使った発音の記し方でも必要かも知れませんね。っても英語の発音は平仮名やカタカナにした時点で、死んでしまうんじゃイ!と仰られる大御所もおられますしね。じゃこんなのはどうでしょう?平仮名&カタカナはスラッシュ(/)に挟まれているときだけ、英語の音として発音するというルールにするとか。いいでしょ?

/あー/は/a:/とか、/オゥ/は/ou/とか、要は何でもいいんですけど、文部科学省公認の対応表を作って学校で流布するとかすれば、少しは覚えやすくなるんじゃないかな。最初に、‘bridge’の最後の音は、/ぢ/と発音するので、/じ/じゃないよ、とかネイティヴの発音で聞かせながら教えておいて、カナ式発音記号と英語の音のイメージをしっかり結びつけて教えておけば、後は楽チンなんじゃないかな。っても、英語はビミョーに異なる「あ」のような音がたくさんあるからなぁ。そんときゃ、小ちゃく「ぁ」にするとか、「あ」を横に倒したり、逆さにしたり工夫するとかしてバラエティを持たせて頑張る。うむ。

ま、要するに、結局は、ちゃんと発音できりゃいいわけなんだし、そんな見栄張ってカッコ良い西洋文字使って、発音を記すなんてしなくてもいいじゃございませんか。みんなそれで逃げちゃったら元も子もないんだからさぁ。少しでも発音記号嫌いを減らす努力の一環として前向きに検討する価値はあると思いませんか?それで、「お、ジャップもなかなかやるじゃん、発音うまいじゃん。」って言われる国民が増えれば良いことじゃございませんか。

って今回はただのタワ言じゃないの。英語脳はどうなっとんキャー、こりゃ〜!ま、たまにはいいじゃないっスか、こういうのも(笑)。

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英語コラム(24)

2006年01月26日 | コラム
英語って色んな文を覚えてそれがスラスラと使えるのがベストなんだけど、人間の記憶力ってやっぱり限界がありますもんね。何とかして上手くつないで会話できんもんかな〜とつい思ってしまいます。

ある日、英会話学校に通っている知り合いが、夕飯の事を話題にして、「今夜食べられるだけの食料」って何て言ったらいいんだろうって訊いてきました。そんなに難しく考えなくても簡単で (ってホントか?)、‘enough foods to eat tonight’と言えば良いんだけど、言われて気付いても、その場で言えなきゃ会話にならないわけで、ここら辺りの発想の欠如が流暢なコミュニケーションの障害になっているのは確かなようです。

1つの方法として、会話用の暗唱例文を丸々暗記して覚えるよりも、もっと小さな単体の句を上手くつないで文を作る練習をした方がはるかに実践的だとは言えると思います。実は、中学校で習うような文法でも上手く使えば、かなりのコミュニケーションをこなす事が可能なんです。

「今夜食べられるだけの食料」は、‘as much food as we can eat tonight’と言っても良いし、場合によってはちょっと工夫して、‘I bought what we eat tonight. We will be full tonight’(今夜の食べ物買ってきた。これでお腹イッパイ。)でも十分OKだと思うし。

日本での英文法教育はよく批判にさらされるけど、使える部分だって随分とあるんですよ。ただ宣伝の仕方が上手くないんですね。というより全然しない。ま、学問なんで当然と言えば当然なんですが。この構文、試験に出るから覚えましょうね、とは教えるけど、この構文知ってたら、外人さんと話す時に、こ〜んなにお得なんですよ〜、役に立つんですよ〜っと宣伝をしないんです。

ま、CMはなくとも、要は、伝えたい情報を最小限の手段や労力でどうやってクリアしたら良いのだろうと考えて練習する度に、大体習った事があるような構文にたどり着きます。日本では、英文法の教育に関してはかなりの事を教わるので、実際、潜在的に利用できそうな材料はあらかたそろっているんです。せっかく習ったんだから、使わない手はないと思うんだけどな〜。

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英語コラム(23)

2006年01月26日 | コラム
EC22では、初心者にとって会話中に過去形をパッと使いきるのが難しいと話しました。けど逆に未来の事を言おうとする時に使う‘will’はどうなのって訊かれると、これが案外よく使ってる人が多いから面白いですよね。過去と未来は、ただ単に時間軸を反転させただけの表現なのに。これはまあ単純に‘will’の使い方は簡単だから、使いやすいからって事なんですけど、じゃ何で簡単なんだって話になるわけです。

結論から言うと、単語の変形を伴わないからです。‘drink’は過去の事に言及しようとすると、‘drank’に変形させなければならないんですけど、‘will’は動詞の原形の左側にくっ付けるだけでよく、これが過去形における単語の変形と比べると簡単に処理できちゃうという事なんですね。

1つの単語が担う仕事量が少ない程、言語処理においては使いやすいという事です。例えば、‘I will drink coffee.’では、‘will’で「未来」、‘drink’で「飲む」という風に、2つの事を言い表すのに、それぞれの単語が仕事を担っているので表現法として楽だという事になります。逆に‘drank’だと「過去」と「飲む」が1つの単語の中に集約されてしまい1つの単語が2つの仕事を担うので、結果的に扱いにくいという事になります。

ここから発展的に、例えば「〜 できる」の助動詞‘can’の過去形‘could’の会話中の使用について考えてみると、‘I can drink coffee.’はよく使えているのに比べて、‘I could drink coffee.’は、やはりなかなか使えていないという事実がよくわかると思います。これも、「過去」と「〜 できる」の2つの意味が‘could‘1つに集約されるからです。

「飲んだ」や「〜 できた」は文字としてみると覚えるのは簡単ですが、意味内容が意外に「濃い (=複合的)」ので、会話中の処理においては、ここらあたりに難しさが潜んでいるわけで、この事に気付けるかどうかが上達のカギを握っています。

●関連: EC22

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