マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

小石川七福神を巡る

2018年01月07日 | 東京散歩

今日は小石川七福神を回り、三徳「茗荷谷店」の朝市で野菜などを購入してきた。
 早朝散歩はこの頃は決まって茗荷谷方面へと足が向く。茗荷谷坂を下り切ると拓殖大学の正門。そこで道は二手に分かれる。右すれば江戸川橋方向に通じる茗荷谷坂の上りで、左すれば茗荷谷底の道。最近は丸ノ内線沿いに谷底を歩くことの方が多い。その折に深光寺が小石川七福神の一つという事を知り、”そうだ!今年は地元小石川七福神を巡ろう”と思った。
 今日のコースは
自宅→<深光寺>→<徳雲寺>→三徳「茗荷谷店」→<宗慶寺>→<極落水>→<真珠院>→<福聚院>→<源覚寺>→<東京ドーム>→自宅
 

 以下は回った七福神の写真と一口メモ。
 深光寺(恵比寿)・・・茗荷谷底から急な坂を上るとお寺の正面に至る。恵比寿像は、従来から祀られていた絵図のお前立として、石田栄一氏が作像したものだそうで、「南総里見八犬伝」で知られる江戸時代の戯作者、滝沢馬琴の墓もあるとのことであったが、今日は先を急いだ。(写真:下の右は丸ノ内線を潜る2つのトンネル)



  

 徳運寺(男弁財天)・・・茗荷の谷から急坂の藤坂を上ると春日通り。通りに面して徳運寺はある。まず建物の立派さに驚かされる。ご真体は、鎌倉円覚寺の弁財天の分身で、男性の顔の《人頭蛇身》だそうだ。



   
 

 宗慶寺(寿老人)・・・徳運寺にお参りした後、すぐ傍にある三徳で妻と落ちあい、朝市で野菜などを購入。兎も角お安く新鮮。おいて置いた自転車に買い出しの荷を積んで帰宅し、荷を空にして自転車で宗慶寺へ。このお寺さん、多くの参詣客で賑わっていた。家康の死後、側室の阿茶の局は俗世を逃れ伝法院に隠棲し、死後この寺に葬られた。ここから先は徒歩でなく、自転車で移動。

 
 
 
 極楽水(女弁財天)・・・現在建てられている「小石川パークタワー」はかつては共同印刷のグランドで、その一角に極落水があった。タワーが建てられた時に「極落水」はその記念に残された。名水だったのだ。30数年前、私は「文京区オリエンテーション」なるものに参加したが、その時にその名水を飲んだことがあった。タワー内の一角の森閑とした場所に女弁財天が祀られていた。

   

 真珠院(布袋尊)・・・家康の生母於大の方の生家。沼津藩主となった水野家の菩提寺。布袋尊は寺の裏にあった。実に大きな石像。







 

 福聚院(大黒天)・・・伝通院の鎮守寺として江戸末期に伝通院三十六世霊応聖人により奉られた大黒天を本尊としている。伝通院の門前にあった。(写真:下の右が伝通院)





  
 
 源覚寺(毘沙門天)・・・こんにゃく閻魔の俗称の方が有名か。寺の鐘について面白い記述があった。
 元禄時代に寄進されたこの鐘は、昭和12年サイパン島南洋寺に転出、昭和19年に軍民玉砕以降、消息不明となるも、昭和40年、テキサス州で発見され、昭和49年当山に寄贈された。
 
この寺すぐ傍に私の好きな飲み屋の「えんまや」がある。


  

 
 東京ドーム(福禄寿)・・・後楽園ドーム22番ゲート付近の総合案内所の裏手の植え込みに祀られている。水戸藩上屋敷(現後楽園庭園)内に福禄寿が祀られていた縁から、庭園と地続きの東京ドームに再祀したもの。

 
 


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