マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

映画『大鹿村騒動記』を観る

2011年08月04日 | 映画・美術・芝居・落語

 岡谷市にある「岡谷スカラ座」で「大鹿村騒動記」を観て来ました。実はこの映画、東京で観たかったのですが、日程の関係で、東京で鑑賞すること適わず。ネットで調べた結果、蓼科滞在中に岡谷スカラ座で上映している事を知り、7月28日(木)に岡谷まで出掛けて来ました。
 レンタカーは既に26日に返却していますから、山小屋から岡谷に出掛け、舞い戻って来るにはタクシーはいざ知らず、「東急リゾート」の送迎バスが唯一の足となります。乗車すること30分で茅野駅到着。中央線を上諏訪駅で一時下車。足湯に浸かり、酒蔵「宮坂酒造」で“真澄”を試飲ののち岡谷へ。ここ岡谷はかって絹糸の一大生産地。数々の“遺跡”が残っていますが、そこを訪れる時間的余裕はありません。駅から徒歩10分の岡谷スカラ座へ直行。岡谷市内で映画館はここ一箇所しかありませんが、何とここは映画村。数個の建物の中に8箇所ほどの映画館が存在しているのでした。

 この映画、全国上映直前に、主演を務めた“激優”原田芳雄は亡くなりました。かって、多くのアウトロー役を演じてきた原田芳雄は、私の中で、強烈なアクセントを持つ俳優の一人です。又、今から20年ほど前の8月、南アルプス縦走時、塩見岳からの下山地点が大鹿村。この時は村歌舞伎には出会いませんでしたが、この村にある秘湯の宿「鹿塩温泉山塩館」(映画に登場しています)に一夜の憩いを得たことがありました。一方、村歌舞伎との出会いは38年前の事です。福島県只見の塩沢にある学生村で一夏を過ごした帰りに、家人と訪れた檜枝岐村で、偶然にも檜枝岐歌舞伎に出会いました。演じる側と観客が一体となった空間を、よそ者の私は、不可思議なものに遭遇した様な感覚で眺めていました。私のなかで、この様な幾つかの関わりを持つ「大鹿村騒動記」、一刻も早く観たかったのです。

 南アルプスの懐に抱かれた大鹿村では、江戸時代から300余年余り、途絶えることなく村歌舞伎が演じ続けられて来ていました。そこで主役を張ってきた原田演じる風祭善は、食堂「ディアー・イーター」を営んでいます。公演を5日後に控えた村に、18年前に、駆け落ちした妻の貴子(役:大楠道代)と幼な馴染みの治(役:岸部一徳)の二人が、突然舞い戻ってきます。治は認知症となった貴子との生活が出来なくなり、貴子を善に押しつけて逃げてしまいます。
 原田演じる風祭はカウボーイハットを被りカッコ良く登場しますが、自分の顔を忘れ、奇行を繰り返す貴子との日常に疲れ果て、歌舞伎の練習が困難になり、役を降りようと決意するまでに追いつめられます。
 折しも村ではリニア新幹線問題を巡って役者同士が対立関係に。公演を翌日に控えて暴風雨が村を襲い、女形演じる一平(役:佐藤浩市)は車ごと川に転落し大怪我。果たして無事村歌舞伎の幕は開くのか・・・。観るものにハラハラドキドキの展開が続きます。
 当日演じられた歌舞伎は『六千両後日文章 重忠の段』。かって女形を演じた貴子がこの役の科白と演技だけは覚えていて、一平の代役を無事務めます。ここがこの映画のハイライト。大成功の歌舞伎に、観客席からは紙に包まれた多くの投銭が投げ込まれ、クライマックスとなります。
 
 村歌舞伎と映画の両方を楽しめました。俳優は他に三国蓮太郎・石橋蓮司・小野武彦・でんでん・松たか子など芸達者な役者たち。監督坂本順治+主演原田芳雄の組み合わせに、自ら進んではせ参じた俳優陣。撮影期間は2週間。アドリブの多い、熱気溢れる撮影現場だったそうです。その熱気がそのまま投影された映画に仕上がっていました。この撮影の過程そのものが、一つのドラマを形成していて、これを映画にしたら、これもまた面白いだろうなと思いました。
 この撮影が昨年の11月。頬はふっくらとし、活気ある演技を見せる原田芳雄が、これから僅か7ヶ月後にこの世から消えてしまうとは微塵も感じられません。原田の持つ不良性と村歌舞伎の持つ土着性が見事に結晶した、原田芳雄の遺作品でした。ご冥福を祈ります。


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