マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

長谷川等伯と狩野派展

2011年11月04日 | 映画・美術・芝居・落語

 11月1日(火)、家人と出光美術館に出掛け「長谷川等伯と狩野派展」を観てきました。長谷川等伯展は昨年3月に東京博物館で開催され、国宝「松林図屏風」が大きな話題を呼んで、私が行った日の3月12日(金)の前日には15000人もの入場者があったとの噂が流れていました。
 今回の展示に長谷川等伯の作品が何点出品されるかに関心を抱いていました。残念ながら3点のみの展示でした。(出光美術館の所蔵品のみの展示にしては凄いか!)
 今回の主題は、等伯と狩野派の異同を明らかにする事に力点が置かれ、それは次の、展示の構成からも明らかです。
Ⅰ 狩野派全盛
Ⅱ 等伯の芸術
Ⅲ 長谷川派と狩野派 ー親近する表現ー
Ⅳ やまと絵への傾倒
 
 良く知られているように、等伯が能登国七尾の地方絵師から、京に辿り着いた頃、信長や秀吉ら時の権力者の支持を得ていたのは狩野派でした。狩野派は若き永徳(1543年~90年)を当主として、巨樹表現を特徴とする壮大な桃山絵画様式を打ち立て、画壇に君臨していました。狩野派と比べて、等伯率いる長谷川派は、規模の小さな新興画派といえます。しかし、画壇の覇者として揺るぎない組織力を誇った狩野派も、急速に実力をつけてくる長谷川派に対しては、やがて警戒心を持つようになります。そして狩野派から長谷川派への嫌がらせと思える行為の幾つかが紹介されます。
 例えば、狩野晴豊が准后の九条兼孝に相談し、造営奉行の前田玄以をもってして長谷川派の対屋障壁画の制作を取り止めさた、所謂対屋事件などです。
 私は良くは知りませんが、この様な事件の紹介は以前の展示でも紹介された事でしょうが、今回の展示では両派の”親近する表現”が力説されていました。

 Ⅲ 長谷川派と狩野派 ー親近する表現ーでは
 長谷川派筆「波濤図屏風」と狩野常信(つねのぶ)筆「波濤図屏風」、また長谷川派筆「藤棚図屏風」と狩野重信(しげのぶ)筆「麦・芥子図屏風」などを隣接して並べて比較展示し、互いを強く意識するが故に、相手の表現を盗み学び、独自の表現へ高めようとしていたと、両画派の親近性を注目していました。又長谷川等泊も狩野派も共に、宋末元初の僧牧谿から多くを学んだとも指摘されています。

 私には両者の差異は良く分かりませんが、個人的好みとしては、権威に抗い一代を築きあげた風雲児等泊に”傾倒”します。その作品の展示は3点のみでしたが、好みの「竹虎図屏風」が出品されていて、その前の席に座って、右隻の獲物を狙う眼光鋭い猛獣に対して、左隻のユウモア溢れる虎ちゃんの対比を非常に面白い思いつつ眺めていました。一世を風靡した「柳橋水車図屏風」(長谷川派作品)もゆったりと鑑賞出来ました。(写真:竹虎図屏風 右隻)
 



      (竹虎図屏風 左隻)



(展示されてはいなかった等伯の柳橋水車図屏風:等伯画集を写す)