マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

豪徳寺から三軒茶屋へ(その2)

2011年11月02日 | 東京散歩

 烏山川緑道経由で辿りついたのが世田谷城址公園です。この公園は、70年ほど前の昭和15年に開園された、世田谷区内で唯一の歴史公園で、東京都指定文化財にもなっているそうです。まず目に付くのが土塁です。土塁に登り、周りを見下ろすと掘跡が見渡せます。土塁や丘、谷や樹木に覆われた、昔の面影を残す”立体的”な公園です。(写真:掘跡)



 
世田谷城は、初代吉良氏が南北朝の頃、関東管領・足利基氏から、武蔵国世田谷領をもらいうけた後、築城したのが始まりと言われ、以来二百数十年、吉良氏の居城として栄えてきましたが、1590年、秀吉の小田原侵攻の際に廃城となったそうです。(写真:土塁の一部)
 



 この城址公園の看板を見ていたKUさん、目敏くこの近辺に重要文化財「大場家住宅」が存在することに気が付き、「こちらにも行こう
」と。急遽予定拡充です。どちらの方向か迷っていると、付近の住民らしき高齢の方からのアドバイスあり。「ボロ市の方だな」と、世田谷線と世田谷通りを越えた先を示され、この助言に従って漸く辿り着いたのが大場家住宅と、それに隣接する世田谷区立郷土資料館です。



 大場家住宅は大場家7代六衛盛政が天文2年と宝暦3年の2度にわたる工事によって完成したもので、大場家は幕末まで彦根藩世田谷領の代官職を世襲したので、その役宅として使用されていました。それ故代官屋敷とも呼ばれていました。この代官屋敷の前の通りが世田谷ボロ市通りとして有名で、かの高齢老人の記憶は確かなものだと思い至ります。(写真:大場家住宅の門構え)
 







 資料館には、世田谷区の地理的資料が豊富に展示され、直前に散策して来た烏山川などや北沢川などの位置関係が良く分かります。更には「等々力渓谷展」が前日の29日から開催されていて、渓谷成立の原因究明の展示が行われています。渓谷成立原因について①自然成立説と②人工成立説が対立し、この展示は①説に立つと書かれています。”河川の争奪”にも触れられていて、じっくり鑑賞したかったのですが、時間の関係で流し読みしました。




 ここから緑道まで戻り、再び烏山川緑道を辿ります。途中国士舘大学脇を通り、名前のみ残る多くの小さき橋を越えた後松陰神社へ。ここから太子堂を訪ねる予定でしたが、ここまでにかなりの時間がかかり、太子堂(円泉寺)は断念し、キャロットタワーに目指しました。
(写真:再びの烏山川緑道)


 

 このタワーの最上階は入場料無料の展望スペースになっていて、そこから暮れゆく東京の郊外を眺めているといつの間にか、灯がともり始め、暫し夜景を楽しいんだ後千代の湯へ。この銭湯、番地のみを知っての探索で、漸く行きついた先はキャロットタワーのほぼ真下にある、入口とは思えない様な入口の銭湯。時代に取り残された様な銭湯でした。ひと風呂浴びて飲み屋街へ。現代的建物のキャロットタワーとその真下に残る昭和30年代の名残のような飲み屋街と銭湯。この様な落差にお目にかかれるのも東京散歩の楽しみの一つ。三軒茶屋からは地下鉄を乗り継いで帰宅の途に着きました。