電脳筆写『 心超臨界 』

人は経験に比例して賢くなるのではない
経験に対する対応力に比例して賢くなるのだ
( ジョージ・バーナード・ショー )

日曜日のセレンディビティ 《 秋山好古 》

2022-01-23 | 04-歴史・文化・社会
東京裁判史観の虚妄を打ち砕き本来の日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する。
( 心が臨界質量を超えるとは → http://tinyurl.com/5kr6f
( 東京裁判史観とは → https://tinyurl.com/ugz9qah
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《 拡散希望 》
『水間条項TVアーカイブが「凍結」されました◇高市早苗総理大臣実現は三島由紀夫の遺志を継ぐことである』
『林外務大臣は北方領土に関し安倍元首相の「2島返還」から「〝4島〟が日本の立場」と明言』
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《 いま注目の論点 》
『パール判事の日本無罪論』推薦のことば――小林よしのり
法務省人権擁護局、実は人権抑圧局。オマケで日弁連――倉山満
ブレイクニー弁護人の「原爆」発言――佐藤和男
敗戦革命へのレールを敷く――林千勝
根拠なき「男系男子排除」――阿比留瑠比
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セレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。
[ ウィキペディア ]


  発見は、誰もが目にしたものを見て
  誰も考えなかったことを思いつくことによって成立する
  ( アルベルト・ギョルギー }
  Discovery consists of seeing what everybody has seen
  and thinking what nobody has thought
  ( Albert Gyrogyi, Hungarian ballerina, 1898-1986 )


◆コサック騎兵を封じ込めた秋山好古

『読む年表 日本の歴史』
【 渡部昇一、ワック (2011/6/3)、p206 】

1905(明治38年)
奉天会戦
世界最強のコサック騎兵を封じ込めた秋山好古(よしふる)の画期的な戦術

海軍はともかく、陸軍のほうはロシアに対して万に一つも勝ち目がないと世界中から思われていた。世界最強と目されるロシアのコサック騎兵に比べ、日本の騎兵はまことに見劣りがした。何しろ徳川3百年の間、騎兵を用いる必要がなかったから、騎兵の運用は明治になって西洋から大急ぎで学んだばかりだし、馬もあわててオーストラリアから輸入して育成したものだった。日露戦争当時の世界中の人々が日本の勝利に耳を疑ったのも無理のない話であった。

そんな状況下にあって日本騎兵の創設者、秋山好古が考えたのは、いわば逆転の発想であった。騎馬での戦いでは、日本人がコサックに勝てるわけがない。だから、コサック兵が現われたらただちに馬から降りて、銃で馬ごと薙(な)ぎ倒してしまおうと彼は考えたのである。

これは騎兵の存在理由を根本から覆す発想である。「日本騎兵の生みの親」と言われる秋山将軍のようなエキスパートが、まるで自己否定のようなアイデアを思いつくというのは、普通はできないことである。一種の天才であったと言わざるをえない。

さらに秋山将軍は、当時ヨーロッパで発明されたばかりで、「悪魔的兵器」と言われながらもその威力が戦場では未知数であった「機関銃」を採用した。黒溝台(こくこうだい)における会戦で、日本騎兵の機関銃の前にコサック騎兵は次々と倒され、なす術もなかった。機関銃を中心とした秋山の騎兵集団(歩兵や砲兵を加えたので、秋山支隊と言われた)は、じつに無敗の軍隊であった。その結果、最終決戦となった明治38年3月の奉天会戦の戦場では、とうとうコサックは前線に現われなかった。機関銃は世界最強のコサックを封じ込めてしまったのである。

もしも秋山将軍の「コロンブスの卵」的な発想による作戦が行われていなければ、神出鬼没のコサック騎兵は日本軍の戦線を思うままに断ち切り、日本軍は総崩れとなっていたであろう。もちろん秋山は騎兵本来の機動力をも忘れず、少人数の挺身隊を作り、ロシアの後方を撹乱して奉天大会戦の勝利に貢献している。

この奉天会戦で秋山の部隊は敵の猛攻を受けながらも敵陣深く進むことに成功し、ついにはロシア軍の中心部近くにまで達した。わずか3千の兵力にすぎない秋山の部隊が出現したことを聞いて、敵将クロパトキンは震えあがり、ついにロシア軍に総退却を指令した。日本軍はこの機を逃さず追撃を開始し、2万人のロシア兵を捕虜にした。言ってみれば、秋山の部隊が奉天会戦の勝敗を決定したようなものであった。

世界中の人々にとって、日本軍の勝利はまるで奇跡を見ているかのようであったと思われる。戦争が終わり、真実が分かったとき、それまで世界中で「陸軍の華(はな)」と呼ばれた騎兵は、世界の陸軍から急速に消滅することになった。どんなに機動力があっても、機関銃の連射の前には何の力もないことが誰の目にも明らかになったからである。そこで、機関銃に負けない機動力を持つものとして、十年後の第一次大戦で、欧州の戦場に機関車が登場してくることになった。アメリカ軍などでは現在でも「騎兵部隊」という名称こそ残しているが、その実態はヘリコプター部隊である。世界で最も歴史の浅い、したがって最も弱いと思われていた日本騎兵が騎兵の時代を終わらせ、世界の陸軍を変えてしまったのだ。

世界最大の陸軍国ロシアを相手に日本が勝利できた原因として、総司令官大山巌、総参謀長児玉源太郎をはじめ、当時の日本軍の指揮官たちがみな維新の戦いや西南戦争の経験者ぞろいであり、実際の戦争を体で知っていた人材であったことも大きかった。
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