電脳筆写『 心超臨界 』

憎しみを鎮めるのは憎しみではない
愛のみによって鎮まるのだ
それが永遠のルールである
( お釈迦さま )

悪魔の思想 《 加藤周一――ソ連がフィンランドを恐れた理由/谷沢永一 》

2024-05-13 | 04-歴史・文化・社会
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つまり、フィンランドはソ連から舐められておらず、軽蔑されてもいないのであって、むしろ、うっかり手をつけたら、ただちに反撃されて火傷(やけど)する厄介な存在であると恐れられているわけです。あの貪欲きわまるソ連になぜそれほど強く警戒されているかについては後述しますが、「新たな世界戦争にもなりかねない」とまでソ連が深く怖れる理由は、言うまでもなく、フィンランドが軍事力を保有し、のみならず戦いの士気がなみなみならず強く、容易に撃破できないと見ているからです。


『悪魔の思想』 「進歩的文化人」という名の国賊12人
( 谷沢永一、クレスト社 (1996/02)、p196 )
進歩的文化人の麻酔担当医・加藤周一(かとうしゅういち)への告発状
第8章 祖国をソ連に売り渡す“A級戦犯”

  加藤周一(かとうしゅういち)
  大正8年生れ。東京帝大卒。医学博士。イェール大教授、上智大教
  授を歴任。反日的言辞を振り回す「朝日文化人」の筆頭格。

  七つ下がりの雨はやまぬ、という譬(たと)えがあります。午後4時
  頃からしとしと降り出した雨が一晩中やまぬ場合が多いのと同じく、
  それまで堅物だった男が熟年に及んで始めた放蕩は止まらない、と
  いう意味です。加藤周一は根っからの左翼ではないのですが、中年
  に達して、俺様ほどの者を最高の世論指導者(オピニオン・リーダ
  ー)として崇拝しないとは、世の中、なんだか間違っとる、と怨み
  の情がこみあげてきたせいでしょうか、みるみるうちに反日的日本
  人への道を突っ走りました。


8-3 ソ連がフィンランドを恐れた理由

加藤周一のフィンランド化の勧めが書かれるその7ヵ月も前に、武田龍夫(たつお)が『戦う北欧』(昭和56年1月23日・高木書房、改題『嵐の中の北欧』中公文庫)を刊行して、フィンランドの歴史と現状を克明に描いています。加藤周一は「短い旅行」で観察した自分の洞察力に自信を持つあまり、武田龍夫による記述を参照する謙虚な姿勢をすでに失っていたのでしょう。

やっぱり、本は読むべきものですね。武田龍夫の見るところはこうです。

  現在のフィンランド人は(中略)モスクワはフィンランドに内心一
  目置いていると考えており、そのことは衛星国にしてしまったフィ
  ンランドは、そうでないフィンランドよりはるかに手に負えない存
  在になってしまう、というソ連側指導者の認識とつながっていると
  考えている。またフィンランドを共産化するには武力による軍事占
  領だけであり、同時にそのことは恐らく新たな世界戦争にもなりか
  ねないという判断ともつながっている。
                        (『戦う北欧』)

つまり、フィンランドはソ連から舐められておらず、軽蔑されてもいないのであって、むしろ、うっかり手をつけたら、ただちに反撃されて火傷(やけど)する厄介な存在であると恐れられているわけです。あの貪欲きわまるソ連になぜそれほど強く警戒されているかについては後述しますが、「新たな世界戦争にもなりかねない」とまでソ連が深く怖れる理由は、言うまでもなく、フィンランドが軍事力を保有し、のみならず戦いの士気がなみなみならず強く、容易に撃破できないと見ているからです。

ソ連は観音様のように慈悲の心をもって、フィンランドを温かくいつくしんでいるのではありません。手を出したら逆に嚙みつかれて難儀な局面に立ち至ることが必定だから、癪に障るけれどやむをえず見逃しているにすぎなかったのです。そういう事情から生まれたソ連のフィンランド対策は、「むしろこれを共産圏外の〈飾り窓〉として、対ソ連協力の基本路線さえ誤らなければ、ある程度自由にさせよう」(『戦う北欧』)と許容する次第.となりました。つまり、西欧に対する見せかけのいわゆる飾り窓戦術に転換したわけです。

では、なぜソ連がフィンランドに「一目置いて」接するようになったのか。それは有名なフィンランドとソ連との冬戦争で、フィンランドが天晴(あっぱ)れ抗戦した実績がもたらした成果なのです。武田龍夫が簡潔に描きだすところは次のような経緯(いきさつ)です。

  1939年11月30日早朝、ソ連軍50万の大軍は延べ2500
  機に上る空軍の援護下に、宣戦布告もなく突如として芬ソ(フィン
  ランド・ソ連)国境の北部、中部、南部の三方面からフィンランド
  国内に向かって、怒涛のような進撃を開始した。
                            (同前)

歴史的教訓――「国家の抗戦なくして独立なし」 へつづく
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