電脳筆写『 心超臨界 』

悲しみは二つの庭を仕切るただの壁にすぎない
( ハリール・ジブラーン )

「緑の野」――デンマークを救ったダルガス親子の物語

2024-04-21 | 03-自己・信念・努力
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ひと口に植林と言っても、この土地では並大抵のことではありません。8百年前、ユトランドの平野にはよく茂った森林がありました。でも、伐採するばかりで手入れを怠ったために、土地は年を追ってやせ衰え、ついに荒れ果ててしまったのです。これを甦らせるには、溝を掘って水を注ぎ、平野の雑草を刈り取って、じゃが芋や牧草を植え、さらには木を植えなくてはなりません。なかでも一番難しいのは、木を植えることでした。


◆「緑の野」

『嵐の中の灯台――親子三代で読める感動の物語』
( 監修・小柳陽太郎/石井公一郎、明成社、p112 )

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デンマークは、緑の牧場と、モミとシラカバの森と、近海の漁場の
ほかには、鉱山があるのでもなく、良い港があるのでもなく、日本
の九州にも満たない広さの本土と、三つの島からなっている、小さ
な静かな国です。

美しいおとぎ話を世界の子どもたちに贈った、アンデルセンの生ま
れた国、世界の楽園といわれるこの国も、1864年に、ドイツ・
オーストラリア2国との戦いに敗れ、その賠償としてシュレスウィ
ヒとホルスタインという作物のよくできる2州を失ってしまったの
です。ですから、いかにして国の勢いを取り戻すか、これがデンマ
ークの国を愛する人たちの心を砕いた、もっとも大きな問題でした。
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この時、希望を抱いて立ち上がった一人の軍人がいました。戦場から帰ったエンリコ・ミリウス・ダルガス(1828-94)です。ダルガスは、年は36才、工兵士官として戦場に橋を架けたり、道路を築いたりしてきました。

「今、デンマークにとって、一番厳しい時だね。」

と、ダルガスの友だちが言いました。

「その通りだ。このままではデンマークは衰えるばかりだ。」

ダルガスは答えました。

「外で失ったものを、内で取り戻そう。ぼくたちが生きている間に、ユトランドの広野を豊かな緑の野にするんだ。」

ユトランドは、デンマークの半分以上の広さがあるのですが、その3分の1以上が、作物のできない土地でした。これを肥えた土地にするのが、ダルガスの夢でした。他人が失望しても、彼は希望を失いません。国運回復の計画を立て、剣で失ったものを鋤で取り戻そうと決心したのです。

ダルガスは戦争の間、工兵士官として橋を架けたり、道路を造ったり、溝を掘ったりするときに、よくその国土の地質や、その土地にあった作物についての研究をしました。こんどはその研究を生かして、残った土地の大部分を占めるユトランドの荒れ地と戦い、これを豊かな土地にしようとする大計画を立てたのです。ダルガスは、とおりいっぺんの空想家ではありません。彼は科学的知識の持ち主であり、同時にその胸には理想への強い思いが漲(みなぎ)っていました。

この夢を実現すためにダルガスの取るべき手だては、ただ二つしかありません。その第一は水を引くことであり、第二は木を植えることでした。

しかし、ひと口に植林と言っても、この土地では並大抵のことではありません。8百年前、ユトランドの平野にはよく茂った森林がありました。でも、伐採するばかりで手入れを怠ったために、土地は年を追ってやせ衰え、ついに荒れ果ててしまったのです。これを甦らせるには、溝を掘って水を注ぎ、平野の雑草を刈り取って、じゃが芋や牧草を植え、さらには木を植えなくてはなりません。なかでも一番難しいのは、木を植えることでした。

「何か、この荒野に適する木はないだろうか。」

ダルガスは、荒地に育つ木があるかどうかについて、研究を重ねました。何日も何日も神に祈り、どうしたら木が育つのかを考えました。そこで思いついたのが、寒さや荒れ地に強いと言われているノルウェー産のモミの木でした。これならユトランドの荒れ地にも育つだろうと思って、実際に試験してみました。すると、確かにモミの木は生えるのですが、数年もしないうちにすべて枯れてしまいました。ユトランドの荒れ地にはもはや、この強い木を養う力さえ残っていなかったのです。人々は、ダルガスのところにたくさんの苦情を持って来ました。ダルガスは、これらの苦情を黙って聞きました。そして皆に言いました。

「大変な仕事ですが、もう一度やり直しましょう。」

「もう一度やり直すって? いったい誰がやり直すというんです。」

人々はダルガスに聞き直しました。すると、ダルガスは力を込めて答えました。

「わたくしたちですよ。だってこの土地は、私たちの大切な国ではありませんか。」

人々は、国を思うダルガスの真心に動かされ、もう一度協力することを誓いました。

「自然は、この難しい問題を、必ず解決してくれるにちがいない。」

とダルガスは熱心に研究を続けました。そして、ダルガスがふと思いついたのが、ノールウェー産のモミの間に、アルプス産の小モミの木を植えることでした。すると不思議にも、その2種類のモミの木は、互いに助け合うように成長し、年が経っても枯れないでよく茂りました。

「やったぞ。これなら木が枯れずによく茂る。デンマークに緑の野ができるぞ。」

こうしてユトランドの荒れ野には、年ごとに緑の野が広がりました。ダルガズの希望であり、デンマークの希望であるこの植林事業は、みごとに花開いたのです。そして、デンマークの人々の、国を盛りたてようという意気込みは、年々高まっていきました。

しかしまだ問題は残っていました。緑の野はできましたが、そこから建築用材を生み出したいというダルガズの希望は、なかなか実現されなかったのです。先に述べたようにノールウェー産のモミは、アルプス産の小モミを植えたので、枯れるという心配はなくなりました。しかし、ある程度の大きさになると、そこで生長を止めてしまったのです。

「どうして生長がとまるのだろう。」

悩むダルガスに、デンマークの農夫たちは次第にあせり始めて、

「ダルガス、こんな小さな木では木材は出来ないぞ。なんとかしてくれ。」

と言って詰め寄りました。ダルガスは、そうした苦情にも黙って耐え、研究を重ねました。


ダルガスの長男フレデリック・ダルガスは、父の性質に似て植物の研究が好きでした。長年の父の努力を見続けてきた若いダルガスは、父の仕事をどうにか手助けできないものかと、研究を続けました。そして、彼は、モミの生長について大きな発見をしたのです。

「大モミが、ある大きさ以上に生長しないのは、きっと小モミをいつまでも大モミのそばに並べておくからだ。ある時期になったら、小モミを切り払ってしまえば、大モミは土地をひとりじめにして、生長するにちがいない。」

そこでダルガスは息子の意見を入れ、小モミを切り払ってみると、予想どおりの結果になりました。

「フレデリック、よく気づいた。大モミが生長し始めたぞ。」

小モミは、ある大きさまでは大モミの生長を促す力を持っているのですが、それを超えると、かえって妨げになるという植物学上の理論が、ダルガス親子によって実証されたのです。こうしてユトランドの荒れ地には、背の高いモミの林が見られるようになったのです。

「すごいぞ、ダルガス。これでユトランドが甦るそ。」

友だちは揃ってダルガスの肩をたたいて祝福しました。


ダルガス親子の発見と努力によってもたらされたのは、木材だけにとどまりません。第一にユトランドの気候が、そのよい影響を受けました。木の茂っていない土地は、熱しやすく冷めやすいので、ダルガスの植林以前は、ユトランドの夏というと、昼は暑く、夜はときに霜まで見ることがあったのです。

そのころ、ユトランドの農夫の作った農作物は、じゃが芋、黒麦、そのほかわずかなものに過ぎませんでした。しかし、植林が成功したあとの農業は、すっかり変わりました。夏に霜が降りることはまったくなくなり、小麦、さとう大根など北ヨーロッパ産の農作物で、できないものはないまでになりました。ユトランドの荒れ地は、大モミの林のおかげで、肥えた田園地帯に生まれ変わったのです。木材が与えられた上に、よい気候が与えられ、豊かな土地と農作物が与えられたのです。

そればかりではありません。茂った林は、海岸から吹き送られてくる砂ぼこりを防ぎ、さらに北海岸特有の砂丘を海岸近くでくい止めました。

霜が消え、砂が去り、その上、水の害の心配もなくなったので、すたれた都市が再び興り、新しい町村が生まれ、道路や鉄道がいたるところに敷かれました。牛や馬を飼う牧場も次々にできて、バター、チーズは外国までも輸出されるようになり、世界でも指折りの富んだ国になっていきました。


こうしてユトランドの原野には緑が甦りました。ユトランドは生まれ変わったのです。戦いによって失われたシュレスウィヒとホルスタイン以上のものを、ユトランドの荒れ地に生み出すことができたのです。

しかし、ここで忘れてならないことは、木材よりも、農作物よりも、もっと尊いものが甦ったということです。それは「全国民の魂」です。デンマーク人の魂は、ダルガスの研究と実行の結果として、すっかり生まれ変わりました。敗戦のために意気の衰えていた国民は希望を取り戻し、ひたむきな研究と我慢強い実行、誠実な協力によって、荒れ地を緑の野とし、祖国を甦らせ、ついに今日のような豊かな国家をうち建てることができたのです。

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このダルガスの物語は、明治44年に内村鑑三が「デンマルク国の
話」と題して行った講演の中で紹介されたもので、のちに一冊の本
にもなって広く知られるようになりました。これを読んで共感した
人々の中には、デンマークに渡って、植林や農業の技術を学ぶ人も
いました。また当時はげ山が多かった朝鮮半島に出かけて植林事業
を進めた人もいました。

内村鑑三は、そのあとも事あるごとに、この物語を引用して「国を
興さんとすれば木を植えよ」「植林は王者の業(わざ)なり」と、
植林の意義を熱心に訴え続けました。
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