電脳筆写『 心超臨界 』

人は歳をとったからといって遊ぶことを止めない
人は遊ぶことを止めるから齢をとるのだ
( バーナード・ショー )

◆「進歩的文化人」という名の国賊《 横田喜三郎——栄達のため、法の精神を蹂躙した男 》

2024-05-28 | 05-真相・背景・経緯
§4-4 戦後の戦争の敵の中にはスターリンの息のかかった共産主義者がいた
◆「進歩的文化人」という名の国賊《 横田喜三郎——栄達のため、法の精神を蹂躙した男 》


法の精神に即して言えば、パール判事の『日本無罪論―真理の裁き―』(田中正明編、昭和27年5月3日・太平洋出版社)が最も正しく、横田喜三郎の『戦争犯罪論』は理屈にもなっていない暴言放言の羅列です。横田喜三郎は恥も外聞もなく、いちはやく進駐軍のご機嫌をうかがって、戦後の学界における自分の卓越した位置をかためたかったのでありましょう。


『悪魔の思想』 「進歩的文化人」という名の国賊12人
( 谷沢永一、クレスト社 (1996/02)、p114 )
反日的日本人第1号・横田喜三郎(よこたきさぶろう)への告発状
第5章 栄達のため、法の精神を蹂躙(じゅうりん)した男

  横田喜三郎
  明治29年生まれ、東京帝大卒。東大教授、最高裁長官を歴任。昭
  和56年、文化勲章受賞。“東京裁判史観”の初代煽動者。平成5
  年没。

  東京裁判は無理矢理に行なわれた私刑(リンチ)でした。基準とすべ
  き拠(よ)るべき法律がなかったからです。開廷を命じたマッカーサ
  ーはのちに帰国したとき、東京裁判は間違いだったと証言しました。
  しかるに、その違法であり無法である東京裁判を、これこそ正当で
  あると全面的に支援し、そのためにあらゆる屁理屈(へりくつ)を総
  動員して、東京裁判を神聖化し合理化しようと努めたのが横田喜三
  郎です。進駐軍に身をすり寄せて阿(おもね)った第1号がこの東京
  帝国大学法学部教授でした。

■自己の栄達のため、法の精神を蹂躙(じゅうりん)した男

だから東京裁判をつかさどる連中は、心中ひそかに困っていました。そこで、彼らのために東京裁判を合法化してやろうという奇特な人が現われたのです。東京裁判は理に叶(かな)っているという理論を組み立てるという、途方もない曲藝(アクロバット)を演じる道化(ピエロ)の出現です。多数の日本人が死刑になることほぼ確実な私刑(リンチ)裁判を、いや、それは法の精神に照らして妥当なのだと、屁理屈のかぎりをつくして後押しする応援歌です。

その独唱をいちはやくはじめたのは外国人ではなく日本人でした。その人の名は横田喜三郎(よこたきさぶろう)。東京帝国大学法学部の教授で、専攻は、これまたうってつけの国際法です。

よく知られていますように、東京裁判は昭和21年4月29日、検察官による起訴状が発表され、5月3日、公判の開廷となります。結審は23年4月16日、そして11月4日から12日までかけて、判決文の朗読および刑の宣告が行なわれました。

この経過の途中、起訴状を全面的に支持し合理化するつもりの書物が書かれました。横田喜三郎の『戦争犯罪論』(昭和22年7月20日〈24年7月20日増訂版〉有斐閣)307頁がそれです。日本の戦争犯罪人は極悪の輩(やから)なのだから、思う存分に処罰してくださいという意味をこめた、東京裁判への援護弾が、世界の誰よりもさきがけて、日本人によって高らかに発射されたのです。

法の精神に即して言えば、パール判事の『日本無罪論―真理の裁き―』(田中正明編、昭和27年5月3日・太平洋出版社)が最も正しく、横田喜三郎の『戦争犯罪論』は理屈にもなっていない暴言放言の羅列です。横田喜三郎は恥も外聞もなく、いちはやく進駐軍のご機嫌をうかがって、戦後の学界における自分の卓越した位置をかためたかったのでありましょう。
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