カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

日録

2006-05-21 18:12:05 | Weblog
日録メモです。

 今日は久しぶりに快晴の休日だったので、かねてから行きたかった千葉県市原市姉崎453の顕本法華宗一乗山妙経寺(ご住職:橘無我氏)に出掛けました。家を出たのが朝の7時40分頃。地下鉄とJR総武線、内房線を乗り継いで、JR姉ヶ崎駅に到着したのがちょうど10時ぐらい。目的の妙経寺は、姉ヶ崎駅東口を出てすぐ目の前にありました。が、まずはお供えのお菓子を用意しようと考えて、ちょうど駅構内の市民ギャラリーコーナーで展示準備をされていた地元の方に、評判の和菓子屋さんの在り処を尋ねると、「駅を出て旧街道をちょっと行ったところにある松月堂が有名です。」とのこと。早速松月堂まで行き、お菓子を選びました。松月堂は、いちじくまんじゅうが有名なところらしいのですが、私は、杏ジャムをたっぷりはさんだ大きなロールケーキがすごくおいしそうでよさげに思えたのでそれにしました。

《姉崎松月堂のページ》
http://www.ichihara.or.jp/shogetudo_a/

 寺では、ちょうど法事をやっており、30分ほど墓地の東屋で待たせて頂きました。法事が終わって次に出掛けられるまでのわずかの時間、ご住職から「戊辰戦争の頃の妙経寺」について少しだけお話を伺うことができました。

 今回私が伺いたかったことは、

「戊辰戦争の船橋・市川戦争
http://www001.upp.so-net.ne.jp/hack/sensou.html

の際に、撒兵隊(さっぺいたい)第三大隊(隊長:増田直八郎)が姉ヶ崎の妙経寺境内に宿営した記録、文書が寺に伝わっているのかどうか。」でした。

 ご住職によれば、現在の妙経寺には、撒兵隊(さっぺいたい)関係者の墓は伝わっているものの、撒兵隊の宿営関連の文書は残念ながら一つも伝わっていないとのことでした。

                **

 もともと姉ヶ崎駅前の一等地に広大な寺域を持っていた妙経寺は、平成12年に完成した姉ヶ崎駅前区画整理事業のために、かなり広大な境内地を手放したとのことです。
 上の写真は、妙経寺旧山門の位置から、妙経寺の旧境内地の大ケヤキ、ならびに現在の山門、本堂を望んだところです。「旧妙経寺の大ケヤキ」は、幸いなことにまだ伐採されずに残っていますが、なんとなく寂しげな風情を漂わせています。旧山門跡の近くには、「駒繋ぎの桜」(寺を訪ねてきた人が馬を繋いだという言い伝えのあった見事な桜の古木)があったそうですが、伐採されてしまったそうです。

《妙経寺の風景の変遷》
http://www.ne.jp/asahi/anesaki/ichihara/omoide/jinjya/myoukyouji/myoukyouji.htm

                **

 今回の用事が一通り済んで、それまで一滴の水も摂らなかった私は、精進落としを兼ねて食事をとろうと、「おいしくてすごく安い」と地元で評判らしい「寿々女(すずめ)寿司」に行くことにしました。店は、駅前の旧街道を木更津方面に進み、「椎津(しいず)」交差点で左折、かなり長い富士見坂を登りきったところ。駅前から約2キロほどの道のりの場所です。店に着くと残念なことにシャッターが下りていました。日曜は休みとのこと。。。仕方なくまた姉ヶ崎駅前に戻り、手近な食堂に入って精進落としをしました。

 メモ。

《寿々女(すずめ)寿司》
住所:千葉県市原市椎津1038-4
電話:0436-61-3713
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