カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

1988年の蛍雪時代。

2019-11-28 09:47:06 | Weblog

高校3年のときの大学受験がすべて失敗に終わり、「こんなことでは大学まで勉強しに行く意味がない。働きに出ろ」という父に土下座して一年間浪人することを許してもらった頃、〈いま、この地球上に/たくさんのボクがいる代わりに/たったひとりのボクがいる/なぜって、経済的に安上がりだから、と/大人たちはいう〉という詩句が唐突に浮かび、「悲しみー『メサイア』に寄せて」と題するやや長めの一篇の詩にまとめた。それを雑誌『蛍雪時代』の白秋の甥の詩人山本太郎先生が選者をされていた投稿詩のコーナーに出したのだ。それから一、二ヵ月か後、思いがけなく図書券が送られてきて、その詩が、「『メサイア』はハレルヤコーラスのあの名曲のことだろう。屈折した心理が興味深い。」という山本先生の評付きで1988年5月号の2席に入選したことを知った。そのことに励まされた私は、何編かの詩をまた書いて投稿詩のコーナーに送ったのだが、山本先生が選者をされていたそのコーナーは間もなくなくなってしまった。先生が講演会中に倒れられて急逝されてしまわれたのだ。

1988年のことだった。

掲載ページの画像。

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今朝の夢。

2019-11-28 07:53:05 | Weblog

たくさんの人が来ている平原にグランドピアノの置かれたステージが設えられていて、これから此処で八村義夫氏の『ピアノのためのインプロヴィゼーション』ほかの作品が演奏されるところ、という夢を見た。その平原からは周囲に山が見えて海は臨めないが、瀬戸内海の島にある土地であるようだ。座席に配られている瀬戸内の歴史に関する雑誌をパラパラ観てみると、後ろの方に『あなたの家のご先祖』というページがあり、〈十代ぐらい前からのご先祖〉として、験作→周作→・・・→正作→・・・と名前が羅列されていた。ほお、と思って眺めた。

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疾走するアレグロ。

2019-11-27 03:05:56 | Weblog
夢を見た。

そこは、どこかの集合住宅の一階にある、気持ちのよい店長やスタッフこだわりの、大きなぬいぐるみ、小物からポータブルな楽器、書籍までを扱っている雑貨店で、私もスタッフのひとりであるらしい。ある日、店長が見つけてきた三台の小ぶりな、感じのよいチェンバロが入荷してきて、店頭に置かれた。早速、私も含めたスタッフ三名がチェンバロに駆け寄り、モーツァルトの主題に基づく熱い即席セッションを始めた。疾走するアレグロが心地よかった。じつにじつに楽しかった。セッションが終わって辺りを見回すと、チェンバロの傍らに、やはり店長おすすめの分厚い書籍、南聡著『平賀源内伝』が平積みされているのが見えた。
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今朝の夢。

2019-11-26 06:50:14 | Weblog
今朝見た夢はかなり具体的なものだった。

それは、作曲家高橋悠治先生が講師をされている一週間に亘る〈民謡による作曲講座〉で、私はその最終日の教室に潜り込んでいた。どこかのビルのそんなに広くない部屋に教室後ろの立ち見のひとたちも入れて数十人はいたかもしれない。その日の課題は、先生が鼻歌で歌われた譜例のメロディを使った作品をその場で作るというもので、聴講生はみんな一心にペンを走らせていた。。
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場所の記憶。

2019-11-24 06:12:24 | Weblog

〈場所の記憶〉というものがあるのかもしれない。一昨日国会図書館へ出掛けた折りのその途中、何の気の迷いか、ふらふらと上智大学市ヶ谷キャンパスの跡地の前を通ったことが、私のなかで封印してきた中学時代に受けた〈自己肯定感〉大幅欠損の記憶の蓋を抉じ開け、その傷にぴたぴたと触れてしまったらしい。その晩、又従姉とメールで何でもない会話をしていたとき、偶々話が私自身の昔のことに及んだ瞬間に強烈な〈自己否定・自己拒絶・自己嫌悪〉の感情の波が襲ってきてたちまち私は覆われてしまった。じつに久々なことだったけれども、あ、これはたちの悪いPTSDの発作だ、困った、と思ったが、如何とも仕様がなくて、又従姉の前でしばらく感情の波に翻弄されながら荒れてしまった。そんな私に、神経内科病院での勤務経験がある又従姉は、冷静に対応してくれた。有り難かった。

場所の記憶とは、厄介なものだ。

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国会図書館。

2019-11-21 23:52:50 | Weblog

休みの今日は、国会図書館で『日本医籍録』を閲覧し、曾祖父が大正3年の医術開業試験に及第した事実を確認した。



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かつて。

2019-11-21 17:18:09 | Weblog

上智大学市ヶ谷キャンパス。中学の頃、通っている公立中学校が全くまともでなく、勉強どころではなくて、普通に生きることさえもままならない苦しい日々だったけれども、毎週日曜日、市ヶ谷一口坂に本部があった秀英教育センターという高校受験のための塾に通わされた。そこでは定期的にクラス分け試験が行われていて、成績順に会場クラスを振り分けられた。全く勉強する精神的余裕を失っていた私はいつも最底辺をうろうろして、上智大学市ヶ谷キャンパスに会場を借りた市ヶ谷教室のクラスになることが多かった。当時の上智大学市ヶ谷キャンパスはこじんまりとした清潔な安らいだ空気に満ちたところで、授業の前、前庭の木立の下のベンチにしばしば腰かけていた記憶がある。今日たまたま久しぶりに前を通ったら、共同住宅になるらしくて重機が唸りをあげて校舎建物を解体していた。

 

上智大学市ヶ谷キャンパス廃止について。

https://www.sophia.ac.jp/jpn/news/PR/ichigaya_closed.html

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ひとりごと。

2019-11-20 23:02:12 | Weblog

仕事のあと。古い文書を眺めながら、曾祖父というひとの13歳から30数年近くも医者免状を貰うための受験生活を続けてしまったその人生と思いを想像してみる。曾祖父の父親は若い頃から相当な努力家できわめて優秀だったようだ。入門した師匠から早々に認免状を貰うことができ、苗字帯刀も豪華な駕籠での御所出入りも許されるようになったらしい。当然、その後継ぎを期待された曾祖父は大きなプレッシャーを早くから常に感じていたと思われる。そんな曾祖父もその人生の終盤近く最終的には医術開業試験後期免状を得ることに成功したらしい。それが大正何年のことだったのか、まだよくわかっていない。官報で調べてみたいと思っている。

それにしても、近頃は先祖の誰かから伝来のくしゃみ連発のあと、少々つかれて眩暈を感じてしまう。頭がくらくらする。


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河豚毒。

2019-11-16 06:28:36 | Weblog

石田比呂志氏の歌集『春灯』(平16)よりメモ。

拝啓、御無沙汰しましたが石田君河豚の毒にて頓死、敬具  石田比呂志

ユニークなのですが、この一首では、読点「、」も一音として読まれるように計算されてつくられています。59577のリズムで飄々と詠われています。むかしむかしに読んだ坂口安吾の「ラムネ氏のこと」https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/card45864.htmlの、ほのかなかすかな、本当に遠い記憶の中にですが、たしか、どのきのこが毒きのこかを識別し伝えていくために歴史上に何人ものきのことりの名人がいたにちがいなく、そして彼らはかならず最期には未知の毒きのこに当たって従容(しょうよう)として死に就いたはず、人類はそういう悲劇の繰り返しの果てに食の楽しみや喜びを獲得したのである、というものがあって、なるほどと読んだ覚えがあります。石田さんのこの一首には、うたの素材はきのこではなくて河豚ですが、そういう名人たちの「歴史」のことを思い起こさせるなんとはなしの泥臭さがあるような気がします。惹かれます。

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来民廃駅。

2019-11-15 18:03:06 | Weblog

小説家町田康先生がTwitter#令和版百人一首リレー(55首目)で引かれていた石牟礼道子さんの一首「まぼろしの花邑みえてあゆむなり草しづまれる来民廃駅」の来民廃駅がこころに引っ掛かって、調べてみたら、熊本県の「山鹿温泉鉄道来民(くたみ)廃駅」のことだった。
http://pyoco3.c.ooco.jp/kyusyu/yamaga/yamaga.html

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