高校3年のときの大学受験がすべて失敗に終わり、「こんなことでは大学まで勉強しに行く意味がない。働きに出ろ」という父に土下座して一年間浪人することを許してもらった頃、〈いま、この地球上に/たくさんのボクがいる代わりに/たったひとりのボクがいる/なぜって、経済的に安上がりだから、と/大人たちはいう〉という詩句が唐突に浮かび、「悲しみー『メサイア』に寄せて」と題するやや長めの一篇の詩にまとめた。それを雑誌『蛍雪時代』の白秋の甥の詩人山本太郎先生が選者をされていた投稿詩のコーナーに出したのだ。それから一、二ヵ月か後、思いがけなく図書券が送られてきて、その詩が、「『メサイア』はハレルヤコーラスのあの名曲のことだろう。屈折した心理が興味深い。」という山本先生の評付きで1988年5月号の2席に入選したことを知った。そのことに励まされた私は、何編かの詩をまた書いて投稿詩のコーナーに送ったのだが、山本先生が選者をされていたそのコーナーは間もなくなくなってしまった。先生が講演会中に倒れられて急逝されてしまわれたのだ。
1988年のことだった。
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