カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

笛の夢

2006-04-28 22:14:30 | Weblog
 この間の日曜日、日本基督教団目白教会の日曜礼拝で賛美歌を歌った帰り、目白通りを駅方向に歩いていると、商店街の中に「しの笛・尺八の目白」という看板の店を見つけました。邦楽器の、しかも笛の専門店のようでした。ただ残念なことに、そのときは「日曜祝日は休業」と書かれたシャッターが下りて閉まっていました。。。
 私はすごくうれしくなりました。家から近い目白通りはこれまで何遍も通ってきた道でしたが、今まで店の存在には不思議なことにまったく気づきませんでした。
 じつは最近、私の楽器に対する興味は、どういうわけか和楽器、とくに、尺八、篳篥(ひちりき)、笙(しょう)、石笛、篠笛(しのぶえ)、龍笛(りょうてき)といった笛に向かっていて、どこに行ったらそういう笛の専門店に出会えるだろうと思っていました。

                *

株式会社目白
http://www.mejiro-japan.com/

(店舗・スタジオ)
〒161-0033 東京都新宿区下落合3-17-30
TEL03(3950)0051 FAX03(3950)5492
E-mail : info@mejiro-jp.com

営業日:月曜日~金曜日午前10時~午後6時
土曜日:土曜日 午前10時~午後5時
休業日:日曜日・祝日
(土曜日が祝日の場合は通常どおり営業します)
※土曜日は5時迄の営業です

~~交通~~
電車:JR山手線・目白駅より徒歩3~4分(約400m)
車:首都高速5号池袋線護国寺ランプより10分

TV東京「アド街ック天国」にて当店が目白の街名物17位にランクイン! (2004.11放映)

 今日はたまたま時間が空いたので、早速「和楽器・目白」の店を覗いてみることにしました。生で聴く篠笛や龍笛の音色はすごくいいものです。篠笛の試し吹きをさせてもらって音だしの難しさを実感しました。私が店にいるときにちょうど運よく和楽器笛奏者の先生が来店されていて、私が「龍笛の音色をぜひ聴かせて頂けないでしょうか」とお願いをしたところ、快く越天楽のひと節を演奏して下さいました。すばらしかったです。先生からひとくさり笛に関する興味深い話を伺った後、私は、一番手頃な篠笛を一本購入しました。第一ステップとしてまずはきれいな軽い音を出せるようになるのが目標ですが、その上で、いつの日か、バロック時代の、テレマンとかバッハとかヘンデルとか、あるいはモーツァルトなどの器楽曲を、篠笛で軽やかに吹けるようになりたいと思っています。夢です。
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塩見さんの俳句(メモ)

2006-04-28 09:17:55 | Weblog
 坪内稔典さんの『季語集』岩波新書 に引用されている塩見氏の俳句作品。句集『虹の種』2000年より。

キャンディを谷に落とせば虹の種  塩見恵介

 虹は夏の季語で、歳時記での夏は四月、五月、六月。

 塩見氏のこの作品、不思議な魅力を醸し出していると思います。こういう虹の描き方に惹かれます。

                ☆

《2001年5月13日》

うつぶせの君はオカリナ草いきれ 塩見恵介

(季語/草いきれ)

 昨日の話題だったシンポにおいて、塩見恵介は「誓子は本当は抒情派の俳人なのではないか」と述べた。誓子は知的、即物的な俳人と見られてきたが、そのことに異議を申し立てたのである。抒情派・誓子の作品は、たとえば「蛍獲て少年の指みどりなり」。
 以上のような恵介の意見を聞きながら、私は恵介のオカリナの句を思っていた。草むらに君がうつぶせになっている、そんな君はオカリナだ、という俳句。これはまさに見事な抒情句。抒情派の恵介には、やはり抒情派の誓子がよく見えるのであろう。
 恵介は1971年生まれ。甲南大学大学院の修士論文は西東三鬼がテーマだった。今日の句は句集『虹の種』(蝸牛新社)にある。(坪内稔典)

http://sendan.kaisya.co.jp/ikkubak_0502.html
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大泉黒石のこと

2006-04-27 15:34:49 | Weblog
 メモ。

 四方田犬彦 著『月島物語』(集英社文庫)より。P.55~

 大泉黒石が月島を訪れたのは1917年のことである。
「夜逃げの天才」とも「国際的な居候」ともみずからを嘲笑してやまないこの文学者は、(中略)1893年に長崎で生まれている。1920年代前半に文壇の超流行児として盛名を馳せ、その後世に容れられることなく不遇のまま戦中戦後を生き(後略)。

                ☆

「大泉 黒石 おおいずみ・こくせき

 1893(明治26)年10月21日、長崎の生まれ。小説家。長崎鎮西学院中学卒。俳優大泉晃の父。本名は清(きよし)だが、父方の血を意識する時は、キヨスキーと名乗る。父はロシア人アレキサンドル・ステパノヴィッチ・ヤホーヴィッチ、農家の家系の出自でペテルブルク大学出の法学博士、母は日本人で本山恵子、ロシア文学の熱心な研究者だった。父アレキサンドルがロシア皇族の侍従として長崎に来た時、日本側の接待役をした恵子と知り合い、周囲の反対を押しきって結婚した。母恵子は、黒石を産んで一週間目に亡くなる。祖母に引き取られた黒石は、小学校3年までは長崎で、ついで漢口で領事をしていた父を頼って行くが、間もなく父とも死別。父方の叔母につれられモスクワに行き小学校に入る。その頃、父方の本家の近所に住むレオフ・トルストイにも会う。パリのリセに数年在学したが、停学。スイス、イタリアをへて長崎に戻り、長崎鎮西学院中学を卒業。再び、ペテログラードの学校に在学するが、ロシア革命で帰国。京都三高に入学するが、退学して、東京に出、一高にも一時在籍したが退学。石川島造船所書記から番頭にいたる雑業のかたわら、小説家を志した。大正8年から10年にかけて「中央公論」に連載した「俺の自叙伝」が脚光を浴び、虚無的な老子像を書いた『老子』(新光社、大正11.6)などで名を知られる。多種多様な文筆活動があり、ゴーリキーの翻訳『どん底』(東亜堂、大正10.9)、『露西亜文学史』(大鐙閣、大正11.2)などのロシア文学関係の仕事や、怪奇小説、ユーモア小説、紀行文など広く手がけた。晩年は、横須賀で通訳をし、大正期の多才な一奇人とされる。1957(昭和32)年10月26日没。〈著書〉『大泉黒石全集』」

 <スカラベ人名辞典>(お)
http://www.k3.dion.ne.jp/~scarabee/sukajin-a.htm#o 
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日録メモから

2006-04-27 09:52:48 | Weblog
 日録メモから。

 ここ何日か、「3回鳴って切れて、すぐにまた2回鳴って切れる」という電話が夜遅くに掛かってくるようになりました。どうも知り合いからではなさそうなのです。いったい誰から掛かってくるのか気になって、時々思い立つとぱっと受話器を取るのですが、耳に押し当てる頃にはすでに電話は切られていて、相手の息遣い、声などは一切わかりません。なんとなく、昔祖父が亡くなったばかりの頃に毎夜のように深夜3時過ぎになると掛かってきた不思議な電話のことを思い出してしまいます。

 普通に科学的に考えれば、「あの世からの電話」などということを考えるのはナンセンスなのかもしれませんが、実際のところ、亡くなった人が電話を掛けてくることもありうるのだ、という気が、私にはしてならないのです。。。
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メモから

2006-04-26 19:20:58 | Weblog
 メモです。

『小野茂樹片片』(小野雅子 著)ながらみ書房

 1970年5月7日・小野茂樹・34歳の不慮の死。没後35年『黄金記憶』『羊雲離散』二冊の歌集の回想にこめられた愛惜―。結社「地中海」のグループ誌“青嵐”に連載された、珠玉の短編集。

〔定価1050円(税込) 46判並製カバー装〕

[ながらみ書房]
http://www6.ocn.ne.jp/~nagarami/

[新刊歌集・歌書のご案内]
http://www6.ocn.ne.jp/~nagarami/shuppan.htm

                ☆

 以下は、『NHK短歌』2005年7月号の《福島泰樹の名歌発見》からの引用です。

                *

 (前略)

 その夜、小野(茂樹)さんは、行きつけの銀座五丁目のバー《Virgo(ヴィルゴ)》のカウンターに凭(もた)れヴィヴァルディの『四季』を聴きながら、ウヰスキーを傾けていた。傍らには、(歌人の)小中英之がいた。

 時計はすでに(1970年)五月七日午前一時を回っていた。四丁目の角で、小中は、船橋の自宅にタクシーで帰る小野さんを見送った。数分後、小野さんは霧の路上に放り出されていた。行年三十三歳。この人を喪った現代短歌の喪失は、計り知れない。微笑の美しい人であった。

 「あの夏の数かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ」。小野さんの生前に出版された唯一の歌集『羊雲離散』中につとに名高い一首である。

 少し前、小野さんは、遠からず訪れるであろう自身の死を予見するかのような歌を発表している。このリズムの軽やかさの中に、生のいらだちはみられない。

  尋常の朝を迎ふるごとくにてこのけざむさになべては死せむ 小野茂樹

  とほきわが羊のこころひたひたと霧のもなかを帰りはじめぬ 

  濃き霧のかなたの眠りおもふときただよふごとし覚むるひとりは

 新しいビルが林立する銀座五丁目、旧三原橋三十間堀沿い。そこだけが懐かしい界隈の(銀座の土を残した)路地に入ると、《Virgo》は昔のままにあった。畏友を失い悲嘆に暮れる小中と連れ立って何度となく私はこの店に通っている。(中略)

 あれから三十五年目の五月。小中英之もすでに幽明界を異にしてしまった。雲の上で戯れ、微笑する二人が見える。さらば、青春の無聊(ぶりょう)を分かち合った友よ!

 (後略)

                *

《日田三隈高校校歌》(作詞:小野 茂樹)
http://iris.hita.net/~city/bun/scl/smko.htm

                *

 日田三隈高校校歌の作詞者・「小野茂樹」氏。短歌作品「あの夏の数かぎりなきそしてまたたつたひとつの表情をせよ」の作者として著名な小野茂樹さんと同一人物なのかどうかについて興味を惹かれて、日田三隈高校の先生に伺ってみたことがありますが、「校歌制定当時の資料が学校になにも残っていない」そうで、真相を教えてはいただけませんでした。

                *

 星-sei-さん&せいたかさんの短歌ページから。

http://www.urban.ne.jp/home/sei97/uta/ono1.htm

<やや折り目くづして少女の坐るよりわれは樹となる街なかの原  小野茂樹>

「地中海歌集第1『群』(1958年地中海社刊)所収。『傾斜』の中の一首。

                *

http://www.ne.jp/asahi/tityukai/tanka/SIGEKI/keisha.html

 小野茂樹初期作品「傾斜」―地中海歌集第1『群』(1958年地中海社刊)より―


  『傾斜』(143首)   小野 茂樹

斜め射す日のたはむれてわが影をひととききみが手に遊ばしむ

入試けふ了へたる友の電話にて話しをるこの電灯の寒さ

葉洩れ日をかひなに受けてゆく道に感覚は己れを離れてあたらし

新しきページをめくる想ひしてこの日のきみの思念にむかふ

荒立てし足音をわが痛みとし夜の階段を踏みしめてゐつ

安らぎし呼吸にみちて夜空まるし灯の上にまた灯を積みし街

存在はかくかたむきてわが机の瓶にして見ゆるバラ香ぐはしき

開く瞬間のドアに映りし表情は惨めだつたなとホームを歩く

昨日得し知識を述べ来しさびしさに影偏平に靴先に伸ぶ

五線紙にのりさうだなと聞きてゐる遠き電話にはずむきみの声

待ちながら打消して来し表情をそのままにきみ薄明に立つ

夏の夜を吹きぬけてゆく風にゐて同じ星を探すわれと母

ひつじ雲そのおのおのが朝の日に丸く肥つて秋空である

これまでもわれの力を奪ひつつ背伸びして去りし姿をいとしむ

ふと立ちてきみそのままに離れたり何を信ぜむと心渦巻く

きみに似し人妻あれば満員の電車にその子をかばひて立てり

ここにわが誕生を得し思ひにて深更を織るざはめきを聞く

引伸ばしてみしとき写真の一隅に黒きはきみの手袋と知る

薄紙に境(さかい)してわれらあり破らむとためらへばきみ去る足音す

呼気に飛ぶ埃のひとつこの中に宇宙があるかも知れぬと目で追ふ

ある高さの音のみここに響き来る凍りし雪の距離を弾みて

きみは大人でぼくは子供であろうとするこの安心感がどこまで続くか

感動を暗算し了へて風が吹くぼくを出てきみに君を出て僕に

惑ひわが生に及びて息苦し炎は小さき虹をまとへり

夕暮れはきみを避けつつ深み来ぬ明日を待つときわれら稚し

星抜けし一隅があり空にして彼の暗闇にいこひを得たり

気をつかひ話し来し夜もともどもに深き傷あり星落ち易し

せめて同じき調べに心つながむとわれらのあやふく茶房の扉押す

壁高く彫りし名にまで及ぶ焔渦巻けばこれを神と呼ばむか

髪いじる手に光ありわが前にきみただ明日の人として立つ

沈みゆく夕日の速度を受けとめてきみのひとみはふくらみ続く

言ひ過ぎて黙しあへるを隙としてそこより夜が二人を分つ

夕闇がゆらりと揺れていま入りし灯にまるまると肥るビルあり

すべて道は湖(うみ)に陥ちゆく傾むきに街を容れざる心を誘ふ

こだはれば一言も燃えて日のごとし駅は茜へ電車を発(た)たす

ひさびさに丘に来にしが夜となりぬ土をゑぐりて日の沈む音す

蹠(あなうら)に見えざる世界を仮想せしピタゴラスあり月あはや落つ

明き葉をふかざる内に伐られたりここなる不幸は呻きももたず

語るほどに光れる位置をうつす雲視線をたぐり寄す力あり

透きとほる空と思へば碧き色は地に蹲まる町に沈めり

冬の日を一杯に吸ひし町並みは夜はつぶさに輝きかへす

囲はれし園もたがはず冬なりきしきりに波紋の浮く池がある

冬の日が落ちてしまひぬすがすがと去ればこの池凍りはじめむ

常に岐路の苦しきをのみ選び来し如しときみに乾きたる笑み

噴き上ぐる眼もわがものと誓はせし夜がありてより汝に怖れらる

夕空の深みをすべて受け容るる上澄みをもつ池が残れをり

風にアドバルーンの文字が歪みをり時をり低き日ざしを反射(かえ)し

透明に巻きこむ渦に似し眼ありわが反応を測りてゐたり

広告塔が蔵ひこみたる夕日にて久しく山の呼吸を聞かず

稜線に沿ひつつ上り来し霧のいくたびわれらを地(つち)より離す

廊きしむ響きの曲りてゆきしかば風に揉まるる雪の音きく

たつ霧のその空洞を思ひをり白き中より戸を繰る音す

石彫りて雪もち上ぐるかたちなす天邪鬼とも羅漢とも見ゆ

登り来し社の庭より梅林を外れて木棉を染むる家見ゆ

梅見むと町より人の連ね来しこの昼中を棉晒す村

実を採ると花枝折られゐる畔くろく曲りて青野街道へ出づ

この傷を過ぎてしばしを晴るる山に歩みを止めて日を沈ませむ

たはむれに丘に連れ来し少女には夕日に染みし噺などせむ

丘の上に連れ来し少女に語らせて夕日に染まる息をみむとす

没りし日を封じたる眼のふり向きてわが顔にとがむる色を見むとす

丘に立てば黒く流るる海峡に陥ちむ傾斜を灯の埋む見ゆ

星出でしがために夕べの空緊り少女はわれを待つ背を向けぬ

われを仰ぐときのみ微笑を消す少女街路樹太き街にて知りき

電車登る坂が下より昏れて来ぬ二人して想ひ出さむとの名あり

水底に貼つきゐたる木洩れ日を鮒出でてその鱗に受けぬ

底抜けし提灯を下げし店出でて汝が靴はその丸き灯を踏む

橋梁が夜を巻き込む弧をもてりきみの殺意をいとしみ佇(た)てば

朝空を揺らしてわれら別れたりどこでも新聞を売る朝なりき

死を測るこころとなりてやうやくに抱けば弾む少女を得たり

華やかにアパートの玄関が位置したり闇を踏みしく汝が素足あり

板ガラス負ひて町ゆく男あり背より逆さに駅とほざかる

橋に来て男の捨てし屑ガラス大学祭の灯のごとく散る

想ひ出となれるを訝り汝が裸いま焼きつくる陶器がここに

揺れてまた新たにネオンが書き直す文字をみてをりきみと幼く

日に触れし原鉱のもつ脆さともきみの文より拾ひしことば

商売を描きて明(あか)く屋根のうヘネオンは己が幅に雨降らす

風が断つ炎のごとく別れ来て鋪道に蜘蛛の巣を浴びにたり

木の実摘むといへば嘘でも美しく夕日錘りとなりて今日を曳く

葉にあやふくおほはれてしまひさうな灯が周りの空を照らし上げゐき

父想ふ心をもちて男への愛を測ると髪長き少女

海に立つ赭き岩ありこの村の墓石が寄りあふかたちにて占む

油塀曲りてゆけば授業終へし聾学校あり鐘も鳴るなく

日だまりを羽虫が浮きつ沈みつす石庭のいだく因循に耐へ

くろぐろと盛りあがりつつ銀杏立つきみ来ししるしに低く疵つき

海荒れて来し風の中この朝を改札駅夫が鋏を鳴らす

山肌を蟲が抑へつけてゐたり営みが秋に大きくかはる

低く日が薙ぎ照らすときふたり話す声吸ひてきみの服地は厚し

親が子にほの光りして詫ぶるなり雨を落せる四角き窓に

額ぶちの中をくぐれる山に似てこの山柔き草育てゐむ

わづかなる傾斜に住みて耕せり水ひかりつつ田より田に落つ

古きひびまで延び止まる罅光りそこが話を食ひとめてゐる

山に樹がさびしき格子縞作るだれと登りて来し日も昏く

人をいれれば弾けてしまふやうな町初めに川を流してをりぬ

曲り角が多いので川につけられし名は風が吹き散らして呉れる

深く引く眼をきはめむときみの裏にまはれば朱く芽吹く木々立つ

暗く軒を伸べたる町に始動かけて置かれし夜のオートバイ光る

きみが汚れてみえる夜にて乗り捨てし電車は布地のやうに消えゆく

菜にそそぐ軽き雨足われら長き列にゐて樹を落つる滴を算ふ

いつも早き刻(とき)指すとけいを持つきみに譬へて語る海ひびく潮

ユダが背ひし十字架は生木かもしれぬその葉が睡りを覚ますかもしれぬ

波かへるたびに渚が傾きてこの砂大陸棚につづかむ

夕明る水平線の向うにも続く海黄なる貝をそだてて

ととのひし反省を抱きしことあらずこの夜も暗き空より霧らふ

明き夜の町に出でしが灯に繋ぐ無数の差込みソケット並ぶ

やや折目くづして少女の坐るよりわれは樹となる街なかの原

壁塗りこむ手間を省きてゐる仕事みやりつつ壁もわれも夜となる

描きてゐる内に育ちし名画など信ずるものか木には枝ばかり

蜘蛛の死にともなふ挿話灌木に崩み残さるる巣が乾くなり

ぼくの眼を待ちて選ぶがこれよりのならひとならむきみを粧はす

塑像を愛する日も何処にか秘めてゐむ紅を散らさずきみは装ふ

台風を海にはなちてにはかなる冷えを呼びたる蔭おほき陸(をか)

店ならぶ街の低みは灯ともせり地のにぎはひが沸き出づるなり

わが思ひが生くる姿勢を与へしかその日よりきみ色を択ばず

雨は重き白土をのみ残すべし環状線路より高く整地す

気楽に椅子を並べておくことは部屋の朝(あした)の意志でもあらむ

水を汲むことに譬へて嫁ぎしなり終車にひとり醒めつつ空し

追はざれば訣れとなりぬ綱うちて道修繕(なほ)さむと莚を敷けり

坂に沿ふ空溝に今朝水くだれり堰かれしもののいきほひ新し

もろく求め合ひて人の中に人生れむ空かくばかり晴れつつわたる

地に浅く塩となりつつまみれゆく骨粉ときにわれにかかはる

家混めるなかに畳職人の畳に霧吹く音なまなまし

木々生きて光りあふとき落ち継げる滝の中ほど幅太くなる

肉厚き児を生みたりと。伴ひて帰らむか麦など播くを教えむ

海に入る傾斜を削ぐが町造る歴史となりぬ土のなほ赤く

風乾く東京に根を張りながら樹の種子おほく土にとどかず

酔ひて時計の響く電話をかけしといふいつまた聞かれむわがまとふ音

入り組みし枝それぞれに空を断つかくゆがめつつ人を見るのか

友は牛鍋やを継ぐと。帰り来てわが家が雨に輝いてゐる

商ふは何ならむ運河に沿ひ低く並べる窓に電話器目立つ

斧入るる方に倒れし木の話、馴れし平和に怖れつつ聞く

禦ぎなき女となりしもうべなはむ鳥打ち当り死すとふ操車灯

紙の芯にむかひて燃ゆる火のごとく静かなるべしきみの妻の座

古く椀より人生まれ来る伝へあり暮れれば駅は器(うつわ)のごとし

橋下より分散和音(アルベージュ)、人に浸み入りていくさは歌ひ捨てられやうぞ

何を掠めゆきしか木窓にふかぶかと空ありて雲ほどけつつ飛ぶ

屋根に生えたる草。夕焼の中でひつきりなしに種子を飛ばせり

若き木は空(あ)きたる天へ葉を伸ばすため高ぐらき林でありき

葉を小さく空へ満遍なくおきてこの国日照るは年四分の一と

家に射しをれば光静かなり人が犠牲を待つは変らず

角々が沈む畳の部屋二つうち抜きくれぬわれふりの客

厚き板の一枚を置く橋はむかし廓に通ふ水夫(かこ)も踏みけむ

墓を背に暮らして村の屋根低し卑屈なり生くる強さといふは

海へ岩を断ち切り基地となしたれば墓石の背に水浸みしたたる
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ドラマ原作大賞(メモ)

2006-04-26 09:33:17 | Weblog
 メモです。

《TBSと講談社が「ドラマ原作大賞」設立》
(2006年04月26日00時39分朝日新聞記事)

 TBSと講談社は25日、「ドラマ原作大賞」を共同主催で設立したと発表した。大賞の作品は、講談社が書籍化し、TBSが1年以内にドラマ化し、副賞100万円が贈られる。選考委員は、講談社の文芸局長やマンガ雑誌編集長、TBSのドラマプロデューサーらが務める。

 出版と映像化を前提に小説を募集することで、映像化を意識した新しい作品が生み出されるのではないかと期待を寄せている。

 締め切りは10月31日。発表は来年2月の予定。詳細は、ドラマ原作大賞ホームページ。問い合わせは同大賞実行委員会(03・3257・5212)。

http://www.asahi.com/culture/update/0426/001.html

                ☆

 第1回ドラマ原作大賞
http://www.d-gensaku.jp/

◆対象
ジャンル不問
ドラマ原作になりうる小説(未発表・完全原稿)

◆出版化&ドラマ化
出版化 :ドラマ放送に先がけて単行本を出版(講談社)
ドラマ化:受賞決定から1年以内に地上波テレビでドラマ放送(TBS)

◆応募資格
年齢、性別、プロ・アマ問わず

◆賞
ドラマ原作大賞 1作品
副賞として金100万円
講談社より書籍出版、及びTBSにてテレビドラマ放送

◆諸権利
受賞作品(大賞及びその他の賞を含む)の諸権利は次の通りです。
【出版化権】
ドラマ放送に先がけて講談社から単行本を出版します。出版に際しては規定の印税をお支払いします。
【ドラマ化権】
受賞決定から1年以内にTBS地上波でテレビドラマ放送します。ドラマ化に際しては規定の原作印税をお支払いします。

◆選考委員
【講談社】
文芸局長 内藤裕之
文芸図書第二出版部長 国兼秀二
モーニング編集長 古川公平
Kiss 編集長 嘉悦正明
MouRa/ デジタルコンテンツ出版部長 吉羽治
文芸・コミック各編集者

【TBS】
制作局制作一部長 清弘誠
中川善晴プロデューサー
鈴木早苗プロデューサー

山崎恒成(『少しは、恩返しができたかな』P)
土井裕泰(映画『いま、会いにゆきます』監督)
福沢克雄(『砂の器』D)
磯山晶(『タイガー&ドラゴン』P)
植田博樹(『輪舞曲』P)
石井康晴(『花より男子』D)
平野俊一(『輪舞曲』D)
瀬戸口克陽(『花より男子』P)
石丸彰彦(『白夜行』P)
編成局 企画総括 岩原貞雄
ドラマ総括 伊佐野英樹
ドラマ班 三城真一、寺島真由、山田康裕
メディア推進局 丹羽多聞アンドリウ(BS-iプロデューサー)
TBS R&C 編成局編成部 柳澤慶太郎
営業局営業推進部 事業担当 國重希理佳

◆応募方法
400字詰め原稿用紙換算250枚から500枚以内
1枚目に「タイトル」「著者名」を書いた扉をつけてください。
2枚目に「本名」「ペンネーム」「年齢」「性別」「住所」「電話番号」「職業」「メールアドレス」「受賞歴」を明記(本名・ペンネームともにフリガナを振ってください)。
本文の他に1000字程度のあらすじ(結末まで含んだ内容のもの)を添付してください。登場人物紹介など、作品の概要をより分かり易くする資料も必要と判断されれば添付してください。
原稿には右下に通し番号を入れ、本文の末尾には「了」の文字を入れてください。
データ送信の場合は、ファイル形式をテキスト(.txt)、ワード(.doc)のみ受付ます。

【郵送先】
〒101-0044
東京都千代田区鍛冶町2-2-2
神田今川橋郵便局止め ドラマ原作大賞事務局

【Web応募】
6月中旬より受付開始(予定)
※受付開始日は決まり次第、本ホームページにて告知します

【締め切り】
2006年10月31日(火)(当日消印有効)

【受賞発表】
2007年2月末日(予定)

※応募原稿は返却いたしません。
※他の文学賞との二重投稿は避けてください。
※選考に関するお問い合わせには応じられません。

◆個人情報の扱いについて
ご投稿いただきました個人情報は、選考及び本賞に関する結果通知などに使用する以外に許可なく他の目的で使用致しません。

◆主催
TBS・講談社「ドラマ原作大賞」実行委員会(株式会社 東京放送・株式会社 講談社)
運営事務局:ティー・オーエンタテインメント

お問い合わせ:info@d-gensaku.jp
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新聞記事から

2006-04-25 10:13:58 | Weblog
 新聞記事からメモです。

《大林監督、故郷・尾道市に異論 戦艦大和セット公開巡り》
(2006年04月24日18時36分朝日新聞記事)

 広島県尾道市で一般公開中の戦艦大和の原寸大ロケセットについて、出身地の尾道で数多くの映画を撮影している大林宣彦監督(68)が「ロケセットは映画の中で初めて意味を持つ。人寄せのための公開は、戦争やふるさとを商売にしているようで恐ろしい」と、市の観光行政を批判している。セットには予想を超える人が集まり盛況だが、大林監督は「公開中は故郷に帰らない」と宣言した。
 ロケセットは、昨年12月から公開された映画「男たちの大和/YAMATO」(佐藤純弥監督)の撮影のため、約6億円をかけ制作された。本物の大和は広島県呉市で建造されたが、今回は数カ所あった候補地から、空いている造船所があるなどの条件を満たした尾道市に造った。
 昨年7月から市や観光協会でつくる公開推進委員会が大人500円、小学生300円で公開を始めた。3月末現在で当初予想の3倍以上の78万人が訪れている。3月末までの公開予定だったが、大型連休期間の5月7日まで延長された。
 この映画は東映、朝日新聞社、テレビ朝日などが出資。最終的には興行収入約50億円、400万人以上の動員が見込まれている。制作した角川春樹氏(64)と尾道市との協議がきっかけで公開が決まったという。角川氏は「壊すだけで2000万~3000万円はかかる。だったら地元に恩返ししようと公開に同意した。プロモーションとしても成功だった」と話す。
 大林監督は、映画自体は評価しているが、その後のセット公開を支援する観光行政のあり方について、講演会などの場で繰り返し批判している。これに対し、尾道市観光文化課は「古いものを大切にする精神は監督と共有しているはず。公開は一時的なものに過ぎず、町の風情を壊すことにはならない」と反論する。

     ◇

 大林監督は次のように語っている。

 僕の自慢は、尾道に映画の記念碑やセットを残していないことだ。映画を見た人の心に残ったものが記念碑。セットを残そうなどという提案はすべて断ってきた。尾道市にとってはそれが不満だったのだろう。
 「男たちの大和」という映画がふるさとで撮影されたことは、誇らしく思う。僕の尾道での撮影スタッフも協力した。でもセットは残すためのものじゃない。スクリーンに映し出されて初めてリアリティーを持つ。単なる張りぼては、夢を壊すだけではないか。
 恒久的に残すものとして、戦艦大和の歴史がある呉市につくられたのなら賛成するが、いかにセットを残すかばかりに気を取られた尾道市につくられたことは、大和にとっても不幸だ。
 小学生からも金をとって、ふるさとや戦争を商売にしている。セットが公開されているうちは尾道とは絶縁だ。これは、大林映画30年の理想に対する否定であって、怒らないわけにはいかない。
 僕の願いは、ふるさとがあるがままに残って欲しいということだ。高度成長期、尾道でも古いものが壊されたが、これからは古いものを残すことが資源になる。「そこにしかない暮らし」を求めて旅人は来るのだから。

     ◇

〈尾道を舞台にした大林監督の主な作品〉

・転校生(82年)
・時をかける少女(83年)
・さびしんぼう(85年)
・ふたり(91年)
・あした(95年)
・あの、夏の日―とんでろ じいちゃん(99年)

※カッコ内は公開年

http://www.asahi.com/culture/update/0424/022.html

                ☆

 大林監督の、「恒久的に残すものとして、戦艦大和の歴史がある呉市につくられたのなら賛成するが、いかにセットを残すかばかりに気を取られた尾道市につくられたことは、大和にとっても不幸だ。 小学生からも金をとって、ふるさとや戦争を商売にしている。」の言葉は重たいと思います。
 これは、映画のセットや尾道だけの話ではないように思われます。やれ「歴史認識」だのなんだのと言っていますが、本当の「歴史」をちっとも大切に考えず、歴史的な場所に、歴史的な考証もよくせずに、安易で打算的な金儲けのためだけに観光施設を作ってしまうような、「日本人」の感性に対しての「疑問の声」ではないか、と思われてなりません。。。

 考えさせられる記事です。
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(メモ)

2006-04-24 15:03:24 | Weblog
 中原みすずさんの手記『初恋』(リトルモア・刊)に関すること(?)。

http://www.yoyokaku.com/riki.htm

  《RIKI HOUSE について》(by 店主 一力千恵さん)

 RIKI HOUSEの紹介に先立ち、まず始めに、佐賀新聞の記事を一部引用します。(2001年3月25日 引用諒解済み)

 小説家の中上健次(中原みすず著『初恋』の中の「タケシ」のモデル?)と唐津市の一力干城(たてき)(同じく、「亮」のモデル?)。二人は60年代後半、新宿のジャズ喫茶「ジャズヴィレッジ」をたまり場にしていた。学生運動が沸き上がり、アングラ演劇やヌーベルバーグ映画が登場、時代に新しい波が起こるころだった。
 中上は十八歳で和歌山県新宮から上京。初めてジャズに触れ、のめり込んだ。ジャズ喫茶に通い詰め、退屈しのぎに博打(ばくち)やけんかに明け暮れる。生き急ぐような圧縮された日々を、仲間とよじれあうように過ごした。
 小説家中上健次にとっては、かけがえのない時だったという。「社会のクズみたいな生活が、僕を表現者として立たせてくれた。ものを考える時には、そこに行き当たる」と後に語っている。
 中上と一力が新宿で交わったのは一年ほど。一力は故郷唐津に帰ってしまった。映画監督を目指したが、ロケ先の交通事故で内臓をこわした。体に無理がきかなくなり、失意の帰郷だった。
 夢を失い、しばらく自暴自棄になる。睡眠薬と暴走を繰り返す。そんな時に妻となる千恵さんと出会い、希望を見つけた。結婚して始めた喫茶店「リキハウス」は、唐津の若者のたまり場に。ミュージシャンを目指す地元や県外の若者で「ジャズヴィレッジ」のような活気に満ちたという。果たせなかった夢は、地元の若い世代に託されていく。
 90年、一力はがんに侵され、四十六歳で死去する。
 それから3ヵ月後、中上は一力の友人であるブルース歌手・新井英一と「リキハウス」に駆け付けた。そこで行われたトークライブ。中上は「初めて唐津に来た。リキ(=一力の愛称)が生きているときに来たかった」と、一力との思いでを語り始め、最後に声を詰まらせながらこう言った。
 「リキが死んだと聞いて... おそらく、自分の青春も終わったんでしょう」
  夫、一力干城(たてき)は、自分が果たせなかった夢を地元の若者達を育てる事で生き甲斐を見つけました。
 「唐津の若者に安住の地を」をスローガンに、ロックバンドやフォークを唄う若者を育てました。噂を聞いて福岡、長崎周辺からも、やる気のあるバンドマン達がリキを慕って集まって来ました。
 熱い気持ちで真剣に付き合ってくれる、そんな大人に出会えた事が嬉しく、頼りになる兄貴のような存在となっていました。
 リキは魅力的でカッコ良かったが、何より“人を引きつけるオーラ”がありました。
 リキのような大人になりたいと憧れる若者達が沢山現れたのもうなずけます。
 店経営の傍ら、吉田拓郎、矢沢永吉、中島みゆき、長淵剛らを唐津に呼び、地元バンドにはライブの場を提供してきましたが、残念ながら90年に病没しました。
 リキに育てられた教え子たちは遺志を受け継ぎ活動を続けています。
 98年には店をJR西唐津駅横に移転、店名も「レストラン RIKI HOUSE」(旧 ピザハウス RIKI)と改め、貸しスタジオも併設。ライブハウスの草分けとして活動も広がっています。どうぞ、お出かけください。
 
 RIKI HOUSE
 RIKI企画
 〒847-0861
 佐賀県唐津市二タ子2-1-15
 JR西唐津駅横
 PHONE&FAX:0955-73-7142
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第1回ランダムハウス講談社新人賞のこと

2006-04-24 10:33:17 | Weblog
 メモです。

《ランダムハウス講談社、新人賞創設 受賞者は日米同時出版》
(2006年04月19日20時42分朝日新聞記事)

 ランダムハウス講談社(本社・東京都新宿区、武田雄二代表取締役社長兼CEO)は19日、受賞者は日本と米国でデビューできる「ランダムハウス講談社新人賞」を創設したと発表した。
 同社は米国出版社の最大手ランダムハウス社と講談社が折半出資し、03年に設立。新人賞は同社編集部で選考し、受賞作は同社で刊行された後、英訳されてランダムハウス系列のクノッフ社から刊行される。
 400字詰め原稿用紙で250~350枚で、テーマ、ジャンルともに自由。小説でもノンフィクションでもいい。締め切りは来年3月31日。同9月に発表、授賞式はニューヨークで開催予定。応募要項などは、同社のホームページに。

http://www.asahi.com/culture/update/0419/023.html

                ☆

 ランダムハウス講談社
http://www.randomhouse-kodansha.co.jp/

                ☆

 第1回ランダムハウス講談社新人賞
http://randomhouse-kodansha.co.jp/award/

<応募資格> 不問
<募集原稿> テーマ・ジャンル共に自由。未発表作品に限ります。
<原稿枚数> 400字詰め原稿用紙  250枚~350枚
<応募開始> 2006年4月19日
<応募締切> 2007年3月31日(当日消印有効)
<発表>   2007年9月(予定)*本サイト上で選考経過、結果を発表します。
<選考方法> 弊社編集部で選考
<賞>    日本と米国からの世界同時デビュー。受賞作は弊社から単行本として刊行した後、翻訳を経て、米ランダムハウスグループから刊行します。
       *授賞式はニューヨークで開催の予定
<形式>   A4サイズの用紙に限ります。必ず表紙を付けて右端をとじてください。表紙には、題名、枚数、筆名、本名、住所、略歴(生年月日)、連絡先の電話やメールアドレスをご記入ください。2枚目には、1000字程度の作品梗概を付けてください。本文には頁数(ノンブル)をふってください。
<表紙サンプル>こちら→ http://randomhouse-kodansha.co.jp/award/images/invite/pdf_sample.pdf
<お断り>  応募はひとり一作品に限り、二重投稿は失格とさせていただきます。
       出版権、Web上での掲載権、映像化権その他二次利用権ほか、諸権利はすべて弊社に帰属するものとさせていただきます。
       応募原稿は一切、返却いたしません。なお、募集時にいただいた個人情報は、当新人賞以外の目的で使用することはありません。

<宛先>   〒162-0814 東京都新宿区新小川町9-25 5F 
                  ランダムハウス講談社新人賞 係

<主催>   ランダムハウス講談社

<お問合せ> info-award@randomhouse-kodansha.co.jp
       応募作品の成否について、電話によるお問い合わせには応じられませんのでご了承ください。
       一般的なご質問に関してはこちらをご参照ください。→FAQ http://randomhouse-kodansha.co.jp/award/faq/index.html
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絵本「スイミー」のこと

2006-04-23 18:39:04 | Weblog

 「スイミー」の物語には、どういうわけか昔から思い入れがあります。

 翻訳者が谷川さんだったとは知りませんでした。。。

                ☆

《絵本ナビ》
http://www.ehonnavi.net/ehon00.asp?no=431

「スイミー 小さなかしこいさかなのはなし」
 作・絵: レオ・レオニ
 訳: 谷川 俊太郎
 出版社: 好学社
 本体価格: \1,456
 発行日: 1979年
 ISBN: 4769020015

 《おはなし》
 ちいさな赤い魚の兄弟たちのなかで、1匹だけ真っ黒の魚の「スイミー」
 大きなマグロがやって来て、兄弟の魚たちを飲み込んでしまいます。逃げられたのはスイミーだけ。
 けれど、海の中にはくらげやいせえび、いそぎんちゃくなどいろんな生き物がいます。そんな中見つけた、スイミーにそっくりな小さな赤い魚たちに「遊ぼう」って誘っても「大きな魚に食べられるから」と岩陰から出て来ません。
 スイミーは考えて・・・皆で大きな魚のふりをして泳ごうとみんなを誘います。赤い魚たちの中でスイミーは目になって、みんなで力を合わせ大きな魚を追い出しました。

                ☆

 トップページのBGMを、むかし小学校の頃に書いたバレエ音楽『スイミー』の中の《情景の音楽》に更新しました。

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