美学者中井正一氏のことば。
「話す」ということを発見した人類のこころの中には、苦痛をのり越えてきたものの切実な祈りがひそんでいる。中井正一
これからしごと。
昨日は、中学生の姪っ子の誕生日でした。つい昨日まで赤ちゃんだった姪っ子がもうすぐ高校受験とは、時の流れの速さにただただびっくりです。いまの日本の若い幼い子たちが、将来この日本で幸せに心豊かに明るく暮らせるようにするのがいまの大人たちのいちばん大切なしごとであり責任であると、あらためて、心に思います。
昨晩、某ネット歌会がお開きに。久しぶりに飛行男爵周辺を詠んでみたくなって、飛行男爵のお城にある亥年に作られたチェンバロを題材に、〈亥年に生(あ)れしチェンバロ鳴りたる部屋隅に揃へられてをり飛行男爵のスリッパ〉を作って出すも、歌会参加のみなさまには〈亥年生まれの飛行男爵〉と読まれてしまって、少々残念。力不足でした。
毛糸帽は露西亜紅茶(ロシアンティ)の気香るもの 頭皮(あたま)さむし道場にて抜かれたるわが頭髪(かみ)思(も)へば
警察道場から医務室へと運ばれ来たり 相手の掌(て)の中のごつそりわが頭髪(かみ)
〈頭髪(かみ)抜き〉は反則技ぞ 医務官もわれも知らざりき頭髪(かみ)もどす術(すべ)を
わが禿頭(とくとう)を何故同僚(ひと)らは笑ふのか 事件後只管(ひたすら)、山川草木に身を浸してみたし
〈禿頭(とくとう)傷心休暇。〉と書きてのち申請書をトイレ中の部長の机に置き帰る
〈狐火〉てふ海端の駅に降りたち一分の間にみたざる〈人形〉とあひたり
村人は誰もがそのこと知つてをり〈昼の狐火〉〈人形〉の事件
《幾つもの〈狐火〉浮かぶ森の昼 そは近寄り来たり海端の崖より》
片時も毛糸帽離せぬ身となりぬ モーニング珈琲は宿屋主人の心尽くしの
雨戸のむかう薄霧の庭ながめつつゆつくりすする朝の珈琲
先日拝見した坂本龍一氏出演の映画『CODA』。そのなかの、坂本氏の〈バッハのあのコラール前奏曲は、すでにタルコフスキーによって『惑星ソラリス』のなかで使われてしまっているから、僕がほかの映画で使うわけにはいかない。だとしたら、バッハのあのコラール前奏曲と同じような曲を僕が書くしかない。〉といわれてピアノに向かわれている場面にこころが痺れた。いまもまだ痺れている。
ちなみに私の抱くバッハのイメージはこんな感じ。昨日、たまたま母と電話で最近の実家周辺のある問題についてのんびり話し、それがいったん片付いたあと、母が、だいぶ前に亡くなって僕自身は全く会ったことがないし写真も見たことがない曾祖母とその長子である大伯母の話題を始め、「そういえば、曾祖母は樹木希林さんによく似ていて、若くして病没した大伯母の写真の姿は黒木華さん似だった気がする」といいはじめた。僕は、ほお、と聞いた。また、その大伯母から見たら父方曾祖父の泰明さんとさらにその上の波通さんの話題にもなって、ひとしきり母と話しているうち、僕はハタと「実母だとばかり思っていた波通さんはもしかしたら泰明さんの養母だった可能性もある」と不意に気が付いた。母に言うと、母は以前からそのことにもやもやっと引っ掛かっていて、なんとなく気が付いてはいたらしい。「本当の母親だったら、生まれたばかりの子どもをそんな風にするなんて有り得ない。」と母は断言した。
今日はしごと休み。台東区立の樋口一葉女史の記念館を目指す。今までに数回一葉記念館を訪なうも、そのたびにどういうわけだか臨時休館の憂き目に遭い、これは一葉女史から相当嫌われているのかも、もしかしたら入館は今後もまったく叶わぬかな、と内心ヒヤヒヤしていたが、一葉女史の命日(1896年11月23日)の二日前に当たる今日、再度チャレンジでそろりそろり訪なうと、ぶじに開いていてすんなり入館が叶った。