カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

イングマルという名前

2007-07-31 12:00:16 | Weblog
 ベイルマン監督の訃音記事。享年89才。心からお悔やみを申し上げます。。。

 映画監督イングマール・ベルイマン氏が死去
(2007年07月30日22時13分朝日新聞記事)
 スウェーデンのTT通信によると、20世紀を代表する映画監督で演出家のイングマール・ベルイマンさんが30日、同国フォール島の自宅で死去した。89歳だった。
 同国ウプサラで聖職者の家庭に生まれた。ストックホルム大で演劇を学び、第2次大戦直後から映画製作を始めた。57年に「第七の封印」でカンヌ国際映画祭の審査員特別賞を受賞。「野いちご」「処女の泉」などで高い評価を得た。
 男女の愛憎や宗教の偽善を5時間を超える大作に仕立てた「ファニーとアレクサンデル」で84年、米アカデミー賞の4部門を受賞。この作品を機に、映画監督の引退をいったんは宣言した。
 その後もスウェーデン王立劇場などで戯曲を精力的に演出。舞台ではシェークスピア、イプセン、ストリンドベリの作品のほか、三島由紀夫の「サド侯爵夫人」も手がけたことがある。
 03年、テレビ用の映像作品で自ら「遺作」と呼んだ「サラバンド」を発表。静かな作風の中に、親子の愛が転じた近親憎悪を濃密に描き、日本でも劇場公開された。
 私生活では5回結婚し、最後の妻とは95年に死別。「仮面/ペルソナ」で起用した女優リブ・ウルマンとは長いあいだ親しく、「サラバンド」にも起用した。

http://www.asahi.com/obituaries/update/0730/TKY200707300407.html


*****

 じつは、長いことベイルマン監督作品と信じて疑わなかった素敵な映画作品がありました。それは単に私の思い込み勘違いだったわけですが、そのことについて少しメモです。
 その作品は、1985年スウェーデン製作、1988年日本公開の映画「マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ」です。主人公の少年の名前が「イングマル」であったことから、私の記憶回路のどこかでイングマール・ベイルマン監督の名前とつながってしまったのかもしれません。。。

《茂木直美氏による映画「マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ」紹介記事》
 『サイダーハウス・ルール』のラッセ・ハルストレム監督の名を、世界に知らしめるキッカケになった作品。舞台は50年代末のスウェーデンの小さな町。12歳の少年イングマルの毎日は、兄にいじめられ、出稼ぎに行った父は戻らず、母は病気、とうんざりするようなことばかり。母の病状が悪化し、イングマルは叔父の住む田舎の村に預けられる。やがて母が死に、家族はバラバラになってしまうが、一風変わった村の人たちとの交流が、イングマルの心をゆっくりと癒していく…。
 誰にでも一度は訪れる、現実を直視せざる得ない瞬間…少年期から大人への移行期を、ユーモア豊かに描いたヒューマンドラマ。人生の悲しみだけでなく、些細な出来事の中にある「楽しみ」をサラリと描いて、ほんわりと心を温かくしてくれる。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%95-%E3%82%A2%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%83%E3%82%B0%E3%80%90%E5%AD%97%E5%B9%95%E7%89%88%E3%80%91-%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%A0/dp/B00005HRSF/ref=pd_bbs_sr_1/503-7673245-1016715?ie=UTF8&s=video&qid=1185848709&sr=8-1

☆☆

 作家レイダル・イェンソンによる原作小説は、ソニーマガジンズから2003年6月に刊行(1988年に世界文化社から刊行されたものの復刊)の文庫本で読むことができます。
http://www.amazon.co.jp/gp/search?index=blended&keywords=%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%83%E3%82%B0&_encoding=UTF8

「マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ 友の会」サイト
http://members.at.infoseek.co.jp/ingemar/

「こんな時はライカ犬のことを考えよう!」
スウェーデン映画「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」が製作されたのは1985年。日本公開されたのは1988年暮れのことですが、未だ映画ファンの間で根強い人気を誇り、爽やかな感動が若い世代へと引き継がれています。
当サイトでは、今更ながらこの作品を愛する皆さんとネット上で交流し、更に感動の輪を広げて行きたいと考えております。(後略)
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作家の小田実さんご逝去

2007-07-30 13:15:18 | Weblog
 高校の頃に愛読をしていた旅行記「何でも見てやろう」の著者、作家の小田実さんがお亡くなりなったそうです。謹んでご冥福をお祈りいたします。。。。

画像:病室に書きかけの原稿用紙や校正刷りをもちこんでいる。「あと6カ月は生きたいと数えている。11月まで生きたら、小説が書き上がる。そのあと、もし生きていたら、文明論を書くつもりだ」=都内の病院で(朝日新聞)

《「いま一番の気がかりは改憲の動き」 小田実さん、がんと闘病中》
(2007年06月05日朝日新聞記事)

 作家小田実さんが、がんと闘っている。4月末に病状を公表。75歳の誕生日である6月2日には、代表をつとめていたグループの仲間に、「市民のみなさん方へ」と題した文章で辞任を伝えた。市民運動からの事実上の引退宣言だ。しかし、作家として最善を尽くそうと、病室でも口述で「書き」続けている。
 「今日は体温も下がって調子がいい」と妻の画家玄順恵(ヒョン・スンヒェ)さんから連絡を受けたのは5月下旬。都内の病院で治療を受けている小田さんは、めっきりやせていたが、目の強い光は元のままだった。
 今年初めから体調がすぐれなかった。それをおして、3月下旬、オランダで開かれたフィリピンの人権抑圧に関する民衆法廷に出席した。トルコにも旅して帰国後、胃がんと診断された。民衆法廷の判決とともに4月下旬、友人知人らに送った手紙に「末期―またはそれに近い」と報告した。それでもできる限り書き続けたいと5月初め、自宅のある関西から、仕事を続けられる治療のできる病院に移った。
 ベ平連から阪神大震災の被災者救済まで、多くの反戦運動、市民運動にエネルギッシュにかかわった。その根っこには、大阪大空襲で戦争の無残さをみた体験がある。つねに「小さな人間」の側から戦争を見つめてきた。平和憲法を守ろうという「九条の会」の呼びかけ人のひとりでもあり、いま一番の気がかりは改憲の動きだ。

■ナチの「全権委任法」に過程がそっくりだ

 「安倍首相は『美しい国』にするのになぜ改憲が必要なのか、論理的に説明していない。33年の『全権委任法』で、ナチスがワイマール憲法をなし崩しにした過程にそっくりだ。最低投票率制がない国民投票法は、20%ぐらいの投票率であっても改憲可能になる。少数独裁民主主義になるのではないか」
 9条だけでなく、「健康で文化的な最低限度の生活」をかかげた25条、男女平等の結婚をうたった24条。平和憲法があったからこそ、ほどほどの中流の生活ができて繁栄した。そう語りおろした近刊の『中流の復興』(NHK出版、生活人新書)には、病状公表の手紙も収録した。70年代に出した『世直しの倫理と論理』(岩波新書)の現代版も構想している。
 「みんな運動家と思っているようだが、私は作家なんだ」。昨秋は平和論集や長編小説『終らない旅』、イギリスのBBCでラジオドラマ化された短編『玉砕』を次々刊行した。

■時代・言語によって変質しないのが文学

 「私の短編は、一作で全体を書こうとする。全体長編小説ではなく全体短編小説。『玉砕』の独語訳や、『HIROSHIMA』のイタリア語訳も出る。いつの時代であろうと、どんな言語になろうと変質しないのが文学だ」
 ギリシャ古典を学んだためか思考の時間軸が長い。「イーリアス」の翻訳が夢で、これまでに完成した冒頭部分は「すばる」7月号に掲載される。「トラブゾンの猫」と題した小説も書いている。トラブゾンは古くからの黒海沿岸の町、多様な民族が混在している。
 「言語系統は、幹があり枝分かれして、と樹木のように形容される。しかし、本当はマングローブの根のようにぐにゃぐにゃつながっている。人間の文化、思想、論理などもそうしたものではないか。そういったことを、時空を超えて集まった猫たちのバカ話に具現化するつもりだ」

■人間同士が戦わぬため9条は必要なんだ

 枕元にはお見舞いにもらった寺社のお札がたくさんあった。「フランスの『ルルドの水』もある。現代科学の治療を受けているから古代から現代までの全人類の文明がここにきている。奇跡が起きても、どれが治してくれたのかわからない(笑い)。3000年前と今が、やはりマングローブの根のようにからみあっている。からみあった人間同士が戦争しないためにも、9条は必要なんだ」
 20代のとき、「何でも見てやろう」と世界中を旅した。生のカウントダウンが始まっても、その姿勢は前向きのままだ。
 「生死があって死の方に考えをおけば宗教になる、しかし、オレは最後まで生の方におくね。手紙にも書いた言葉だが、生きているかぎり、お元気で。それが、私の気持ちだよ」

http://book.asahi.com/clip/TKY200706050153.html


*****

《作家の小田実さんが死去 国際的な反戦運動に尽力》
(2007年07月30日03時52分朝日新聞記事)

 反戦、反核など国際的な市民運動に取り組んだ作家で、「ベトナムに平和を!市民連合(ベ平連)」元代表の小田実(おだ・まこと)さんが30日午前2時5分、胃がんのため東京都内の聖路加病院で死去した。75歳だった。自宅は公表していない。
 32年大阪市生まれ。45年の敗戦前日の8月14日に大阪大空襲を体験、そこで目の当たりにして後に「難死」と呼んだ「無意味な死」への怒りが言論活動や市民運動の源泉となった。
 東京大文学部卒業後の58年、フルブライト留学生として米国ハーバード大学へ。このときの体験とそれに続く欧州・アジア巡りをつづった1日1ドルの貧乏旅行記「何でも見てやろう」(61年)がベストセラーに。飾り気のない文体と世界の人々と同じ高さの目線で向き合う姿勢が共感を呼んだ。
 65年、ベトナム戦争に反対して哲学者の鶴見俊輔さん、作家の開高健さんらとベ平連を結成。米ワシントン・ポスト紙に日本語で「殺すな」と大書した反戦広告を掲載するなど、運動の支柱となった。
 ベ平連解散後も、執筆の傍ら政治問題と正面から向き合い、市民の側から発言を続けた。76年には北朝鮮を訪問して当時の金日成主席と会見。87年の東京都知事選では当時の社会党から立候補を打診され、断った。
 95年の阪神大震災は自宅で被災。公的支援の貧弱さを身をもって体験、被災者支援法成立に尽力した。04年6月、作家大江健三郎さんや評論家加藤周一さんらと、憲法を守る「九条の会」の呼びかけ人となった。
 小説では庶民の生活に根ざした素材と言葉で、心のひだへ分け入った。「HIROSHIMA」で88年、第三世界最高の文学賞とされるロータス賞を受賞。97年に川端康成文学賞を受けた「『アボジ』を踏む」は演劇にもなった。
 07年春に末期がんがわかり、親しい知人に手紙で病状を明らかにしていた。著書「中流の復興」では、武器を売らぬ平和経済で繁栄したことが日本の誇りであり、その基盤となった中流層の復権を訴えた。

http://www.asahi.com/national/update/0730/OSK200707300001.html
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小林先生の第三歌集『あまあづみ』から

2007-07-30 09:59:46 | Weblog
 小林先生の第三歌集『あまあづみ』から。この一首に惹かれます。。

いまひとりの死者憶ふゆゑ家族なり並びて雪の蔵王をあふぐ  小林幸子

☆☆

 短歌という短詩型は、死者のいる「異界」のことどもを捉えるのに非常に適した器であるようです。

 玄侑宗久氏の長編小説『アミターバ(無量光明)』(新潮文庫)を最近読み始めています。楽しみです。
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チェリストAnner Bylsmaのことば(メモ)

2007-07-30 09:58:31 | Weblog
 新潮社の季刊誌『考える人』2007年夏号の「編集部の手帖」のページからメモです。

(前略)
 記事には掲載しませんでしたが、ビルスマに最後に質問したのは、これからチェロを学ぼうとする少年や少女がいたら、どのようなアドヴァイスをしますか?ということでした。ビルスマは笑顔でこのように答えました。
「なるべくゆっくり上手になったほうがいいですね(笑)。チェリストになるには、怠け者でなければいけません。ゆっくり覚えれば、からだ全体でチェロのことがわかります。チェロのように木でできている楽器を相手にするときは、丁寧に、敬意を払って、扱うこと。ヒステリックになってはいけません。
 そう、チェロを馬だと思ったほうがいいですね。乗馬を習うときは、最初に馬の気持ちを測ることから教えられるでしょう? 馬に『こっちのほうへ歩いてください』とお願いするように、チェロにも『鳴っていただけますか?』とたずねる気持ちが大切です」
(後略)
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前向きに、希望をいつも胸に

2007-07-30 09:57:39 | Weblog
 昨日は、国政選挙の日。何年か前の選挙では与党が必要以上に圧勝してしまって、そのニュースを聞きながら亡命妄想や捨国願望や憂国の念に取りつかれてかなり凹んだ記憶は忘れていません。今回の選挙、日本の未来を少しずつ明るく変えていくためのだいじな一歩。もちろん投票にいきました。午後、用事で渋谷に。
 自転車で渋谷に向かう途中、新宿の古本屋、修文書房に寄りました。ここは旧中公文庫、岩波文庫の在庫が多い店。一流のグルマン邱永漢氏の『食は広州に在り』『食前食後』(いずれも旧中公文庫)や辻直四郎先生の『ウパニシャッド』(講談社学術文庫)などを二束三文の値段で購入できたのはラッキーでした。
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短歌メモ

2007-07-30 09:53:07 | Weblog
 短歌メモからです。。。

花電車通りてひとは居なくなる 朽ちてゆくのもひとつの仕事

豚汁を古鉄にすこし溢(こぼ)しなさい 占ひ師は女なれど髭あり

わたくしはもう戻れない場所へ来た 赤錆(さ)ぶ線路に溢す豚汁

風のなかにわたくしの豚汁はつか香りぬ 線路向かふの居留地辺り
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アインシュタインの眼球のことなど

2007-07-27 12:58:07 | Weblog
引用memoです。。。

近畿大学教育論業 第11巻第1号 (1999・7)
天才と教育(I):アインシュタインの脳
追跡アインシュタインの脳:日程
"My Search for Relics-Einstein's Brain: A Trip Across America."
http://www.southwave.co.jp/swave/ediget/report/brain03.htm

1993年4月13日
大阪発、ニューヨーク着
(中略)
1993年5月2日
憧れのプリンストン高級研究所を訪問する。アインシュタインのかつての研究室(思考部屋)を見学する。"アインシュタインはここにいたのだ!"
プリンストン観光ツアーに参加する。アインシュタインの家を訪問する。アインシュタインは、マーサー通り112番地の家を巡礼者のための博物館にしてはならないと遺言していた。アインシュタインの意思により墓もない。遺体は火葬され、遺灰はすべて川に撒かれた。もしアインシュタインの墓があったならば、その墓には有名な E=MC2, R=―1/2gR=―rT (場の方程式)が刻まれていただろう。ちなみにシュレーティンガーの墓には波動方程式,ボルツマンの墓には統計力学の有名な方程式,ボルンの墓には 行列力学の公式, オット・ハーンの墓には核分裂の公式が刻まれている。今アインシュタインの家には素粒子物理学フランク・ヴィルチェック教授が住んでいる。教授もまたアインシュタインに憧れて物理学者になったと言う。ハーバード大学とプリンストン高級研究所の誘いにアインシュタインの家に住んでもよいという条件でプリンストンに来たという。家の中に特別に入れていただいた。アインシュタインが座っていた椅子に私も腰掛けた。アインシュタインの弾いていたピアノ、楽譜置き、ベット、義理の娘で彫刻家だったマーゴットさんのスタジオを見せていただいた。中庭にアインシュタインの座った石のテーブルと椅子があり、私も腰掛けた。
(中略)
案内役のケビンがアインシュタインの家を買う気はあるのかと訊いて来たので、1億円ぐらいだったら買ってもいいと答えた。
1993年5月3日
アインシュタインを実際に解剖したプリンストン病院の解剖室でエリオット・クラウス博士よりアインシュタインの解剖の状況を聞く。しかしアインシュタインの解剖報告書のマイクロフィルム(NO.33)は紛失していた。ハーベイ博士が持っていると思った。
1993年5月4日
フィラディルフィア子供病院に Lucy Rorke博士を訪ねる。博士は「アインシュタインの脳細胞は同じ年代の人に比べて非常に若かった」と述べ、染色された顕微鏡写真を見せてくれた。後日、Rorke 博士はその写真のネガを4枚送ってくれた。
次にアインシュタインの目を持っているというHenry Abrams博士を訪ねる。Dr.Abramsはアインシュタインの眼科医だった。
Q:「あなたがアインシュタインの目を持っているというのは本当ですか?」
A:「本当です」
Q:「アインシュタインの目を見せていただけますか?」
A:「YES,しかしここにはありません」
Q:「どこにありますか」
A:「ニュージャージー州の銀行の金庫の中です」
Q:「それはどのようなものですか」
A:「アインシュタインに見つめられているようです」
Q:「なぜあなたはアインシュタインの目を持っているのですか?」
A:「アインシュタインの解剖の時に目が欲しかったら持っていっていいよと言われたからです」
Q:「その目は今後どうするのですか、公開しないのですか?」
A:「考えているところです」
Abrams 博士はアインシュタインへの思いを語り、手紙・写真を見せてくれた。アインシュタインの目を近い将来見たいと思っているが・・・・・とても神秘的な話であった。その後、マイケルジャクソンが数億円でアインシュタインの目を買うという話があったが、結局買わなかったようだ。帰国後、 Dr. Abramsは、6億円で買わないかと私に知らせて来た。アインシュタインの死亡診断書を書いたDr. Guy K. Dean, Jr.によるこの目は本物であるという証明書き付きの値段である。
(後略)
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今朝の悶々

2007-07-27 12:54:21 | Weblog
 今朝、仕事場に行こうと家の出掛けに、私が住んでいる集合住宅共同玄関ドアすぐ脇の電柱に、飼い犬のオシッコをさせている散歩中の女の人を目撃しました。その人は、大量のオシッコの上から申し訳程度にペットボトルの水を掛けていましたが、オシッコのきつい臭いはまったくなくなりません。私の姿を見てその人は一瞬びくっとしたように見えました。私がじっと見ると、あらぬ方に眼を逸らせて犬に平然とオシッコをさせ続けています。私はカチンと来て、その人に、「毎朝オシッコをされて迷惑です。ここは玄関です。犬のオシッコやめさせてください」と一喝しました。しかし、その人の第一声は「あなたは管理人の権限で言っているんですか」とウスラトンカチなもの。そんなことは訊くまでもないことです。この人は飼い主としてどう行動すべきか、社会モラルがまるでわかっていないようでした。「住人が迷惑しているんですよ。あなたが自分の家の前にオシッコされたらどう思いますか」と説教。そんなことがあった今朝でした。。。
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妄想めも

2007-07-27 09:30:28 | Weblog
 昨晩の学校帰り、夜道を歩いていて浮かんだ妄想録です。

 全ての川が海に注いでいたのは昨日までだった。新聞の見出しを見ながら、僕は髭を剃っていた。見出しには○○ポイントの字で「世界戦争終結。すべての子供は母なる海から親離れしよう」の文字がおどっている。僕が眠っている間に世界戦争が始まり、たくさんの人が亡くなり、たくさんの町が壊され、そして戦争は終わったらしい。僕の家の洗面所の窓からは、ゆっくりと海に注いでいる川がかつては見えていた。いまはどうなっているのだろう。
 長いことねじを巻かなかった壁の時計は止まったままだが、光の加減からいまは明らかに朝だ。洗面所の窓を思い切り開けてみる。(続く)
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吉松さん・西村さん共著の本のこと

2007-07-25 15:13:37 | Weblog
 メモです。。。

 音楽誌「モーストリー・クラシック」2007年9月号で取り上げられている一冊から。興味深いです。

吉松隆・西村朗・共著「西村朗と吉松隆のクラシック大作曲家診断」(学習研究社)
http://musik-platz.gakken.co.jp/whatn/clshindan.html
現代日本を代表する二人の大作曲家、吉松隆と西村朗は悪友ともいうべき親しき間柄。そんな二人が対談形式で、ベートーヴェンやモーツァルトら巨匠作曲家たちの作品と人となりを系統づけてゆく。同業ならではの視点と歯に衣着せぬ 発言があぶり出す作曲家像は?

*****

本書への書評 By ノーツオンザロック氏(東京都)
http://www.amazon.co.jp/%E8%A5%BF%E6%9D%91%E6%9C%97%E3%81%A8%E5%90%89%E6%9D%BE%E9%9A%86%E3%81%AE%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF%E5%A4%A7%E4%BD%9C%E6%9B%B2%E5%AE%B6%E8%A8%BA%E6%96%AD-%E8%A5%BF%E6%9D%91-%E6%9C%97/dp/4054033164

十二音音楽を分岐点とする20世紀後半現代音楽の潮流を徹底的にこきおろしているのが面白い。このふたりを共通させている視点であり主張なのだろう。ある意味で共感できるが、それが無調音楽やシェーンベルグらの新ウィーン学派の作曲家とその作品に対する一方的な批判になっていないところがよい。バッハが少年、ベートーヴェンが青年、ワーグナーが壮年、シェーンベルグが老年でそのあとは老衰期というのがクラシック音楽のライフサイクルだとの指摘は抱腹絶倒笑えるし、妙に納得もいく。
春の祭典が聴いても面白く楽譜も面白い曲の極致としてとらえているの見て、プロの作曲家でもそうなのかとおもわずニヤリ。一方でラベルの弦楽四重奏曲が作曲法として完璧と言い切っているのが意外だった。今度、スコアを手にして威儀を正して聴いてみようと思う。
いわゆる音楽評論家の音楽論や作曲家・名曲紹介、うんちく論といった従来の音楽評や対談・対論ではない。今を生きる現役の作曲家の考えが随所に浮かび上がる現代音楽論ともなっているところがユニーク。
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