カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

死後の世界はあるのか

2007-03-31 10:02:43 | Weblog
 昨日は早稲田の中華料理店北京でM先生ゼミの打ち上げがありました。久しぶりに会う皆といろいろな話ができてすごく楽しかったです。→昨日の関係者のみなさま、早速「音楽夜会」をつくりましたのでご確認ください。それから、ご参考情報です。
「エーグルドゥース」
東京都新宿区下落合3-22-13
電話03-5988-0330
営業時間10:00から19:00
毎週水曜定休

 昨日の打ち上げ会で話題になったことのひとつに「死後の世界はあるのか?」ということがありました。

 私の考えですが、それはあります。今は、ある程度の確信をもって「ある」と答えたいと思っています。その詳しい理由は、機会がありましたら説明します。

 高野公彦さんの第一歌集「汽水の光」よりメモです。

ぶだう呑むくちひらくときこの家の過去世(くわこせ)のひとらわれをみつむる  高野公彦
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ジュセリーノ・ノーブレガ・ダ・ルース氏(メモ)

2007-03-29 13:07:33 | Weblog
 メモです。

ジュセリーノ・ノーブレガ・ダ・ルース氏の公式サイト
http://www.jucelinodaluz.com.br/

+++++

かまたあきよし氏による興味深いブログ記事
http://blog.livedoor.jp/akgoodco1224/archives/930265.html
(以下、引用させて頂きます)

2007年3月18日
ジュセリーノの予言の問題点・ここまでのまとめ

☆☆ その1 ☆☆

○ 2006年12月30日放送のテレビ番組「たけしの超常現象(秘)ファイル 2006」での取り上げられかた
明らかに、すでにジュセリーノという人物の公表した「予言」の大半が外れていたという事実を隠したまま「的中率90%」という表現をして、「5年後人類滅亡」という恐怖を煽ったこと。ちなみにこの件でテレビ朝日に問い合わせの電話をすると、テレビ朝日では「あの番組はバラエティである。バラエティであるので内容の一部にはフィクションがある可能性もある。報道や情報の番組ではないのでいわゆる捏造にはあたらない。ジュセリーノの予言の真贋に関しては私ども(=テレビ朝日)は事実であるとは認識していない」という答えがかえってきます。(実証者の証言があります)
※ちなみにこの番組はテレビ朝日と「オフィス・トゥ・ワン」が「テイクシステム」というところに発注して作られている。

☆☆ その2 ☆☆

○ 自称予言者「ジュセリーノjucelino nobrega da Luz(ジュセリーノ=ノーブレガ=ダ・ルース)の予言についての問題点。

【1】「自分はイラクの元大統領サダム・フセインの隠れ家の場所をアメリカ政府に通報していた。自分がアメリカ政府に送った情報は正しかった。アメリカ政府はこの情報を元にしてフセインの身柄を確保出来たのだから私にはフセインに懸けられていた懸賞金を貰う権利がある。」とブラジルの地方裁判所に裁判を要求して、そのことが世界的なニュース(もちろん、扱いはどちらかといえばオモシロニュースである)となったことが彼の名を一躍有名にしたのだが、よく考えてみればおかしな話なのである。これはすでに報道されていることで皆誰もが疑問を挟む余地のないことだと思うが、バグダッド陥落後、サダム・フセインはイラク国内の支持派の手引きでイラク国内を(場合によっては数日単位で)転々としている。したがって、ジュセリーノがいくら有能な予言者であろうと、あるいは超能力者であろうとも「サダム・フセインが現在居る場所、あるいは何月何日には何処に現れるのか」という具体的な付帯情報がなければ、その場所に関する情報がいくら正しいとしても、その情報それだけでは身柄確保のための有用な情報とはいえない。「いた」という過去の話では情報としてはなんの役にも立たないのだ。にも関わらずジュセリーノはそのサダムフセインのいた場所に関する、日時・時間までも付帯した予言の手紙(公証書)は公開していない。何故かといえばもちろん、彼がアメリカ政府に送ったという手紙に記したという日時までも明らかにしてしまうと彼の予言が外れていたことがすぐにばれてしまうからだ。だから、予言としてどうのこうのというレベルの話を持ち出さなくとも、ジュセリーノにはその懸賞金を受け取る正当な権利はないのではないかと思う。

【2】 2005年にジュセリーノがマスコミに登場してからだが、それ以前とその後では明らかに的中率が大幅に下がってしまっている。従ってマスコミに登場して以来ずっと「的中率90%(記事によっては95%と表現)」という表現がされている(変わっていない)のはおかしい。

【3】 はじめは公表されていなかった予言がいつのまにか「当った予言」として追加されていることかある。(2007年のアダム航空の墜落事故など)この点に関しては日本では事実関係がかなり歪めて報道されている。まるでジュセリーノが航空機事故の日にちとか詳細な部分までを予め公表していたかのような報道がなされたが、もちろんそんな事実はない。ただ単に「近々航空機事故がある」という漠然とした予言(テレビ出演のときたそうだ。だから予め紙に書いていたものはない。)はしていたが、実際に日付の入ったその「公証文」をマスコミに公表したのは事故後である。ジュセリーノのこういう部分に関しての態度、やり口はブラジル国内でもかなり批判が多い。もちろん不謹慎だからである。(追加:在日ブラジル人の方からの証言、というかご報告あり)

【4】 「地震」「津浪」といった「天災」に関する予言であるが、1995年の阪神淡路大震災、2004年のインドシナ津浪などに関する彼の供述は非常に生々しいが、その後に彼が発表した2006年の天災に関する記述は非常に短く、当ったといっている「予言」に較べると「ほんとうに夢で見たの?」と言いたくなるくらいに情景描写がされていない。そしてことごとく外れている。

【5】 ジュセリーノが言うところの「公証所(Tabeliao publico?)」に届けたという文面の信憑性が未だに確認されていないという事実。

【6】 ジュセリーノが各国政府、あるいは大使館から受け取ったという公式文書の真贋について検証がなされていないという点。

【7】 1994年のアイルトン・セナの事故死に関する予言。ありとあらゆる側面から見てもジョセリーノの「セナの死は殺人である」というのはハズレである。したがってジュセリーノはこの件に関しては「外した予言」とカウントしなければならないはずなのに、自ら「当った」と表明している。

【8】 表明された2006年から2007年にかけての予言の中には地球温暖化に関するものが多い。しかし、何故か12月から3月までのヨーロッパや北半球が寒い時期に「熱波で水不足になる」などの予言が集中している。北半球と南半球の季節の反転を忘れていたのではないかと噂されている。(追加事項)

☆☆ たま出版 ☆☆

3月20日にジュセリーノの本を出版する「たま出版」であるが、3月中も通常通りの業務を行なうのだそうである。ひよっとしてジュセリーノの「3月に東京で大地震が」という予言を信じていないだろ、おまえら!(笑)ジュセリーノの本の信憑性のなさを自分達で喧伝してどうする。(追加事項)

(以上で、引用を終わります)
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千葉リーヒルズ研究会のサイト(メモ)

2007-03-28 14:50:19 | Weblog
 メモです。

千葉リーヒルズ研究会のサイト
http://members.at.infoseek.co.jp/chibaly_hills/

 千葉リーヒルズとは、バブルの波に乗って、東急不動産が千葉県千葉市緑区に作った幻の高級住宅街・ワンハンドレッドヒルズのことである。(後略)
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映画『赤毛のアン』のタイトル音楽のことなど

2007-03-28 09:17:48 | Weblog
 好きな音楽について、少し綴ってみたいと思います。
 カナダの作曲家ハーグッド・ハーディが晩年に手懸けた映画『赤毛のアン』のタイトル音楽は、夢や憧れや希望を美しく描出した、ゆったりとした3拍子のメロディが印象的です。曲は、まずホルンやフルート、オーボエ、クラリネットなどによる、山や森の風景の俯瞰や小鳥たちの鳴き声を思わせる音型が交錯する、ゆったりとした前奏のあと、ピアノとストリングス主体のアンサンブルが、ソ・レーミ・ソ・レミソードー・シーードーラーーーという主要主題を奏で始めます。じっと聴いていると、手の届かない遠い懐かしさにおもわず胸を締め付けられるような感じがします。ソレミの上昇音型の畳み掛けがそのような心理効果を生んでいるのかも知れません。
 ふと思い出すのが、久石譲さんがまだ無名の頃に作曲されたという、世界旅行番組の草分け『兼高かおる世界の旅』のタイトル音楽です。この番組のテーマ音楽は、有名な映画『80日間世界一周』のテーマ曲を優雅にアレンジしたものでしたが、番組の冒頭、スポンサー紹介のところで流れていた曲が、たしか、久石さんのオリジナルという話でした。ストリングスで、まず、4拍子、ティンパニのトレモロにのせて上へ上へと向かうやや性急なフレーズが2小節続き、3拍子の落ち着いた雰囲気の、前奏を締括るフレーズが3小節登場、そのあと4拍子のフレーズが3小節挿入され、裏拍からゆったりとしづかに、3拍子の、憧れと夢を思わせる魅力的なメロディが出てきます。そのメロディが、なんとなくハーディの『赤毛のアン』の音楽に通じるところがあるような気がします。
 私は、どちらの音楽も大好きです。しづかに聴いていると、なにか遠いものに向かって泣きたいような、そんな気持ちにさせられます。
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本日の演奏会情報メモです

2007-03-28 09:12:35 | Weblog
本日の演奏会情報メモです。

●東京藝術大学オーボエ専攻生によるルーテル教会演奏会

日時:2007年3月28日(水)・開場:17時半/開演:18時
場所:日本福音ルーテル東京教会(JR新大久保駅下車徒歩5分)
http://homepage2.nifty.com/jelc-tokyo/
〒169-0072 東京都新宿区大久保 1-14-14
TEL:03-3209-5702 FAX:03-3204-5703

入場料:500円

毎年恒例のオーボエ祭り!オーボエだらけの2時間半!
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ある幻視

2007-03-27 13:23:32 | Weblog
 疲れていてたくさん寝たいのに、4、5時間ぐらい寝るとどういうわけか目が覚めてしまいます。目が冴えて寝付けないまま、しかたなく、内田康夫さんの『高千穂伝説殺人事件』を読んだり、ニッポン放送の『エバーグリーン』を聴いたりしています。『高千穂伝説殺人事件』ですが、これは『明日香の皇子』と対になる作品という気がしています。不思議な作品です。
 いま、非常におぼろではありますが、ひとりの人物のひどく寂しげな後ろ姿が見えています。短歌に詠むのがよいのか、音楽に描くのがよいのか、あるいは、小説に書くのがよいのか、まだわかりません。

 『高千穂伝説殺人事件』の次に読む本としては、山下洋輔さんの『ドバラダ門』を考えています。
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演奏会情報メモなど

2007-03-26 12:44:44 | Weblog
 メモです。

 近頃、内田康夫氏の名探偵浅見光彦シリーズの一篇、『高千穂伝説殺人事件』を、就寝前にパラパラと楽しんでいます。

【浅見ちゃんの見た風景】
http://www2s.biglobe.ne.jp/~frogs/asami_scene.html

 マニアックといえばマニアックなのですが、作品の中に登場してくる土地の実際の風景が、興味深くて面白いです。

*****

 演奏会情報メモです。

2007/6/3(日)
【ピアニスト前田美由紀さんのピアノリサイタル】
於:横浜みなとみらいホール・小ホール
14:00開演
全席自由・3,500円
問合せ先:(株)アルコ・電話045-822-0956
http://www.milmil.cc/sys/milmil.cgi?id=miyukey&page=novel&mode4=sel&num1=3&date=1153809750<協賛>スタインウェイ・ジャパン㈱
<協力>野中貿易㈱:馬車道ピアノサロン
<後援>フェリス女学院大学音楽学部

<曲目>
◆モーツァルト : ロンド イ短調 KV511
 W.A.Mozart : Rondo in A minor KV511
◆ショパン : 舟歌 作品60
F.Chopin : Barcarolle op.60
◆ドビュッシー : 版画
 C.Debussy : Estampes 
◆シューマン : 幻想曲 ハ長調 作品17
 R.Schumann : Phantasie in C major op.17

横浜みなとみらいホール
〒220-0012
横浜市西区みなとみらい2-3-6
Tel:045-682-2020 Fax:045-682-2023
e-mail:mmh@yaf.or.jp

+++++

「交響曲 ヘ短調 作品12」  リヒャルト・シュトラウス作曲
                      (41分47秒)
               (管弦楽)ベルリン放送交響楽団
         (指揮)カール・アントン・リッケンバッハー
       <KOCH SCHWANN 3-6532-2>

「“交響曲 ニ短調”から 第3、第4楽章」
                リヒャルト・シュトラウス作曲
                      (14分34秒)
              (管弦楽)バイエルン放送交響楽団
         (指揮)カール・アントン・リッケンバッハー
       <KOCH SCHWANN 3-6532-2>
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卒業式の今日

2007-03-25 10:34:59 | Weblog
 今日は学校の卒業式です。

 卒業される友人知人の皆様、ご卒業おめでとうございます!
 皆様の今後ますますのご活躍をお祈りしています。

 それとは別に、「先ほど、能登地方で震度6強の地震が発生した」とラジオのニュースが報じています。被害にあわれた皆様にお見舞い申し上げます。大きな被害がでていなければよいのですが、、、、、心配です。
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小池さんという方の書かれた『我が輩の成城物語』

2007-03-25 08:10:14 | Weblog
 メモです。

小池さんという方の書かれた『我が輩の成城物語』
http://pcsetagaya.ld.infoseek.co.jp/koike13.htm

(興味深いので、以下、引用させて頂きます)

 頭を挙げて山月を望み、頭を垂れて故郷を思うなどと言う漢詩が有ったように、吾が輩も故郷を忘れてる訳では無いが忙中忙々と言うか?いや生活に追われてると言った方が当たってると思う昨今です。ペンを持てるほどのものではないが人によっては少々興味有る方もあろうかと思い、敢えて拙筆文を記してみます。
 台風ー過の翌朝、成城の町内を自転車でー周すると何坪かのお屋敷の庭に金木犀の花が鏤めたように、オレンジ色に染まってる。それがオランダ苺のような爽やかな芳香を漂わせている。金木犀は成城の匂い、香りかな?
 挨拶しか交わしたことのない柳田国男、芝生の奥に、軒に寄り添うように椿が赤い花をつけていた。
 中河与ー,気さくな先生で電車の中などで会うと「やあ 今日は」と先方から声をかけてくる。庭の片隅に山茶花が咲いていたのは奥さんの趣味だったろうか。
 野上弥生子、先生はいつも自ら出て来られてご苦労さま お願いします。と帰り際には何冊かの本を下さった。裏口の竹垣に沈丁花が抱かれるように咲き強烈な芳香を放ってた。夏から晩秋まで軽井沢で静養がてら文筆なさってたようです。
 右側が石原裕次郎で手前が市川三喜さん、三省堂の英和辞典と云えば先生は有名でした。大きなの木の有るお屋敷で、武蔵野の面影を偲んで居られたのだと思います。
 西条八十、この先生も挨拶しかした事がない。台所の蛍光灯がニコチンで真黄色に、くすんでるので「わあー、すごいですね」 と言うと、お嬢さんが、すかさず「そうよ、パパは蒸気機関車みたいにタバコを吸うんですもの。」と大笑いしてました。
 芥川也寸志、武満徹、山田耕作,属啓成、井口さん、若手指揮者大町陽一郎、奥さんはフランス人形のような二十歳のドイツ人だったが?
 芥川龍之介の奥さんが健在の頃、色々と可愛がって頂きました。
 出入りして間もない頃、小池さん、「なんと言う字は、どう書きましたかねえ」などと言われ、試されてるのかな?と思ったがそうでもなかったようでした。龍之介婦人として、一言一句、一挙一動かなり気を使っておられたようです。田舎者の吾が輩には、一応、気が許せたようです。
 ある日「すみませんが、お店が終わってからでいいから、犬のお散歩お願いできないかしら」と頼まれ気安く受けたが戸惑った。一ヶ月、犬の散歩をした時、「私が、自由が丘で買って来たんですけど、着てもらえないかしら」と、Yシャツを買って来て呉れたのです。家族からはバブちゃんと呼ばれてましたが、その意味は聞いてない。
 お孫さんがマコちゃんとミコちゃんと言う二人のお嬢さん、お二人ともいい奥様になられてると思うが,その後の消息は聞いてません。
 比呂志さんの奥さんが、また気さくな方で初対面の日、いきなり、
「小池さん、運転免許を取ったんですって?」と言われ驚いた。
「何回で取ったんですか?」
「一回です。」
と答えると
、「どんなお勉強したの?」
・・・冗談まじりに
「勉強しないで行かれたら受かりますよ」
と言うと
「あら、そう、じゃあ、あたし、明日、勉強しないで行ってみるわ」
と実に素直な方。
翌日、早速、電話が、かかってきた。
「小池さん、受かりました。本当に有難うございました。あたし、小池さんのファンになったわ。」
 吾が輩にもファンが一人出来たって訳です。
 龍之介の奥さんから頂いた毛筆の年賀状も二枚ほど大事に持っています。「軽井沢の別荘も空いているから、いつでも、使っていいわよ」なんて言って呉れましたが、当時、吾が輩も若かったので、「はい」とは言えなかったが、今なら、「はい、はい」とお借り出来たろうにと、残念に思っています。
 武満徹さんという方も気さくな方で、「小池さんマージャンやろうよ。」なんていって呉れたので、よし、この人と付き合えるのは、マージャン位だと思い、マージャンを覚えようと思ったが、忙中に閑がなかった。
 庭の真ん中に、クロッカスが、なぜか、ギリシャ神話を連想させるように咲いていた。武満さんは作曲では世界的にも、有名な方だが独学でした。
 ある日、仕事を終え、奥さんが、「どうぞ」と紅茶を出して呉れたのだが、(以前、香港から来た、新華プロと言う所で、砂糖なしの紅茶を、大きなコップに、なみなみ注がれ、飲んだ後、気持悪くなったことが有ったので)今度は、砂糖を、いっぱい入れて飲もうと思い、スプーンに三杯入れて、一生懸命掻き混ぜたが、なかなか溶けない。お湯がぬるいのかと思ったが、やっと、溶けたなと思い、カップを口元に持って来た。
「ごめんなさいね」奥さんが出て来たが、またマキちゃんが泣き出したので、引っ込んでしまい、口元まで持って来た紅茶を、いっきに半分くらい飲み込んだはいいが、なんと塩だった。まさか吐き出す訳にもいかず、其の儘お腹へ。
 いやー帰って来て、すぐ、行きつけの田園という喫茶店へ行って、ココアをうんと甘くしてと頼んで飲んだが、人間、一旦、塩をお腹へ入れたら、+、-、ゼロという訳には行かないという事を、いやというほど知らされた。それからというもの、すきっ腹には紅茶は飲まないようにしています。
 翌日、奥さんから、電話がかかって来て、「昨日は、ごめんなさいね。主人が帰った時に、そのまんま出したら塩だと叱られてしまい、本当にごめんなさい!」って。吾が輩も「マキちゃんが、泣き出したので、言いそびれてしまいすみませんでした。」と謝った。
 そのマキちゃんが、4~5才になり、渋谷のマンションへ仕事に行くと、ハーイって出て来るのは、いつもマキちゃんで、我が輩の顔を見ると、「なーんだ、小池さんかあ」とお母さんを呼んでくる。
 武満さんが亡くなった時、寒風にさらされながら、弔問者の列は、坂の下まで、長蛇の列を成していた。大江健三郎、黛敏郎の弔辞が終わり、献花台の左側の席に唯一人、橋田寿賀子さんが座っていたのも印象的だった。献花を済ませ帰り際に、奥さんが「ほら、マキちやん、小池さんよ、覚えてる?」って、それは少々?
 芥川也寸志さんのお通夜の時も、道路まで、はみ出した生花の数は五百籠を越えていたようです。
 話は前後するが一見気位が高くって、近寄り難そうな、也寸志さんですが、実際は、逆で、本当に優しい方でした。それが証拠に、こんな吾が輩の家にも人の事を心配されて、夜中の一時頃まで、話をしていかれました
 宮本正尊と言う方は仏教学では、世界的に有名な方でした。庭に大きな桜の木があり春には見事な花が、通る人を楽しませてました。天井裏が書庫で、インド仏教学という本が何百冊とギッシリ並んでいたのも驚きでした。
 八木沢文雅さんという、平凡社の編集長を歴任された方、なんでもよくご存知で、知恵袋みたいな人で、色々の事を、教えていただき役にたっています。「書ハ言ヲ尽サズ、言ハ意ヲ尽サズ」こんな言葉を借りて、ご理解のほど念じて失礼します。
 5月27日 記 by小池さん
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ショパンが最後の演奏旅行で使用のピアノ

2007-03-25 08:00:05 | Weblog
 メモです。

〔ショパンが最後の演奏旅行で使用のピアノ、英で発見〕

 ポーランド生まれの作曲家ショパン(1810―49年)が最後の演奏旅行で使用したピアノが英国で見つかったことが、22日までに分かった。
 ロイター通信によると、ショパンが1848年に演奏旅行のために英国に持ち込んだピアノが英国の収集家の手に渡っていたことが、スイスの音楽研究者の調査で判明した。
 ショパンはピアノを旅先の英国で売却、翌1849年にパリで死亡しており、これが最後の演奏旅行となった。ピアノはその後、行方が分からなくなっていた。(共同)

*****

Chopin's last piano found after 150 years
Famed composer's treasured instrument is located in English country house

(REUTERS・Updated: 3:10 p.m. ET March 21, 2007)

LONDON — The grand piano Frederic Chopin took on his last concert tour has been found in an English country house thanks to detective work by a Swiss musical scholar.
"It came as a bolt from the blue," said British collector Alec Cobbe after discovering that the piano he bought 20 years ago for 2,000 pounds is a piece of musical history.
For more than 150 years after the composer's death, Chopin's piano vanished until Professor Jean-Jacques Eigeldinger researched the ledgers of French pianomaker Camille Pleyel.
The scholar, who had met Cobbe at a Chopin conference, came to see the collector armed with details of where and to whom all the Pleyel pianos were sold.

http://www.msnbc.msn.com/id/17724351/

*****

Chopin’s true sound can be heard at last after discovery of his piano
The composer’s own Pleyel grand, which gives a distinctive texture to his music, has been traced to a country house in Surrey
(From The Times March 17, 2007)
by Ben Macintyre

Musicians have always sought to replicate the divine sounds that Frédéric Chopin made on the piano at the height of his powers. Now they have a chance to do exactly that, after the discovery of the composer’s own grand piano, which he brought to England in 1848 for the last great concert tour of his life.

Chopin’s French-made piano disappeared into obscurity after his death, but more than 150 years later it has been tracked down to an English country house.

Two decades ago Alec Cobbe, a collector of antique keyboard instruments, purchased the Pleyel piano for just £2,000. However, it was not until this year that the instrument was revealed to be Chopin’s own beloved instrument, after a remarkable piece of detective work by Jean-Jacques Eigeldinger, one of the foremost Chopin scholars.

The discovery of the instrument, which is on display at Hatchlands, the National Trust house in Surrey where the Cobbe Collection of pianos is housed, will enable British music lovers to hear what Chopin’s music would have sounded like to the great composer in his own salon.

The Polish-born composer was deeply attached to the piano, manufactured in Paris by his close friend Camille Pleyel. Indeed, there appears to have been a verbal contract between the pianomaker and the composer, similar to a modern sponsorship deal: Pleyel agreed to provide Chopin with the pianos he loved, free of charge, and in return Chopin promoted Pleyel pianos to his pupils and admirers (and received a 10 per cent commission from resulting sales).

“Pleyel pianos are the last word in perfection,” Chopin once remarked.

Chopin had lived in Paris since 1831, but left for London in 1848, fleeing revolutionary France and bringing with him a Pleyel piano made two years earlier and personally selected by the composer. It is almost certainly the one depicted in a watercolour of Chopin’s Paris apartment, on which he gave one of the earliest renditions of his cello sonata.

John Broadwood & Sons, the English pianomaker, had agreed to provide the composer with pianos during his stay, but Chopin preferred to compose and practise on his own instrument. The composer took up lodgings in Dover Street, Mayfair, where he wrote: “I have three pianos. In addition to my Pleyel, I have a Broadwood and an Erard, but I have so far only been able to play on my own.” Chopin played this piano during a recital at the home of the Count d’Orsay and the Countess of Blessington at Kensington Gore. For his other recitals in England, including a concert at Stafford House attended by Queen Victoria, Chopin played a Broadwood, which is also part of the Cobbe collection.

Alfred Hipkins, an employee of Broadwood, described the composer on his English tour as being “of middle height, with a pleasant face, a mass of fair curly hair like an angel, and agreeable manners . . . He was painstaking in the choice of the pianos he was to play on anywhere, as he was in his dress, his gloves, his French.” Chopin had visited England only once before, in 1837, and despite his ailing health he was impressed and flattered by his reception. He left a breathless description of the Stafford House concert: “You should have seen the Queen standing on the stairs in the most dazzling light, covered with all her diamonds . . .”

But he came to harsher conclusions about English cultural attitudes: “They consider everything in terms of money. They love art because it is a luxury.”

At the end of the London season, Chopin performed two concerts in Scotland. He returned to London in November, and gave another performance at Guildhall at a charity recital in aid of Polish refugees. This was to be the last concert of his tour, and the last of his life.

The London fogs worsened Chopin’s health, and on November 23, he returned to Paris, leaving behind his Pleyel piano but already making plans to obtain another in France. “On Thursday I shall be leaving this beastly London,” he wrote to a friend, Wojciech Grzymala. “You might even tell Pleyel to send me any kind of piano on Thursday evening.” Chopin died in Paris the following October.

Before leaving London, Chopin sold his Pleyel piano, for £80, to one Lady Trotter, whose daughter, Margaret, was his friend and probable pupil. For almost 160 years, Chopin’s “English” Pleyel vanished into obscurity, until Dr Eigeldinger, Emeritus Professor of Musicology at the University of Geneva, set about correlating the scattered Pleyel archives. By matching serial numbers in Pleyel’s ledger, Professor Eigeldinger was able to identify the piano owned by Mr Cobbe, no 13819, as the one Chopin had brought to England in 1848. “I was absolutely astonished,” Mr Cobbe says. “Surviving Pleyels number in the hundreds, but I had absolutely no idea which was Chopin’s own piano.”

Mr Cobbe believes that Margaret Trotter, who died unmarried, bequeathed the instrument to her grandniece, Margaret Lindsay, who married Sir Lewis Majendie, of Castle Hedingham, near Saffron Walden.

As the piano was passed on, the story of its provenance was forgotten. The Hon Tom Lindsay inherited Castle Hedingham in the 1970s and was told by a housekeeper that a piano had just been sold from the property.

In 1988 Mr Cobbe bought the Pleyel piano from a dealer in early pianos, who had purchased it at auction in Saffron Walden in the late 1970s. The collection is now owned and cared for by a charity, The Cobbe Collection Trust, which aims to enable musicians and audiences to hear music played as nearly as possible to the way that composers would have heard it. The collection is the largest of its kind in the world, and includes instruments owned or played by Purcell, Bach, Mozart, Mahler and Elgar.Chopin believed that the Pleyel piano was the only one ideally suited to his music. “When I feel in good form and strong enough to find my own individual sound, then I need a Pleyel piano,” he said.

Mr Cobbe says: “The pianos of today produce lone, sustaining, liquid notes, whereas with the Pleyel the notes die away much more quickly and this gives a completely different texture to the music.”

In a sense, Chopin’s Pleyel was an extension of his own genius. Franz Liszt wrote that Chopin “particularly cherished” Pleyel pianos “for their silvery and slightly veiled sonority and their lightness of touch”. In the words of Professor Eigeldinger: “With its distinctive mechanical and timbral qualities, the Pleyel instrument seems to have been the medium par excellence for Chopin, pianist, teacher and composer, from his earliest days in Paris until his death in 1849.”

Chopin died long before his own performances could be recorded, but the rediscovery of Chopin’s piano means that music lovers can once again enter the sound-world of the great composer on his final tour.

Musical notes

— Possibly the world’s most famous piano is the 1887 Alma-Tadema Steinway, with fine-art decorations by Sir Lawrence Alma-Tadema, sold in 1998 for £700,000

— In 2001 George Michael paid £1.5 million to keep the piano on which John Lennon composed Imagine in Britain. The Steinway Model Z still bore two burns from Lennon’s cigarettes

— A white piano owned by Elvis Presley sold for £500,000 at auction in 2003, to be exhibited in a museum at Disney World

— A black Bechstein played by Bob Dylan, Paul McCartney, Bryan Ferry and Annie Lennox made £3,600 at auction in 2005

— In January 2006 a see-through piano owned by Whitney Houston sold for £10,000 at auction

— In 2004 the piano on which Elton John wrote Your Song sold for £91,500

http://www.timesonline.co.uk/tol/news/article1527757.ece
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