俳人藤原月彦氏に〈軍服の父のみ燃ゆる夏座敷〉という作品がある。横尾忠則さんのポップな絵画作品のようにイメージ豊かな、好きな作品のひとつだ。この軍服に影響されて、近頃、題詠100首というネットイヴェントの会場で、戦争への道を邁進したくてうずうずしてとんでもない法律ばかりを続々と強行成立させている政権のひとたちに抵抗してひとり黙々と反政権行動を画策実践している〈片目の軍服〉を主人公にした短歌をポツリポツリ作っては投稿するようになった。とはいえ、これは、何らかの立派な現実実践に取材立脚したものではなくて、現下の世の動向への悲哀絶望閉塞感を空想上の世界で憂さ晴らししている戯作に過ぎない。そういえば、むかし産婦人科医から軍医になって満州で亡くなった父方祖父の軍服姿の写真を亡き祖母は持っていたらしいが、結局、誰かがどこかにやってしまったらしくて、ついぞ目にしたことはない。多分これからもないと思う。
知り合いの(?)先生が教えていらっしゃるどこかの音楽学校のフルート科の学生さんたちが先生と一緒に偶々近くのセミナーハウスで合宿されていると聞き、さっそくその旧知の先生をお訪ねしてご挨拶し雑談していた。〈じつは最近書いたフルート曲があるんですが。。。〉という話になって先生に譜面をお見せしたところ、〈せっかくなので学生さんたちに演奏してもらいましょうか〉と仰有って下さって、そのセミナーハウスの食堂で学生さんたちがそれを初見でみごとに演奏して下さった。低音から高音までの三種類のフルートと、声のための作品。演奏が終わり、拍手しているところで目が覚めた。
不思議な夢を見た。
時間は夕方頃で、そこはどこかのビルのなかの会議室。教室風に椅子机が並べられており、授業や何かをしているわけではないけれども、教壇にはひとりの若い女性が座って書き物をしており、机のあちらこちらにも何人もの人びとが着席していた。私も机に座っていたが、教壇の女性が私の席へつかつかと近づいてきて紙を差し出した。「私があちらからあなたについて受信したことを書き留めましたので目を通してください」と言われた。「ありがとうございます」と受け取り見ると、「人生の目的」「病気」「結婚」「家族」「死」など項目別に細かく書かれ、また最後に「まもなく夜になったらこの会議室のロッカーの中にある石を持って屋上へ行って石のなかの精霊たちを解放してください」「二日の日にあなたは幸せで心豊かな優しい贈り物を受け取ることになっています。遠慮せず自分を卑下せず受け取ってください」などというメッセージも書かれてあった。
未明に目覚めて、芥川龍之介の〈ぼんやりした不安〉について唐突に思った。
芥川龍之介に関するwikipedia記事より。
(前略)
1927年(昭和2年)7月24日、雨の降りしきるなか、田端の自室で芥川龍之介は服毒自殺を行い、社会に衝撃を与えた。使用した薬品については、ベロナールとジェノアルとする説が一般的である。死の数日前に芥川を訪ねた、同じ漱石門下で親友の内田百閒によれば、芥川はその時点でもう大量の睡眠薬でべろべろになっており、起きたと思ったらまた眠っているという状態だったという。すでに自殺を決意し、体を睡眠薬に徐々に慣らしていたのだろうと推測される。一方で、自殺の直前には身辺の者に自殺をほのめかす言動を多く残しており、実際には早期に発見されることを望んだ狂言自殺で、たまたま発見が遅れたために死亡したとする説がある。また、死後に見つかり、久米正雄に宛てたとされる遺書「或旧友へ送る手記[15]」の中では自殺の手段や場所について具体的に書かれ、「僕はこの二年ばかりの間は死ぬことばかり考へつづけた。(中略)…僕は内心自殺することに定め、あらゆる機会を利用してこの薬品(バルビツール酸系ヴェロナール (Veronal) およびジャール)を手に入れようとした」とあることから、記述を信頼すれば計画的に自殺を企てていた節も窺える。エンペドクレスの伝記にも言及し「みずからを神としたい欲望」についても記している。
遺書として、妻・文に宛てた手紙、菊池寛、小穴隆一に宛てた手紙がある。芥川が自殺の動機として記した「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」との言葉は、今日一般的にも有名であるが、自殺直前の芥川の厭世的あるいは「病」的な心境は『河童』を初めとする晩年の作品群に明確に表現されており、「ぼんやりした不安」の一言のみから芥川の自殺の動機を考えるべきではないともいえる。芥川命日は小説『河童』から取って河童忌と称される。
死の直前である7月初め、菊池寛に会うため二度文藝春秋社を訪れているが会うことができなかった。社員が菊池に芥川が訪れたことを報告せず、生前に菊池が芥川を訪ねることもなかった。
死の前日、芥川は近所に住む室生犀星を訪ねたが、犀星は雑誌の取材のため上野に出かけており、留守であった。犀星は後年まで「もし私が外出しなかったら、芥川くんの話を聞き、自殺を思いとどまらせたかった」と、悔やんでいたという。また、芥川が死の直前に詠んだと言われる短歌作品「橋の上ゆ胡瓜なくれは水ひひきすなはち見ゆる禿(かむろ)の頭」が残されている。
(後略)
☆☆
大正デモクラシーから関東大震災を経て戦争に向かっていった時代に生きた芥川龍之介の繊細脆弱な神経が感じ取った〈ぼんやりした不安〉は、今の時代にも深く通じているような気がする。残念ながら、あの頃といまは非常によく似ている。
詞書(トイレに入ったきりルパンは姿を消した!?)
トイレ前の廊下に八時間縛られて銭形警部の歯噛みと地団駄
詞書(秋原警部の同僚、銭形警部が待ち受けているニューロンドン駅の九十八番ホームには、隣国から到着するはずの護送列車はなかなかやって来ない)
夕映えの駅のホームで齧(かぶ)り付くアンパンの美味さよ はるけき線路よ
詞書(ニューロンドン駅の九十八番ホームで護送列車を待っている銭形警部。さっきアンパンに齧(かぶ)り付いてから、どうも腹の調子がおかしい。強烈な便意が波のように襲ってきては、肛門括約筋をぎゅっと引き締めて耐え忍ぶこと数回。とうとうこらえ切れずに駅のトイレに駆け込むが、どういうことか洋式トイレの便座のフタが便座にしっかりくっついて上げることが出来ない)
接着剤を便座に塗ったのか馬鹿野郎! こちらは焦ってズボンを下ろしているのに
詞書(便座と便器フタがしっかりくっついていてどうにもこうにもフタを上げられず、苦悶の表情を浮かべて便器を見つめる銭形警部。そのとき、銭形警部の頭上の天井板でゴトリと音。銭形警部がハッと上を見ると、するすると縄梯子が下りてくる)
持つべきはやっぱり友か!? 峯不二子に伴われてわしは女性便所に
詞書(カリオストロ公国の首府を今朝早く発ってきた特急列車が夕刻のニューロンドン駅97番ホームに入ってくる。ちょうどそのとき改札から98番ホームに駆け込んでくる埼玉県警本部出身の春山刑事の姿あり)
《銭形さ~ん!!》春山刑事のメガホンに大陸列車は汽笛を鳴らせり
詞書(ニューロンドン駅の構内の女性トイレで用を足していた銭形警部は、メガホンで自分の名前を呼んでいる春山刑事の声に気付いて、慌ててトイレットペーパーをがらがらがらがら廻す。が、なんということか紙がない!!!トイレの扉の外に立って見張ってくれている峯不二子に気付いてもらうにも、大声で不二子に知らせて、自分が女性トイレで用を足しているのが大勢にばれるのはまずい。不二子よ、気付いてくれたまえ。銭形警部の脳裡にありとあらゆる神が浮かんでは消え、浮かんでは消えする。そんな中、突然幼き日に一度だけ旅行で訪れた北海道の室蘭教会の様子が思い出されて)
おおぅ、神よ、わが窮状を助けたまえ。。。ギリシャ正教室蘭(むろらん)教会!
もうすぐ今日は終わるけれども、ひとりの国民として無視できぬ大事な、水道民営化に関するパブリックコメントが今日ひっそり申請受付終了されようとしている。なぜ、メディアはニュースで大きく流さないのだろう。。
水道民営化に関するパブリックコメントが、市民に周知されぬまま「今日」終わろうとしている。水道料金が何倍にも跳ね上がる代わりに、寄生虫の混入などで水質が何倍にも悪化し、世界中で再公営化の動きが主流になっているのに、まったく勉強していないひとたちが「利権のために」水道民営化へ突き進むのは、国民の幸せをまったく考えない狂気の沙汰。
https://t.co/xFqj2OlQrz