カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

昨晩は。

2020-07-31 07:41:02 | Weblog

昨晩はえらく寝つきが悪かった。なんとか眠りに入ったあとも、次々に出てくる雑多な夢を見ていた。まるで感情の膿を漂っているかのようだった。それらの夢の中には、もうすぐ命日のせいかここのところ毎晩夢に出て来てくれる父の夢もあった。目が覚めると、昨日の朝同様、オーケストラの『祈りの樹』が聴こえた。

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祈りの樹。

2020-07-30 08:40:20 | Weblog
オーケストラの『祈りの樹』。メモ。
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眠れる森の美女。

2020-07-30 06:50:04 | Weblog
超巨大なバス内に設えたステージとオーケストラピットと客席のある移動劇場で上演されるチャイコフスキーのバレエ『眠れる森の美女』を見るツアーに参加して公演を見ている夢を見た。帯同の指揮者団は三名構成で、国際的なご活躍のお名前をしばしば聞く方々のお三人。この夜は女性の指揮者が颯爽とタクトを振られていた。
夢から覚めて聴こえたオーケストラの『祈りの樹』。

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三枝先生の番組テーマ曲。

2020-07-29 08:50:00 | Weblog
芥川さんと黒柳さんのNHK『音楽の広場』が1984年に放送終了したあと、芥川さんは『N響アワー』の司会を始められ、黒柳さんは、井上道義さんとタッグを組んだスタジオ収録の『徹子と気まぐれコンチェルト』と、尾高忠明さんとタッグを組んで全国各地のホールを巡る新番組の2つを始められた記憶があるのだが、尾高さんとの音楽番組の名前をなぜだか思い出せない。三枝成彰先生作曲の実に美しい番組テーマ曲は鮮明に覚えているのに、なぜだかどうしても番組名が出てこない。。すごくもどかしい。。
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見間違い。

2020-07-28 05:46:29 | Weblog
真中さんが某所記事に引いていらした二宮冬鳥の一首、

けふ見れば大きくなりし椿の實茶いろの木の實悲しみもなく/二宮冬鳥『靜黄』

寝覚めに記事を開いてぱっと拝見したとき、こちらの目と頭が悪くて、初句二句を〈けふ見ればかなしくなりて〉と見てしまった。

詞書:ラヴェル28歳の作品『弦楽四重奏曲』を聴く。
けふ見ればかなしくなりて明日見てもかなしくならむ外套の死者
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ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。

2020-07-27 20:31:11 | Weblog

幼い頃、父の書斎には、河出書房新社から刊行された『世界大音楽全集』があった。そのレコードに関する記憶の一つをどういうわけか思い出した。。

そもそも、そのレコードの中身に関心を抱いたのは、小学校に入学して間もないある日の下校時のことだった。偶々校庭に面した大スピーカーから滔々と流れるヴァイオリン協奏曲の音色に気づいて耳を奪われ、その音楽にいたく感動してその曲名を知りたくなった。急いで家に帰り、在宅していた母に、口三味線で音楽の様子を伝えた。そして、誰の何の曲か問うた。母は、私の話から誰かのヴァイオリン協奏曲だろうと目星をつけ、父の書斎にあった『世界大音楽全集』のなかのいくつかのヴァイオリン協奏曲のレコードを流してくれた。そして、正解がわかった。それは、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調だった。ところで、そのときに母が掛けてくれたレコードの一つにベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲があった。『ベートーヴェン』第2巻にそのLPレコードはあって、母は私にそれを聴かせてくれた。実は、その第1楽章がLP1の英雄交響曲の後ろに入っているのを母は気付かず知らず、LP2の第2楽章からをベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲として聴かせてくれた。だから、私はしばらく、楽曲解説にある第1楽章冒頭のティンパニの複数打ちを第2楽章冒頭の音楽の頭にあるものとして、〈なにかおかしいな。ティンパニがちゃんと聴こえないぞ〉と思いつつ、空耳を駆使してしばらく聴き楽しむことになった。やがてしばらくして、その間違いにやっと気付き正しい音楽を知るようになってからは、ちゃんと第1楽章も聴くようになった。

『ベートーヴェン』第2巻【『世界大音楽全集』(河出書房新社、1969年刊)】

LP1
○交響曲 第3番 変ホ長調"英雄"作品55
指揮:コンスタンチン・イワノフ
演奏:ソビエト国立交響楽団
○ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品61:第1楽章
ヴァイオリン:イーゴリ・ベズロードニー
指揮:ゲンナジ・ロジェストヴェンスキー
演奏:モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団
LP2
○ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品61:第2楽章、第3楽章
ヴァイオリン:イーゴリ・ベズロードニー
指揮:ゲンナジ・ロジェストヴェンスキー
演奏:モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団
○ピアノ協奏曲 第5番 変ホ長調"皇帝"作品73
ピアノ:ルドルフ・ケーレル
指揮:キリル・コンドラシン
演奏:モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団

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雨。

2020-07-27 05:54:45 | Weblog

近頃の雨は、ほの明るんで止んでいると思っていたら、にわかに辺り暗くなって大粒の雨を強く降り出させる豹変ぶり。雨粒は激しく地面に当たって盛んに飛沫を跳ねさせる。無力な地上は逃げ場なく右往左往、その上に容赦なく降り掛かる小滝状の雨。昨日の雨も、少々怖いほどの降りだった。

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最近。

2020-07-26 07:20:48 | Weblog

最近、泰明さんの実父が範古さんなのか斉泰さんなのかについて偶々母と話したとき、母は、泰明さんが亡くなったときに範古さんと斉泰さんはそれぞれまだ健在だったのかと僕に問うた。範古さんはその前の年に八十代で亡くなっており、斉泰さんはお元気だった旨告げると、母は、やはり泰明さんの実父は範古さんだったのではないかと思うと言った。範古さんが亡くなって山崎家との縁が切れたと考えると自然だと。やはりそうなのかなと僕も少し思った。しかし。。斉泰さんの宗旨は、そのもともとの墓所が金沢の曹洞宗天徳院にあったことから、曹洞宗の由。前田家は明治時代に入って以降に仏教から神道へ改宗しており、のちに野田山前田家墓地に藩主墓を集めた際に改葬された斉泰さんの墓所は他の藩主同様、神式に改められているらしい。庄兵衛家当主範古さんの宗旨も曹洞宗。山崎家では、宗旨を、当主が曹洞宗、妻子家族が日蓮宗とする慣わしがあったらしい。泰明さんの墓所は、最初、静岡県清水興津の日蓮宗耀海寺に建立された事実がある。これは、山崎家の上記慣わしに照らせば、順当。ゆえに、泰明さんの実父はやはり範古さんだったか。ただ、どうしても引っ掛かるのが〈偏諱〉のこと。なぜ、泰明さんは、範古さんの名前の一字をその諱名に継げなかったのだろう。なぜ〈泰〉のつく名前を諱名にしたのだろう。それゆえに、誰が泰明さんの実父だったか、なかなか結論が出てこぬ。

昨日は朝、どういうわけかオーケストラの奏でる朝明けの音楽がずっと聴こえた。

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シベリウス。

2020-07-24 07:41:07 | Weblog

マエストロ藤岡幸夫先生のブログ記事にあったシベリウスのことば。

「深い谷間から、登るべき山が見えてくる。するとその時、神が扉を開き神のオーケストラが奏ではじめるのだ・・・・・・」

これは、シベリウスが、交響曲第5番の着想を得たときの自分の胸の内の幻視の様子を表現した言葉とのこと。興味深いです。じつは、シベリウスのような方と並べるのはおこがましいですが、私の胸の奥でオーケストラが鳴るときの様子によく似ています。


今朝は、旧知の先輩ご夫妻(奥さまも旧知)と何十年ぶりかで親しく楽しくお会いする夢を見た。懐かしかったです。

本日7月24日は、河野裕子先生の誕生日で、また、龍之介の亡くなった河童忌であるらしい。
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微笑。

2020-07-22 15:49:39 | Weblog

短歌メモから。

彼(か)のTOKYOはもはや戦場、〈崩壊〉へひた向かひつつあり、と。その夜も空軍飛行機は帝国へ還る

夕光(ゆふかげ)のポストへ差し込まるる封筒の差し出し元に士官庁の青字

青切符つよく握られて皺皺なり。駅前の閑散、深夜便の灯り

夜もすがら列車振動止むことなし。横光『微笑』ひらきつつ青服の東京士官ひとりは

『閉店中』パイロンが朝方の商店街入り口に 広大な墓原吹き抜くる風

口笛を青服の東京士官鳴らす〈抱き続けよ希望を、如何なるときも〉

 

 三四郎は十八歳になるまで故郷の島を出たことがなかった。その島は瀬戸内にあり、きれいな穏やかな潮騒が絶えず聞こえた。母は彼を産んでまもなく亡くなったらしい。だから、母の記憶はまったくない。写真帳もないから母の顔はまったくわからない。病気がちだった育ての父とは中学一年のときに死別し、その葬儀のときに会った母の遠縁という醤油工場に引き取られた。醤油工場は島の基幹産業のひとつで、中学を卒業してもそのままそこで働かせてもらって暮らしていたが、中学卒えた二年後の年末に工場長が突然倒れ、あれよあれよという間に経営は傾き、正月明けに倒産した。工場長の妻から呼ばれ、「あなたは若いからいい。これからどうするのだ。」と訊かれたから、特段の名案はなかったが「東京に出ます。」と答えた。東京だったら何とか身を振れるのではないかと考えた。工場長の妻は、「東京だったらそこの田端というところに小学校のときの親友がいて下宿屋をやっているらしい。手紙で伝えておくので、よかったらそこを訪ねなさい。」と言って連絡先を紙に書いてくれた。島の社に参ってこれまでの生活を整理して東京で出直すことを報告し、働いて貯めた三十万円を握りしめて東京に出た。田端の停車場を出た三四郎は、空を見上げた。田端は曇っていた。坂の外れに下宿屋〈龍之介館〉はあった。二十人の間借り人を置いて下宿屋の羽振りは良さそうだった。玄関先にカウベルという名の、のっそりとしておとなしい大きな犬を飼っていた。すぐに面談を受けた。下宿屋のさまざまな仕事の手伝いと朝な夕なの犬の散歩が三四郎の当面の仕事になった。三四郎はカウベルを可愛がり、カウベルも三四郎になついたけれども、その年の暑すぎるほどの夏、カウベルはどんどん弱っていって到頭死んでしまった。昼に死んで、夜、埋葬のために役所から連絡を受けた五人の東京士官が下宿屋に派遣されてやってきた。外灯に照らされた道の端に青いジープが停まり、一様に青いスーツを着た背の高い彼らが降り立った。それぞれが大きな青いバッグを提げていた。三四郎が案内して近くの路地の奥に目立たぬようにジープを駐め直してもらい、女将と一緒に母屋横の木戸から三条公ゆかりの庭隅に彼らを案内した。三四郎は東京士官のことをまったく知らなかった。青で統べられた彼らの風体はじつに奇異に目に映じた。彼らが埋葬の準備していく作業を見守りながら、怪訝に「彼らは何者なんですか。」と女将にこっそり訊ねた。女将は黙って割烹着のポケットから小さな新聞切り抜きを取りだして、三四郎に渡した。「三四郎さん、悪いけれど此処で彼らのことを見張っていてね。」と口早に言い、家に戻っていった。三四郎は、青い五人が懐中電灯で手元を照らしながら黙々と穴を掘っていくのを見守りながら、座敷から洩れてくる灯りの下に立って女将から受け取った切り抜きに目を通した。東京士官とは、お上も随分と奇異な制度を作ったものだと三四郎は思った。〈つづく〉

 

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