江戸時代、上様にお仕えする御典医の中にはさまざまな役職があって、家ごとにそれぞれ、御毒見(おどくみ)役、御診立(おみたて)役、御取上(おとりあげ)役、御屁改め(おへあらため)役とか、決められていたようでございます。。
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(寛永年間の御屁改め医師・寄居騰膳庵(よりい・とうぜんあん)の「うた日記」から)
上様はお屁ひりたしと仰せとか 早馬は今宵もわが門前に
屁の音の町中にすなる夜更けにて馬息聞こゆわが耳元に
恐らくはテンプーラに腹を下されたか 御診立役の声は震へて
出る出ると仰せになられて家臣らは皆遠退きぬ われのみ前へ
サン・サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番はれっきとした堂々たる美しいコンチェルトだけれども、いつもフォーレのレクイエムと共通の深くしずかなエスプリを濃厚に感じさせられて、勝手にレクイエムの物語を脳裡にまざまざと思い描いてじっと聴き入らされてしまうのは何故かと、時折考える。
そしてまた。近頃はしばしば、ねむらない樹vol.7を携帯して適当なページを開いてもざもざもぞもぞ文字や文節を読むことを繰り返している。葛原さんや川野さんの作品みたく天の営為と重ね合わせられるような魅力的な遠さ深さを持った創作は簡単ではないかもしれないが、憧れとして、目標として、常に胸奥に掲げ持っていたいと思う。
島崎藤村にかこつけた文体練習。
昨日は、仕事のさなか唐突に胸奥できれいなピアノ曲が流れ始めたが、落ち着いてメモできるような暇さっぱりなくて、忙しさのなかにその音楽の行方を見失ってしまった。残念。夜は夜で、昼間の疲れからばたんきゅうで休み、ふとした寝覚めの頭のなかですこし面白い弦楽合奏曲が鳴っていたが、起き出してもぞもぞメモする気力ついぞ湧かず、そのまま逃してしまった。申し訳なし。いったんゆっくりまた目を閉じるも寝付けず、目を開いて天井模様を眺めながら島崎藤村の小説作品『夜明け前』『東方の門』のことが唐突に気になり始めて、そんな夜半。今日も仕事。
今日は敬老の日で秋彼岸の入り。昨日の仕事中は、安住さんのラジオ『日曜天国』を予約録音しておいた。夜、帰ってから再生して楽しんだ。先週のリスナープレゼントは、ヒゲタ醤油の玄蕃蔵だったらしい。なんでも、滅法美味で極上で特別という醤油の由。知らなかったので、ほお、ほお、と食い付くようして聴いた。今日も仕事。
NHK、Eテレの日曜美術館で「GENKYO」展を45分の大きい枠で放映されることが決まりました。2021年9月26日(日)午前9時-9時45分が本放送。再放送は、10月3日(日)午後8時-8時45分です。
今朝は起きしなに、胸奥で弦楽オーケストラの愛のうたが流れた。それは、先日のアヴェヴェルムコルプスのような音楽にじつに美しくぴったりと直接繋がっていった。あまりに突然のことだったので、周章ててノートを手でばたばた探して取り出し、メモしてみた。ふと、なんの脈絡もなく、グリンカがお気に入りの寝椅子に身を横たえたままペンと五線紙を持って作曲している姿を描いた絵画作品(イリヤ・レーピン作『ミハイル・グリンカの肖像』トレチャコフ美術館蔵)のことを思い出した。グリンカは作曲の際にピアノを使わなかったらしい。とりとめもなく、とりとめもなく、朝のもやもやした頭は覚醒してゆく。
レーピンの描いたグリンカ。 そして、先日のアヴェヴェルムコルプスのような音楽を、今日は、夕方過ぎ、弦楽オーケストラのためのアヴェヴェルムコルプスとして、メモし直してみた。 三枚目。