朝、相も変わらぬ数々の愚政悪政のニュースにため息して、値上がり前の今日のうちにとにかく投函せねばならぬと原稿用紙ひらき、シベリウス聴きながらいくつかの詠草を推敲しつつ書き留めた。
官邸裏木立の薄の穂を揺らす風の朝 〈軍服〉ゆつくり伸びする
〈軍服〉は瞑りたる片目はつかひらき微笑む 便所から遂に出ざりし大臣のことなど
赤ん坊はその朝廃駅ベンチに居りしとふお包(くる)みにありしは細字の紙片
官邸裏木立に〈軍服〉は時折紙片ひらく 顔も声も知らざれども徳子とふ母
『小中英之歌集』(現代短歌文庫、砂子屋書房、2004年)巻末の「年譜」より。恐らくこの部分の記述は小中氏自身によるものと思われます。
「昭和45年(1970)33歳
5月7日朝、交通事故により小野茂樹死去。前夜一緒に酒を飲み、別れた直後の出来事であった。秋、神経科入院。」
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同前書収載の「初期歌篇」の「1970(昭和45)年」より。
微熱の眼みひらき行かなろくがつの荒き明暗みとどけんため 小中英之
荒梅雨の街にあふれて荒きものぬれし顔面ぬぐわず潔し 小中英之
青年のこえ強けれど聴きとれずいずれも死者のこえかは聴こゆ 小中英之
たたかいに汝が日常の浄まるとききてふたたび風にかえしぬ 小中英之
微笑みのかえりくるすべなかりしにはるかをささえ茂る樹が見ゆ 小中英之
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以下は、『NHK短歌』2005年7月号の《福島泰樹の名歌発見》からの引用です。
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(前略)
その夜、小野(茂樹)さんは、行きつけの銀座五丁目のバー《Virgo(ヴィルゴ)》のカウンターに凭(もた)れヴィヴァルディの『四季』を聴きながら、ウヰスキーを傾けていた。傍らには、(歌人の)小中英之がいた。
時計はすでに(1970年)五月七日午前一時を回っていた。四丁目の角で、小中は、船橋の自宅にタクシーで帰る小野さんを見送った。数分後、小野さんは霧の路上に放り出されていた。行年三十三歳。この人を喪った現代短歌の喪失は、計り知れない。微笑の美しい人であった。
「あの夏の数かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ」。小野さんの生前に出版された唯一の歌集『羊雲離散』中につとに名高い一首である。
少し前、小野さんは、遠からず訪れるであろう自身の死を予見するかのような歌を発表している。このリズムの軽やかさの中に、生のいらだちはみられない。
尋常の朝を迎ふるごとくにてこのけざむさになべては死せむ 小野茂樹
とほきわが羊のこころひたひたと霧のもなかを帰りはじめぬ
濃き霧のかなたの眠りおもふときただよふごとし覚むるひとりは
新しいビルが林立する銀座五丁目、旧三原橋三十間堀沿い。そこだけが懐かしい界隈の(銀座の土を残した)路地に入ると、《Virgo》は昔のままにあった。畏友を失い悲嘆に暮れる小中と連れ立って何度となく私はこの店に通っている。(中略)
あれから三十五年目の五月。小中英之もすでに幽明界を異にしてしまった。雲の上で戯れ、微笑する二人が見える。さらば、青春の無聊(ぶりょう)を分かち合った友よ!
(後略)
ふりむきて憎しみのみをふりそそぐあの町きりきり針金となれ 小中英之(歌集『わがからんどりえ』所収)
雁来紅(かまつか)のひともと朱(あけ)に燃ゆるときひとりを呪ひ殺すと思へ 小中英之(歌集『わがからんどりえ』所収)
さくら花ちる夢なれば単独の鹿あらはれて花びらを食む 小中英之(歌集『翼鏡』所収)
蛍田てふ駅に降りたち一分の間にみたざる虹とあひたり 小中英之(歌集『翼鏡』所収)
鶏ねむる村の東西南北にぽあーんぽあーんと桃の花見ゆ 小中英之(歌集『翼鏡』所収)
今朝、聴こえたオーケストラ。
沖澤のどかさんの圧倒的なブザンソン指揮者コンクール優勝のニュース、素晴らしい。
戯作。文体練習。フィクション。
『目を閉じる』
男はどこからか帰って来た。
近頃、仕事から帰って来て身体を横たえるとき、思わずのたうち回るほどに神経が痛むのだ。ひとしきり低く呻いて寝床の上で空しくもがく。それでも、しばらくして漸く痛みが落ち着き、仰向けになって、モーツァルトの未知の音楽を胸に浮かべながら目を閉じるのだ。そうだ、ずっと無理して開けていた目を閉じるのだ。そして。
しづかに息を止めてみる。本当にしづかに。
夢に武満さんが出てきた。ペンとスコアを差し出してサインをお願いしたら、「武」の字ひと文字だけを書かれた。それだけでペンを置かれた。
煌煌と明るみを特別車は〈調布〉へ 停電中の蛙棲む田圃踏み越え
今日はお彼岸の入り。
昨日は、しごとのあと、ジュンク堂書店でいつもお世話になっているご担当の方へ電話し精算についてご相談。
夜、最近のご病気のことをうかつにも知らなかった塔の先輩宛に葉書をしたためた。
森尻さんのお作から。
歌でしかものは言えない 誰も彼も言葉の裏には生活がある 森尻理恵
昨日は久しぶりに短歌作りをした。
今朝は、もともと強い霊感を持っていてその霊感を音楽創作の礎にしたと言われるエルガーが、その最晩年に手掛けるも作曲を終わらせられずに未完スケッチのままに残した『ピアノ協奏曲』緩徐楽章にしばし耳を傾けた。
https://youtu.be/wYfGt1JfSpY
短歌メモから。
お城の飛行男爵へ機上の姫さま手振りぬ。飛行艇はゆつくり朝のブルネグロ湾上へ
機上なるアスフィータ姫まさにジャンヌの如し。飛行艇は夜闇の官邸裏へ
官邸に飛行艇気付きたるは弘報官ひとり。官邸裏木立へこつそり抜き足
官邸裏テントにて国際会談は始まりぬ。姫は〈軍服〉の話を聞いて
官邸裏テント内の会話に耳澄ます弘報官の眼鏡のマツムシ一匹
ブルネグロは〈軍服〉さんたちを支援します。姫さまの声は熱を帯びて
官邸裏より少しずつ曙は始まるのかもしれぬ。姫さま手振りて飛行艇へ乗り込む
飛行艇は官邸も弘報官も素通りしてゆつくり飛び立つ。月光(つきかげ)の空
昨日の朝は、仕事場へ向かう途中、胸の中でかなり技巧的で美しいピアノのパッセージがずっと鳴っていたが、残念ながらメモとる暇まったくなく音楽消失。時間をじっくり掛けられたならなんとか譜面にできたかもしれないが、そもそも私の技術では演奏できないレベルだった。
それにしても、インターネットニュースで流れているひとつにこんなTwitter記事があった。
ゆきのちゃんさんの記事より。
千葉があれほど酷い状態なのに国の対策本部が設置されないし、工作機械受注が前年比で37%も減っている件も報道されないよね。これは結局さ、消費税延期の要件が大災害と経済危機だからじゃないのかな。要するに国は予定どおり増税したいから、この二つを「なかったこと」にしようとしているわけだよ。
https://twitter.com/t2PrW6hArJWQR5S/status/1173745246804439040?s=19
つまり、千葉県のまことに酷い台風被害が政権によってなかなか〈災害〉認定されなかったのは、その莫大な被害規模、被害想定金額を政権として早々に認めてしまうと、消費税増税を撤回延期しなければならなくなるからとの政権の思惑もあったということ。あまりにも馬鹿げている。国民を馬鹿にしている。ため息がでる。