カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

どこか。

2017-12-16 23:43:07 | Weblog
今宵の冷え冷えとした空気を通して、どこか遥か遠くの星で誰かがつま弾いているピアノがよく聴こえるような気がする。

しごとのあと、家に帰るとポストに歌誌『塔』12月号。開いてぱらぱら読み。近頃様々な歯車がどうもうまく噛み合わなくてなかなか短歌がつくれない。月例短歌詠草10首を締め切りまでに間に合わせてきちんと清書して送れるのか甚だ心許ない、不安な心境。どうなるやら。
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九月の短歌メモから。

2017-12-14 23:21:23 | Weblog

九月の短歌メモから。

〈失踪中〉の部屋前に漂ふパンの香り 規制線の朝もふかく濃くありき

目を見つつ温かく話すひとだつた その朝はもう写真のみとなりて

〈事件現場の最後つ屁にはライムの香りあり〉と刑事が鼻をヒクヒクさせてゐる午後

セプテムバーの海に捨ててきた青きトマト 新宿駅の雑沓に拾ふ

その夏も〈あの人たち〉に裏切られた夏だつたから国会売店のトマト饅頭、トマト饅頭

デモ隊は手に手にトマトを齧りつつ海辺の首相公邸を目指す

〈あの人〉はトマトに似てゐるかもと今更に海への坂できみはぼそりと

〈恥〉を知らぬ〈あの人〉の前で麦わら帽のわれはトマトを投げつけてゐたり

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懸案など。

2017-12-13 16:27:31 | Weblog

いちにち休みの今日は、正直どうしようかと迷っていた会費払い込みを郵便局でしたあと、古書往来坐の店頭にあった美本の『森有正全集第1巻』二百円を求めた。森氏は、辻邦生氏が文学の師と仰いでいらしたお二人のうちのひとり。因みにもうひとりの師は吉田健一氏だった由。恥ずかしながら、森氏の初期著作の幾冊かを初めて手にして読んだのは高校の頃の図書館でだったが、当時は森氏の真摯で深遠な思索の何たるかが全くわかっていなくて、〈なんて魅力的な雰囲気だろう〉と思いながら同時に〈なんと難解な本なのだろう〉と思ったのみ。とにかく難解だった。だから、以来森氏の著作には畏れから手を出してこなかったが、今日は、これも何かの縁かもしれぬと感じた。漸くそのタイミングが来たという感じ。なんとも楽しみで仕方がない。

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今日は。

2017-12-12 09:16:21 | Weblog



今日は、亡き父の84歳の誕生日。 近頃は、なにかあるとついつい辻邦生さんの『夏の砦』を開きたくなって、自分が書くとしたら理想的な小説文体はどうあるべきなのだろうと考えてしまうことが多い一方で、短歌のほうはさっぱりできない。困ったなあと思うけれども、いかんともしようがない。 そういえば、ずいぶん前から土日がしごとになってすっかり見ることがなくなっていたが、かつて日曜日朝9時から放送されていた『題名のない音楽会』が土曜日朝10時からになったらしい。知らなかった。自分にとっては不動の日曜朝9時の番組だったから、なんとなく寂しい。

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ちょびっとちょびっと。

2017-12-10 07:09:48 | Weblog
 〈町〉へのただ一つの入り口の検問所脇の側溝に秋のある夕方、薄汚れた犬が死んでいたことがあった。その事実は、大きめのぶかぶかな毛糸靴下を履いて就寝しようとしていたメゲネル検問所長のもとにすぐに伝えられ、裁判所へも速やかに報告されたが、酒精で脂ぎった不夜城のごときお歴々の集う〈町〉の裁判所は案の定その犬が〈町〉に入ろうとしていたのか〈町〉から出ようとしていたのかを朝までおいてはおかれぬ大問題とし、検問所長に事実を直ちに判事の前で詳細に説明せよと出頭命令を下したので、犬の第一発見者たる検問所三等係官オルサブローはその夜のうちに寝室兼書斎代わりの家の物置から検問所に呼び出され、検問所事務棟の木製扉脇の壁に自転車を立て掛けた。検問所事務棟は其々の窓の大きく取られた石造りの三階建てで、一階の当直室の灯りと、三階の所長室の灯りが、煌々と外に洩れていた。
 制服のオルサブローは幾分俯きながら木製扉の前に立ち、「こんばんは。当直お疲れさまです。オルサブローです。」と軽く三回ほどノックをした。すると、しずかに扉が開いて、検問官の制服に身を包んだやや小柄な少女が顔を出した。それと一緒に外へハーブティーのよい香りがこぼれてきた。「オルサブローさん、たいへんなことになって。とにかく中へお入りくださいな。」彼女は、その夜の深夜当直の三等係官アスフィータだった。オルサブローは、アスフィータに軽く微笑みながら「アスフィータさん、君にもいろいろと心配をかけて済まない。それで、所長はもう部屋に来られているのですか?」と尋ねた。「はい、つい先程部屋に入られました。所長ったら、『〈町〉の裁判所の能天気な奴らと来たらまったく』とぶつぶつこぼしていましたよ。」アスフィータが所長の口真似をすると、オルサブローは思わず吹き出し、アスフィータもくすりと笑った。「ありがとう。では、所長のところへ行ってきます。」オルサブローは、当直室奥の階段を急いで駆け上がって行った。
 その翌朝のことである。〈町〉を取り囲むように広がる森の中にこじんまりと佇む修道院では、たいへん豪勢で荘重なオルガンがひとしきり鳴り響いて朝の礼拝が行われたところだった。オルガンが止むと、小柄で初老の修道士がひとり聖堂の扉を開けて出て来た。彼は明るんだ辺りを見渡して優しく微笑んだ。聖堂の前の木々にはたくさんの小鳥たちが思い思いに枝へ留まって歌をうたっており、そばの薮には狸や兎などの獣たちが息を潜めて音楽に身を委ねている気配があった。彼はしづかに「そうだな、昨日のシンフォニーの続きを書こう。」とひとりごちて、ゆっくりと聖堂の隣の質素な小屋へ入っていった。窓際に机と椅子があり、やや広めの机の上には数本のペンと整然と書き込まれた譜面と、隅にまっさらな五線紙の束が載っていた。修道士は、フンフン、フンフンと軽く鼻唄を洩らしつつ 、椅子にゆっくりと腰を下ろし、机のペンを取り上げた。
 その頃、オルサブローは森の中を時折後ろを振り返りながら息を切らせて駆けていた。先刻まだ辺りの薄暗い中、検問所事務棟を出て、自転車を押しながら家路についたが、〈町〉への入り口の門に差し掛かったところで、〈町〉の方から出てきた〈黒い影〉が突然前に立ち塞がった。オルサブローはえもいわれぬ寒さを覚えて咄嗟に傍らの自転車に跨がり、〈町〉とも検問所事務棟とも反対の森の方へとペダルをぐんぐん漕ぎ出した。〈黒い影〉はひたひたと追ってきた。オルサブローは途中で自転車を乗り捨て、森の中を駆けて逃げた。〈黒い影〉も馴れた足取りで森のなかに入ってきた。複雑に絡み合った大きな木の根はオルサブローの足元に縦横無尽に伸びてともすると彼を躓かせその場に押し留めようとしたが、その度に彼は腕を振って体勢を立て直し根を飛び越えていった。幸い〈黒い影〉との差はそれほど詰まってはこないようだった。そうしながら彼の胸のなかでは、やはり今一つよくわからぬままではあったが、一つの可能性として、〈この不可解な事態はもしかしたらあの犬を見付けたことと関係があるのかもしれない〉との思いが徐々に大きくなっていった。薄暗い森のなかを駆けながらオルサブローは後ろをまた振り返り、根を飛び越えて前方に視線を戻した。木々の間の遥か先の方が明るんでいるのが見えた。
 その頃、アスフィータは、「今日は能天気相手に疲れたよ。いつもお疲れさん。君も気をつけて帰るんだぞ」と三階から下りてきたメゲネル所長を見送り、所長室のハーブティのカップを片付けに三階に上がった。所長は、オルサブローの話を聞いてから裁判所へ出掛け、また、検問所へ戻ってなにやら書類をずっと作っていた。〈続く〉
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明日は。

2017-12-07 23:28:21 | Weblog

メモです。

明日は、ジョン・レノンが凶弾に倒れた日。命日。イマジン忌。

                ☆

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060322-00000089-reu-ent

 《オノ・ヨーコさんの広報担当、J・レノンの霊能番組を批判》

 [ロサンゼルス 21日 ロイター] オノ・ヨーコさんの長年の友人でもあり広報担当を務めるエリオット・ミンツ氏は21日、霊能者がジョン・レノンに接触を試みるという来月アメリカで放送予定の番組について、品がなく商業的だと批判した。
 番組は「The Spirit of John Lennon」と題され、霊能者がダコタハウスをはじめレノンにゆかりのある場所を訪れる。また、霊能者とレノンの親友らが30分間にわたってレノンの霊との交信を試み、霊の姿を赤外線カメラでとらえようとする企画が最大の見せ場だという。
 ミンツ氏は、レノンは今も自分の作品を通じて人々に話しかけており、それがレノンが選んだ手法だと語った上で、こうした番組は制作者に利益をもたらすだけのものだと批判した。
 制作者は、2003年に故ダイアナ妃の霊と交信する番組も放送している。
 今回の番組は、ペイ・パー・ビュー方式で4月24日に放送される。

(ロイター) - 2006年3月22日13時53分更新

                ☆

<COSMIC SOCIETY>サイトの記事。
http://www.cosmicsociety.com/is_this_john_.htm

 《IS THIS JOHN LENNON'S SPIRIT ENERGY??》

 Helene Iulo is 45 years old and has been psychically gifted since the age of three. Ms. Iulo consistantly channels John Lennon's spirit messages through clairaudient means and automatic writings. She experiences telekinesis regularly and has preformed healings on others for more than 20 years now.

 Helene has had a lifelong affinity with John Lennon that continues even after his life on earth. She has close personal ties to Mr. Lennon's sister, Julia Baird, his first wife, Cynthia Lennon, and Sean and Yoko Ono Lennon, May Pang and David Peel (President of the John Lennon Society). She was formerly a band promoter for Abbey Road , various other Beatle impersonators, and of course, Beatlemania.

 Ms. Iulo has been featured in the New York Times and other publications for her work with Lennon memorial ceremonies at Strawberry Fields in New York's Central Park. She is the vice president of the John Lennon Society since 1992, an organization that promotes peace, harmony and brotherhood and relates to the ideas and ideals of John Lennon's works and music.

 Through automatic writing, Helene feels she has had substantial contact with Mr. Lennon's spirit and is intending to publish these communications in the future. She has been capturing Spirit Energy in her photos associated with her Lennon ties and work...IMAGINE! Could this actually be John Lennon's Spirit Energy?

                ☆

<Absolute Elsewhere: The Spirit of John Lennon>サイト。
http://www.absoluteelsewhere.net/

                ☆

<ミュージック・エンタテインメント・サイト バークス>のニュース記事。
http://www.barks.jp/news/?id=1000004228&m=all

《ジョン・レノン、宇宙人と遭遇していた?》

 英国の有名なサイキック、ユリ・ゲラーが、70年代、ジョン・レノンから宇宙人に遭遇したとの話を聞かされていたと明かした。レノンは'75年、NYのアパートメントで寝ていたときに宇宙人の訪問を受け、あるお土産をもらったという。

 『Sunday Telegraph』紙によると、レノンはこの出来事をゲラーにこう説明したという。「ヨーコとダコタ(レノンのNYのアパートメント)の寝室で寝てたら、突然目が覚めたんだ。まぶしい光がドアの鍵穴から差し込んでるのが見えてさ。誰かがサーチライトを照らしているか、アパートメントが燃えてるって思って。だから急いでベッドから飛び起きてドアを開けたんだ。そしたら、そこに4つの生物がいたんだよ。小さくて昆虫みたいな生き物だった。虫みたいな目と口を持ってて、ゴキブリみたいな動きで俺に近づいて来たんだ」

 レノンはその時、ドラッグを使用しておらず、それらは間違いなくエイリアンだったと断言したという。「薬でハイになってたわけじゃない。ハイになったことは何度もあるけど、あんな変なもの見たことない。それに夢を見てたわけでもない」

 レノンは、この生き物から卵の形をした物体をもらったが「こんな物は取っておきたくない」と、ゲラーにそれを手渡したという。同紙は、その金色をした小さな物体の写真を掲載している。レノンは、「これが他の惑星へ行くためのチケットだとしても、俺はそんなところへは行きたくない」と話したという。

 ユリ・ゲラーは、レノンが暗殺された時このことを思い出し、もしかしてレノンは自分に話してくれた以上にこの物体が残された意味を理解していたのじゃないかと考えたという。

 BY Ms.Ako Suzuki, London

                ☆

<田原書店外伝>サイトの記事。
http://booxbox.cocolog-nifty.com/tahara/1999/02/19990225_1581.html

《19990225 横尾忠則 『波乱へ!! 横尾忠則自伝』 / 意思ある人》

 横尾忠則 『波乱へ!! 横尾忠則自伝』
「ポルケ・ブック・レビュー http://www.booxbox.com/porque/」より

 1999年02月16日、『波乱へ!! 横尾忠則自伝』を読みました。

 カバーの宣伝コピー:
 「「不思議なことが重なり、偶然が偶然を呼び、思いもよらない事物や人が自然と集まって願望が達成してしまう。しかし願望が実現するまでのプロセスといったら、天国と地獄の間で往復運動が繰り返されるみたいで、スリルに満ちている」--明日は何が起こるかわからない、波乱が日常の横尾忠則的'60~'80年代満載。解説・荒俣宏」

 カバーの著者紹介:
 「'36年6月27日、兵庫県生まれ。美術家。'69年、第6回パリ青年ビエンナーレ展版画大賞。'72年、ニューヨーク近代美術館で個展を開き、国際的に高い評価を受ける。'81年、グラフィックデザイナーから画家へ。パリ、ベニス、サンパウロ・ビエンナーレに出品。講談社出版文化賞、毎日芸術賞受賞。現在、作品が国内外80の美術館に収蔵されている。著書に「インドへ」「地球の果てまでつれてって」「導かれて、旅」「私と直観と宇宙人」(以上文春文庫)、「横尾忠則全絵画」(平凡社)、「名画感応術」(光文社文庫)他多数。」

 「話が途中で終っているのは雑誌が休刊したためだ」という、横尾さんが上京した1960年から1984年までの二十四年間の記録。
 ジャンルを超え、世界をまたにかけ、仕事をしまくる横尾さんの姿と、その周囲に吸い寄せられてくる人々の人間模様。四半世紀の「トンガった」人々の固有名詞の数多さ!
 目がまわります。
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 三島由紀夫さんとの関わり:
 「一九七〇年十一月二十五日、正午。
 ぼくはベッドの上で痛い足を投げ出して本を読んでいた。そこへ近所に住む高橋睦郎から電話が掛かってきた。彼の沈んだ声にぼくは不吉な予感を抱いた。
 「三島さんが自衛隊に乱入したよ」
 テレビの画面では陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地の総監室のバルコニーに立って、何やら大きい声を張り上げて演説している三島由紀夫の姿が映し出されていた。一瞬判断がつかなかったが直感的にヤバイと思うと同時に、「ついにやったか」という想いが全身を駆け抜けた。アナウンサーが「三島」と呼びつけでしゃべっているのがとても恐ろしく聞こえた。やがて三島由紀夫の割腹自殺が報じられたが、とても現実の出来事とは想えなかった。
 だって三日前の二十二日夜、ぼくは三島さんと長々と電話でしゃべった。三島さんは必ず午前十二時までに帰宅する習慣があることを知っていたぼくは午前十二時に電話を掛けた。三島さんはまだ帰宅していなかった。もう間もなく帰ってくるわよ、とおっしゃる夫人としばらく雑談を交していたが、やがて三島さんが帰ってきた。
 「雨の中こんな遅くまでご苦労様です」
 思わずぼくの口をついて出た言葉はとんちんかんなものだった。一瞬電話の向こうで三島さんのひるんだ様子が電話からも伝わってきたので、何か後ろめたいものが三島さんにあるように思えた、後でわかったことだが、この夜は自衛隊に乱入した五人との打合せのあった日だった。
 この日を入れてぼくは三回も三島さんをギョッとさせている。最初は三島さんが映画『人斬り』に出演した時だ。プレミア・ショーで、映画が終わった時、ぼくの後に座っていた三島さんが、
 「横尾君、大丈夫か、生きているか、怖かっただろう」
 と自分の切腹シーンを話題にした。
 「三島さん、映画の中で本当に腹を切って死んでしまった方が凄かったのに残念だったですね」
 とぼくはことばを返した。急に三島さんの顔が真剣になって、周囲の人に聞こえないようなうんと低い声で「どうして君はそんなことがわかるんだ」といって睨みつけた。その時、ぼくには三島さんの発した言葉の意味がよく理解できなかった。
 そして二度目はぼくの入院中に見舞いに来て、写真集『男の死』の撮影を急ぎ、もう日時があまりないと連発している三島さんにぼくは思わず「自衛隊に入るんですか」といってしまったときだ。この予感は見事的中したわけだが、その時の三島さんのギョッとした顔は今でも忘れられない。決して三島さんの死を予見したわけではなく、ふと無意識に出た言葉が三島さんの秘密の部分に触れたのだろう。
 三島さんとの最後の電話での会話はおおよそ次のような内容だった。
 「君はいつまで歩けない、歩けないといっているんだ。俺がその足を治してやるから、早く君も『男の死』の写真を篠山君に取ってもらいなさい。俺の分は全部終わった。あんまり、ぐずぐずはしておれないんだよ」

 「『薔薇刑』の装幀は素晴しい。あの俺の裸像は涅槃像だろう。きっとそうだ、あれは俺の涅槃像に決まっている。ヒンズーの神々を配したのはそのためだろう。君はこの作品で何かをつかんだように思う。インドへ行ける者と行けない者があるが、これで君はいつでもインドへ行くことができるようになった」

 「『芸術生活』に連載している君の日記を読むと愚痴ばかりだ。もっと強くならなきゃダメだよ。また高倉健が見舞に来てくれたことを書いているが、俺が見舞に行ったことは一行も書いていなかったじゃないか。あれは一体どういうわけだ」」(235-238P)
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 レノンとヨーコと横尾忠則:
 「ジーッという玄関のベルが鳴ってまた誰かがやってきた。全員の視線が玄関のドアを開けて入ってきた二人の男女に釘づけになった。黒いベレー帽に全身黒ずくめの東洋人の女性と、ラフな濃いグレーのスーツの長身の眼鏡の男性が、オノ・ヨーコとジョン・レノンであることは誰の眼にもすぐわかった。全く予期しない人物があらわれたためにスタジオ内は一瞬静寂と化した。
 ジョンとヨーコがジャスパー(田原注・ジャスパー・ジョーンズ)と言葉を交わしていたが、いきなり三人がぼくの方に向かって歩いてきた。そして最初にぼくを紹介した。ジャスパーが紹介したい人がいるといったのがまさかこの二人だとはその時まで想像だにしていなかったので、ぼくは興奮して喉がからからになってしまった。世界中で一番会いたかった人が目の前にいるという現実を、本当に現実と呼んでいいのだろうかと思うほどで、この場の何もかもが、虚ろに見えるほどだった。
 ジャスパーの心にくい配慮でディナーの席はジョンの隣だった。カタコトの英語しかできないぼくは二言、三言ジョンに話しかけたが、その返事の英語はほとんだわからなかった。驚いたのはジョンの右手の親指が日本のテレビでよく見かける有名な指圧師のそれとそっくりだったことだ。ギターの演奏によってすっかり変形してしまったのだろう。この指を見ただけで、ジョンがただ者でないことがわかる。」(257-258P)

 ジョンとヨーコの家に招待された横尾さん:
 「ジョンは相変わらず落ちつきがなく二つの部屋を行ったり来たりしている。アシスタントが買ってきた数枚のネルのカウボーイ・シャツを片端から着たり脱いだり、かと思うと今度はプレスリーに「ブルー・ハワイ」のレコードを掛けて、ぼくをベッド・ルームに呼び、ヘッド・ホーンで「この部分を聴いてみてくれ」とプレスリーが喉を震わせながら歌う個所を何度も聴かせてくれた。
 やがてジョンとヨーコはベッド・インをしてしまった。そしてぼくをベッドの傍らに座らせた。ベッドの脇の床には日本の雑誌が山積みにされていた。ある日本の音楽評論家が自分たちのことをよくいわないけど、あの人は一体どういう人? とヨーコさんは日本の状況を気にしてぼくに聞いた。ぼくとヨーコさんが話をしていると、ジョンはベッドの中で日本人同士の日本語の会話の一部をオウムのように真似したり、自分の知っている日本語「ドウモアリガトウゴザイマシタ」とか「ハッケヨイ、ノコッタ、ノコッタ」と横から雑音を入れるのだった。まるで自分に関心を抱かれていない子供が母親にアピールしているようでおかしかった。ヨーコさんとぼくの共通の関心はUFOなどの超常現象だった。ジョンはUFOにはあまり興味を持っていないようだった。だけどその後出したアルバムには「ついにぼくはニューヨークでUFOを見た」というメッセージが記されていた。」(259-260P)
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 1980年のニューヨーク近代美術館 ピカソ展で啓示をうけ「画家」になる横尾さん:
 「人間の運命なんて全くわからないものだということがこの旅行によって証明された。ニューヨーク近代美術館の入口を這行った時はまだぼくはグラフィックデザイナーであったが、その二時間後出口に立った時は、例は悪いがまるで豚がハムの加工商品になって工場の出口から出てくるようにぼくは「画家」になっていたのである。」(383P)

 「だが多くの画家は純粋芸芸術の探究という名目に寄りかかって観念に縛られ、自己の様式の虜になり、真に忠実に自らの本能的欲求に従うことから逃避して、芸術という制度の中に安住し、いかにも近代主義的であることに何ら疑問も抱かないまま芸術のための芸術を生産している姿をあまりにも多く目にしている。ぼくはピカソの率直な感情表現に人間の本源的な生き方を突きつけられたのであった。またそこから芸術が神の愛の代弁者として鑑賞者の魂に語り掛けてくる力さえ感じたのだ。
 世間ではある種の不評を買っている彼の晩年の作品にぼくはピカソの自然体ともいえる我儘がそのまま表出しているように思えた。まるで呼吸するように何の躊躇もないただ描きたいように描いている。腕組みをして頭を抱えて苦悩の末、手にした観念の牢獄で描かれたような作品はそこにはなかった。絵画が絵画として自立していようがいまいが、そんな近代主義からも自由であるようにぼくには思えた。だからこそピカソの晩年の作品はどこか文人画扱いを受けて評価が低いのかも知れないが、ぼくはむしろその解放された感情表現に宇宙的な愛のようなものを感じたのである」(386-387P)
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 横尾さんは、生まれつき人をひきつける魅力を持った人なのだろうな、と感じました。
 実は、たいていの人はその魅力をやはり生まれつき持ってこの世に現われる。赤ん坊の時代がその魅力の発現期で、この時期見る人をひきつけずにいない人もいない。
 残念ながらその魅力は、ご存じのように、歳を重ねるにつれ失われていくものなのですが、ときどきその魅力をみずみずしたたえたまま大人になる人がいる。横尾さんのように。
 その上、横尾さんには、芸術家としての目と手が備わっていた!

 ジョン・レノンの手の指を、真顔で「日本のテレビでよく見かける有名な指圧師のそれとそっくりだった」と綴り「この指を見ただけで、ジョンがただ者でないことがわかる」と書くあたりに、いい意味での「稚気」を感じます。
 と同時に、「興奮して喉がからからにな」っている状態でありながら、一瞬にしてある人間の細部(おそらくはその人間の全体が集約されている)を見切ってしまうあたりに、芸術家の凄みを感じます。
 ジョン・レノンを好きな人が、上の横尾さんの、まず横尾さん以外に誰もしないような表現に出会ったなら、新たなかつ強烈なレノン像を追加インプットされずにはいないでしょう。

 同時代に生きている希有の才能の姿形・精神が、絵に描かれたようにわかる、希有の一冊であります。
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 横尾忠則(よこお・ただのり1936- )氏 文春文庫1998/11/10---ISBN4-16-729705-1

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不思議な月。

2017-12-03 23:30:12 | Weblog
しごとのあとの帰り道、不思議な月に出会った。あの時計塔は、案外、魔法学校の時計塔だったかもしれない。
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じつは。

2017-12-01 22:17:06 | Weblog
じつは、先一昨日のこと、昨晩が応募締め切りの短編小説コンクールの魅力的な募集要綱をたまたま見つけて眺めていたら無性に応募したくなり、かつて書き掛けた草稿を掘り起こして続きをこそこそ書き始めたのだけれども、ちょうどここ数日しごとが忙しくなって、それどころでなくなってしまい、結局、しごとに疲れてこころ上の空で粗製した作品なんてものを締め切り間際につくって応募しても意味なからむべと思い直し、諦めた。ちゃんとしたものを書きたい。
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メモ。冬道さんの大岡さん。

2017-12-01 07:31:42 | Weblog

冬道麻子さんの短歌連作「大岡信氏の時間を」(歌誌『短歌往来』2017年12月号掲載)


差出人<大岡信>に臆しつつ『森の向こう』を送りしえにし  冬道麻子

速達をたいそう感謝されしのち吾(わ)からの郵便すべて速達

大岡氏の声の若さにわが無礼「はい、はい」時に気が緩むなり

隣にはサキ様も居り大岡家の団欒に入れていただく電話

仏蘭西で倒れたときも一日も寝ずに治したとの大岡氏なり

不自由が残る手書き文字一通が筆と万年筆(ペン)にて届く

望郷の念にからるる 大岡氏の何処かですれ違っているとう言葉

片仮名の<マコト>のサインを氏独特のユーモアではと思うことあり

新聞の死亡広告にも今更に存在大きな大岡信氏

詞書〈真っ赤になつて盥の中でわめいてゐる僕〉
花にぬれ御国の宝がまた一人平和の田より旅立ちなすった

書状には「大岡信さんを送る会」東京遠し況して今身

此の世での氏の持ち時間の邪魔をしぬささやかなれど申し訳なし

揺り椅子の向こうに何を…穏やかな大岡信氏画面に映る

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吉井さんのオーボエ。

2017-11-29 07:56:58 | Weblog
今朝はこの間のラジオのエッシェンバッハ指揮NHK交響楽団のブラームス三番を、しごとに出掛ける前にあらためてしみじみ聴いた。吉井瑞穂さんの美しいオーボエにまたしてもしびれてしまった。
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