タイトル:生きてゐると。
悲しみの種子は殖えてゆくばかり 夢見の合間に栗鼠は水飲む
悲しみは乗り越えてゆくもの 壽ぎのメールに返事はやはりなかりき
ウィーン中央墓地リゲティの墓をおもひながら もうあんな奴らなんか知らんぞもう
タイトル:生きてゐると。
悲しみの種子は殖えてゆくばかり 夢見の合間に栗鼠は水飲む
悲しみは乗り越えてゆくもの 壽ぎのメールに返事はやはりなかりき
ウィーン中央墓地リゲティの墓をおもひながら もうあんな奴らなんか知らんぞもう
今日はいちにち休みで朝から身体休め。
西澤健一先生 やりなおし和声教室(1)禁則の意味 https://youtu.be/BrDOqKew7TE @YouTubeより
を視聴のあと、懸案のPOP文案メモ作りのために、歌誌『塔』11月号を手に取り、読み始む。特集は〈連作を考える〉。仲間ゆえの手前味噌とかお世辞とかでなく、じつに見事な企画構成で、いずれも筆力横溢な〈連作を鑑賞する側の文章〉5篇と〈連作を作る側の作者の言葉〉4篇とを並べて、読み応え十分。とりわけ〈作者の言葉〉の帷子つらねさんの文章『アーチ』が出色。イタロ・カルヴィーノ『見えない都市』のフビライ汗とマルコ・ポーロとの橋の挿話から始めて、ぐいぐいと読み手を惹き込む筆力は見事。一頻り堪能したあと、次いで、p116の山下洋先生選歌欄の土井恵子さんの一連へ。5首目。
夏休みの児にはあらねど網を持ちキオビエダシャク追いかけ回す/土井恵子
誌面では〈網〉が〈綱〉になっていた。ありがちな誤植。
七音の〈キオビエダシャク〉に目を引きつけられた。何だろうと調べてみると、大事な葉を食べてしまう害虫の蛾らしい。早期駆除が必須とのこと。知らなかった。
ぐちゃぐちゃではなくて、ぐしゃぐしゃという音に近い。これまで心のなかにあった大きな熱が一気に冷めた感覚を持て余して、何から手をつければ良いのやら道筋を見失って混乱の淵に放り出され、まったく途方に暮れた状態にあるようだ。仕事から戻って今日こそやらなければとの冷静な思考もたしかに片隅にはまだ多少あるも、それを横目にしながら懸案にさっぱり手をつけられず、そんな自分をもどかしく思っている。まことに厄介極まりない。
昨日は、仕事中の胸奥で突如、なんの前触れもなく、一柳慧先生作曲の1990年の大河ドラマ『翔ぶが如く』オープニングテーマ曲が流れてしばし耳を傾けた。改めて、これも素晴らしい名曲の一つであったと思った。
https://youtu.be/cs6lJ8eevWA
新海誠監督が原作・脚本を務め、2022年に制作されて公開となったアニメ映画『すずめの戸締まり』があちらこちらで話題に挙がっている。日本各地の廃墟を訪ねながら、災いの原因となる“扉”を閉じていく少女の解放と成長を描く、涙なくしては見られない、傑作ロードムービーとのこと。 機会があったら見てみたい。
松濤権之丞泰明に関する家の伝承のことを改めて思い浮かべた。その父親は〈図書家から庄兵衛家に入って加賀藩の家老になった人物〉という。つまり山崎庄兵衛範古のことだ。そして、〈妾腹だったために生まれるとすぐに寺へ預けられて寺で育てられ、住職の姓と家紋を貰った〉という。これについては違和感ありありだ。つい先日、国会図書館でいくつかの関連史料を入手して山崎庄兵衛家、山崎権丞家、山崎図書家の系図を紙に描いてみて暫く眺めたが、跡継ぎ途絶えて家名断絶することを極度に恐れて血を受け継ぐ者を幼いときから養子に迎え入れることを頻繁に積極的に行ってきた一族のように見えるのに、何故、山崎庄兵衛範古は松濤権之丞泰明にだけ山崎の苗字を名乗ることを許さなかったのだろう。仕事から帰ってきてバタンキューしかける頭のなかで、しばしもやもやもやとそんなことを思った。
短歌メモから。
大方は主観的に評価さるるなり絶対的な基準などなくて
飛行石青く輝く壁いちめん多胡兵衛厠をひかりは包みて
多胡兵衛厠に最終搭乗アナウンス 宇宙駅の朝はいつものやうに
放屁して腰を浮かさば水流る 多胡兵衛発案の自動水洗
厠の名にその名遺してゐるばかり 本光寺墓地に日差しは下りて
多胡兵衛の来孫水桶持つて来る 本光寺墓地の通路の森閑
手を合はせそつと墓石を撫でたのち来孫つつと立ち上がりたり
山門を潜りて階段下りてゆく背中を見送るあまたの眼差し
財産も勲章も何も遺さざりき 多胡兵衛厠に名を遺すのみ
宇宙駅を足早に通るビジネスマン 多胡兵衛厠にチャックを下ろす
先一昨日朝にそそくさと短歌十首書き付けて投函済ませてしまった原稿控えを漸くいま見直すと、それはいつものことながらあちらこちらがいろいろひどくて、今回も少々落ち込みつつどこぞに改めて送れるわけでもないのに今更な手直し。POP文案メモ作りを早くやらねばと気は急くもなかなか進まず。今日もこれから仕事。
昨晩は、仕事から帰って来て、NHKFM放送のマエストロ井上道義先生指揮NHK交響楽団演奏会のラジオ中継番組をちょこっと聴いて、番組解説を吉松隆先生がなさっていることに非常なる嬉しさ懐かしさを覚えつつ、気付けばそのままバタンキューしてしまった。そのおかげなのか、束の間の夢見がじつに穏やかで平和で崇高なものだったような気がする。久々に胸奥で短歌のようなものが流れるのも感じ取れた。今日も朝から仕事。
今日は、朝のラジオ番組で、
「朱鷺によせる哀歌」吉松隆:作曲
(演奏)新日本フィルハーモニー交響楽団、(指揮・ピアノ)井上道義
(13分35秒)
<カメラータ・トウキョウ CMCD-50011-12>
が放送されるらしいので、すこぶるたのしみに録音予約の操作をしておく。