カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

memo

2007-04-27 11:27:43 | Weblog
 メモです。

東京都東村山市恩多町にある、本多静芳先生がご住職を務められる浄土真宗本願寺派天宝山万行寺のサイト
http://www7a.biglobe.ne.jp/~mangyoji/index.html

築地本願寺降誕会祝賀コンサート
http://www.tsukijihongwanji.jp/tsukiji/070520.html

築地本願寺
http://www.tsukijihongwanji.jp/
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東京小岩にある台湾・中国料理の名店、楊州飯店

2007-04-26 13:33:30 | Weblog
 東京小岩にある台湾・中国料理の名店、楊州飯店に関するメモです。

(以下、すべて引用情報です)
++++++++++

楊州飯店
東京都江戸川区南小岩8-20-9
TEL:03-3672-3885
営業時間:11:30~22:30
定休日:金曜

腸詰め
まずは40年来の人気を誇る、オススメの腸詰めを頂く。外側がカリッとした食感で、内側の肉の部分が柔らかく肉汁がほとばしる。うーむ、これは凄い。かんだ時にプリッとした弾力とともにエキスがジュワッ。抜群の美味さだ。酒が欲しくなる。

豆腐と椎茸のうまに
さっぱりとした味付けで、塩辛くも無く味の加減が絶妙。軽やかで豆腐や椎茸のウマミがたっぷり。これで1人前だそうだが、2人でシェアしても十分な量がある。それでいて安い(500円だったと思った)。

魚醤チャーハン
魚醤を使ったチャーハンで、腸詰めと同じく人気を誇る。牛肉入りの魚醤チャーハンもあったのだが、今回はシンプルに具がはいっていないやつを食べた。もともとチャーハンはご飯を食べさせる料理だから、これでいいのだ。卵とネギ、ニンニク程度か。ご飯はパラッとして、魚醤の香りがよく軽やかな口当たりで美味い。食べるほどに美味さが増してくる。スープも香りよく軽やかで美味い。

餃子
肉がたっぷり詰まった餃子。プリプリして、噛むと肉汁が溢れる溢れる。食べ応え十分でイケてる。

すでに40年来小岩で営業している名店。店の外観はさびれたような感じのお店で、中も雑然としているが、出てくる料理は感激物だ。台湾出身のご主人、楊さんと奥さんの2人できりもりしている。料理の数も半端じゃなく多い。100数十種類もの料理があり、野菜は楊さんが自分の家庭菜園で作っているものを使用している。楊州飯店の小冊子も配布しており、熊の手の煮込み等のレシピが載っていたりするが、とても家庭ではできない(笑)。中国酒も各種あるようで、白酒を飲みながら食べる料理は格別だろう。

http://www2.mac.co.jp/users/ina/eat/2006/2/11/index.html

*****

台湾薬膳
http://www.asahi-net.or.jp/~gg9k-skri/chihiro/yakuzen.html

 市川市にあるアトリエは家から4キロのところにある。
 我が家は小岩という東京都の極東の町にあるので、そこから江戸川をわたり、市川市にいくのである。天気の悪い日以外は自転車でいくことにしている。だいたい20分くらいでつく。不思議だが、車で行っても15分はかかる。5分よけいにかかるぶん、風の音やら、季節ごとに変わる花の香りやらを感じることができるとなると、自転車はなかなかいいものだと思う。わたしはこれを勝手に「ツール・ド・市川」と称しているが、沿線においしい台湾料理屋やら、手打ち蕎麦屋やら、フランス菓子屋があったりして、ロスタイムが出ることもしょっちゅうだ。最近、ある文豪が通っていたというカツ丼屋があることがわかり、そのうち寄ってみることにしている。
 台湾料理屋は、楊州飯店といって、台湾から移住してきてもう30年になる楊さんがやっているおいしい店である。ここは、もとはといえば幻想文学会(幻文)のもうひとりの小岩在住者が、やはり幻文の南條竹則さんに教えたのが運のつきで、すっかり幻文のたまり場になってしまったところだ。以前は何かというと、みんなでここで宴会を催し、それこそ貧血が起きるほど食べたものだ。なぜ貧血かというと、食べ過ぎで頭の血がすべて胃に集中してしまうからである。まるでローマ皇帝の究極の宴のようだが、薔薇の花が上から山ほど落ちてきて圧死するとか、そのような退廃、耽美とはほど遠い佇まいの店ではある。なにしろ、この店はつい先日まで、水洗トイレではなく、つまり、「おっこちトイレ」であった。店の出入り口も、触れたらくずれそうな代物で、蝋でできた見本のディスプレイも、ほこりがうっすらとかかっていて、どんなものがでてくるのか恐ろしい、というのが本当のところ。
 しかし、ここの料理はがんこな美食家もうなるほどうまい。その上安い。ひとり3000円も出せば、貧血が起きるほど食べられるであろう。名物は、自家製の腸詰め、イカ団子、魚醤やきそば、魚醤チャーハン、ビーフン、そして、楊さん自慢の畑(「江戸川区民農園」をレンタルしている)での収穫物でできる野菜料理である。自家製野菜であるから、野菜の味が濃く、たいへん美味である。塩は岩塩を使い、薄味である。この、薄味の店というのは、外食産業の中では大変貴重な存在なのではないかと思う。
 南條さんは、ある文学賞をもらった時、その賞金にさらに自腹を切って、中国で満漢全席(*)をしたというくらい、中華料理にはそうとううるさい御仁だが、彼が横浜の中華街にいったとき、イカ団子を食べたら、楊州飯店のそれに比べ、あまりのまずさにそのまま横須賀線に乗って小岩まで来て、楊州飯店でイカ団子を注文して食べた、とか、香港やら台湾から成田に着いたその足で楊州飯店に寄って腸詰めをつついて、「ああ、この店があるからこの日本でも生きてゆける」と言った、という逸話があるほどである。実はこのわたしもまた、フランスに行き、帰国すると、日本でやっていけるかどうか不安になり、しばらく鬱になるのだが、楊州飯店にいって魚醤やきそばをたべると「ま、いいか。日本にいても」と思う、癒しの店でもある。
 楊さんは、少し耳が遠いのだが、わたしが疲れている時はすぐわかってくれて、いつもスタミナがつくような料理を作ってくれる。最近気に入っているのは、ほうれん草とレバーの炒め物である。ほうれん草はもちろん、自家製。レバーは、どうしたらこんなにやわらかくなるの? というほど柔らかい。醤油とスープで味付けがしてあって、素晴らしく単純そうな料理に見えるが、自分でやろうと思ってもこの味は絶対に出せない。そして、口に含むとかならず幸せな気持ちになる。
 「薬膳」というのは、こうしたことをいうのではあるまいか。(2001/1/4)
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子安先生の《「あしたの国」ルドルフ・シュタイナー・モルゲンランド》

2007-04-24 15:43:36 | Weblog
 某国首相のいう「美しい国」構想と、子安先生の「あしたの国」構想とを並べてみたとき、どちらが本物だと感じるでしょうか? 考えさせられます。

以下、メモです。

子安先生の《「あしたの国」ルドルフ・シュタイナー・モルゲンランド》
http://www.koyasumichiko.jp/ashita.html

私が日本に初めてシュタイナー学校を紹介した『ミュンヘンの小学生』は30年間で40万近い発行部数となり、今日なお新しい読者に出会っています。

小さいながらプライベートなシュタイナー学校の試みも日本各地に広がり始めました。

さて教育の背後にあるシュタイナーの人間観を長年学んできた大人の有志は、千葉県房総半島に土地を得てここに「まちづくり」の運動を始めました。

文科省の認可による学校法人・シュタイナー学校と、障害をもつ子ども並びに大人たちの養育と仕事の場、そしてバイオ・ダイナミックの農場、などをまず作り、やがては劇場、セミナーハウス、国際会議場までを含む総合的な文化コミュニティをめざします。

あしたの国 房総の自然に恵まれた土地はほぼ70ヘクタールの広大さ、これが成田・羽田両国際空港から約60分の距離にありますから、これを利点として大いに生かしたいと考えるのです。

まちの全体が完成するには、5年、10年、20年、いやもっと多くの時間がかかるでしょう。
私たちの世代をはるかにこえる先かもしれません。
しかし今、2004年の初夏に、第一歩を踏み出しました。

プロジェクトの母体は株式会社ルドルフ・シュタイナー・モルゲンランドとNPO法人あしたの国まちづくりの会です。どちらのメンバーも、日本でシュタイナーのアントロポゾフィー運動を進めてきた人たちと、これに大きな関心を寄せながら周辺で支えてきた人たちです。

二つの推進母体は、だれにも開かれており、「すぐ明日」に向けてより良い社会を作るために働きたいと考える人なら、輪に加わってくださることを大歓迎します!

(2004年12月現在の会社株主27、あしたの国市民章参加者385)

モルゲンランド
http://www.ashitanokuni.jp/
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夢日記

2007-04-23 13:29:20 | Weblog
 今朝みた夢の話です。最近見る夢には、不思議と、起きてからも印象的な場面がずっと記憶に残る夢が多いようです。

 けさの夢。手の指の爪のあいだに刺さってしまった大きなトゲが痛くて自分で抜きました。抜いた後、その爪のところを眺めるとなんともないようでしたが、そのままばい菌がのこっているとまずいと思って爪のところを押してみると、赤い水のような血が流れ出てきました。それが思いの外の量で、まずい、バンドエイドを探さなくては、とあたふたした挙げ句、やっと箱にあるのを見つけてバンドエイドを張り、落ち着いて出血の様子を眺めていました。量の多い出血という場面にもかかわらず、不思議と気持ち悪さとか嫌悪感はありませんでした。むしろ、痛いトゲが抜けたことへの安堵感のほうが強かったです。そういう夢でした。
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宮本さんの失敗談の話

2007-04-22 14:13:40 | Weblog
 元オーボイスト宮本文昭氏のエッセイ集『オーボエとの「時間(とき)」』(時事通信社)http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%82%A8%E3%81%A8%E3%81%AE%E3%80%8C%E6%99%82%E9%96%93%E3%80%8D-%E5%AE%AE%E6%9C%AC-%E6%96%87%E6%98%AD/dp/4788707586/ref=sr_1_1/250-0689809-0799408?ie=UTF8&s=books&qid=1177218843&sr=8-1
から、メモです。(前にFさんが日記で、宮本さんが番組の中で話されていたはなしと紹介されていた逸話の詳細です。)

(前略)
 エッセン市響に入って月日の浅いころの僕(宮本氏)は、本当にあれでよくクビにならなかったと思うような数々の失敗をやらかした。(中略)そのときも、別の指揮者の予定でレパートリーとしてすでに上演し始めていたリヒャルト・シュトラウスの歌劇『サロメ』を、ハインツ・ワルベルク氏が代わって振ることになり、僕も急遽吹くことになった。ワルベルク氏は当時エッセン市響の音楽総監督を務めていて、なぜか僕をとてもかわいがってくれていた。このオペラでは、僕はそれまで「七枚のヴェールの踊り」しか吹いたことがなかったので、本番でこの曲が終わった途端、「あー、よかった」と気が抜けてしまった。小節を数えるときはいつも指で「1、2」と数えているのだが、そのときは薬指まで来たときに、一瞬の気の緩みで、いったいそれがいくつ目の数字だったのかわからなくなってしまった。譜面にはガイドといって他のパート(たとえばオーボエの場合、セカンドヴァイオリンだったりする)の聴こえやすい音が小さな音符で書いてあるので、こういうふうに自分が迷子になった場合の手掛かりにならないことはないのだが、必ずしも聴こえやすい音が書いてあるとは限らない。さらに言うと、この『サロメ』もそうだが、オーケストラが使う楽譜のほとんどは普及版として印刷されているものではなく、昔ながらの写譜屋さんが手書きしたもののコピーだ。しかも途中で書き手が交代するらしく、いきなり譜面の雰囲気が変わってしまうことがよくあって、演奏する僕らは結構動揺してしまう。それと、このリヒャルト・シュトラウス大先生の怖いところは、本当はそこではないのに「ここだろうな」と思って入ったらたまたまぴったりと合ってしまい、そのまま吹き続けたらやはり違っていて合わなくなった、ということが起きてしまうことである。
 この『サロメ』のときは、まさにそういう展開になってしまった。僕の譜面にガイドがあるように、当然僕のパートがガイドになっている人もいる。だから、僕ひとりがずれたことで、次々と連鎖的にずれていった。最初にヴァイオリン、ヴィオラの人たちがバラバラと弾くのをやめ、歌手も歌うのをやめ、コールアングレ(英語ではイングリッシュホルンという)も「こりゃだめだ」と手を振って楽器を下ろしてしまった。指揮台のワルベルク氏を見ると、氏は、僕に「やめるな、続けろ」と訴えるように、真っ赤な顔で振り続けていた。まさに、ここで僕が吹くのをやめるわけにはいかない事態だ。そんなことをすれば演奏がとまってしまう。僕は、本当はリピート記号のついていないメロディだったけれども、それをしゃにむに吹き続けた。そうやってどれだけ時間が流れたのだろうか。やがて、ティンパニ奏者が「ここだぞ!」と言わんばかりに譜面の番号を叫び、バーンと楽器を鳴らした。それでみんなは正気に戻り、なんとか乗り切った。
 終演後、楽団専用の食堂の出入口付近にある階段のところで、僕はクビを覚悟してガックリとうなだれていた。そこへ、指揮者のワルベルク氏がシャンパンを持って現われた。そして、近くに屯(たむろ)していた団員たちに向かってこう言ったのだ。
「彼は今日の英雄だよ」
 僕はこのとき、本当は皆に謝りたかった。でも言葉にならなくて、ついに言い出すことができなかった。ワルベルク氏は、そんな若造の心中を思ってか、それ以上その失敗のことを言われなかった。おかげで、僕はこの件でクビにならずにすんだのだった。
(後略)
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短歌博物誌

2007-04-22 13:57:20 | Weblog
 樋口覚著『短歌博物誌』(文春新書)は、「海の巨大動物である鯨に関して日本の文芸は不毛である。(中略)鯨に関するエッセイとしてはジョージ・オーウェルの『鯨の腹のなかで』が秀逸で、ヨナとの関係について触れている。」(P124、126)と書いています。そして樋口氏は、数首の短歌作品を引いています。

さらば象さらば抹香鯨たち酔いて歌えど日は高きかも  佐佐木幸綱

鯨魚取(いさなとり)海に鯨のいし頃の大没陽(いりつひ)を見て帰らなん  永田和宏

(後略)

++++++++

 私の好みということになりますが、佐佐木先生や永田先生のうたは、なかなか面白いと思います。
 ところで、鯨というと、私は、昔読んだ『ピノキオ』のジュゼッペ爺さんが巨大な鯨のお腹の中でランプの灯りをともしている場面をまっさきに思い出します。いや、あれは、原作というよりもディズニー映画だったでしょうか。短歌を始めたばかりのころ、そのイメージをなんとなくうたに詠んでみたくて、言葉をいろいろとこねくりまわしたことがありました。結局、ジュゼッペでは言葉の収まりが悪くて音数の少ないヨナにし、そしてサンテグジュペリを持ってきて一首にまとめてみました。今から見ると拙さが目に付きますが、私が鯨を詠むとこんな風になります、という恥ずかしき一例です。。。

ヨナ呑んだ鯨を呑んだ象呑んだうわばみの絵だよとサンテグジュペリ

++++++++
(おまけ)

 そんなこんなで、いま、なんとなく、『星の王子さま』か『ピノキオ』を何年ぶりかで読みかえしたいような気分です。そういう心境に関連して最後に、花山多佳子先生の最新歌集『木香薔薇』より引かせていただきます。

探す本はかならず在らず探してはをらぬと思ひて暫くを待つ  花山多佳子
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バルタザール

2007-04-19 10:36:23 | Weblog
 メモです。

人名:Balthasar(♂)
http://www2u.biglobe.ne.jp/~simone/aya/pan/p_b/balthasar.htm

意味:[元々Persianか?] Baal protect the king /「神は王を守る」

English Balthasar
German  Balthasar
Italian Baldassare
Spanish Baltasar
有名人  キリストを祝福しにやって来た東方の三博士の一人

■聖書に登場するバビロニア王 Belshazzar はブルガタ訳聖書(ラテン語訳聖書)でBaltassar と綴られたが,この綴りに由来する。

▼中世伝説中では「東方の三博士」の一人の名になっている。聖書中では赤子のキリストを訪ねた博士(Magi)たちに名前はなかった。しかし後世になってCaspar,Melchior,Balthasar と名がつけられた。

▼英語圏では稀少名。中世などに使用例はあるらしい。

[カナ表記/原語でのアクセント位置参考]

Balthasar(♂)
[慣用表記]バルタザール

Balthasar(♂)
[カナ/German]バルタザル

Balthasar(♂)
[カナ/French(慣用表記)]バルタザール

Baldassarre(♂)
[カナ/Italian]バルダッサッレ
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短歌メモから

2007-04-18 13:59:35 | Weblog
 短歌メモです。

 今朝は、佐藤亜紀さんの「バルタザールの遍歴」(新潮文庫)をパラパラ読んでいました。

 そんな中、思い浮かんだ一首です。


バルタザールの街角で青き猫は抱かれ 拾はれたのは私かも知れぬ
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学校スタート

2007-04-17 08:44:07 | Weblog
 雨がざんざんと降った昨日は、東京仏教学院の授業初日でした。先日の学院の入学式のときも雨が強く降っていましたので、同級生の中に強烈な雨女雨男がいるのかもしれません(もしかするとそう言っている私がそうなのかもしれませんが。。。。。)。

 入学式の日はスーツだったので地下鉄で行きましたが、昨日は自転車で通学。所要時間は片道1時間でした。この距離を近いというのか遠いというのかは人によってけっこう微妙かもしれませんが、私にしてみたら楽勝な距離だと思いました。

 初日の授業は、南荘先生(教覚寺ご住職)の「仏教音楽」と、江田先生の「インド仏教史」。

 いきなりの仏教音楽の時間は、昔の高校などでの音楽の授業のようで非常に楽しかったです(教室には大きなグランドピアノがあります)。

南荘先生が住職をされている、静岡市にある松江山(づんごうざん)教覚寺(きょうがくじ)のサイト
http://homepage2.nifty.com/shizuoka-kyogakuji/

 「インド仏教史」は、江田先生が非常に緊張しておられたのと、私が大学で古代インド思想の瀧川先生の授業を何度も取っていたために、インド仏教史の初回の授業としてはやや物足りなさを覚えましたが、今後が楽しみです。

 なんだか、小学生のような日記ですが、今日はこんなところです。

 今日も夕方、築地の学校に行きます。
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日記・〈族長〉と〈アランフェス〉

2007-04-16 08:42:08 | Weblog

『塔』4月号

 まずは、『塔』4月号の話題、といいますか、ひとつの閑話休題です。
 4月号に向けた詠草として、私は物語連作「失踪中の族長&その部下・秘書課長木村」シリーズ10首を提出していました。はたしてそのうちの何首を採って頂けるのか、それによって私の意図した物語はどうなってしまうのか、4月号のページを開けるまで正直どきどきでした。そして結果は、半分の5首が合格(?)でした。有難いことに、選者のM先生が、読み手に物語の雰囲気がなんとなく伝わるような採りかたをしてくださっていました。もちろん、作者としては、本来「族長の失踪」にストーリーの中心を置いていたはずだったのが、「木村秘書課長の屁」がもたらす悲劇性に焦点が移ってしまっているようなところがやや残念でしたが、その辺は作者の力量不足のせいと反省しています。
 以下は、その、合格した5首です。

族長の望遠鏡は覗く箸のうごき カンブリア紀の吉野家牛丼

トイレから消えて三年の族長の机にいまだ規制線は張られて

最後の屁の音を再現してみますと秘書課長・木村の虚ろな献身

望遠鏡がコトリと音を立てている 地蟲のような鳴き声聞かせて

「お父さん、そこまでしなくたって」と妻娘(つまこ)泣く 木村は黙って屁をこくポーズに

*****

アランフェス

 昨日のNHKFMの番組『気ままにクラシック』のゲストは、ギタリスト荘村清志氏でした。生前の武満徹氏と荘村さんとの家族ぐるみの非常に親しい交友関係の話は音楽史上つとに有名で、荘村さんが語る武満さん作曲の数々のギターのための傑作誕生秘話には興味が尽きませんが、それ以上に昨日の番組の中で面白かったのは、N響が初めてロドリーゴ作曲の『アランフェスの協奏曲』を演奏したのが1975年7月30日、NHKホールでの「若い芽のコンサート」で、そのときのソリスト・指揮者が荘村さんと尾高忠明さんだったということです。番組の中では、そのときの興味深い第2楽章の演奏が流れました。たぶんこれがアランフェスの日本初演だったのかもしれません(後で調べてみたいと思います)。最近、日本でロドリーゴやアランフェスが語られるとき、ギタリストの名前として、大抵は、亡くなる直前の、最晩年のロドリーゴとスペインで会って話をしてきた村治佳織さんの名前が挙がることが多いような気がします。私は最近録音された村治さんのアランフェスの演奏も大好きです。しかし、昨日聴いた荘村さんの1975年の演奏は、素直で若々しく、好感が持てて、いいなと思いました。アランフェス、メロディが甘すぎるとか批判もあるかもしれませんが、やはりすごい名曲だと思います。

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