カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

坂本さん。

2023-06-29 07:33:48 | Weblog

今朝の帰京すべく乗り込んだ新幹線車中で、先般J-WAVEで放送された坂本龍一さん追悼特別番組の録音を再び再生してしみじみ拝聴。坂本龍一さんはたしかに偉大なおひとりだったと思う。坂本さんの書かれた音楽には、耳にしたときに〈これは坂本さんの音楽だ〉と思わせるもの(独自の揺るぎない個性)があり、そこは大いに非凡。そうでありながら、古今東西の大作曲家の代表的作品を聴いたときと比較して、心の中にどうしてもモヤモヤしたやや物足りないなという感覚が残ってしまうのは何故だろう。片山杜秀先生はラジオ番組〈クラシックの迷宮〉の坂本龍一さん追悼回の中で、〈坂本龍一さんは、バッハを尊敬し敬愛したヒンデミットの愛弟子であった師匠松本民之助先生の作風から大きな影響を受けて、オーケストラ大作をバリバリ書くのではなく、基本、シンセサイザー音響を巧みに駆使される方向性での作曲で活躍された〉というような総括をなさっていたが、モヤモヤの理由は案外そういうところにあるのかもしれないとも思う。いろいろ言いながら、結局、私は坂本龍一さんの音楽が好きである。これからも折々に拝聴していきたい。

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さようなら岡山。

2023-06-29 06:30:20 | Weblog

さようなら岡山。今旅では凄くお世話になりました。島のご先祖さま方、皆さま、ありがとうございました。また必ず掃除&お参りさせて頂きに参ります。
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今朝は。

2023-06-28 09:53:28 | Weblog

今朝は一昨日昨日の作業からの情けない全身筋肉痛で目が覚めた。帰京に当たってともかく職場へのお土産見繕いをしなければと思いつつ、胸奥でオーケストラが鳴ったので取り敢えずメモしてみた。
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久しぶりに。

2023-06-27 02:20:29 | Weblog
昨日は、三年ぶりに島へ上陸して、島の総代さんへまずご挨拶してから墓山に上がり、お墓の掃除をした。絡み合う膨大な草木の除去と棲み着かれてしまった蜂の巣の駆除に思っていた以上に時間がかかり、結局、昨日一日だけでは作業が終わらなかった。今日も続きをやる予定。なんとしてもお墓をきれいにして心ゆくまでお参りしたい。昨日の現地の天気予報では雨だったけれども、有り難いことに終始墓山では不思議なくらいに穏やかな日差しが降りて優しい風が吹いていた。
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今夏は。

2023-06-23 06:41:18 | Weblog
今夏こそはこれまでコロナ禍で行かれなかったご先祖さま方のお墓へ掃除&お参りに是非とも行きたいと思っているのだけれども、公表されている全国のコロナ患者数変動状況を見ていて、現在の沖縄の医療機関が再びコロナ禍でたいへんなことになっていることを鑑みると、観光地で人の出入りのとりわけ多い京都や金沢方面への移動はやはりまだまだ危ういかなとも思ってしまう。今夏はともかく島のお墓へのお参りだけは少なくとも行きたい行かなければと思っているのだけれども。
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そういえば。

2023-06-22 18:54:21 | Weblog
昨晩のテレビ東京の水バラ〈長野群馬初夏の高原リゾートぐるり一周250キロ対決旅〉。前回圧倒的勝利のディフェンディングチャンピオンチームであるチーム春日の鳥谷さんが今回もチーム春日の頭脳として緻密かつ大胆な情報収集分析で素晴らしい活躍をされていた。そういえば、2004年3月25日の早稲田戸山キャンパスの記念会堂で行われた卒業式の壇上で、白井総長から小野梓賞を授与される鳥谷さんを、ステージ下の学生席からたしか見た覚えがあるのだが、私が何故そこにいたのか、今更ながらその理由をよく覚えていない。自分の卒業式ではなかったはずなので、なにか仕事関係で行ったのかもしれないが、自分はいったい何をしに行ったのだろう。。。
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やはりどうしても。

2023-06-22 05:49:15 | Weblog

NHK交響楽団演奏会のラジオ生中継がラジオ録音放送に変わってから、演奏会のラジオ放送日時がよくわからなくなった。それまではこまめに生中継を予約録音して聴いていたが、最近はさっぱりできていない。番組を聴けなくなると、NHK交響楽団演奏会への興味も徐々に失せていく感じになってしまう。しみじみと、我ながら寂しいことだと感じる。ところで、非常にマニアックな話ながら、青山豊後長正の第二子、伊豆俊次の後半生が、やはりどうしても謎に思われて仕方がない。能登の流刑地で亡くなったのは本当に青山伊豆俊次だったのだろうか。また、青山豊後長正の子ども(第二子?第三子?)でありながら外祖父山崎長徳の養子になり、のちに大聖寺藩士となった山崎庄兵衛長鏡という人物も大きな謎である。不思議な運命の巡り合わせが働いて、結局、長鏡の直系の息子や孫たちは、のちに加賀藩士青山吉次家、山崎庄兵衛家、大聖寺藩士山崎権丞家、山崎図書家のそれぞれの跡継ぎとなって血を繋いでいっている。あの俊次がじつは長鏡になったのではとのひそかな疑い疑問は、やはりどうしてもなぜだか、私の胸のなかで消えていってはくれない。そんな話、荒唐無稽で馬鹿げていると言われてしまうかもしれぬも、いつまでもいつまでもざわざわざわ胸奥で騒いで止まぬ。この題材、いつか機会があったらなにかの物語として書いてみたい。

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夢日記。

2023-06-21 06:29:56 | Weblog
昨日の朝見た夢と、今朝見た夢。

昨日の朝見た夢は、結婚を約束した彼女を案内して実家のある団地へ行くべく駅からの道を歩いていたが、歩けども歩けどもなかなか着けずにいた。そこは昔自分も住んでいたことがあってよく知っているはずの町で、学校脇の道から広大な寺院境内地に入り込んで、ここを抜けたらもうすぐと大きな本堂の横を急いでいると、数人の僧侶がとあるお墓前に固まって、厳かで美しい声音で読経しているところに出逢って、お、と思った。そういう夢だった。

今朝の夢は、大きなガラス窓に包まれた一階から四階まで全てのフロアを跨いで様々な料理やお菓子の並ぶ広大なビュッフェ形式のバイキング会場になっている巨大なホテル食堂棟にいる夢だった。自分の席と料理の並んでいるところとの往復がたいへんだったがどの料理もじつに絶品で美味しく、そして料理に舌鼓を打つたくさんの人たちがいた。すると、それまで窓の近くの席で料理を堪能されていたアインシュタイン博士が美しい音色でヴァイオリンを弾かれ始めたので、そうだ、もしもお願いしたら最近僕の書いたヴァイオリン・コンチェルトを博士に弾いていただたけるんではないだろうかとドキドキウジウジ思い始めた。そんなところで目が覚めた。
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長年の勘違い。

2023-06-19 07:05:57 | Weblog
アン・アキコ・マイヤーズさんとNHK交響楽団とがバーバーのヴァイオリン協奏曲を演奏されたのをたしか昔テレビかラジオで聴いたことが有ったはずで、そのとき聴いたその音楽が非常に印象深くて忘れられなく、そしてそれが私がバーバーのヴァイオリンコンチェルトを耳にした最初だったのだけれども、ネット検索で調べてみると、どうやら1989年7月31日のNHK衛星第2放送番組表の午後7:30〜に出てくる〈アン・アキコ・マイヤーズとNHK交響楽団 「バイオリン協奏曲 作品14」サミュエル・バーバー作曲、「交響曲 第2番 ニ長調 作品43」シベリウス作曲〉がその演奏会で、当時の我が家のテレビは衛星放送を見られなかったから、通常のラジオかテレビの放送で見たか聴いたかしたものだったらしい。そして、その指揮を、ずっとどういうわけだか、レナード・スラットキンさんが振られたものだとばかり思っていた。今朝じっくり調べてみると、それは1989年1月16日にアレクサンダー・ギブソンさんを指揮者に迎えてサントリーホールで行われた定期演奏会でのプログラムだったようだ。長年勘違いしていたことが判明して良かったと少しホッとした。
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遠藤周作先生の。

2023-06-18 06:19:22 | Weblog
夢を見た。そこは、遠藤周作先生がかつて仕事場やお住いにされていたというコンクリート造りのモダンな建物で、いまは大岡信先生が館長を務められる文学記念館兼図書館になっていた。私が中に入ると、たくさんの司書や学芸員の方々が立ち働いていらした。大きな窓のある広い展示室の壁には、遠藤先生手書きで「不要原稿入れ」と墨書された小振りの木の箱が掛けられていて 、私がそれを興味深く眺めていると、近くを通り掛かった学芸員の方が、〈この中からあの作品の原稿は発見されたんです。盲点でした。〉と話し掛けて来た。そういう夢だった。
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