昨日、仕事中ゆえ予約録音したNHKFM『×(かける)クラシック』(今月のテーマ:動物・最終回)はゲストが作曲家吉松隆先生、番組最後にかかったのがエルガー作曲『マイナ』(エルガーがその生涯の最後に完成させた愛らしく美しい管弦楽曲)と、素晴らしい神回でした。仕事のあと、何べんも再生して聴かせて頂きました。今朝7時25分から再放送あります。
祈るため雲の果たてを眺むれば小鳥はさらに小さく小さく飛びをり
その声はレクイエムかも知れぬ 私は食堂隅で聴く死者の声
死といふは人の名前で表されぬ ラヂオから続々呼ばるる名前
昨日は、仕事のあと、表参道画廊で開催中の写真家黒田康夫さんの 「土方巽最後の舞踏 写真と舞踏譜」展へ。
http://omotesando-garo.com/link.21/kuroda.html
ご参考記事
小暮さんによるブログ記事『土方巽と寺山修司 アングラと舞踏』
https://kogure.exblog.jp/18835351/
その後、新宿へ足を伸ばし、非常に久しぶりのモンスナックでカツカレーを頂いたあと、紀伊國屋書店新宿本店二階の短歌コーナーで平岡直子さんの歌集を購入。
平岡さんの歌集に出てくる〈蜘蛛と雷〉の歌を、長嶋有さんの小説『ジャージの二人』みたいな登場人物たちに思い切り語らせる小説を書いてみたいとふと思う。
演奏されたのは、チャイコフスキー:アンダンテ・カンタービレ(マカリスター編曲による弦楽合奏版)、サン・サーンス:ヴァイオリン協奏曲第三番ロ短調、(ヴァイオリン独奏者白井圭さんによるアンコール):ドント:24の練習曲と奇想曲 Op. 35 第23曲、尾高惇忠:交響曲~時の彼方へ~。
チャイコフスキーは、生前の尾高先生が愛された作品ゆえに選ばれたらしい。私には、かつて大林宣彦監督が映画『転校生』オープニングで流された『アンダンテ・カンタービレ』と重なって聴こえた。広上先生がその若き日に尾高先生の許へ通われて音楽の素晴らしさを学ばれた日々を恩師愛惜の念とともに回顧された音楽だと思った。続いてのサン・サーンスは、天上の死者(尾高先生)へ向けられた、たとえようもなく美しいレクイエム。そして最後が、尾高先生が東日本大震災当時の世の中への不安や祈りの思いを込められた傑作の交響曲。
心が洗われました。素晴らしいコンサートでした。ありがとうございました。
2012年7月4日(水)の夕べ、サントリーホールでNHK交響楽団特別公演〈音楽とともに~外山雄三の世界~〉が開催された日のこと。
https://www.suntory.co.jp/suntoryhall/archive/pict_viewer.html?data_id=15802&shiryo_data_id=15237&lang=ja
その演奏会前、食事をしようと入ったアークヒルズの上階のがらがらに空いていたとんかつ和幸の店内で、たまたま尾高惇忠先生が、既に食事を済まされて、赤青緑などの色鉛筆で修正された色鮮やかな譜面帳を広げて眺めていらっしゃるところに遭遇した。たしかその少し前、トッパンホールでの尾高ファミリーコンサートで先生と少しばかりお話をさせて頂いていた私は、先生に思いきってお声を掛けてみた。先生は、有難いことに、トッパンホールでのあまたのひとりの私のことも覚えていてくださって、実に気さくに優しくいろいろ音楽のお話をしてくださった。
今日のNHK交響楽団のコンサートでは、尾高惇忠先生の交響曲が広上先生の指揮で演奏される。
明日は5月25日。父方大伯父(父方祖父の長兄)と母方大叔母(母方祖母の末妹)の誕生日。ふたりともすでに点鬼簿の人ながら、おめでとうございます!今日は仕事帰りにちょっと気になることがあって何年ぶりかで病院へかかって先生に診て頂き、そのあと、汗泥汚れの洗濯物抱えて急いで帰宅。
昨日は、先日ラジオから予約録音した、まことに美しくて面白くて楽しいニーノ・ロータ作曲『ピアノ協奏曲ホ短調』を繰り返し聴いた。
近頃私が見渡している世の中では、笹川諒さんの歌集『水の聖歌隊』のことがしきりに話題にあがっている。例えば、こんな一首。
(海沿いを歩くシスター)それからを僕は幼い僕と歩いた/笹川諒(歌集『水の聖歌隊』所収)
〈シスター〉とは、保育園にいらっしゃるような修道女の先生というよりも、年の離れた肉親のお姉さんかもしれない。〈僕〉には海沿いを優しい肉親のお姉さんである〈シスター〉に手を引かれて歩いた幼き日の思い出があるのだが、いま、その〈シスター〉はいない。もしかしたら不慮のことから亡くなってしまったのかもしれない。幼き僕が〈シスター〉と呼んで慕ったお姉さんのいない現在、海沿いを僕は〈幼い僕〉の手を引いて歩くのだ。海沿いを一緒に歩いたあの日の〈シスター〉を思い出しながら。