カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

夢のなかで。

2021-04-30 05:07:07 | Weblog
夢のなかで、チェロ協奏曲が鳴っていた。目が覚めて、取り敢えずメモしてみた。
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短歌メモから。

2021-04-29 07:13:17 | Weblog
短歌メモから。

詞書:服部真里子さんの一首〈水仙と盗聴、わたしが傾くとわたしを巡るわずかなる水〉に寄せて

水仙へ充填されゆく薬莢火薬バッハの胸像首傾げるばかり
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短歌メモから。

2021-04-28 17:08:50 | Weblog

短歌メモから。

飛行艇は古びしリヤカーに載せられぬ西塔脇の爺さまの作業場

作業場の壁に貼られし設計図ぱたぱた靡く海からの風に

作業場の木椅子に爺さまは珈琲のむ油まみれのエプロン着けて

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チェロ協奏曲。

2021-04-27 02:18:15 | Weblog

2月に亡くなられた尾高惇忠先生の晩年の作品であるチェロ協奏曲が3月にステージで世界初演され、さらに最期の病床で完成されたという遺作のヴァイオリン協奏曲の世界初演が今後のステージで予定されていると知った。最近は、先生の和声課題集のまことに神がかって美しい実施例をよく眺めている。先生のチェロ協奏曲やヴァイオリン協奏曲はどのような音楽なのだろう。


先生のご尊父さま尾高尚忠先生の『チェロ協奏曲』。
https://youtu.be/NZf7T1w_pPg

☆☆☆

大阪フィル第506回定期演奏会

2017年3月17日(金) 18日(土) [17日]19:00開演(18:00開場) [18日]15:00開演(14:00開場)

フェスティバルホール

<出演> 指揮:尾高忠明 チェロ:宮田 大

<曲目>

尾高尚忠/チェロ協奏曲 作品20

R.シュトラウス/交響詩「英雄の生涯」作品40

◆今回の公演に寄せてマエストロ尾高忠明からメッセージをいただきました◆

昨シーズンの大阪フィルとの定期演奏会は、本当に楽しかった。初めての新フェスティバルホール。その音響、会場との一体感、旧フェスティバルホールで少し感じた「大きいなあ!」という感じはなく、とても良い雰囲気が味わえた。大阪フィルは本当に素晴らしい演奏を繰り広げてくださり、諏訪内さんとの協奏曲も強い満足感を味わった。これらは、1つにはお客様からの温かい反応が私たち音楽家を後押しして下さったのだと確信している。このようなお客様は日本には少ない。また、3月に定期演奏会で皆様と、そして大阪フィルと演奏会でご一緒出来ることを心待ちにしている。メインはオーケストラの卓越さを最も表現できる、「英雄の生涯」を選んだ。これまでに、たくさんのオーケストラと演奏してきたが、自分の中ではライナー・キュッヒルと安永徹の両氏のソロが心に残る。今回の田野倉雅秋さんがどのようにシュトラウスの奥様の悪妻振りを表出してくださるか楽しみだ。

この演奏会の時、私は69歳だ。39歳で早逝した父の作品の中でまだ取り上げていない大作、チェロ協奏曲。作曲家の兄に言わせると、最も素晴らしい作品。私自身も取り上げなくてはと思っていたが、ここ数年何度も共演して、その素晴らしさに感服している宮田大さんにお願いしたところ、快諾して下さった。

宮田さんは私の従姉妹倉田澄子に習った。澄子の父が倉田高(チェリスト)。高の妻が陽子、私の母の妹だ。父の尚忠は妹の主人の高のためにこの曲を書いた。その娘に師事した宮田さんが、ソリストに決まったのは、天上の、倉田高と尾高尚忠の願いがこの世に降りてきたのかもしれない。

http://www.osaka-phil.com/hd/concert/detail.php?d=20170317

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センチメンタル。

2021-04-26 06:41:20 | Weblog
少々センチメンタルを綴つてみる文体練習のひとつ。漱石夢十夜を勝手に持ち出し倣ひて。十代の頃の学校や家庭で根本的な心根に受けた大きなダメージによる厭世感や人間不信は大分和らいだとは言へ、やはりまだどこか引き摺つてゐて、それだから日頃、さういふ願望はさつぱり感じてゐないし感じられないと思ひ込んでゐる自分がゐるも、近頃見る夢に、自分が優しい奥さんと可愛い子どもたちのゐる幸せな家庭生活を営んでゐるのを見せられて、目が覚めた後にいろいろ寂しく考へさせられる。読書は、黒川さんの『落英』下巻に漸く届いたところ。黒川さんの賑やかな文体がそんな寂しさにすつと寄り添つてくれるのがなんとも心地よくて、仕事に出掛ける前のしばし、またすこしこれを読んでしまふ。
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シューベルト風。

2021-04-25 05:32:24 | Weblog
今朝は、ふと目が覚めると、シューベルト風のピアノのパッセージが胸奥で鳴っていたので、取り敢えずメモしてみた。今日もこれから仕事。
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なぜだか。

2021-04-24 23:50:39 | Weblog

仕事のあと、食事を済ませ、風呂浴びて、黒川さんの『落英』の続きを読み進めたくてうずうずして、早々に寝床へ潜った。しかし、仕事疲れのせいか、すこしページを進んだところで意識を失って眠ってしまった。夢を見た。どこかの大学院での研究発表会の教室にいた。私は、〈これらの仏教経典の内容は、まさにこちらの漢字四文字でシンプルに表現できると、いくつかの文献中に述べられています。その意味するところや、経緯は、、〉と発表していた。夢から覚めて、某メール歌会の詠草をしばし眺めていたら、「もしも明日世界が滅ぶとしても、今日私は林檎の木を植える」(出拠:ルーマニアの作家コンスタンティン・ゲオルギウの小説『25時』。ただし、元々はマルティン・ルターの言葉との説あり。ゲオルギウの小説『25時』については、こちらに記事あり→https://gamp.ameblo.jp/namhachiman/entry-12077181072.html)を思い出した。これからの数日で世界がまさに滅ぼうとしている頃。そんな夜に空を見上げ、月を仰いだ作中主体が、君の言葉である「もしも明日世界が滅ぶとしても、今日私は林檎の木を植える」を思い出している場面がなぜだか浮かんできた。

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クラシックの迷宮▽外山雄三さんの“卒寿”の誕生日を前に~NHKのアーカイブスから。

2021-04-24 06:55:39 | Weblog
記事メモ。。

クラシックの迷宮
▽外山雄三さんの“卒寿”の誕生日を前に~NHKのアーカイブスから
[NHKFM] 2021年04月24日 午後7:20 ~ 午後9:00 (100分)
司会:片山杜秀先生

〈オンエア楽曲〉

「管弦楽のためのラプソディー」
外山雄三:作曲
(管弦楽)NHK交響楽団、(指揮)岩城宏之
(6分30秒)
<~NHKのアーカイブスから~ ※1960年8月放送>

「序曲」
外山雄三:作曲
(管弦楽)NHK交響楽団、(指揮)外山雄三
(7分20秒)
<~NHKのアーカイブスから~ ※1958年5月25日放送>

「ディヴェルティメント」
外山雄三:作曲
(管弦楽)NHK交響楽団、(指揮)岩城宏之
(13分50秒)
<~NHKのアーカイブスから~ ※1963年2月26日>

「ピアノ協奏曲(1962年改訂版)」
外山雄三:作曲
(ピアノ)賀集裕子、(管弦楽)NHK交響楽団、(指揮)外山雄三
(29分38秒)
<~NHKのアーカイブスから~>

「鬨」
外山雄三:作曲
(管弦楽)NHK交響楽団、(指揮)外山雄三
(7分49秒)
<~NHKのアーカイブスから~ ※1965年10月30日録音>

「万華鏡」
外山雄三:作曲
(管弦楽)NHK交響楽団、(指揮)外山雄三
(14分36秒)
<~NHKのアーカイブスから~ ※1968年11月12日録音>

「管弦楽のためのラプソディー」
外山雄三:作曲
(管弦楽)NHK交響楽団、(指揮)岩城宏之
(5分20秒)
<~NHKのアーカイブスから~ ※1974年6月19日 N響635回定期演奏会>
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預言者。

2021-04-23 07:26:18 | Weblog

今日は、昼2時から、マイヤベーア作曲のオペラ『預言者』全幕のラジオ放送があると知り、その時間が仕事中ゆえ、録音予約をした。

この『預言者』に関しては、マイヤベーアとアルカン(作曲家・ピアニスト。ショパンの親友であり、また、リストと並ぶピアノのヴィルトゥオーゾとして知られていたが、後年、パリ音楽院ピアノ科後任教授選考に漏れたことをきっかけとして隠遁生活を送るようになる。『交響曲』をはじめとする殆どの作品も今日失われている。)の話が興味深い。

初演リハーサル時、序曲がカットされることになった。そして、その序曲の管弦楽版自筆スコアは作曲家・ピアニストのシャルル=ヴァランタン・アルカンに与えられた。アルカンはこれをピアノ4手連弾に編曲し、これが世に長らく知られてきた。一方で、もともとの序曲の自筆スコアは行方不明となっていた。それが、1990年代初め、パリのフランス国立図書館でマイヤベーアによる序曲の手稿譜が発見され、その後パート譜もパリ・オペラ座で発見された。それにより、2010年に新編集の総譜が出版されることになった。云々

また、その作曲家・ピアニストだったアルカンの最期に関する話も。すなわち、

長い隠遁生活を経て、アルカンは、1888年3月29日に74歳で永眠したが、彼は、自宅にあった背の高い本棚からユダヤ教の経典タルムードを取りだそうと手を伸ばしたところで本棚が倒れ、その下敷きになって死亡したものと長年信じられてきた。この説は、アレクサンドル・ベルタが1909年に発表した記事に端を発していると考えられ、また、アルカン一家の故郷の町メスのラビ、「シャーガットのアリヤ」として知られるアリヤ・レイブ・ベン・アシャー・グンツベルクによる言い伝えももとになっているのではないかとも見られた。さらに、この話は、ピアニスト兼作曲家のイシドール・フィリップやドゥラボルドによって伝説的に誇張されて伝えられてきたが、死因についての確定的な史料は存在せず、詳細不明だった。それが、近年、ヒュー・マクドナルドによってアルカン家の守衛を務めた人物の書簡が発見され、その中の記載から、以下の話がわかった。すなわち、台所からアルカンのうめき声がしたので、守衛が台所へかけつけたところ、アルカンが台所の傘立てラック(フランス語: porte-parapluie)の下敷きになって気絶しているのを見つけた。どうやら、ラックを支えにしようと掴んでその下敷きになってしまったものらしい。守衛は直ちに助け起こし、彼を寝室に運んだが、手当ての甲斐なくその日の午後に息を引き取った由。

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小学生時分。

2021-04-22 06:53:05 | Weblog
小学生時分、真新しい大学ノートの白紙ページに、『砂漠の門』というタイトルをうきうきと書き付けたことがあった。そのとき、いくつもの印象的な場面が鮮やかに胸の中に浮かんでいて、それらを繋ぐ壮大な物語を綴るつもりだった。しかし、その物語の完結はいまだに果たせないでいる。そういうものがいくつもあるのだ。今朝はひょんなことからそんなことを思い、少々焦りの念を覚えてしまった。今日もこれから仕事。
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