聖徳太子と徐福にゆかりの浄土真宗本願寺派聖徳山福源寺に関するメモです。。。
画像:聖徳山福源寺山門(山梨県富士吉田市)
***以下、引用させて頂きます***
「徐福伝説」サイト
http://www.asukanet.gr.jp/tobira/jofuku/jofuku.htm
(前略)
聖徳山福源寺は1724年の創建で聖徳太子の木造や自画像が納められた六角堂も建っています。
聖徳太子が諸国の様子を見に旅に出たとき,黒駒に導かれてここにたどり着いたが,その時3枚の自画像を描きました。ここに納められているのがそのうちの1枚です。
徐福は不老不死の仙薬を求めて富士山に入りましたが,その途中で亡くなってしまいます。そして,3羽の鶴に化身して空に舞い上がったのですが,うち1羽が死んで福源寺に落ちてしまいました。この鶴を葬ったのが鶴塚です。
富士山北麓地域の人たちはこの鶴塚を徐福の墓としています。
(後略)
+++
「昭和レトロと逢える街・富士吉田市」サイト
http://kashibesso.com/blog/archives/2006/06/post_125.html
《聖徳山福源寺》
浄土真宗本願寺派の寺で、太子堂には聖徳太子画像が収められており、親鸞・蓮如・実如上人の御文章3通が寺宝とされている。
*鶴塚の由来
始皇帝が蓬莱の国日本へ、徐福を遣わして不老不死の薬を探させたが、徐福はその途中で不死山(富士山)にて他界してしまった。そして3羽の鶴となって舞いあがったがうち一羽が死んでここ福源寺に落ちて、それを葬った塚が鶴塚と伝えられています。鶴に化した徐福は、富士山麓の村民を守ったので、土民達は後を慕い、地名を都留郡(つるごおり)と名付けたのだそうです。
*碑文概要
峽州に鶴郡あり。その地、南は富岳の麓に接す。相伝う、孝霊帝の時、秦の徐福、結伴して薬を東海の神山に求む。ここに至るにおよび、おもえらく福壌なりと。遂に留まり手去らず。後に鶴三羽ありて居る。つねに遊びて郡中に止まる。時人以て徐福の等の化すところとなす。孝霊より元禄に至る凡そ二千有余年にして一鶴死す。その骨を郡の福源寺に埋めそめ鶴塚と称す。
http://suzuki-t.hp.infoseek.co.jp/jofuku.htmから引用
***以上、引用おわります***
聖徳山福源寺
山梨県富士吉田市下吉田5779
TEL:0555-23-7733
画像:聖徳山福源寺山門(山梨県富士吉田市)
***以下、引用させて頂きます***
「徐福伝説」サイト
http://www.asukanet.gr.jp/tobira/jofuku/jofuku.htm
(前略)
聖徳山福源寺は1724年の創建で聖徳太子の木造や自画像が納められた六角堂も建っています。
聖徳太子が諸国の様子を見に旅に出たとき,黒駒に導かれてここにたどり着いたが,その時3枚の自画像を描きました。ここに納められているのがそのうちの1枚です。
徐福は不老不死の仙薬を求めて富士山に入りましたが,その途中で亡くなってしまいます。そして,3羽の鶴に化身して空に舞い上がったのですが,うち1羽が死んで福源寺に落ちてしまいました。この鶴を葬ったのが鶴塚です。
富士山北麓地域の人たちはこの鶴塚を徐福の墓としています。
(後略)
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「昭和レトロと逢える街・富士吉田市」サイト
http://kashibesso.com/blog/archives/2006/06/post_125.html
《聖徳山福源寺》
浄土真宗本願寺派の寺で、太子堂には聖徳太子画像が収められており、親鸞・蓮如・実如上人の御文章3通が寺宝とされている。
*鶴塚の由来
始皇帝が蓬莱の国日本へ、徐福を遣わして不老不死の薬を探させたが、徐福はその途中で不死山(富士山)にて他界してしまった。そして3羽の鶴となって舞いあがったがうち一羽が死んでここ福源寺に落ちて、それを葬った塚が鶴塚と伝えられています。鶴に化した徐福は、富士山麓の村民を守ったので、土民達は後を慕い、地名を都留郡(つるごおり)と名付けたのだそうです。
*碑文概要
峽州に鶴郡あり。その地、南は富岳の麓に接す。相伝う、孝霊帝の時、秦の徐福、結伴して薬を東海の神山に求む。ここに至るにおよび、おもえらく福壌なりと。遂に留まり手去らず。後に鶴三羽ありて居る。つねに遊びて郡中に止まる。時人以て徐福の等の化すところとなす。孝霊より元禄に至る凡そ二千有余年にして一鶴死す。その骨を郡の福源寺に埋めそめ鶴塚と称す。
http://suzuki-t.hp.infoseek.co.jp/jofuku.htmから引用
***以上、引用おわります***
聖徳山福源寺
山梨県富士吉田市下吉田5779
TEL:0555-23-7733