ひょうきちの疑問

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新「授業でいえない世界史」 42話の1 第一次世界大戦、ロシア革命、アメリカ参戦

2019-08-25 09:14:44 | 新世界史14 20C前半1
【第一次世界大戦】
 軽い気持ちで始まったかのような第一次世界大戦。きっかけはサラエボ事件です。オーストリア皇太子が、セルビア人青年に暗殺されたという事件です。ふつう戦争は、日清戦争でも日露戦争でも長くて1年なんです。ふつうは2~3ヶ月ぐらいで終わるんですが、これは終わらない。持久戦になっていく。体力勝負になっていく。男はほとんど戦場にとられて、国内生産は女が支えている。そういう意味で人類初の総力戦になる。

 (第一次世界大戦が始まると)イギリスは、新興工業国・ドイツと対決する連合国側の盟主として戦費を調達するために、アメリカなどから借り入れを行う一方、自らの購入してきた米国債や連合国側の保有する大量の債券類をニューヨーク市場などで売却した。(マネー敗戦 吉川元忠 文春新書 P20)

 イングランド銀行はイギリスが求める戦費の調達に応じきれず、イギリスは戦費の調達をアメリカのウォール街に頼らざるをえなくなったのです。・・・・・・ナポレオン戦争がヨーロッパに金融の時代をもたらしたのとは比較にならない規模で、第1次世界大戦はアメリカの金融業を劇的に成長させました。・・・・・・ウォール街のユダヤ系の金融家は、イギリスにおける「宮廷ユダヤ人」ロスチャイルドとは異なり、19世紀に培ってきた財閥、政府、FRB、大学などとの結合を生かし、ロックフェラー財閥、モルガン財閥、メロン財閥などとともにアメリカ的な金融支配の体制を作りあげました。長くヨーロッパで宮廷ユダヤ人の立場に甘んじてきたユダヤ商人は、アメリカにおいて表立って経済をリードするようになったのです。(ユダヤ商人と貨幣・金融の世界史 宮崎正勝 原書房 P251)

 1917年4月16日、アメリカは公式に枢軸国側に宣戦布告した。8日後、議会は10億ドルを連合国に融資するという戦時融資法を粛々と通過させる。最初の融資資金2億ドルは翌日に英国に送られ、ただちにモルガン銀行への債務返済にあてられた。数日後、同じ目的で1億ドルがフランスに送金された。・・・・・・3ヶ月もたたないうちに、モルガン銀行からの英国の借り越し額が4億ドルを超え、銀行は政府に支払いを求めた。・・・・・・ベンジャミン・ストロング率いる FRS(連邦準備制度) はマンドレーク・メカニズム(前述 中央銀行が紙幣を発行するしくみ)を通じて必要なマネーをあっさりとつくりだした。(マネーを生みだす怪物  G・エドワード・グリフィン 草思社 P314)

 銀行カルテルは FRS (連邦準備制度) のメカニズムを通じてマネーを創出して英国フランスに与え、英仏両国はそのマネーでアメリカの銀行に債務の支払いをする。第2次世界大戦の時も、1980年代から90年代の銀行救済のときも、まったく同じことが繰り返されている。・・・・・・
 だが、いつの戦争のときでもそうであるように、戦費のもっと大きな部分は直接税ではなくインフレという隠れた税金でまかなわれたのである。1915年から1920年までにマネーサプライは206億ドルから398億ドルへと倍増した。それに従って、第1次世界大戦中にドルの購買力はほぼ50パーセント低下した。つまり、アメリカ人は知らず知らずのうちに1ドルにつき半分を政府に召し上げられていたということだ。(マネーを生みだす怪物  G・エドワード・グリフィン 草思社 P316)

 1694年イングランド銀行創設以来のすべての戦争を振り返ってみると、不換紙幣さえなければ大半の戦争はあれほど苛烈ではなかった、それどころか起こってさえいなかったかもしれないと思われる。政府が直接的な徴税なしに資金を獲得できるから、現代の戦争は可能なのだし、中央銀行はそのための格好の手段になっている。(マネーを生みだす怪物  G・エドワード・グリフィン 草思社 P371)


 日本では次の第二次世界大戦の時がそうでした。第二次世界大戦の時、うちの親父は高校生だった。授業はなかったと言います。君たちは授業がなくて喜ぶかも知れないけど、授業がなくて軍事動員です。飛行場の整備に駆り出される。飛行場があったんです。「10キロ歩いて行くぞ」と言われて、泥を運んで、砂を運んで、「何のために学校に行っているのか分からなかった」と言っていました。

 この第一次大戦ではヨーロッパのお母ちゃんたちも、お父ちゃんの代わりに工場に来なさいと動員されて、爆弾を並べたり磨いたり、そんなことばかりしていた。国民全員が戦争に加わるという総力戦です。
  それでも人が足らずに、自分たちが征服した植民地からも兵隊に招集する。インド人とか、アラブ人とかを。それなら戦争に勝てば独立させてくれるのか。「独立させてやろう」と口では言っても守りはしない。ひどい話です。今でも悪い人間というのはいる。約束破る人間はいる。いつの時代もそうかもしれませんが、この時代は特にひどい。



【ロシア三月革命】 戦争の終結に行きます。これはフェイントがかかります。イギリスが勝ってドイツが負けた、とすんなり行く前に1回目のフェイントがあります。
 前にも言いましたが、1917年3月ロシア三月革命が起こります。イギリス側で戦ったのですから本当は勝つはずであったロシアが国内の革命で自滅していく。これが1917年3月です。ロシア十一月革命についてはすぐあとでやります。



【アメリカの参戦】 問題は次の月です。次の年ではない。その1ヶ月後です。1917年4月アメリカが参戦するんです。これで決まりです。アメリカはイギリスと軍事同盟は結んでいません。外交的に仲が良いだけで、軍事同盟を結んでいません。だからこの戦争に参戦する理由は本当はありません。
 にもかかわらず参戦する。この理由はというと、ドイツが無制限潜水艦作戦でUボートという潜水艦を発明して無差別攻撃をし、アメリカの船を沈没させたから。その仕返しにアメリカがドイツに参戦する。これが表面上の理由です。
 時間をさかのぼってみると、アメリカのルシタニア号が沈没させられたのは事実ですが、それは1915年のことです。参戦の2年も前です。

 時系列的に見ると、1917年3月にロシア革命が起こってロシアは崩壊する。ロシアはイギリス側だった。イギリスが頼りにしたロシアがここでつぶれた。ロシアは戦線を離脱します。
 その次の月の1917年4月にアメリカがイギリスに応援し参戦する、という流れです。
 これはどう見ても、ロシアが滅んだからその代わりにアメリカがイギリスを応援した、としか見えません。しかしアメリカはそうは言いません。ドイツによって自分たちのルシタニア号という客船を沈没させられたから、その報復としてドイツに参戦したと言う。しかし、どうもそうじゃない。それは表面上の理由です。

 第1次世界大戦で、アメリカはもっぱら、ヨーロッパ諸国からの厖大な債務の回収が滞らないように配慮して戦争に臨みました。1917年、ロシアで3月革命が起こり、ドイツが有利になると、アメリカはドイツの潜水艦Uボートによる無制限・無差別攻撃を口実にイギリス、フランスの側に立って参戦します。(ユダヤ商人と貨幣・金融の世界史 宮崎正勝 原書房 P253)

 第1次世界大戦は・・・・・・予想もしない形で、予想もしない国同士が戦った。・・・・・・ヨーロッパ全土は、文字通り、火の海となった。・・・・・・ヨーロッパ列強で「勝者」はいなかった。まさに完全なアメリカの1人勝ちである。いや、 FRB の1人勝ちといっていいだろう。その勝利とは、 FRB の金庫にうず高く積まれた莫大な金(ゴールド)。そのとき、 FRB には世界中のゴールドの75%が、流れ込んできた。(勃発!第3次世界大戦 B・フルフォード KKベストセラーズ 2011.4月 P163)

 ここで忘れてならないのが、必ずしもヴィクトリアと王族連合が「闇の支配者」と対立関係にあったわけではないことだろう。・・・・・・イギリス王室を含め、ヨーロッパの王室の多くは FRB の大株主であり、ヴィクトリアがヨーロッパで戦争を回避してきたのは、アジアからの富の収奪を優先したからであった。(勃発!第3次世界大戦 B・フルフォード KKベストセラーズ 2011.4月 P164)



【ロシア十一月革命】 決着がつくのが約半年後です。これが1917年11月十一月革命です。ソビエト政権内で、ボリシェビキは暴力革命もやむなしとしていく。選挙で負けてもいい、早い話が暴力を使かってでも政権さえ取ればいい、という動きをしていく。そういう発想だったから、ボリシェビキは革命政府からも危険視され、このときのボリシェビキの活動家は命の危険を感じて、2~3年前にいったん国外に逃亡していた。革命を機にこれが国外から戻ってくる。今がチャンスだ、ということで。

 この人物がレーニンです。三月革命の翌月の1917年の4月に戻ってくる。この人はロシア人ですけど、お父さんはユダヤ人です。ということは半分はユダヤ人です。それまでどこに逃げていたか。スイスです。それが列車に乗って帰ってくる。この人はロシアでは犯罪者です。国外亡命するほどの。
 そのレーニンをロシアに返すために、そのためだけの封印列車を用意してスイスから帰ってくるのですが、どこを通って帰ってくるか。ドイツを通って帰ってくる。これ不思議だと思いませんか。ドイツというのは、この時ロシアと戦っている国、第一次大戦でロシアと戦っている敵国です。しかし敵の領地を通ってロシアに戻ってくる。しかも特別列車で。これがよくわからないですね。なぜそんなことが可能なのか。

 第一次世界大戦時、マックス・ウォーバーグはドイツ諜報機関の中枢にあり、レーニンの一味が有名な「封印列車」でスイスからドイツを通過してロシアに帰還するように取り計らい、そしてその兄弟のフェリックス・ポールは米国にあってトロツキーとその一団が米国からロシアに帰還することを援助したのみならず、レーニンとトロツキーら共産革命勢力に莫大な活動資金を供与している。(ロスチャイルドの密謀 太田龍 成甲書房 P413)

 ロシア革命はロシア皇帝の圧政に苦しむロシア人が蜂起して帝政を転覆した革命では決してありません。ロシアの少数民族ユダヤ人を解放するために国外に亡命していたユダヤ人がロンドン・シティやニューヨークのユダヤ系国際金融勢力の支援を受けて起こした革命であったのです。(世界を操る支配者の正体 馬渕睦夫 講談社 2014.10月 P104)

 ヨーロッパの人たちは、ロシア革命ユダヤ人による革命であることをみな知っています。ロシア革命を主導したのはアメリカにいたユダヤ系の人たちです。(世界を操るグローバリズムの洗脳を解く 馬渕睦夫 悟空出版 2015.12月 P93)


 しかもロシアに到着すると、すぐにボリシェビキというグループの指導者になっていく。逃げていた者が帰ってきたとたんに、なぜすぐに指導者になれるのか。不思議だと思いませんか。よほど背景に何かある。
 彼にはユダヤ系のアメリカの金融資本家が、2000万ドルを提供しています。

 ボルシェビキ革命が勃発する直前、ジェイコブ・シフはボルシェビキの運動を展開するよう、レーニントロツキーに各2000万ドルを与えた。(ロスチャイルドの密謀 ジョン・コールマン 成甲書房 P270)

 ソ連のナンバー2で初代外相となった革命指導者トロツキー(ユダヤ人)は、革命に参加する前、ニューヨークで亡命生活を送っていた。ニューヨークの資本家は、ロシア革命の黒幕だったと疑われる。(金融世界大戦 田中宇 朝日新聞出版 2015.3月 P94)

 「トロツキーが1917年1月13日、米国に到着すると、彼はジェイコブ・シフの大邸宅にしばしば出入りしたとある。・・・・・・トロツキーがロシア共産革命のための数百人の私兵集団を訓練した場所は米国ニュージャージー州のスタンダード石油(ロックフェラー)の所有地であった。トロツキーとこれらの革命私兵団がニューヨークからロシアへ向けて出港したとき、ジェイコブ・シフが提供した2000万ドルのゴールドが革命資金として積み込まれた、という。(奴隷への転落 デス・グリフィン P65)」(ロスチャイルドの密謀 太田龍 成甲書房 P380)

 その革命(ロシア革命)をレーニンとともに指導したトロツキーは、革命の前年の1916年、なぜか、アメリカのニューヨークに滞在、ジョン・D・ロックフェラーから特別パスポートと、1万ドルを、さらにモルガン家からは100万ドルの資金援助を受けていたと言われている。つまり、ロシア革命は、闇の支配者たちの支援によって成功したことが、この事例からはっきりと浮かび上がってこよう。(勃発!第3次世界大戦 B・フルフォード KKベストセラーズ 2011.4月 P171)

 国際主義者とは一体どういうイデオロギーであるのか。実は、国際主義者と共産主義者とは根は同じという驚くべき歴史の皮肉です。・・・・・・共産主義は資本主義を打倒するためのイデオロギーであると私たちは教科書で習いました。しかし、事実は全く逆なのです。世界の歴史が示しているのは、大資本家が共産主義を育ててきたという逆説の歴史です。・・・・・・ソ連や中華人民共和国を支援してきたのは、アメリカやイギリスの国際銀行家たちでした。・・・・・・
 (その理由は)第1に、共産主義も国際主義も共に世界を統一しようとするイデオロギーであることです。・・・・・・グローバリズムの特徴は、世界をグローバル市場化した後の体制が、一握りの大富豪と大多数の貧困大衆とに二極分解されることです。・・・・・・共産主義も、一握りの共産党特権エリートと大多数の貧困労働者の2極に分解されてしまいます。・・・・・・グローバリズムも共産主義も共に超格差社会をもたらす点で共通点があるのです。・・・・・・市場競争では勝ったものが正義であり、すべてを手に入れるべきである。市場競争で負けたものがすべてを失うのは、適者生存のダーウィンの法則にかなっている。・・・・・・これがグローバリストの論理です。(国難の正体・新装版 馬渕睦夫 ビジネス社 2014.11月 P123)

 グローバリズムという発想は、歴史的に見ればユダヤ的思考が果たした役割が大きいと思われます。ユダヤ人は世界全体を単一市場とみなしたのです。なぜかというと、国家を持たない離散状態にあったユダヤ人にとっては、世界が故郷(ホーム)なのであり、地球上に市場が拡大すればするほどビジネスチャンスも増大することになると考えたのです。(国難の正体・新装版 馬渕睦夫 ビジネス社 2014.11月 P139)


 そしてその4月、ロシアに着くとすぐに方針を発表する。方針をテーゼという。これを4月テーゼといいます。4月の方針という意味です。そこで「戦争はやめる」という。もう一方の臨時政府は「戦争は続ける」という。しかしレーニンは早くやめると言う。この時に強かったのはもう一方の臨時政府で、そのリーダーはレーニンではありません。ケレンスキーと言います。

 こういう二つの政権がロシアにはあります。レーニンと対立するケレンスキーという人がまず内閣を組織してやったことは、レーニンを弾圧することです。だからロシア人同士の殺し合いになっていく。つまりレーニングループケレンスキーグループが暴力闘争していく。勝ったのがボリシェビキのレーニン側です。これが1917年11月です。だから十一月革命です。
 レーニンは武装蜂起をする。そして暴力で勝つ。そしてソビエト政府を樹立する。2つあった政府を一つにまとめる、というよりも相手を潰すんです。そして潰したあとは、ソ連はレーニングループの一党独裁政権になります。この政党がロシア共産党になります。

 1917年の11月革命によってウラジーミル・レーニンたちのボルシェビキが権力を握りましたが、ロシア民衆の支持を得たわけでも、ましてや選挙で選ばれたわけでもありません。武装闘争によって権力を奪取したに過ぎないです。ポルシェビキ革命政権の指導部は8割がユダヤ人によって占められていました。レーニンは4分の1がユダヤ人ます。レフ・トロツキーは米国在住のユダヤ人を引き連れ、アメリカ政府のパスポートによってロシアに入国し、革命に従事しました。(世界を操る支配者の正体 馬渕睦夫 講談社 2014.10月 P106)

 革命後のソ連政府幹部の8割以上がユダヤ人で、これらユダヤ人のうち大多数はロシア革命を期にトロツキーとともにアメリカから渡ってきたユダヤ人でした。このように世界のユダヤ勢力がソ連を支援しました。(国難の正体 馬渕睦夫 ビジネス社 P33)

 17世紀のイギリス革命、18世紀のフランス革命、20世紀のロシア革命は、教科書では民衆が立ち上がった革命であるかのように教えられますが、あまりにも表面的な捉え方です。誰が利益を得たかという視点で見れば、それをプロモートした人たちのことが見えてきます。いずれの革命もユダヤ人によるユダヤ人解放という側面の強い革命だったのです。(世界を操るグローバリズムの洗脳を解く 馬渕睦夫 悟空出版 2015.12月 P98)


 そして「今からは資本主義ではなくて、社会主義国家をつくっていくぞ」と言う。「まず戦争はやめるぞ」。「それから地主の土地は農民に全部分配するぞ」と。そういった社会主義改革をボリシェビキ主導でやっていく。ここでは地主の私有権とか、そんなものはすべて無視されます。

 この1917年11月にはバルフォア宣言が出ています。これはイギリス外相バルフォアがユダヤ人金融資本家の英国ロスチャイルド家当主ライオネル・ロスチャイルドに出したもので、「パレスティナにユダヤ人国家の設立を認めた」ものです。それほどイギリスはユダヤ系の金融資本家の資金援助が欲しいのです。
このバルフォアは日露戦争の時のイギリスの首相を務めた人物でもあります。
 レーニンがロシアに帰国したとき2000万ドルの資金を提供したのも、このロスチャイルド傘下のアメリカの金融資本家です。彼ら金融資本家は、連合国側のロシア帝国を革命から守るのではなく、逆にロシア帝国を革命によって打ち倒そうとする勢力を援助しています。

 すでにこの7ヶ月前の1917年4月に、イギリス側に立ってアメリカが参戦していますから、ロシア帝国はすでに連合国側とくにイギリスにとっては用済みであったのです。
 これによりイギリスはドイツ帝国ロシア帝国という2つの敵を同時に倒すことができたのです。
 そしてロシアはドイツと翌年の1918年3月に・・・・・・さっきいった講和条約・・・・・・ブレスト・リトフスク条約を結びます。これでロシアにとっては戦争終結です。

 (ロシアは)本来なら三国協商側の陣営ゆえに、勝利者側にいるべきだが、ロシアが敗者になったのは、世界中の富の「10分の1」を保有するヨーロッパ屈指の成金だったロマノフ朝のゴールドが狙われたからだった。・・・・・・ロシア全土を支配したソビエト共産党は、新国家建設のために、ロマノフの財産=
金を大量に放出、それが格安の値段で、イングランド銀行に流れ込み、戦後復興の経費となって FRB へと引き継がれていくことになる。(勃発!第3次世界大戦 B・フルフォード KKベストセラーズ 2011.4月 P169)



【革命後のロシア】 ロシアにとって戦争は終わりましたが、この後の社会主義改革はどうなるか。「今はこんな混乱の時期で非常事態だから、理屈もクソもありゃしない」と理屈を無視して、非常事態の社会主義改革をやっていきます。これを戦時共産主義といいます。そういったなかで国家が民間企業を没収して国営企業にしていく。社長の財産を国家が没収していく。

 それだけじゃない。この新しいソ連という国は「こういう社会主義革命は一つの国だけでやってもダメだ、全世界が社会主義にならないとダメなんだ」と世界全体に社会主義革命を起こそうとします。これを世界革命といいます。そのための組織を作る。これがコミンテルンです。
 これは周りの国から見れば、たまったもんじゃない。「日本も社会主義にするつもりなのか。日本に攻めてくるのか」ということで、このソビエト連邦に対しては、日本とか他のヨーロッパの国などが妨害戦争をやっていく。これを対ソ干渉戦争といいます。
 日本も北海道から樺太を通って、北へ北へと日本兵がソ連にどんどん出兵します。しかしこの出兵の成果はえられず無駄な出兵に終わってしまいます。これをシベリア出兵といいます。  
 日本人にとってソ連は遠い国のように感じますが、日本に一番近い国は実はソ連です。九州から見たらソ連は遠いですが、北海道から見たらソ連は目と鼻の先です。

 そして2年後の1921年には、ソ連は「ネップ」という「今からソ連の社会主義をどうしていくか」というソ連の新しい経済方針を採用します。これを新経済政策といいます。英語の頭文字をとってネップといいます。資本論通りの、マルクスが考えた通りの社会主義はすぐにはできない。「今は非常時だから、緊急事態だから」ということで、一部資本主義の考え方を取り入れて行く。

 そして1922年に新しい国家の成立を正式に表明します。ソ連、ソ連と言いますが、正式名称はソビエト社会主義共和国連邦す。長いからこれを縮めてソ連という。
 細かいことを言うと、ソ連のなかには共和国がいっぱいある。これが「邦」です。邦は国という意味です。その共和国を強い力でまとめたのがソ連です。だから連邦です。ソ連は国の集まりです。1918年11月に第一次世界大戦が終わり、こうやってソ連ができました。
 


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