水曜
オスマン帝国のなかにはいろいろな異民族がいた。
オスマン帝国はイスラム教の国であったが、その中にはイスラム教徒以外の異教徒もいた。
キリスト教徒やユダヤ教徒が存在した。
東のインドではムガール帝国が存在したが、そのムガール帝国もイスラム教徒の国であった。
しかしインドの大多数の人々はヒンドゥー教徒であって、イスラム教徒とは違った宗教を信仰していた。
帝国というのは、一つの民族が他の多くの民族を支配する国家形態である。
支配民族は、その国家の中に存在する違った文化や宗教を持つ他の異民族に対し、その異民族の生活を従来の形で認めることによって帝国は維持された。
支配する民族は、自分たちの文化や宗教を押し付けようとはせず、支配される側が一定の税金を払えば、彼らの生活は保障されたのである。
15世紀までの帝国の形式は、このような形で多くの異民族を、一つの帝国の中に包括することに成功していた。
ところが、コロンブスのアメリカ大陸発見以降、スペイン人やポルトガル人がアメリカ大陸に形成した植民地帝国では、従来守られてきたこのような帝国の形式はとられなかった。
一方的に乗り込み、そこで現地人を使役し、彼らの宗教を奪って、みずからのキリスト教を押し付けた。
このようなことが可能であったのは、ヨーロッパ人のもつ馬や鉄砲などの圧倒的な軍事力であった。
このことがいったん成功すると、コルテスによるアステカ帝国の征服や、ピサロによるインカ帝国の征服などにより、ヨーロッパの植民地支配の形式としてこの形態が当たり前になっていった。
この植民地帝国の方法は、それ以前のオスマン帝国や、インドのムガール帝国、またはそれ以前のペルシア帝国、さらにローマ帝国、もっと東の中華帝国が行った異民族支配とは大きく異なっていた。
つまりここで帝国支配の方法が大きく変わったのである。
これ以降の帝国支配の方法が、この新しい帝国支配の方法に変わり、それが17世紀、18世紀、19世紀まで続いていく。
このヨーロッパの植民地帝国によって、19世紀にはインドのムガール帝国が滅ぼされ、また東の中華帝国が虫食い状態にされた。
その間、東南アジアは植民地化され、19世紀末にはアフリカも植民地化された。
そして、20世紀初頭には第1次世界大戦によってオスマン帝国も解体され、その領域はヨーロッパの支配下に置かれた。
しかし、このことと同時に起こってくるのが支配された民族による抵抗運動である。
その抵抗運動は第2次世界大戦の悲劇を経ることによって達成され、多くの植民地が独立することになった。
約400年続いたヨーロッパの植民地帝国のルールは、ここで終わったのだろうか。
確かに武力による軍事制圧は少なくなった。しかし根絶したわけではない。
それは21世紀の今でもアメリカの軍事行動を見ればわかることである。
しかし第2次世界大戦後の世界では、軍事による制圧よりも資本による制圧という形で、さらにわかりにくい形をとって、
ヨーロッパの帝国支配のルールは厳然として存続しているのではないか。
つまり、軍事による異民族支配から、資本による異民族支配という形に切り替わったのである。
政治的な支配による帝国支配は軍事的な支配であるが、
資本による支払いは、企業による支配であり、経済的な支配である。
軍事による植民地支配のそのねらいが、経済的な利益を追求することにあったとすれば、
それが現在のような資本による植民地支配に切り替わったとしても、経済的な利益を求めているという点では同じである。
その方法が違っているだけで、求めるものは『富の収奪』であるという点に関しては何も変わっていない。
このヨーロッパの帝国支配の方法を現在では、『グローバリズム』と言っているだけではないか。