ひょうきちの疑問

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商品を生み出す企業まで商品になる……資本の自己破壊性

2017-10-20 00:07:34 | 国際金融

金曜日

企業の論理は資本の論理。
企業がなぜ儲けようとするか。
当然自分が生活していくための利益は必要だが、ここでいう儲けとは、それ以上の儲け、つまり自分が人より以上の生活をするための儲けや、拡大再生産をするための過剰利益としての儲けをなぜ企業が求めるのかということである。

日本の場合には株式会社は発生しなかった。
多くは個人経営である。
自分の思うように商売をすればよかった。

ところが西洋では株式会社が発生する。
この株式会社は個人経営ではない。
複数の人間が共同で行う会社形式である。
株式会社の前身はパートナーシップやカンパニーなどと呼ばれたが、一人で行う個人経営ではなく、複数の人間で行う共同経営であるという点では共通している。

出資者は出資金額の対価として株式を所有する。
この株式とは利益に対する分配金を受け取る権利である。
そして西洋ではこの株式の転売が行われた。
そうなると株式が商品となり、商品のもつ共通する性格として高く売れるものであることが求められた。

日本の場合には、自分が立ち上げた事業を転売することは通常はなかった。
仮りにそういうことがあったとしても、それは儲けるためではなく、事業の継続を願ってのことであった。

この違いが何なのか。
会社の経営権やその利益の分配券を1枚の紙切れに証券化してしまうと、その証券自体が商品化してしまう。
日本ではそのような証券化は起こらなかった。
日本の通念では、自分が立ち上げた商売は自分の子供のようなもので自分と切り離して考えることはなかった。
『企業は人なり』
という言葉は複数の意味を含んでいるが、その意味の一つには、企業は商品ではない、という暗黙の前提があった。当然企業は商品ではなく、売り物ではないものを証券化して売買することはできなかった。

ところが西洋ではいったん証券化した株式は、匿名の人間に対してさえ売買されるようになる。
そこで株式を買うものにとってその目的は、その証券化された株式を買えばいくら儲かるかということだけになった。
そうなると儲けることだけを目的として株式が売買されるようになる。
①株価が上がること、
②配当金が上がること。
どちらにしても、企業の利益が大きくならないことには儲からない。
そして株主には経営権がある。
経営に口出しすることができる。

そういう創業者とは関係のない不特定多数の匿名の株主が求めるものは、企業利益の最大化である。
ここでは事業を立ち上げた人の『創業の理念』は横に置かれてしまう。

このような利益の最大化に向けた株式会社の設立が盛んになるのは、イギリス産業革命勃興期の18世紀ではなく、アメリカ資本主義が成立する19世紀に入ってからのことである。

会社の経営権である株式そのものが証券化されて、利益を生み出す商品になる。
この株式は一見単なる紙切れに見えても紙切れではない。
その紙切れが会社の価値を表す。
もしその紙切れが無価値になれば、会社の価値が無価値になり、そのことはつまり会社の倒産を意味する。
多くの会社が倒産すれば、そこで働く多くの人が失業し、社会が大混乱に陥る。

株式とはいったい何なのか。
会社の価値を紙切れ1枚で表し、その紙切れを求めて多くの人が売り買いを繰り返すのは、いったい何を意味するのか。

不特定多数の匿名の人が、その証券を求めてその売り買いを繰り広げる場が証券取引所である。
この競りに似た取引は、そのことそのものを業務とする証券会社を生み出した。
そしてその証券会社を中心に多くの人が株取引に熱中し、異常なほどの株価の高騰を時として発生させた。
しかしその異常な株価の高騰はいつまでも続かず、異常に高騰した株価は、今度は逆に異常なほど下落することになる。
この乱高下がすさまじいほどの混乱を実体経済に与える。

資本主義はこのことを繰り返してきた。
そのことは資本の自己破壊性を意味するのではないか。
企業を生み出した資本の論理が、逆に企業を破壊していくのだから。

そしてそのことは、資本主義が永続的なシステムではないことを意味するのではないか。


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