お正月に実家に行くのに電車で多摩川を渡る際、川沿いに連なるホームレスのテントの多さを見て驚くと同時に、変なことですが少しほっとしました。
ブルーシートで作られただけの家であっても、撤去されてしまうよりマシだろうと思ったからです。
ホームレスといえば福祉関係団体の仕事をしていたときに、市役所の福祉課の職員と話をしていたことがあります。
「『ホームレスは働きたくても働かない怠け者だから支援するべきではない』と言うけど、今の時代に働きたくても仕事がなくてホームレスになっている人もいるのは分かっているはず。その部分について市は見えないふりをしているだけでは?」
彼は私の問いには否定できないと言いながらも、もし市がホームレスに支援するようになったら、他の市からもホームレスが集まってきてしまうと市民の反発も出てくるのでできないと弁明しました。その話を彼としたのは、私の家の資源ごみ収集場所に現れた高齢のホームレスの話がきっかけでした。
ある冬の寒い朝、70歳はもう過ぎているだろうと思われる男性のホームレスがまだ食べ物の残りかすが残っている空き缶を探し当てて、その場に座り込んで食べていました。
薄汚れた服を着こんでいるものの、その朝の寒さではまだ十分といえない格好。
気になってその男性に「大丈夫ですか?」と声をかけると、一生懸命何か話そうとする男性の言葉は聞き取れません。外国語というわけではなく、言語障害があるようでした。
そんな男性の姿を見た町内の人々は、その男性から見えないところで集まってひそひそと話していました。
「あんなところで死なれたら困るわ・・。警察か市役所に通報しなければ・・」
こんなことを言っていたのは、その少し前に近所に現れた老いた捨て犬に自宅の猫の缶詰を与えた心優しい隣人です。
彼女は「そんなことをしてその犬が居ついたらどうする!?」という他の人の反対を無視して、その老犬に餌を与えようとしていました。(老犬は猫の缶詰を食べませんでした。食欲さえも失われていたような哀れな犬は、その後すぐ姿を見せなくなりました。おそらく保健所に通報されてしまったのだと思います。)
その時点で私があのホームレスに何か食べ物を持っていったら町内の人を敵に回しそうだったので断念したものの、気になって後で見に行くと、もう収集所の前に姿はありませんでした。
ホームレス支援については、本当に難しい問題です。しかし、うまくは言えないのですが、確かにお金や物資で支援するのはいろいろな問題を生みますが、ホームレスに対する思いやり、理解はもう少しあっても良い気がします。
ある病院の若いケアワーカーが「病院に収容したホームレスの着替えがないので何とかならないか」とその患者の境遇に同情して電話をかけてきたことがありました。
その時に私が声をかけたボランティアのリーダー2人は、即座に古着から真新しい靴下等まで仲間から集めてきてくれました。彼女達は、その病院のケアワーカーの気持ちに応えたかったという部分もあったようです。
この後、この病院に他のホームレスが押しかけたとも聞いていません。