アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

ベトナム人を雇う以上はベトナムの事も少しは勉強しろ!

2015年11月18日 10時58分36秒 | 職場人権レポートVol.3


 一週間以上もブログ更新の間が空いてしまうと、アクセス数もさすがに減っていきます。普段なら毎日1千ビューの閲覧数(見られたページの数)を維持していたのが、9百、8百と減ってきます。しかし、その割にはアクセス数(見に来てくれた人の数)がそんなに減っていないのが唯一の救いです。「大阪ダブル選挙やパリの同時多発テロがあったのに、プレカリアートは一体何をサボっているのか?」と、読者からのお叱りの声が聞こえてきそうですw。

 実はこの間、ベトナムの歴史について少し勉強していたのです。既にブログでも何度か書きましたが、私のバイト先にもベトナム人留学生が大勢働くようになり、私は事実上、その留学生の指導役をさせられるようになりました。指導役といっても、労務管理などは社員がするので、私はただ単に、現場での作業のやり方を教えるだけですが。
 しかし、その「単に現場での作業のやり方を教えるだけ」でも一筋縄ではいかない事も、既にブログで書いた通りです。カタコトの日本語しか話せないベトナム人留学生相手に、「かます(乗せる)」「付ける(置く)」などの業界用語を、日本人のベテランバイトに話すような調子で言っても、分かるはずがありません。ところが、今まで「業界人」しか相手して来なかった私たちには、その辺の感覚がなかなか掴(つか)めませんでした。私もそうで、留学生とコミュニケーションがなかなか取れませんでした。その中で、ようやく「その辺の感覚」が掴めるようになりつつあるところです。

 しかし、バイトや社員の中には、いまだにベトナム人留学生に対して、他の日本人に接するのと同じような感じで、接している人が大勢おられます。つい先日も、ある社員(例のバカ社員の井下ですがw)、フォークリフトの運転席から作業中のベトナム人に対して、「おい、今度はこっちや!」と、別の場所での作業を指示している場面を目にしました。しかし、作業中にいきなり、すれ違いざまに「こっち」とか「あっち」とか「これ」とか「あれ」とか言われても、何が「こっち」で「これ」なのか全然分かる訳ないでしょう。私でも、そんな言い方をされたら分からない時がありますよ。それを日本語もロクに話せないベトナム人に分かる訳がない。
 相手も生身の人間なのだから、「あれやれ!これやれ!」と馬車馬のようにこき使うばかりでは、誰も自分の言う事なぞ聞いてくれなくなります。たとえ忙しい中でも、たまには「シンチャオ!」(おはよう!)と声かけてあげるだけでも、その後の相手の受け取り方が全然変わってきます。

 フランス・パリで先日起こった、IS(イスラム国)による同時多発テロも、元々の発端は、我々外国人のアラブ人やイスラム教徒に対する接し方に問題があったからではないですか。
 そもそも、なぜ、アラブ人やイスラム教徒がISになびいてしまうのか。イラク戦争やイエメン、シリア空爆によって、罪のない一般市民が、米軍やフランス軍の誤爆によって多数殺されているからではないですか。中東での戦争は、主に無人偵察機や遠隔操作による爆撃で行われるので、誤爆なんて日常茶飯事です。その前にも、アフガニスタン北部のクンドゥズで、NGOが運営する病院が多国籍軍に誤爆されましたよね。この時も、通り一遍の謝罪がなされただけで、被害者や遺族には満足な補償もされなかった。これでは見殺しにされたも同然じゃないですか。そこにISが付け込んできて、反欧米宣伝に乗せられてしまうのじゃないですか。今回のISのテロも、狙われたのはパリだけではなく、中東のレバノンでも前日にはテロで大勢犠牲者が出ているのに、なぜパリだけしか取り上げられないのか。
 前述の井下の場合も、「おい、今度はこっちや!」と言った相手がベトナム人だったからまだ良かったものの、これがイスラム教徒やアラブ人だったら一体どうなっていると思いますか?「日本人は何て偉そうな民族なんだ!」と、日本人全体が誤解された挙句に、ISの秘密工作員やシンパから「日本人も我々の敵だ!」と吹き込まれて、今度は自分がテロの標的にされるとも限らないのですよ。日本人は島国根性の人間が多いので、こんな事言ってもピンと来ないのでしょうが。

 そこで、私も遅まきながら、外国人向けの作業マニュアルを掲示した横に、今度は日本人の社員・バイト向けに、簡単なベトナムの紹介と、ベトナム語の挨拶(あいさつ)を掲げてみました。なお、紹介ページの地図はネットからの借り物で、私が作ったものではありません。いずれにしろ、こちらから仕事を指示する以上は、こちらも相手の言い分や気持ちを理解してやらない事には、人は動きませんからね。
 下記が、その私がまとめた「ベトナム語の挨拶・基本会話集」です。カタカナで発音も表示しましたが、もちろん正確ではありません。ベトナム語の発音は日本人にとっては非常に習得が難しいです。私もサッパリ分かりません。でも、「ベトナム語を学ぼう」という気持ちさえあれば、何とか通じるものです。後は慣れによって、徐々に聞き分けられるようになるでしょう(多分w)。





 そこで、私も、毎日現場作業に追われて、とてもコミュニケーション取るどころではありませんが、これも仕事の一つだと思って、先日ベトナム人留学生のバイトに「タンビエッ」(さようなら)と声かけてみました。そうしたら、そのベトナム人のバイトは大変喜んでくれて、翌日私にベトナム産のインスタントコーヒーをプレゼントしてくれました。ネットで調べたら、「チュン・グエン」というベトナムの有名メーカーの商品でした。砂糖もフレッシュも同じコーヒー粉末の中に含まれているようで、何も加えなくても家庭でベトナムのカフェ・オ・レが味わえました。
 コーヒーと言えば、大抵の人はブラジルやコロンビア、イエメン・エチオピア産のコーヒーを連想しますが、実はベトナムも、コーヒー豆の生産高が世界第二位のコーヒー産地なのです。ベトナムは戦前はフランスの植民地だったので、コーヒーもフランスパンと一緒にフランスからもたらされたのでしょう。 



 そういう事もあって、ベトナムの歴史についても、もっと詳しく知ろうと、本屋で上記写真(左上)の本を買ってきて、昨日一日がかりで読破しました。ベトナムの歴史なんて、高校の世界史の授業でもほとんど習いませんでしたから。それでも、ベトナム戦争については、過去のニュースなどで、ある程度は知っていたのですが、それ以前の歴史ともなると、ほとんど何も知りませんでした。そこで「これではダメだ」と、一から勉強し直す事にしました。
 そうしたら、今まで知らなかった事だらけでした。例えば、ベトナム中部のホイアンにある日本人街の史跡が世界遺産に登録された事は、私もネットのニュースなどで知っていましたが、私の地元の堺市も、そのホイアンの日本人街とは、南蛮貿易を通して浅からぬ付き合いがあった事を初めて知りました。何しろ、ベトナムの総領事館が、大阪市ではなく堺市にあるのですから。(右上がその総領事館の写真)
 その他にも、カンボジアのアンコールワットにも、南蛮貿易で訪れた日本人による漢字の書き込みが残っている事も、初めて知りました。また、ベトナム人には同じ名前の苗字が多いので、姓ではなく下のファーストネームで呼ばれる事が多い事も初めて知りました。例えば、ベトナム人のほぼ4割がグエン(阮)という姓なので、グエン・チ・ビンという人(ベトナム戦争当時の南ベトナム臨時革命政府外相)を呼ぶ場合も、グエンさんではなくビン女史と呼ばれていました。なるほど、うちの会社のベトナム人バイトのピンという名前も、私はてっきり苗字だと思っていましたが、これは姓ではなくファーストネームの方だったのですね。

 それだけではなく、ベトナム語の単語や表記の仕方にも、その民族の歴史や苦悩が現れていると思いませんか。例えば、漢語の「感恩」から変化した「カムオン」(ありがとう)という挨拶にも、中国に支配されたベトナムの歴史がしのばれます。昔はベトナムも中国の支配下にあり、18世紀ぐらいまでは漢字が使われてきました。それを、フランス人が植民地時代に、ベトナム語をアルファベットで書き表すように変えたのですが、元々欧米で使われてきたアルファベットでは、ベトナム語の発音を正確に書き表す事は出来ません。だから、アルファベットの上に、アクセントやコロンやチルダ(蛇のようなマーク)や帽子みたいなマークを付けるようにしたのでしょう。他国の文字を使わざるを得なかったところに、外国に翻弄(ほんろう)され続け、自前の文字が持てなかったベトナム人の悲しみみたいなものが、透けて見えてきませんか。だからこそ、ベトナム戦争では、その悔しさがバネとなって、世界最強とうたわれたアメリカの侵略にも打ち勝つ事ができたのではないでしょうか。 

 以下が、私がその本「これならわかるベトナムの歴史 Q&A」(三橋広夫・著、大月書店・刊)から抜き書してまとめたベトナムの歴史です。まとめるのに苦労しました。
 しかし、仮にもベトナム人を雇う以上は、これぐらいの事は勉強してから雇うべきでしょう。相手も生身の人間であって、決して物や機械なんかじゃないのだから。新たに機械を導入する場合でも、その機械の基本的な仕組みや操作方法について事前に学ぶでしょう。それを「邪魔くさい、面倒だ」と思うなら、最初からベトナム人なぞ雇わなければ良いのです。

ベトナムの歴史
(1)北部では10世紀にわたる中国の支配が続いた。
(2)中部ではチャンパ王国が栄えた。
(3)南部では扶南(ふなん)・真臘(しんろう)などのクメール(カンボジア)系の王朝が支配した。
(4)11世紀になると、北部でも李朝・陳朝などのベトナム人の王朝が興り、チュン姉妹やチャン・フン・ダオなどの英雄が出て、中国の侵略をたびたび撃退した。
   ■ベトナム語に漢語由来の単語が多い事や、近代までの漢字の使用や、食事での箸の使用などに、今も残る中国文化の影響が見て取れる。
(5)16~18世紀にかけて、北部の大越国(チン氏王朝)と中部の広南国(グエン氏王朝)が対立した。
   ■広南国のホイアンには日本人街が作られ、南蛮貿易で栄えた。関西のベトナム総領事館が大阪市内ではなく堺の目抜き通りにあるのも、この為である。
(6)19世紀になり、ようやくグエン(阮)朝によってベトナムが統一されたが、間もなくフランスにより植民地化されてしまう。ベトナム語も今のアルファベット表記に。
   ■グエン、チャンなどのベトナム人の苗字は、そのほとんどが当時の王朝名に由来。同じ名前の苗字が多いので、ベトナムでは普通、姓ではなく名前(ファーストネーム)で呼ばれる事が多い。(例:グエン・チ・ビン→ビン女史)
(7)ベトナム人の日本に対する見方の変化
   ■ファン・ボイ・チャウ:
   「日本の明治維新に学べ」と、日本への留学運動(トンズー運動)を展開。
   ■ホー・チ・ミン:
    ベトナム共産党を創設し、「日本も所詮はフランスと同じ帝国主義の仲間だ」として、フランスの植民地支配や第二次大戦中の日本の軍事占領支配と戦う。
(8)1945年の日本敗戦を機に、ホー・チ・ミンがベトナム民主共和国の独立を宣言。独立を認めないフランスと、インドシナ戦争を戦う。
(9)1954年のジュネーブ協定でようやくベトナム独立が承認されるも、今度はアメリカが介入。ベトナム戦争が始まる。
   ■ソ連・中国が支援するベトナム民主共和国(北ベトナム)と、米国が支援するベトナム共和国(南ベトナム)が対立。南ベトナムでも南ベトナム解放民族戦線や南ベトナム臨時革命政府が作られ、米軍にゲリラ戦で対抗。米軍による北爆(北ベトナム爆撃)や枯葉剤散布、ベトナム人虐殺(ソンミ事件など)で戦火拡大。世界中にベトナム反戦運動が広がる。
(10)1973年の米軍撤退、75年の南北統一によるベトナム社会主義共和国の誕生でベトナム戦争終結。しかし、その後の急激な社会主義化や中国との対立で国民生活が悪化。その打開策として、ドイモイ(刷新)政策で経済自由化・外資導入が図られる事に。
コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 私が柳本あきら事務所に送っ... | トップ | 名無しの訴えではやはり力が... »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ベトナム革新党 (三浦小太郎)
2015-11-22 21:40:36
お久しぶりです。
一応ご参考までに。
こういうページも作ってます。

ベトナム革新党
http://viettan.sakura.ne.jp/

ベトナム難民の方で、もう何十年も日本に住んでいる方に、ちょっと協力してくれと言われて造っているページです。興味がありましたら。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

職場人権レポートVol.3」カテゴリの最新記事