アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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今もなお世界を苦しめるサッチャーの悪しき遺産

2013年04月10日 20時19分45秒 | 一人も自殺者の出ない世の中を
Joy not grief as those opposed to Thatcher celebrate her death


●サッチャー死去 今なお生きる国家再生の教訓(4月10日付・読売社説)

 衰退しつつあった英国を蘇生させたばかりか、冷戦終結に重要な役割を演じ、世界を変えた女性政治家だった。
 1979年から11年間の長きにわたり、英首相を務めたマーガレット・サッチャー氏が8日、87歳で死去した。
 安倍首相は「意志の力を身をもって示した偉大なリーダーであり、国家国民のためにすべてをささげた尊敬すべき政治家であった」と、弔意を表した。
 今なお、日本がサッチャー氏から学ぶべきことは多い。最大の業績は、サッチャリズムと呼ばれる大胆な改革を推進したことだ。
 「小さな政府」によって、経済停滞と国家財政悪化という「英国病」の病根にメスをいれ、民営化や、金融市場の「ビッグバン」などの規制緩和を断行した。手厚すぎる福祉の抑制や炭鉱合理化など不人気な政策も果敢に進めた。
 金融に比重を置くあまり、製造業は弱体化し、貧富の格差が拡大したという負の側面もあったにせよ、改革は90年代からの経済成長の基礎を作ったと言える。
 中曽根政権の電電公社や国鉄の民営化、橋本政権の掲げた日本版ビッグバン(金融制度改革)もサッチャリズムの系譜に連なる。
 サッチャー氏が、レーガン米大統領のレーガノミクスとの連携で、世界経済の停滞を打開した功績は大きい。
 日本は今、アベノミクスで経済再生に取り組んでいる。安倍首相にも実行力が求められよう。
 サッチャー氏の教育改革は、安倍首相にも影響を与えた。首相は自著で、歴史教育の「自虐的」な偏向の是正と、教育水準の向上を図ったと評価している。
 サッチャー氏が、国際政治で果たした役割も忘れられない。
 米国による中距離核の欧州配備などを巡って米欧の足並みが乱れかけた時、ソ連に軍事面で対抗する必要を説いた。サッチャー氏は、西側陣営の団結、そして冷戦終結の立役者であった。
 世界が注目したのは82年4月、アルゼンチン軍が南大西洋の英領フォークランド諸島に侵攻した時のことだ。サッチャー氏は、直ちに英軍艦隊を派遣して諸島の奪還に成功した。
 「何よりも国際法が力の行使に勝たなくてはならないという原則を守ろうとしていた」というサッチャー氏の言葉を、安倍首相は施政方針演説で、引用している。
 国際法を順守しつつ、領土、主権を断固守る。その強い信念が、今の日本にも問われている。
 http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20130409-OYT1T01584.htm

 英国の元首相マーガレット・サッチャーが亡くなりました。訃報の殆どは、彼女の推し進めた経済緊縮政策やフォークランド紛争での勝ち戦を、「鉄の女」の功績として上記のようにたたえるものが大半でしたが、少し調べただけでも、「ソ連から西側の自由を守った」なぞと持ち上げる事は到底出来ない人物である事が、次々と明らかになってきました。
 

●マーガレット・サッチャー(1925-2013):緊縮経済からアパルトヘイトまで英国元首相の遺したもの、タリク・アリが語る(Democracy Now!)

英国のマーガレット・サッチャー元首相が死去しました。87歳でした。サッチャーは英国初の女性首相として3期にわたり首相を務めました。「鉄の女」として知られたサッチャーは、米国のロナルド・レーガン元大統領とともに緊縮経済の代名詞となりました。彼女は、新自由主義(ネオリベラリズム)を批判する人びとに「代案はない」と断言したことでも有名です。ストライキを行う鉱山労働者との長い闘いは、英国の組合運動に大打撃を及ぼし、民営化の波をもたらしました。外交政策では、サッチャーはアルゼンチンとのフォークランド紛争を進め、チリの独裁者アウグスト・ピノチェトに対する決定的な支援を行い、南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)を支持してネルソン・マンデラを「テロリスト」と呼んでいたのは有名な話です。サッチャーの遺したものについて、パキスタン系英国人の政治評論家、ライター、活動家でニュー・レフト・レビューの編集者であるタリク・アリにロンドンから話を聞きます。
 http://democracynow.jp/dailynews/13/04/08/3?page=1

●ミュージシャンの批判対象にも(NHKニュース)

4月9日 13時26分経済の自由化に取り組んだ一方で貧富の格差の拡大を招き、さらにはフォークランド諸島を巡りアルゼンチンと戦火を交えたサッチャー元首相は、1980年代、若者たちの不満を代弁するイギリスの数々のミュージシャンの批判の対象となりました。
このうちバラード曲「シー」のヒットなどで知られるエルヴィス・コステロさんは、1983年に発表した「シップビルディング」という曲で、軍艦を作る造船所の町の悲哀を通してフォークランド紛争への抗議の意思を示しました。
またポール・ウェラーさん率いるザ・スタイル・カウンシルは、1984年のヒット曲「シャウト・トゥ・ザ・トップ」で、「底辺に落ちてあえいでいるときは、いちばん偉いやつに叫べ」と歌っています。
ウェラーさんは、自身のホームページに掲載されたインタビュー記事の中で、「当時、労働組合は弱体化させられ、炭鉱作業員のストが相次ぎ、失業者があふれた。サッチャーは暴君、独裁者だった」と述べています。
また、ザ・スミスの元ボーカリストでソロ活動を続けているモリッシ-さんは、1988年に発表した「マーガレット・オン・ザ・ギロチン」という曲の中で、「マーガレットをギロチンにかけろ」とサッチャー元首相を激しく批判しています。
モリッシ-さんは、サッチャー元首相の死去を受けて「サッチャー氏のせいで、次に女性が首相になることはないだろう。彼女は道を開いたのではなく、閉ざしたのだ。サッチャー氏は、人間性のかけらもない恐怖そのものだった」と極めて辛辣(しんらつ)なコメントを発表しました。
 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130409/k10013783571000.html

●モリッシーが寄稿した他界したサッチャー元英首相についてのコメント全文訳(アールオーロック・ニュース)

4月8日に他界したサッチャー元イギリス首相をモリッシーは痛烈に振り返っている。
ニュース・サイトのデイリー・ビーストにモリッシーは公開書簡という形で寄稿し、サッチャー女史の「行動はすべてがネガティヴィティに駆られたものだった」と評し、「野蛮で」「人間性など分子ひとつ分も持ち合わせていない歩く恐怖」だったと次のように綴っている。
「サッチャーが今も鉄の女と振り返られているのはどうしてかというと、その決して屈しない頑迷さや他人に耳を絶対に貸さないというまったくもってネガティヴな気質を持っていたからに過ぎません。
サッチャーの行動はすべてがネガティヴィティに駆られたものでした。サッチャーはイギリスの製造業を破壊し、炭鉱労働者を忌み嫌い、芸術を敵視し、北アイルランドの独立擁護派を憎悪しては死なせ、イギリスの貧民を蔑視してなんの救済の手立ても考えず、グリーンピースや環境保護活動家を嫌い、ヨーロッパの政治指導者としてはただ一人だけ象牙売買の禁止に反対し、ユーモアも温情も持ち合わせず、自身の内閣によって最後には放逐される羽目にもなりました。(フォークランド紛争で)アルゼンチン海軍巡洋艦ベルグラノを爆破させろと命じたのもサッチャーでした。ベルグラノがマルヴィナス(フォークランド)島排他的水域の外に出ていて、島から離れる途上にあったにかかわらずです! ベルグラノに乗船していた多くの若い水兵たちが嘆かわしく不当な死を迎えたこの時、サッチャーはイギリスのプレスに向けてガッツポーズを取って見せました。
これが鉄のよう? いいえ。では、野蛮? そうです。女性の権利獲得が進歩したからこそイギリスの人々の大半も自分たちの首相が女性であることも可能だと受け入れるようになったにもかかわらず、サッチャーはフェミニストを忌み嫌っていました。しかし、サッチャーのおかげでイギリスの政治で女性が権力を握ることは二度となくなったはずで、この門戸をサッチャーは自分に続く女性のために開けるどころか堅く閉ざしてしまったのです。
サッチャーはその政権時代に痛みを強いられなかった人たちのみから感傷的に懐かしがられるだけで、イギリスの大半の勤労層はすでにサッチャーのことなど忘れてしまっているし、アルゼンチンの人々は祝杯を上げることでしょう。事実として、サッチャーは人間性など分子ひとつ分も持ち合わせていない歩く恐怖だったのです」
 http://ro69.jp/news/detail/80719

 彼女は、旧ソ連や共産主義の独裁は非難しながら、反共独裁のチリのピノチェトや南アのアパルトヘイトは支持し、自由の闘士ネルソン・マンデラをテロリスト呼ばわりする、単なるご都合主義者にしか過ぎませんでした。「鉄の女」というのも、実際は、自分だけ中産階級から特権階級に這い上がろうとした只の「冷血漢」でしかなかったようです。「ソ連から西側の自由を守る」と言いながら、労働者の団結権や報道の自由は抑圧。学校へのミルク配給や医療のセーフティネットをズタズタにし、人頭税まで導入。女性解放や環境保護の運動も敵視。結局、サッチャーの言う「自由」とは、弱者や庶民の自由や人権ではなく、「勝ち組」による「弱い者虐め」「搾取の自由」でしかなかったのです。そして、本来ならそのサッチャー保守党に対抗すべきトニー・ブレアの英国労働党をも、保守党と同じ「イラク戦争賛成・新自由主義推進」政党に変質させてしまいました。
 この日本でも、そのサッチャーの教えを継いで、かつて中曽根や小泉が国鉄分割民営化や郵政民営化を行い、郵便局を過労死と官製ワーキングプアの巣に、JRを安全軽視・事故多発の職場に変えてしまいました。日本の社会党も、英国労働党と同様に右傾化を繰り返した末に自滅してしまい、その後を今度は民主党が辿ろうとしています。そして今や、橋下が大阪の町壊しや教育の破壊を、石原が外国人や障害者虐めを、安倍や片山さつきが弱者切り捨てを推進しています。サッチャーの残した悪しき遺産は今も世界を苦しめています。
 こんな輩の一体どこが「自由の守り手」か。御用マスコミは提灯記事ばかり書くな。何が「惜しい人を亡くした」か。それまで曲がりなりにも福祉社会だった英国を、米国並の拝金主義の格差社会に変えてしまっただけじゃないか。サッチャーなんかよりも、ラテンアメリカを多国籍企業の横暴・搾取から救ったチャベス・ベネズエラ大統領の死去の方がよっぽど惜しまれる。日本のサッチャー・ヒトラーも早く死んでくれ。
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