アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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転載:「国会議事堂前占拠」!60年安保闘争以来の快挙!(yukikoさんの日記)

2012年08月03日 00時38分38秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
7.29脱原発国会大包囲空撮~人が溢れた瞬間映像


脱原発の鎖が国会包囲~議事堂前に解放区!(2012年7月29日)


※7月29日東京での脱原発国会包囲行動に参加されたyukikoさんの日記を、ご本人の承諾を得てここに転載します。

(転載開始)
 ひとつ前のエントリーで紹介したヘルメットをかぶって、29日の国会包囲行動に行ってきました。われら「チーム旗旗」は黒ヘル、黄ヘル、赤ヘルと色とりどりで、大真面目に参加しました。清志郎&ゲバラのピンク旗と三里塚勝手連の旗を掲げました。

 集合地点は日比谷公園・カモメ広場。福島からおいでの皆さんが早くも気炎を上げています。私は知らなかったのですが、一部では人気が高いらしい独特のリズムの歌と、踊り(→メルトダウンブルース)を踊っていました。暑い中、本当にお疲れさまです。

 また、デモに参加するために来ていた、福島から避難しておられるお母さん方から大変に重要、貴重なお話を聞かせていただきました。ここに書くかどうかを迷いましたが、お母さんたちは、マスコミが決して報道しない真実を話してくださり、あなたたちが伝えて!と泣きながらおっしゃいましたので、書くことにします。

 まず、びっくりしたのは、事故当時、妊婦さんだった女性の多くが中絶手術を受けたということ。なんとも痛ましい現実です。また、被害状況は私たちが思っているよりずっとひどいということ。たとえば、双葉町の町長さんは手足の体毛がなくなってツルツルになっていること、人によっては全身に水ぶくれができて、髪は全部抜け落ち、歯も溶けてしまったという人もいるといいます。
 避難が遅れた人たちの突然死(心臓関係)が多いこと。命からがら逃げて助かったものの、みんで死のうかと話したこと、賠償金が払われないこと、留守にした家にあった金品はすべて盗まれていたこと、これから賠償金のことで闘い続けなければならないこと、どんなに疲れてせつないか、いろいろを泣き泣き話してくれたのでした。ここに発表できてよかったです。(お母さん、伝えましたよ)

 さて、集会場所に移動です。すでにたくさんの人、人、人。思い思いのファッション、プラカード、楽器、旗などを持っておられます。みんなの本気が伝わってきます。僭越ながら、私たちは、六大学全共闘の皆さんの後ろの方に付けたらいいなと思っていましたが、隊列は分断され、なかなかデモに出ることができませんでした。

 草加さんが自前のサウンドシステム「旗旗7号」で音楽を流します。チーム旗旗の黒ヘルくんたちがマイク担当です。われわれの、「ヘルメットに白タオル」な伝統的ファッションはかなり目立っていたため、たくさん写真を撮られまして、取材やインタビューがひっきりなしに来ました。特にキヨゲバラの自作のピンク旗がとても好評で、写真を撮っていかれる人が多かったです。外国の方々もゲバラということでたくさん見に来ました。

 旗旗の宣伝も兼ねていたので、「いつも読んでます」と言って話しかけてくださる方も多かったです。ありがとうございます!声をかけてくださった皆さま、これからも「旗旗」をよろしくお願いします。そしてまたどこかでお会いしましたら、気軽に声をかけてくださいね。

 草加さんが生放送のインターネットTVの取材を受け、熱く語っていましたら(ニコ動というのでしょうか?)、コメントが画面に流れるように出るやつ。「よく言ってくれた!」、「コイツ、ガチだぜ」、「パチパチパチパチ」とか流れていました。レポーターの男性は初めてのレポートだったそうで、草加さんは生放送だと知らなくてただただ熱く語っておりました。生放送とわかった途端に「え?これ生放送なんですか!?」とか言ったら、画面上が「wwwwwwwwwwwww」でいっぱいになっていました。wwwwwww

 「旗旗7号」で、タイマーズ、オリジナル・クラブ・ミックスのライディーン、ECD、ソウル・フラワー・ユニオンなどなどをガンガン流しました。小さいサウンドシステムですから、プロでやっておられる皆さんとは比べ物にならないでしょうが、こういう手作りのものも、とてもよかったと思います。わりと周りの皆さんもノッテくださいました。

 終始、人の多さに圧倒されていましたが、本当にだんだんとますます人が増えて、国会包囲のころには、ぎゅうぎゅう詰めといった感じでした。こんなにたくさんの人がどこにいたかと思うくらいでした。太鼓部隊がいい感じでパフォーマンスしていたので、自然とリズムに乗ります。デモ行進には太鼓類は欠かせないなぁ、と感じました。

 そうこうしていると、人の波がグラっと揺れるというか、動きました。バリケードを越えてみんながなだれ込むように歩道から車道へ移っていきます。われわれも、行け!とばかりに飛び出しました。「国会包囲」から「国会議事堂前占拠」です!私もこんな光景は初めてです。

 なんと60年安保闘争以来の快挙だそうです。実に52年ぶりの国会前占拠です。こんな日が来るとは思わなかった!すごい、すごい!権力よりも民衆の怒り、訴えの方が強かったということです。福島の皆さんもみんなでなだれ込んだのです。権力はなすすべもなく、あっけにとられているようでした。民衆をなめるなよ?といったところでしょうか。国会議事堂前を占拠した民衆は、その後も強くシュプレヒコールを続けました。参加者の心がひとつになった瞬間でした。おおげさでなく、本当に歴史的瞬間でした。

 揚げ足取りのひねくれた人は、「自己満足じゃないか!」というかもしれませんが、決してそんな簡単なものではありません。これは経験しなければ絶対にわからない感覚です。みな、自己満足、自己完結では終わらない決意と、直接の被害者である福島の皆さんとこれからも一緒にしっかりと闘っていくという気持ちでいっぱいになったのでした。

 行動が終わりを迎えるまで、みんなのさまざまな訴えは、かなり長い時間、続きました。だれもが真剣でした。私は飲み物を飲み尽くしてしまい、のどが渇いて渇いて、買いに行きたくても人がいっぱいで動けません。また近所に自販機もありません。そんな時に全学連の皆さんが、みんなに水を提供してくださいました。本当にありがたかったです。その水のひと口のおいしかったこと!命の水といった感じでした。本当にありがとうございました。熱中症ぎりぎりのところで救われた人は多かったと思います。

 「国会議事堂前占拠」。こういった瞬間に出会えることは、人の一生で、まずないと思います。その場にいられた参加者のひとりとして誇りに思います。居合わせた皆さんも、誇りに思っていいと思います。とても幸せなことでした。

 お金に余裕のある人はお金を、力と時間のある人はそれぞれの場所へ、それは無理だという人はテント村や金曜日の官邸前へ、それも難しい人は被害に遭われた方々のために祈ることでもいいんじゃないかと、私は思います。この快挙を胸に、これからも途切れることなく支援の輪を広げる、持続させることが必要だと強く思った日でした。

※各地方では、国会包囲に関連したデモや行事は行われたのでしょうか。もし行われたという情報をお持ちの方は、ぜひとも教えてくださいませ。よろしくお願いします。

(転載終了)

http://bund.jp/modules/minidiary/detail.php?bid=339&com_mode=flat&com_order=1#comment13376
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