アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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6.11ガザ支援船襲撃を許さない緊急集会参加報告

2010年06月13日 22時43分32秒 | その他の国際問題
 6月11日(金)18時半から、大阪・天満橋の「エルおおさか」(府立労働センター)5階会議室で開催された、標記の集会に参加してきました。今回はその報告を簡単にしておきます。
 集会を主催したのは、米国女性反戦団体コードピンクと国法協(国際法律家協会)という2つの団体の大阪支部です。コードピンクというのは、ブッシュ政権時代に、米国ホワイトハウスの前で座り込みをしていた団体です。国法協については、実は余り良く知らなかったのですが、民法協(民主法律家協会)の国際版みたいなものではないかと。その支部が大阪にもあったのですね。まずはそれにびっくり。
 当日は何とか仕事を済ませて、開演ギリギリに会場に飛び込みました。会場には既に40~50名の方が詰め掛けており、前府知事選候補者の梅田章二弁護士が、ビデオ上映準備の為に、最前列でノートパソコンを操作されていました。そして、まもなく、パルコープの理事もされていた藤永延代さんの司会で、ガザのビデオ上映、コードピンク活動家で元米軍大佐のアン・ライトさんという方によるガザ支援船内からの告発メールの紹介、清末愛砂さんによる情勢報告と行動提起、その後に質疑応答という流れで、21時近くまで集会が開催されました。
 下記写真は、向かって左側が、アン・ライトさんと日本のNGOによる昨年末のエジプト側からのガザ支援の試み(この時は最終的にエジプト政府の許可が下りずに断念、ピンクのパネルを掲げている人の右の、青い服の人がそう?)、同じく右側が、6月11日当日の緊急集会での清末さん(分かりにくいですが、奥でこちらに向けてマイクを持って喋っている人がそうです)の講演の様子を映したものです。

  

 実際にガザ支援船の中で起こった事については、アン・ライトさんからコードピンク関係者の小川さん(文中ではHisaeさん)宛てに送られた次のメール全文(日本語訳)に、その生々しい様子が書かれていますので、まずはそちらをお読み下さい。当該メールについては、スペースの関係で段落間の空行を省略したのと、明らかな誤字の訂正以外は、全てそのままの形で転載しました。
 
(転載開始)
2010年6月10日
Hisaeさんへ、
ガザ解放支援船から戻ったばかりです。昨晩ニューヨーク市で報告集会を開き、私が船上で目撃したことを報告し、ガザの封鎖を終わらせるのに私たちに何が出来るのかを語りました。
私は、9人の乗客を殺害し、50人に重傷を負わせたイスラエルの攻撃を目撃しました。3年にわたって続くイスラエルの封鎖で閉じ込められた150万人のガザの人々への人道支援物資を運ぶ非武装の6隻の民間の商業船に乗船しガザに向かっていた時に突然の襲撃を受けたのです。
9名もの尊い命を奪い、公海上で海賊行為を行い、700人の乗客を拿捕し、我々の意思に反してイスラエルに36時間にわたって投獄し、(コンピューター、カメラ、携帯電話、スーツケースなど)すべての所持品を没収したイスラエル軍に私は心の底からの怒りをおぼえています。
恐ろしい、ぞっとするような経験でしたが、船上で殺された男性の妻が信じておられるように、我々は正しい事をしたと今も信念を持って申し上げられます。
悲しいことに、イスラエル軍は又もや法律違反の間違った行為に動員され、9名もの罪のない民間人を殺戮しました。世の中の多くの政府からガザ封鎖を停止するようイスラエルに求める声があがっています。
私は、良心を持つ世界中のすべての人々に呼びかけます。どうか、自分たちの国の政府に世界一の青空監獄と化したガザの封鎖をやめさせるようその権力と影響力を行使しなさいと圧力をかけ続けてください!
私の訴えがアメリカ中の地域に届きますように。私の講演旅行を支える寄付を訴えます。ミ皆さんの町へ私、または他の講師の派遣をご希望の場合は是非ご連絡ください。
ガザに関するこの正確なデータ・シートを地元の議員や友人に送ってください。でたらめな情報が飛び交っています。真実を伝えましょう。支援船の殺戮行為に関する客観的な全面調査を求めましょう。ガザ封鎖を解くことに常に焦点をあてながら。
有難うございます。みなさんの町でお会いしましょう。
アン・ライト
元米軍大佐
(転載終了)

 メール文中にある「でたらめな情報」というのは、イスラエル側が吹聴する「ガザを実効支配しているハマスはテロリスト」「そのテロリストと我々イスラエルは交戦状態にあるのだから、たとえ公海上で民間人に対してと言えども、臨検を行う権利がある」「その臨検に対して、支援船乗組員の方が武装して襲ってきたので、我々はやむなく応戦したのだ」という類の情報でしょう。
 それに対しては、清末さんが講演で応えていたように、

●如何に交戦状態ではあっても、公海上で民間人に対して、この様な行為に出る事は出来ない。これらの行為は全て国際法(ジュネーブ条約・ハーグ条約)違反である。
●先に襲撃したのが実際はイスラエル軍の特殊部隊であるのは、映像でも明らかになっている。そもそも、素人のジャーナリストや活動家が、どうやって素手で軍の特殊部隊に立ち向かえるというのか。
●それに対するイスラエル側の反証なるものも、いずれも包丁やこん棒の類でしかない。包丁なんて料理には必需品だし、こん棒の類も船内の現場においては別段珍しいものではない。いすれもイスラエル側による情報操作でしかない。
●ハマスがテロリストというのも、決め付け以上の何物でもない。ハマス内部にイスラム原理主義の潮流がある事についても、イスラエル国内においてもテロリスト紛いの宗教右派が公然と活動しているのと、同じでしかない。自ら内部の過激派は平然と泳がせておきながら、ハマスやパレスチナ側だけを論う事は出来ない。
●そもそも、民主的選挙で選出されたハマスを認めないのは、米国やイスラエルのいう民主主義が、所詮はユダヤ人のみに許された「アパルトヘイト民主主義」でしかないからではないか。
●今回の事件は、ガザ支援船へのイスラエルの蛮行も然る事ながら、そこに至る過程そのものが、結局はイスラエルによるパレスチナ・ガザへのテロ行為でしかなかったという事実こそ、押さえておかなければならない。1993年当初は鳴り物入りで喧伝されたオスロ合意自体も、結果的にはイスラエルによるガザ全面封鎖と、ヨルダン川西岸の「アパルトヘイト化」を促進しただけに終わってしまった。ガザ・パレスチナ問題の本質は、決して日米がいうような「報復の連鎖=どっちもどっち」にあるのではない。イスラエルというシオニズム国家によるパレスチナのアパルトヘイト・一方的植民地化こそが、その真の原因である。

 この最後の「ガザ・パレスチナ問題の本質」については、実際にパレスチナの地図を見れば一目瞭然です。下記がその地図ですが、イスラエル国内にはイスラエル政府の権力が隅々まで及ぶのに対して、パレスチナ(ヨルダン川西岸・ガザ)については自治政府の権限はその域内の一部にしか及ばないのを見ても明らかです。
 黒く塗られた範囲(自治政府の行政権が及ぶ範囲)は、ヨルダン川西岸においては全体の4割でしかなく、それも細切れに寸断されています。それ以外の所には、イスラエルの手でユダヤ人の入植地や専用道路が作られ、それを守る為に、今度はイスラエルの分離壁が、元来の境界線(第一次中東戦争後の休戦ライン、通称グリーンライン)を越えてパレスチナ領奥深くに食い込む形で作られ、パレスチナが将来もイスラエルの支配下から抜け出せないように仕向けられているのです。
 かつてはヨルダン川西岸だけでなくガザもそうでした。現在はイスラエル軍撤退・入植地撤去によって、ガザに関しては自治政府(現在はハマス)の支配が全体に及ぶ形になってはいますが、これとても決してガザの自立を意図したものではなく、逆にガザ全体を一つのゲットー、アン・ライトさんのいう「世界一の青空監獄」に仕立て上げる為のものでしかなかったのです。これがイスラエルによるガザ封鎖の本質です。それに対する抗議と人道支援を、今回イスラエルが武力で押しつぶしたのです。

 

 この本質を押さえずして、「報復の連鎖=どっちもどっち」論に立つ限り、「盗人イスラエルにも一分の理」という「でたらめな情報」に惑わされてしまうのです。この「どっちもどっち」というのが曲者で、恰も平和を希求する厭戦気分を代弁するかの様に見えて、実際には侵略者を免罪する役割を果たす場合があるのです。
 例えばこんな場合です。パレスチナ問題とは直接関係ありませんが、「どっちもどっち」論の分かりやすい例として。―今、右翼は盛んに「過去の戦争は侵略ではなく自衛だった」という事を言っています。通州事件(1937年)などの例を引いて、「先に挑発してきたのは中国側であり、日本はやむにやまれず応戦しただけだ」と。しかし、そもそも北京郊外の通州は日本の領土だったのか。れっきとした中国領であり、そこに日本軍が一方的に進駐してきたからこそ、現地の軍隊(それも実際は日本の傀儡軍だったのだが)と諍いになったのでしょうが。それを果たして「どっちもどっち」で済ます事が出来るでしょうか。
 これは何も右派だけとは限りません。左派・リベラルも例外ではありません。それが証拠に、「平和とよりよき生活」を旨とする「大阪いずみ市民生協」も、80年代末から90年代にかけての一時期に、海外生協との国際交流の名目で、イスラエル生協連との交流を臆面も無く掲げ、「地球の歩き方・イスラエル編」に掲載されていた観光地図を、そのまま研修資料に引用するような誤りを犯しました。本来ならば、パレスチナ人民支援やイスラエル国内平和勢力との連帯こそ、真っ先に掲げなければならなかったにも関わらず。
 当時、これは流石にあんまりだと、それにしぶとく異を唱え、当時の役員を言い訳に回らせた事のある私も、「どっちもどっち」論にとらわれていたという意味では五十歩百歩で、当時オスロ合意を手放しで礼賛していました。(この当時の経緯については、是非元パルコープ理事の藤永さんにも意見を伺いたかったのですが、時間切れで聞きそびれてしまいました)

 後段の「いずみ生協」の例で、何故左派・リベラルがこんな誤りを犯してしまったかを考えると、やはりそこには、「かつてのナチのホロコーストや、現在の周辺アラブ諸国からの重圧にも負けずに、けなげに民主国家建設を進めている国」という、イスラエルに対する誤ったイメージがあるからではないでしょうか。実際に重圧を受けているのは、パレスチナ人の難民・国民であるにも関わらず。
 勿論、かつてのナチス・ドイツによるホロコーストは、決して許されるものではありません。しかし、イスラエル建国の発端となったシオニズム運動についても、ナチと同様の自民族優越・他民族蔑視の選民思想が潜んでいるのは事実です。これはナチの蛮行を以ってしても、免罪されるものではありません。日本のアジア侵略が、米国による東京大空襲・原爆投下や、旧ソ連によるシベリア抑留によっても、免罪される事がないのと同様に。
 今回のガザ支援船襲撃事件の本質は、イスラエルの侵略性にこそ在り、それ以外の要素は全て副次的要素にしか過ぎません。確かにハマス内部にはテロを容認するイスラム原理主義の潮流もありますが、それはイスラエル内部のユダヤ教・シオニスト右派も同様です。シオニスト右派を泳がせておいて、ハマスの一部だけを論っても、何ら説得力はありません。イスラエルが民主国家だという宣伝も、民主的選挙で選ばれたハマスを排除し、パレスチナ自治区をアパルトヘイトのゲットーと化し、イスラエル国内のパレスチナ人を二級市民扱いしている時点で、詭弁でしかありません。イスラエルが本当にパレスチナとの共存を望むならば、自らをユダヤ国家とする選民思想(他民族排外主義)と完全に決別してこそ、初めて可能になるのではないでしょうか。そこで初めて、国内におけるユダヤ人とアラブ人の最終的地位についても議論出来る、次の新たなステップに移行出来ると思います。
コメント (2)
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