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西成暴動に加勢した若者をどう見るか

2008年06月19日 18時58分44秒 | 秋葉原・森事件関連
 秋葉原通り魔事件・東北地方の地震・サミット財務大臣会議などに世間の耳目が集まっていたのと、ほぼ同じ時期に、大阪・西成の「あいりん地区」では暴動が発生していました。しかし、こちらの暴動のニュースについては、どのメディアからも殆ど注目される事がなかったので、私もつい最近まで、そこで暴動が起こっていた事は知りませんでした。

 暴動に至る経過は、凡そ次の様なものです。
 6月12日、近くの商店街でお好み焼きを注文したあいりん地区の労働者が、お好み焼き屋の店員からツッケンドンな対応をされ、それに怒って苦情を言うと、今度は警察に通報される。労働者はそのままパトカーで警察に連行され、西成署内で4人の刑事から代わる代わる暴行を受ける。何でも「顔を殴られ、紐で首を絞められ足蹴にされ、気が遠くなるとスプレーをかがされ、(中略)両足持たれて逆さ吊りにされ」た(釜パトブログ)との事。それで怒った労働者たち約300名が、13日夕方から続々と西成署前に集まり、数日間に渡って警官・機動隊と衝突した、というものでした。詳しい状況については、下記関連記事を参照して下さい。

・大阪・西成署前、300人騒動 「警察の暴行に抗議」(朝日新聞)
 http://www.asahi.com/national/update/0614/OSK200806130096.html
・悪夢再び? 200人が騒動 あいりん地区 空き瓶や自転車投げる(産経新聞)
 http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080613/crm0806132318046-n1.htm
・大阪・西成で3日連続で騒動-警察署への抗議から発展(JANJAN)
 http://www.news.janjan.jp/area/0806/0806159727/1.php
・釜ヶ崎・西成警察の暴行と労働者の抗議に沈黙するメディア(レイバー・ネット)
 http://www.labornetjp.org/news/2008/1213766140260staff01
・近況13>生田武志のLASTDATE
 http://www1.odn.ne.jp/~cex38710/thesedays13.htm
・釜ヶ崎の暴動(釜パトブログ)
 http://kamapat.seesaa.net/article/100589547.html

 まず、大阪をよくご存じない方の為に、「あいりん地区」について簡単に説明しておきます。同地区は、東京・山谷と並ぶ、西日本で最大の寄せ場です。大阪市西成区内の、JR・南海新今宮駅の南側に広がるドヤ街を指し(ドヤとは簡易宿泊所の事)、「釜ヶ崎」の旧称でも知られてきました。そこは、同区の萩之茶屋1・2丁目を中心とした狭い地域で、約3万人の人々が住んでおり、その多くが野宿生活者や日雇い労働者です。

・釜ヶ崎(あいりん地区)の現況など(釜ヶ崎のまち再生フォーラムの資料より)
 http://www.kamagasaki-forum.com/ja/vision/kamagasaki.html

 あいりん地区では、過去に何度も暴動が起こっています。
 まず、1961年8月に起こった最初の暴動ですが、この時は、交通事故で車にはねられた労働者を、警察が勝手に即死と断定し、路上に放置し続けたとして、それに怒った群集が2千人以上も集まり、警察・機動隊と衝突しました。それ以降、60年代から70年代初頭にかけては、毎年夏になると年中行事の様に暴動が繰り返されていました。当時は高度経済成長の末期で、あいりん地区にも万博景気で多くの労働者が流れ込んできた時代でした。
 それ以降は、暴動はずっと沈静化していましたが、1990年に再び火を噴きます。それが第22次西成暴動で、警察が暴力団から賄賂をもらっていたという新聞報道を機に、日頃から警察の横柄な態度や暴力団によるピンハネに憤りを抱いていた群衆が、5日間に渡り警察と衝突し、近くの阪堺線南霞町駅が放火されたりしました。しかも、あいりん地区の労働者たちだけでなく、近隣の暴走族の少年も加わり、それが更に騒動に輪をかけたというのも、それまでの暴動にはない動きでした。

 しかし、その後は1992年の第23次暴動を最後に、あいりん地区では久しく暴動など起こっていなかったのです。それは、労働者の高齢化と長年の不況の影響で、労働者には、もはや暴動を起こすだけの元気すら残っていないのではないかと、思われていました。
 ところが、そこに今回の第24次暴動が起こりました。確かに、過去のケースと比べれば、割と規模の小さな暴動です。しかし、地区内の労働者だけでなく、周辺地域に住む若者も、その一部が暴動に加わっていたとの報道もあります。但し、ただそれだけなら、先の第22次暴動の時の暴走族の様に、「若者はあくまでも面白半分に便乗しただけ」とも、言えなくはありません。でも、どうやらそうでもない様なのです。「(19歳の)同じ年ぐらいの子とかもすごいいっぱい来てて、マスコミからはすごく悪く言われてるけど、そんなんじゃ全然ない」「これは自分の問題だと思った」などのコメントが、実際の参加者の口からついて出ているのです(以上、近況13>生田武志のLASTDATEより)。

 これは何を意味するのか。最近の「蟹工船」ブームに見られる如く、ワーキングプアの若者が、野宿者問題についても、「単にホームレスの問題としてだけではなく、自分たちの問題として」捉え始めている、一つの萌芽的な兆しではないのか。
 勿論、そういう見方に対しては、当の野宿者問題支援者の間にも様々な意見がある事も事実です。「普段は野宿者狩りやオヤジ狩りに手を染めていた若者の不満が、たまたま今回は警察の方に向かっただけだ」という手厳しい見方をする人も居ます。しかし、実際はどうなのだろうか。ひょっとしたら、森や加藤の様な「弱者の暴発」に終わっていた若者たちの不満が、次第に「自分たちの真の敵」にその照準を向けつつあるのではないか。そうは考えられないでしょうか。

 また、この様な私の物の見方に対しても、「暴動を美化するのか」と訝しがる向きもあるでしょう。正直に言いますと、私も長い間、あいりん地区の労働者に対しては、「暴徒」に近い印象を持っていましたし、その支援者に対しても、「新左翼系の良からぬ扇動者」という印象を持っていました。しかし、ここ数年間のサイト・ブログ活動を経る中で、私のその認識も徐々に変化してきました。

 念のために先に言っていくと、私は、暴力やコンビニの商品略奪については、昔も今も肯定していません。況してや、かつての中核・革マルなどによる内ゲバ・暴力行為に至っては、もう論外です。それは今も変わりません。しかし、それを言うのであれば、西成警察による労働者に対する日常的な暴力に対しても、同様に非難されて然るべきです。しかし、警察の暴力に対しては全然批判がされずに、マスコミもそれに事実上目を瞑っている現状を抜きにして、あいりん地区の労働者のみを批判するのは、余りにも片手落ちです。
 「弱者の暴発、暴走」についても、許せないのは当然です。当の私自身にしてからが、森に対しては、今も言い知れぬ憎しみを抱いています。しかし、それと同時に、「暴発、暴走」を憎み非難するだけでなく、それを単なる「暴発、暴走」や「下見て暮らせ傘の下」的発想から、「ワーキングプア、労働者階級、被抑圧人民同士の連帯」の視点に引き上げていく為には、自分はどうすれば良いかという事も、考えていかなければならないという気持ちも、同時に持っています。それは、「誰かの為に」ではなく、「自分自身の為にも」です。

※記事写真はあいりん地区内の様子。中央に監視カメラが写っている。(6月22日、西成警察周辺にて)
コメント (4)
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