自宅最寄りの駅近くに個人経営の本屋さんが有りました。
学生時代から有ったのは間違いないので少なくとも四半世紀以上続いていたのだと思います。
寡黙なオジさんがいつも一人で店番をしていました。
その本屋さんには強烈な思い出が有ります。
学生時代、学校帰りのある夕方、店先で立ち読みをしていたら
何とそのオジさん、追い払うでもなく「暗いだろう。」と電気を点けてくれたのです。
それで暫くは、本を買うときは必ずその本屋さんにしていた時期が有ります。
その後、時は流れ、店の開いている時間に前を通ることが少なくなり
いつしか疎遠になっていきました。
それが盆明けのある夜、店の前を通るとガラス越しにガランとした店内の様子が目に入りました。
何ごとかと思って覗いて見ると、オジさんが一人で片付けをしていました。
そうです。その本屋さんがこの盆を境に閉店したのです。
そう云えば暫く前に駅の構内にコンビニが出来ました。
雑誌の売り上げで漸く命脈を保っていただろうに、最後はそれが息の根を止めたのでしょう。
妙に明るいコンビニが、私には地獄の火の様に見えました。
学生時代から有ったのは間違いないので少なくとも四半世紀以上続いていたのだと思います。
寡黙なオジさんがいつも一人で店番をしていました。
その本屋さんには強烈な思い出が有ります。
学生時代、学校帰りのある夕方、店先で立ち読みをしていたら
何とそのオジさん、追い払うでもなく「暗いだろう。」と電気を点けてくれたのです。
それで暫くは、本を買うときは必ずその本屋さんにしていた時期が有ります。
その後、時は流れ、店の開いている時間に前を通ることが少なくなり
いつしか疎遠になっていきました。
それが盆明けのある夜、店の前を通るとガラス越しにガランとした店内の様子が目に入りました。
何ごとかと思って覗いて見ると、オジさんが一人で片付けをしていました。
そうです。その本屋さんがこの盆を境に閉店したのです。
そう云えば暫く前に駅の構内にコンビニが出来ました。
雑誌の売り上げで漸く命脈を保っていただろうに、最後はそれが息の根を止めたのでしょう。
妙に明るいコンビニが、私には地獄の火の様に見えました。
私の使った「地獄の火」とは、
妙に明るいコンビニの照明が、この潰れた本屋さんにとっては
自分の客が引き寄せられてゆく恨みの火に思えたのではないか?と云う比喩です。
商売の競争は、まさに仁義なき戦いと思わざるを得ません。