ゆうの気まぐれ日記

備忘録のつもりで書いています。

ドッグランデビュー

2023年08月16日 | 日記

娘がハルをドッグランに連れて行きたいというので運転手として付いていった。

鶴崎方面の小高い丘にそのお店はあった。

 

 

マルチーズの「パピー」、シーズーの「ファニー」、チワワの「フク」と

長年、犬と暮らしてきたが、ドッグランは初めて。

小さな森の木陰の中に3カ所?に分かれてそのスペースがあった。

ハルは恐がりだし初めてのことでもあるので、他の犬がいないスペースを利用。

最初はブルブル震えていたが次第にのびのびと動き回るようになった。

 

 

暑くなったのでお店(カフェ)の中で一休み。

 

 

お店のすぐ近くのドッグランには14~15匹の大・中・小のワンちゃんが駆け回っていた。

 

 

娘が、その中にハルを連れて入ったが、大きな犬などが付きまとうので

ハルが恐がり、5分もせず外に出てきた。

でもハルも総体的には結構楽しそうにしていたのでドッグランデビュー、まずまずだったかな?

私は初めての経験で十分楽しかった。

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お盆・・・

2023年08月15日 | 日記

「お盆」がいつからいつまでなのか、どうしても私の頭に定着しない。

8月12日にお墓にご先祖さまをお迎えに行ったこともある。

早い迎えにご先祖さまも慌てたことだろう。

お盆の期間、ご先祖さまが家に帰っていらっしゃると思っているので

私はいつもよりお行儀良くしている。

それを夫や娘がからかう。

 

朝間涼しいうちに娘と一緒にハルをドライブに連れて行った。

ハルは車慣れしていなくて乗せるとブルブル震える。

行き先がまだ動物病院しか経験無し。

それで今日は近場のうみべ方面へ行くことにした。

ハルはまだ私に抱かれることを恐がるので、娘がハルを抱いて

私が娘の車を運転することにした。

娘の車を運転するのは初めて。

「鍵をちょうだい」と言えば「鍵は要らない」という。

私の古い車とはギアやサイドブレーキの位置など全く違う。

13年以上同じ車に乗っているといつの間にか時代遅れの車と人間になっていた。

 

 

ハルは今日は恐い思いをしなかったので帰りは震えも止まり楽しそうにしていた。

 

そろそろお墓にご先祖さまを送りに行かなくては。

夕方になっても今年の夏は暑い。暑すぎる。

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「女は三界に家なし」

2023年08月14日 | 日記

「女は三界に家なし」ということわざがあることは知っていた。

私は女は嫁げば自分が生まれた家はもう自分の家では無い。

嫁いだ家もそれも自分のものでは無い。

なので離婚などしたら戻る家も無い。

そういうふうにうっすらと思っていた。

しかし突き詰めて考えたことは無かった。

昨日突然、この言葉が浮かんで来た。

三界とは何のことだろう?

「実家」と「嫁ぎ先」?あとどこがあるのか?

「この世」と「あの世」?それなら二界ではないか。

後何があるというのだ???

ネットで調べてみた。

「女は幼少のときは親に従い、嫁に行っては夫に従い、老いては子に従わなければならないものだから

この広い世界で、どこにも安住できるところは無い。

(解説)三界は仏教で「欲界」「色界」「無色界」すなわち全世界のこと。」とあった。

これを読んでビックリ仰天!

この年になるまでこのことわざの意味を全く知らなかった!

そして全く実行してこなかった!!!

素直に親の言いつけに従う子でも無かったし、黙って夫に従う嫁でも無い。

老いたけど、子は親を大事にすべし!と思っている。

このことわざ、何じゃこりゃ!これでは女がかわいそうすぎる。

「戦後強くなったのは女と靴下」と言われた時期があった。

「女は三界に家なし」ということわざを疑問に思うのは私が戦後生まれの所為?

戦後生まれでもこのことわざに疑問を感じず、素直にこのとおりに生きている女性もいるのか?

私の生き方は正しかった(正しい)とは、決して言えはしないが・・・・

 

 

永井隆博士の「長崎の鐘」・「この子を残して」を読んで遺児、誠一さん・茅乃さんのことが気になった。

両親を亡くした後、ふたりはどのようにして育ったのか?

原爆で母親を亡くしたとき、茅乃さんは4歳になる少し前(まだ3歳)、

父親の隆博士が亡くなられたとき、茅乃さんは9歳だった。

図書館に大人になった茅乃さんが出版された「娘よ、ここが長崎です」と

いう本があったので借りて読んだ。

原爆の恐ろしさを訴え、平和を願う本だった。

明日8月15日は「終戦記念日」

戦争の無い世の中になって欲しいと切に願う。

 

※目下、誠一(まこと)さんの著書「長崎の鐘は微笑む」を注文中。

※我が家に「この子を残して」の本を残してくれている叔母の長男の名前が「誠一」である。

もしかしてこの永井誠一さんを意識して付けた名前なのか?など思ったりした。

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「この子を残して」

2023年08月12日 | 日記

永井隆博士の「この子を残して」を読み終えた。

ご自身亡き後の子どもさん達(誠一さんとカヤノさん)の事をとても案じられている。

永井博士は昭和51年5月1日に43歳で白血病で亡くなられている。

長崎の原爆で母親を亡くしたのはカヤノさん4歳になる直前だったようなので

父親の隆博士が亡くなられたとき9才くらいではないかと思う。

その後、誠一(まこと)さんとカヤノさんはどのようにして育ったのかとても気になりネットで検索したりした。

結婚されて筒井という苗字になられた茅乃さんのインタビュー映像を拝見することができた。

そのしっかりとしたお姿を拝見し、さすが永井博士の娘さんだと思った。

両親亡き後、誠一さんも茅乃さんも立派に成長されていて嬉しく思った。

(残念ながらお二人は66歳で病気で、すでにこの世を去られている)

永井博士亡き後、誠一さんと茅乃さんがどのように育ったかが書かれているという

永井誠一さん著の「長崎の鐘はほほえむ」を読んでみたくなり

市の図書を検索してみたがないようなのでネットで注文した。

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長崎の鐘

2023年08月11日 | 日記

図書館から借りた「長崎の鐘」を読み終え、同じく永井隆博士の「この子を残して」を読んでいる。

「長崎の鐘」は原爆直後の状況が克明に記されていてまさに地獄の様相。

永井博士自身が生死の境目をさまよう中、よくぞこの本を書き残したと思う。

戦争の悲惨さ・平和のありがたさを何としても伝えたかったのではなかろうかと思う。

 

 

家にあった「この子を残して」は夫の叔母(小学1年の私の担任)の名前が書かれていた。

昭和23年、終戦3年目に出版されている。

ところどころに青インクで傍線が引かれている。

私が生まれたばかり、そして叔母(先生)が20歳の時に発行された本。

もう叔母もこの世にいない。(79歳で他界)

お盆を前にして叔母を偲びながら、そして戦争反対の思いを強くしながら

この本を読んでいる。

 

 

今朝、洗濯物を干していて気がついた。

なんと私のズボンのお尻のところが破れていた。

 

 

このズボンを愛用していた。

ポケットが4つ付いていてゴルフの時にボールやティーなど入れやすく

しかもポケットが深いので落とす心配も無かった。

こんなにすり減って破れてしまうまで使ったのか。

破れたこのズボンを履いてあちこち外出しなかっただろうか?

夫が娘に頼むときれいに繕ってくれるよと言ったが、そこまでしなくても・・・。

思い切って処分した。

近いうちにズボンを1枚買わなくては・・・。

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