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月の満ち欠けに時の流れを感じながら、皆でそれぞれの持ち時間を楽しく意味あるものにしていきたい。

「取材された難病少年も静かな怒り、日本の無茶な海外ロケ」に見るストーリー作りの怖さ

2014-11-16 21:10:49 | 日記

  先日、縁あってベルギーで活躍する栗田路子さんのことを調べていて、彼女の「 取材された難病少年も静かな怒り、日本の無茶な海外ロケ 」という文章に出会った。
  
  全身の老化が異常に早く進行してしまう早老症疾患のミヒル君の取材で、日本のテレビが彼の涙を誘出だすために過剰演出を試みた話だった。
  そして、筆者の経験したケースとして、取材を受けた大学教授が、求めている発言が出てこないと苛立つ(日本人の)ディレクターに対し、「台本があるなら、役者にその台詞を言わせればいい。私は役者ではない!」と言った例も挙げられていた。

  正直、胸が痛くなった。実は、私自身コミュニティー紙に記事を書いたりするために取材やインタビューをすることがある。その時、どうしてもこちらの引き出したい言葉とかがあるような気がするからだ。

  勿論、取材して見て相手の話が思わぬ展開を見せて、自分の予想した言葉へ行きつきそうもないと気づけば、私は相手の船に乗ることにしている。

  でも、それは私の取材がいつも余裕があることが多いからで、もし私が締切にもっと追われている立場で、視聴率とか生活とか自分を縛る大きな力に押されていたならば・・・と思うと、背筋に冷たいものが走る。

  以前、厚生労働省の女性官僚・村木厚子さんが、警察に「障碍者郵便制度悪用事件」で逮捕され、無実を証明するまで1年以上の月日を要したことがある。この時、検事がストーリーを作って、それに合わない証拠を改ざんしたという驚きの事実が明るみにでて社会を驚かせた。
  でも、私はこの事件を聞いていて、刑事事件というものにこの「推測でストーリーを作って、事実と符合させていく」手法は絶対あると思うし、被疑者ににそのストーリーにそった供述をさせようという気持ちが働かないとは言い切れないと思った。

  冤罪で長い牢獄生活の後に釈放された方の多くが、この警察や検察の作ったストーリーに苦しめられた。

  かくして、取材に話をもどすと、「心して、取材相手の言葉にしっかり耳を貸し、聞き違えないように心を配らなければならない」と肝に銘じたのである。幸いにも、私の書くものは、取材先に必ず文の確認をとることを原則としているので、それも歯止めとなっている。

  納期が短期だと取材先への原稿確認など悠長にしている時間はないので、取材された原稿になったものを見て「!?」と思ったことがある方は多ようだ。クワバラ、クワバラ。

  栗田路子さんの上記の文章。マスコミや報道関係の方、人のことを文章に書く立場にある方、是非一読されることをお勧めしておきます。
  その他の方にも、とても示唆に富んだ文なので、お薦めしま~す。

  
コメント
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