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薫 風 ~KUNPOO~

初夏に薫る爽やかな風に思いをよせ、YukirinとKaorinが日々の出来事などを綴るページです。

日米戦争と戦後日本

2007-03-15 | 本  棚
 五百旗頭 真『日米戦争と戦後日本』講談社学術文庫。もともとは1989年に書かれた書籍の文庫版。著者は神戸大学教授などの職を経て、現在は防衛大学の校長。専攻は政治外交史。それにしても「いおきべ」とはなかなか読めない珍しい苗字だ。

 内容的には「米国の占領政策が戦後日本史にどのような意味を持ったかを鳥瞰しようとした」もの。いやぁ、久々に歴史(学)の面白さを味わうことが出来る本に巡り合えた。京都市で行われた市民講座の内容を基にしているだけあって、とても軽快に読むことが出来る。

 米国は真珠湾攻撃を受けた直後から(日本が戦勝気分に浮かれている隙に)すでに日本に対する占領政策の研究に着手していたこと、当時のアメリカ政府の知日派スタッフが占領政策のイニシアティブを握ることが出来たこと、そもそも天皇は戦争に反対であり一度は御前会議において異例とも言える抵抗を試みたこと(をアメリカの知日派が知っていたこと)、個人外交を行っていたローズベルトの急死により外交には素人ともいえるトルーマンが大統領となったこと・・・等々、さまざまな歴史の偶然が敗戦後の日本の運命をいわば幸運に導いた。名目的・儀礼的な天皇の役割は残し、日本の現存下部行政機関を利用して統治する、という方針が採用されたおかげで、ドイツのように国土すべてにわたり廃墟となることもなく、また連合国による分割統治となることもなくて済んだのだ。

 もっとも、そこまでたどり着くには、硫黄島やサイパン島での日本軍の玉砕、沖縄戦での激しい抵抗といった、アメリカ政府(軍)の想像をはるかに超える双方の犠牲があったことも大きい。ただその結果、――ポツダム宣言を無視した政治的怠慢を含め――ソ連参戦となり、広島、長崎と続く二度の原爆投下ともなるのだが・・・。

 日本の“騎士道”精神を称えるこんなエピソードも取り上げられている。戦争終結を念頭に入れ鈴木貫太郎首相が内閣を組織した5日後、ローズベルト大統領が亡くなった。その時鈴木は、同盟通信の海外向け英語放送で、故ローズベルト大統領は優れた指導者であり、「大統領の逝去がアメリカ国民にとって非常なる損失であることがよく理解できる。ここに私の深甚なる弔意をアメリカ国民に表明する次第」と語っている。同じローズベルトの死について、ヒトラーが「運命が史上最大の戦争犯罪人、フランクリン・D・ローズベルトを地上から取り除いたこの時点において、戦争は決定的な転機を迎えるだろう」という甚だ野卑な呪いの言葉を発していたのと大きく異なる。

 占領される側の日本の指導者、吉田茂もむしろ「負けっぷりをよくして潔く占領軍に協力して(協力するフリをして)日本の再建を図った。その潔さが、マッカーサーに「自分が最高司令官であるあいだは、日本人は一人も餓死させない」とも言わしめたのだ。

 「押し付け憲法」論の比喩にはいささか首を傾げたくなるが、悲惨な敗戦体験を語っているはずなのに全体的になぜか元気の出る本だった。「大化の改新にせよ、明治の近代化にせよ、日本史の画期的な躍進期とみなされる時代は、つねに国際化の波をかぶった瞬間であった。一方で排外主義にも通じる強い民族的プライドを持ちながらも、外部世界によきものがあると知る時、とりつかれたようにそれを学習し、さらにはそれをテコに自己革新をとげることができる――それこそが日本社会の誇りうる優れた資質ではなかろうか」と校長センセの訓示で結ぶ。

 あ~、久しぶりに書いたら長くなっちまったい・・・

伊坂幸太郎「オーデュボンの祈り」

2007-03-08 | 本  棚
■ 久しぶりに面白い推理小説を読みました。弟に数冊借りた最初の一冊。割りに厚めなので、結構時間かかると思いきや、細切れ時間ながらすぐに読み終えました。気付くと孤島にいた青年の話、そこで妙な住人や言葉を話す案山子が現れるが、不思議と違和感がなく読めてしまう。何者かによって案山子が殺害され、その死の真相に迫っていくというストーリー。あまり書くと面白くなくなってしまうので詳しくは是非読んでみてくださいませ。

■ 既存のミステリーにとらわれない大胆な発想で読者を魅了しているといわれる作者のデビュー作。この作品で新潮ミステリー倶楽部賞を受賞。様々に散りばめられていた出来事がラスト間近で綺麗につながっていくのは作品を見ているよう。さらりとした文章で読みやすい。

■ 他の作品もあるのでこれから読むのが楽しみ!面白い本は時間を経つのも忘れて夢中になれるのが嬉しいですね(読む時間が少ないのが悩みですが…)


「八ヶ岳の食卓 ~簡素でおいしいレシピ 美しく愛しい普通の一日」 萩尾エリ子著

2007-02-26 | 本  棚
■ 以前友人からハーブティーを頂いた時に、この「八ヶ岳の食卓」も教えて貰いました。ぱらっと見て気に入って購入。著者は「蓼科ハーバルノート」を開いた方で、ハーブ、アロマテラピー、園芸等様々な分野で講演講習を行いながら、諏訪中央病院や施設でボランティア活動もしているとのこと。

■ 本には長野日報に連載された220のレシピとエッセイが収録。エッセイは自然、生活や食材などが季節感にあふれて描かれ、日々を愛しく過ごしている様子が伝わり読んでいて和む一冊。著者の人柄の良さも伝わってくるような感じ。

■ 美味しそうなレシピが簡素に書かれていて作ってみたいと思えます。ちなみに先日のマフィンやスコーンもこのレシピから(^・^) お菓子以外に料理のレシピもあり。今度は何作ろうか眺めるのも楽しい。

■ 友人から蓼科のお店のある場所は自然にあふれ素敵とのこと。暖かくなったら娘と一緒に遊びに行ってみたいな。自然に触れるって気持ちいいものね。

アドルフ・ヒトラー

2007-02-22 | 本  棚
永井淳訳/ルイス・スナイダー『アドルフ・ヒトラー』角川文庫。知っているようで知らない、20世紀最大の狂信的独裁者アドルフ・ヒトラーの物語。ブックオフにて、つい購入。

著者のルイス・スナイダーは、ニューヨーク市立大学で教鞭をとる歴史学教授。1928年にメリーランド州の大学を卒業後、米独交換学生として、またフンボルト財団の奨学生としておよそ4年間フランクフルトの大学で学び、その間ナチ党集会やSAの街頭行進など、台頭期のナチの実態をつぶさに観察したとの経歴をもつという。

本書の“あとがき”では、「ヒトラーやナチズムについての予備知識を持たない若い読者にうってつけの、客観性にとんだ入門書」と紹介しているが、翻訳のせいもあるのか全体を通してヒトラーやナチに対する悪意(?)に満ちた表現が多い。まあ、ユダヤ人殺戮の実態などからすれば、当然といえば当然と言えるかもしれないが・・・。

ヒトラーやナチを語る上でなんといっても注目すべき点は、1923年にビアホールでのプチ革命にいったん失敗して投獄された後、一応すべて合法的な手段によって政権を獲得し、ドイツを破滅へと導いたということだ。いったん権力を掌握した後は、何度か暗殺計画があったにせよ、いよいよ彼が自らの運命を決するまで、誰も彼を止めることが出来なかったのだ。

世界的な経済恐慌の中、失業にあえぐドイツの国民が、このウィーン生まれの放浪画家に熱狂的な支持を与えたということは、否定できない事実だろう。逆にいえば、いったい彼のどこに、大衆をひきつけるような魅力が存在したのか・・・。本書を読んでも、実はよくわからない。

『わが闘争』も一度は読んでみたいと思っているが、本書によると「全く箸にも棒にもかからない退屈な本」ということなので、さて、どうしたものか。


<写真:わが家の独裁者>

丸山眞男―リベラリストの肖像

2007-02-15 | 本  棚
苅部直『丸山眞男―リベラリストの肖像』岩波新書。

丸山眞男は疑いなく、20世紀の日本を代表する思想家であり知識人である。
いま政治学を専門にしている人たちは、多かれ少なかれ彼の影響を受けていることは間違いない。

本書は比較的気軽に読むことの出来る “評伝風思想案内” (のはずだった)。
最近のニュースなどを見ていると、知識人たちによって戦中・戦後と形成されてきた日本の政治パラダイムも、ここへきて大きな転換期を迎えているような気がする。

学生時代、やはり岩波新書の『日本の思想』などを読んで以来、いつか本格的に丸山眞男を読んでみたいと思っていた。
何年後か後、幸運にもトライする機会を得たものの、講演などを基調とした一般向けの簡単な読み物ならともかく、“日本政治思想史”など本格的な学術論文となるとまったく歯が立たなかった・・・情けない覚えがある。
あれまっ、著者はちょうど私と同い年だ・・・。

久々の新書読了だが、なかなかまとまった時間が取れず、本屋さんで衝動的に手をとってから、ずい分と時間をかけてしまった。
むぅ、さながら“丸山眞男をめぐるこまぎれの回想”といったところか…。
いつかまた通読してみよう、っと。

オーケストラは素敵だ

2007-01-30 | 本  棚
■ 茂木大輔『オーケストラは素敵だ』中公文庫。現在はNHK交響楽団に在籍中のオーボエ奏者のエッセイです。大勢いるN響メンバーの中でも、髭と眼鏡が妙に印象的でした。そういえば、ドラマ『のだめカンタービレ』でもオーケストラか何かの音楽監修もしていたようだ。

■ オーディションを中心とした海外での修行時代のエッセイが主な内容。“たったひとつの空席をめぐって火花を散らすオーディション。その修羅場をくぐり抜けてようやくオーケストラに入団したはいいものの、プロ奏者になるまでにはさらなる試練が待ち受けていた・・・”

■ 指揮者はリハーサルでいったい何をするのか、楽団員はコンサートの休憩時間には何をしているのか・・・等々オーケストラの裏話を聴くと、演奏を聞いているのもまた楽しくなる。あぁ~、またコンサートに行きたいな、と思ってしまいます。

■ 当たり前のことながら、はたで見ているよりも厳しい世界なんだな~と実感。オーケストラに入るだけでも大変なのに、ましてや“主席”奏者となるには、並大抵の努力と才能だけではないのだろう。でも読んでいると、結構プロでも失敗することがあるようなので、やはり人間なんだな~と少しほっとしたりする。

■ こういう本を読むとつい考えてしまうのが、数の少ないオーボエ奏者を目指すのと席の数も多い代わりにライバルも多いだろうヴァイオリンなどの楽器を選ぶのと、いったいどちらが得なのだろうということ。オーケストラに限らず、それはサッカーや野球などのスポーツでも同じこと。でもやはり、たった一つしかないゴールキーパーやピッチャーを目指すよりも、ある程度つぶしのきく他のポジションを目指したほうが、レギュラー争いという点では有利なのだろうなぁ、きっと。

■ 最近はクラシック音楽の解説書も書いている茂木氏。ぜひ今度は彼の実況中継も聞いてみたい!!と思いました。

これが憲法だ!

2006-12-01 | 本  棚
■ 長谷部恭男・杉田敦著『これが憲法だ!』朝日新書。憲法学者の長谷部東大教授と政治学者の杉田法政大学教授との対談。市川弘正氏との対談『社会の喪失』と同じような構成か。

■ もっとも、対談とは言っても、どちらかというと杉田氏が長谷部氏に対し一方的に斬り込んで行く感じ。立憲主義、憲法第9条、国民主権等、これまでの憲法解釈に対する杉田氏の鋭い突込みに対して、これを受ける側の長谷部氏の回答は終始歯切れが悪い。

■ 立憲主義の建前のもと、憲法の規定によって政府の権力を縛って抑制するといいながら、実際には主権者である国民の行動をも制約しているのではないか。憲法改正手続き事態を難しくしていることもしかり。デモクラシーの観点からは、国民にも少なからず責任のいったんはあるはずである。

■ とかく憲法学者は、「環境権」や「知る権利」などの新しい権利に対しても、「憲法13条の幸福追求権があれば対応可能」として新しい権利を憲法典に盛り込む憲法改正にも後ろ向きだ。もしそうであるならば、極端な話、憲法13条だけあれば他の権利条項は必要ないのではないか。国家権力に対して懐疑的あるからこそ、様々な国民の権利を文書化して残し、細部についても決めておく必要があるのではないか。

■ 確かにそうだよなぁ~。学校では基本的人権云々とあれこれ習ったけれど憲法13条さえあれば、自由権だの平等権など、みんな含まれちゃうからねぇ。そう言われてみれば、他の権利条項なんていらないジャン。憲法っていうと、どこか神聖なもののような気がするけれど、国家を法人と見立てるならば――しょせん憲法なんて会社における定款のようなものと考えるならば――、議会や選挙制度など統治機構以外は必要ないのではなかろうか。

■ 結論的には、二人とも今の段階では憲法を改正する必要はないというところに落ち着くのだけれど、東大教授が「抑制された必要最低限の常備軍は必要」と発言するあたりは、世の中も変わったな~、と思ってしまいます。「絶対平和主義は、(中略)私的なサークルを通じて広めていただくのは大いに結構ですがたとえば国家が国民全員に強制できるような考え方ではない」とまで言い切ってしまうとは…。

■ (憲法)解釈の技は法律家のなせる「芸」だという。でも、民法など私法の領域では、比較的学界と裁判所が共同し判例を通じて実務界をリードしてきた感があるけれども、どうして憲法の分野では双方の解釈に大きな乖離が生じてしまって相容れなかったのか。要はイデオロギーの対立ということなのかもしれないが、そのあたりももう一度考え直してみる必要がありそうだ。(という私の意見は、とある私的サークル内ではきわめて少数派なのだな、これが)

■ 新聞の評論など読んでも、いつも杉田氏の論評は的確に論点を捉えているので、とても魅力的な学者さんです。この本でも予想外の(政治学的な)ツッコミが面白くて、何度も噴出しちゃいました。

格差社会

2006-11-24 | 本  棚
■ 橘木俊詔『格差社会』岩波新書。“様々な統計データを用いて、格差の現状を検証し、不平等化が進行する日本社会のゆくえを問う”といったものだが・・・中身的には“???”とはてなマークが3つくらいついてしまう本だった。

■ 新書という体裁から、内容的にどうしても簡略となるのはやむを得ないが、“どうしてこう結論付けられるの?”とか“どうしてこのデータを用いるの?”とか、随所でツッコミを入れたくなってしまうな~。あらかじめ結論が決まっていて、そこに誘導しようとしているのでは?と――まるでどこかの審議会のごとく――思わず勘ぐりたくなってしまう。

■ 例えば、世界的に見て日本の(法定)最低賃金が低いというのは事実しても、実際に最低賃金のみを受け取っている労働者が一体どれくらい存在するのか。教育を受けるにあたり親の所得という要素がかなり影響力を持つことは確かだとしても、それほど公立学校を充実させる必要があるのか。だいたい、何故GDPを分母に持ってきて世界各国の教育費支出を比較せねばならんのか・・・等々。まぁ、しょせん素人考えに過ぎないかもしれんが・・・。

■ 確かに自由競争が激化したタクシーの運転手のように、働いても働いてもちっとも所得が伸びない――本人がいくら努力しても一向に報われない――状況は大変気の毒に思うけれど、ニートやフリーター、さらには国民健康保険の不払いの問題などは、やはり“自己責任”という性格が強いのでは?と首を傾げたくなる。

■ 来月開かれる(学生時代のゼミの)シンポジウムで取り上げられる本だったので読んではみたものの、著者の主張は、どうも実際の生活観というか、私の感覚からはかけ離れているような気がしてならない。“貧富の格差が広がっても、しっかりとしたセーフティネットを確立させて,敗者、貧困者を救えばよい”という格差拡大を是認する主張のほうが、よっぽどしっくりくるけどなぁ。

国家の品格

2006-11-22 | 本  棚
■ 藤原正彦『国家の品格』新潮新書。著者は数学者。講演記録をもとに、大幅に筆を加えたもの。一時話題の本だったので、遅ればせながら――例によってブックオフで手に入れて――読んでみました。

■ 普段は論理ばかりを扱っている数学者の著者が、情緒が大事とばかりに“武士道”精神を奨励する。アイルランド、インドなど、(数学の)天才を輩出した地は世界中どこを見ても必ず美しい土地ばかりである。日本にも長閑に広がる田園風景など、他に引けをとらない“美しいもの”があるではないか…(だいぶ意訳)等々。

■ 確かに、どんなに論理的には正しくても、肝心の出発点が誤っていたら、とんでもない結論に達するのは必然。しかし、「1+1=2」みたいな事なら誰でもが同意・納得するのだろうけど、いったい何をもって「武士道」精神というのか――言い換えれば「品格」というのか――ということになると、その人の今置かれている状況やこれまでの経験などによってだいぶ意見の分かれるところではないだろうか。そういう意味では、必ずしも解を一つには限定できないのでは?

■ しょせん「平等」もフィクションだし、「成熟した判断が出来る国民」という民主主義の暗黙の前提は永遠に成り立ちっこないのだからエリートの育成が必要である、といったシニカルな態度には共感できるところもある。また真の「国際化」とは、外国語を流暢に操ることが出来るなどということではなくて、いかに自分の国の歴史や文化に造詣が深く誇りを持っているかということである、というのも「まったくその通り!」というしかない。

■ 全体的には、なんとなく今のご時勢に持て囃されただけの本だな~という印象しか持ちえなかったですね。本人も、「私は、自分が正しいと確信していることについてのみ語るつもりですが、不幸にして私が確信していることは、日本や世界の人々が確信していることとしばしば異なっております。もちろん私一人だけが正しくて、他のすべての人々が間違っている。かように思っております。」と言い切っちゃうんだから、まぁ、いいか。

■ 最近は、姫が9時頃寝てくれるので読書がすすむのだ。夜中に起きて泣き出すことも少なくなったし...あぁ、いいね~大人の時間。

小泉純一郎ポピュリズムの研究

2006-11-21 | 本  棚
■ 大嶽秀夫『小泉純一郎ポピュリズムの研究』東洋経済新報社。久々に買ってしまったハードカバーもの。“ポピュリズム”とは一般的には“大衆迎合政治”と訳される。

■ 佐藤栄作、吉田茂に次ぐ戦後3人目の長期政権となった小泉内閣。5年間という期間にわたり安定した支持率を支持し続けた小泉内閣の人気の秘密は一体何だったのか。著者は現代政治を専門とする政治学者。やはり学者が書いたものは、ジャーナリストなどが書いたものとちがって、論理的で説得力があって、読んでいてミョーに安心できます(必ずしもそういうものばかりとは限らないが…)。

■ 「遊び」と真剣さ、素人的イメージと玄人的戦術、単純さと(考え抜かれた)妙手といった相矛盾する要素が含まれていること。そして、善玉⇔悪玉二元論にストーリーを単純化して、世論に訴えていく・・・というのが小泉劇場型政治の特徴。

■ 小泉内閣が長期政権を維持できたのは、まず橋本内閣での行革により首相権限が強化されたこと、小選挙区制により派閥の力がそがれたこと、といった制度的な理由があげられる。また一方で、小泉首相の個人的なパーソナリティやマキャべリストとでも言うべき冷徹な対応、竹中・本間という学者離れした「政治的素質」をもった有能なブレーンがいたこと、組閣にあたり派閥の力学や年功序列にはこだわらず、自民党幹事長や政調会長に側近を置いて党を支配したこと、などの人的理由があげられる。

■ 制度的な理由が大きいのであれば、小泉以後の内閣においても(誰が総理になっても)長期政権が続くであろうし、反対に人的理由が大きかったのであれば、政権維持は総理のパーソナリティいかんという事になる。著者は、「高い支持率を獲得、維持できるかどうかが、首相の権力の最も重要な要素であって、選挙制度の影響は制度論者が言うほど決定的なものではない」としているが、さて、安部政権はどこまで続くのか。