五百旗頭 真『日米戦争と戦後日本』講談社学術文庫。もともとは1989年に書かれた書籍の文庫版。著者は神戸大学教授などの職を経て、現在は防衛大学の校長。専攻は政治外交史。それにしても「いおきべ」とはなかなか読めない珍しい苗字だ。
内容的には「米国の占領政策が戦後日本史にどのような意味を持ったかを鳥瞰しようとした」もの。いやぁ、久々に歴史(学)の面白さを味わうことが出来る本に巡り合えた。京都市で行われた市民講座の内容を基にしているだけあって、とても軽快に読むことが出来る。
米国は真珠湾攻撃を受けた直後から(日本が戦勝気分に浮かれている隙に)すでに日本に対する占領政策の研究に着手していたこと、当時のアメリカ政府の知日派スタッフが占領政策のイニシアティブを握ることが出来たこと、そもそも天皇は戦争に反対であり一度は御前会議において異例とも言える抵抗を試みたこと(をアメリカの知日派が知っていたこと)、個人外交を行っていたローズベルトの急死により外交には素人ともいえるトルーマンが大統領となったこと・・・等々、さまざまな歴史の偶然が敗戦後の日本の運命をいわば幸運に導いた。名目的・儀礼的な天皇の役割は残し、日本の現存下部行政機関を利用して統治する、という方針が採用されたおかげで、ドイツのように国土すべてにわたり廃墟となることもなく、また連合国による分割統治となることもなくて済んだのだ。
もっとも、そこまでたどり着くには、硫黄島やサイパン島での日本軍の玉砕、沖縄戦での激しい抵抗といった、アメリカ政府(軍)の想像をはるかに超える双方の犠牲があったことも大きい。ただその結果、――ポツダム宣言を無視した政治的怠慢を含め――ソ連参戦となり、広島、長崎と続く二度の原爆投下ともなるのだが・・・。
日本の“騎士道”精神を称えるこんなエピソードも取り上げられている。戦争終結を念頭に入れ鈴木貫太郎首相が内閣を組織した5日後、ローズベルト大統領が亡くなった。その時鈴木は、同盟通信の海外向け英語放送で、故ローズベルト大統領は優れた指導者であり、「大統領の逝去がアメリカ国民にとって非常なる損失であることがよく理解できる。ここに私の深甚なる弔意をアメリカ国民に表明する次第」と語っている。同じローズベルトの死について、ヒトラーが「運命が史上最大の戦争犯罪人、フランクリン・D・ローズベルトを地上から取り除いたこの時点において、戦争は決定的な転機を迎えるだろう」という甚だ野卑な呪いの言葉を発していたのと大きく異なる。
占領される側の日本の指導者、吉田茂もむしろ「負けっぷりをよくして潔く占領軍に協力して(協力するフリをして)日本の再建を図った。その潔さが、マッカーサーに「自分が最高司令官であるあいだは、日本人は一人も餓死させない」とも言わしめたのだ。
「押し付け憲法」論の比喩にはいささか首を傾げたくなるが、悲惨な敗戦体験を語っているはずなのに全体的になぜか元気の出る本だった。「大化の改新にせよ、明治の近代化にせよ、日本史の画期的な躍進期とみなされる時代は、つねに国際化の波をかぶった瞬間であった。一方で排外主義にも通じる強い民族的プライドを持ちながらも、外部世界によきものがあると知る時、とりつかれたようにそれを学習し、さらにはそれをテコに自己革新をとげることができる――それこそが日本社会の誇りうる優れた資質ではなかろうか」と校長センセの訓示で結ぶ。
あ~、久しぶりに書いたら長くなっちまったい・・・
内容的には「米国の占領政策が戦後日本史にどのような意味を持ったかを鳥瞰しようとした」もの。いやぁ、久々に歴史(学)の面白さを味わうことが出来る本に巡り合えた。京都市で行われた市民講座の内容を基にしているだけあって、とても軽快に読むことが出来る。
米国は真珠湾攻撃を受けた直後から(日本が戦勝気分に浮かれている隙に)すでに日本に対する占領政策の研究に着手していたこと、当時のアメリカ政府の知日派スタッフが占領政策のイニシアティブを握ることが出来たこと、そもそも天皇は戦争に反対であり一度は御前会議において異例とも言える抵抗を試みたこと(をアメリカの知日派が知っていたこと)、個人外交を行っていたローズベルトの急死により外交には素人ともいえるトルーマンが大統領となったこと・・・等々、さまざまな歴史の偶然が敗戦後の日本の運命をいわば幸運に導いた。名目的・儀礼的な天皇の役割は残し、日本の現存下部行政機関を利用して統治する、という方針が採用されたおかげで、ドイツのように国土すべてにわたり廃墟となることもなく、また連合国による分割統治となることもなくて済んだのだ。
もっとも、そこまでたどり着くには、硫黄島やサイパン島での日本軍の玉砕、沖縄戦での激しい抵抗といった、アメリカ政府(軍)の想像をはるかに超える双方の犠牲があったことも大きい。ただその結果、――ポツダム宣言を無視した政治的怠慢を含め――ソ連参戦となり、広島、長崎と続く二度の原爆投下ともなるのだが・・・。
日本の“騎士道”精神を称えるこんなエピソードも取り上げられている。戦争終結を念頭に入れ鈴木貫太郎首相が内閣を組織した5日後、ローズベルト大統領が亡くなった。その時鈴木は、同盟通信の海外向け英語放送で、故ローズベルト大統領は優れた指導者であり、「大統領の逝去がアメリカ国民にとって非常なる損失であることがよく理解できる。ここに私の深甚なる弔意をアメリカ国民に表明する次第」と語っている。同じローズベルトの死について、ヒトラーが「運命が史上最大の戦争犯罪人、フランクリン・D・ローズベルトを地上から取り除いたこの時点において、戦争は決定的な転機を迎えるだろう」という甚だ野卑な呪いの言葉を発していたのと大きく異なる。
占領される側の日本の指導者、吉田茂もむしろ「負けっぷりをよくして潔く占領軍に協力して(協力するフリをして)日本の再建を図った。その潔さが、マッカーサーに「自分が最高司令官であるあいだは、日本人は一人も餓死させない」とも言わしめたのだ。
「押し付け憲法」論の比喩にはいささか首を傾げたくなるが、悲惨な敗戦体験を語っているはずなのに全体的になぜか元気の出る本だった。「大化の改新にせよ、明治の近代化にせよ、日本史の画期的な躍進期とみなされる時代は、つねに国際化の波をかぶった瞬間であった。一方で排外主義にも通じる強い民族的プライドを持ちながらも、外部世界によきものがあると知る時、とりつかれたようにそれを学習し、さらにはそれをテコに自己革新をとげることができる――それこそが日本社会の誇りうる優れた資質ではなかろうか」と校長センセの訓示で結ぶ。
あ~、久しぶりに書いたら長くなっちまったい・・・
