como siempre 遊人庵的日常

見たもの聞いたもの、日常の道楽などなどについて、思いつくままつらつら書いていくblogです。

「太平記」を見る。その12

2012-08-18 22:06:07 | 往年の名作を見る夕べ
第23話「凱旋」

 はい、もう濃くて濃くて、内容的にもぎっちりだった前回までとはガラリと雰囲気が変わり、この回は、倒幕戦の反省会&打ち上げという趣。ちなみに脚本も池端俊作氏から仲倉重郎氏に交替。変わったのは新田義貞だけじゃないんですね、このドラマ。
 船上山を下りた後醍醐帝は、いよいよ都に凱旋の旅です。その途中、摂津福原で、鎌倉幕府滅亡の報せを受け取るのですが、この手紙を一読した帝、「どわはははは。ぶぁわはははは。ぐわっははははあああ~~!!」みたいにバカ笑いをかまして一同をビックリさせます。ちょっと、いくらなんでもそこまで笑います?だってその手紙って、得宗北条高時、内管領長崎円喜、執権赤橋守時ことごとく自害という内容なんだよ?。
 もう帝は超ハイテンション。そのハイっぷりは、京都凱旋の手前で、籠城戦を勝ち抜いてきた楠木正成(武田鉄矢)を引見したところで、ピークに達します。
 久しぶりに正成に会った帝は、笠置山で、「いつか関東から火の手が上がる。それまでは勝つ戦ではなく、負けぬ戦をすることです」と言った正成の言葉を、心の支えにしてきたと。「朕が今日あるは正成のお蔭ぞ」とか言われて、もう正成は感動クライマックス。痺れたようになってしまいます。この人はかなり常識的で、感激に流されない人物として描かれてるんですが、その正成でも、コロッと尊王論者になってしまう。それだけの魅力がある人物ってことですよね、帝が。よくも悪くも。

 高氏(真田広之)と佐々木道誉(陣内孝則)は、都に帝をお迎えする準備。仲良くふたりで、「まだかなまだかな」みたいにしてて、なかなかほほえましいのです。道誉は、功労者第一である高氏に、「わしも頑張ったと帝に奏上してくだされ」とか、ちょっと下手にでて頼んだりしてます。
 判官殿らしゅうもない、胸を張っておられればよい。まして隠岐送りの道中での御辺の帝へのお心づかいは…と振られて、「それを言われると弱い。なにしろ、あれからいろいろ迷うたからの」と、遠まわしに、帝暗殺に手を出しそうになったことをギャグにする道誉。
 そしていよいよ帝のお出迎え。高氏、道誉らもみんな、凛々しく甲冑に身を固めて勢ぞろいします。
 帝と高氏が正式に会うのは、偶然会ったのを除けばこれがはじめて。高氏は、「これからは帝の政をお助けし、帝のもとで作る新しい世でございます」と言って、そのストレートな言葉を帝はカンゲキさせます。
 なのに道誉には、「おお、そこは佐々木か。まだ公家に生まれなおしておらぬか。似合わぬことよのう」とか言ってからかい、高氏のことは「武士の束ねはそのほうにまかせる!」と。べつにあてつけとかではなくて、天然なんですけど、思いっきりKYですよねえ。この人のKYっぷりが、これから各方面の人間関係に、長期にわたる問題を引き起こしていくわけです。

 御所では、帝のご帰還と戦勝を祝って、オールスター総出演での大祝賀パーティ。一連の戦にかかわった人々はみんな招かれています。
 そこで、楠木正成と高氏が、公式には初めて対面するんですね。あくまで「初めまして」という前提で、他人行儀に挨拶してたんですけど、高氏が、「それがし、最近舞をひとつ覚えました」といって立ち上がり、披露したのが例の、冠者は妻設けに来んけるや…というあれ。
 最後には乗ってきた正成と高氏が相方組んで歌い踊ります。バカウケし、おかげで全体が和気あいあいと無礼講に。すっかりうちとけた正成と高氏は、宴会を抜け、二人で月を眺めながら、これからの希望を語り合います。
「都の月がこれからも陰らぬように祈りましょう」「陰るとお思いか?」「陰らせてはなりますまい」…と。ようは、この二人だけは下心がなく、純粋に、世の中が良くなることを祈って行動しているということなんですね。
 楠木殿にはお礼を申さねば。あの「大事なもののために死するは負けとは申さぬものにて候」という手紙を心の支えに、これまで頑張ってこれましたと、高氏は改めて頭を下げます。正成はとぼけて、「それがしはそんな文は書きませぬ。そは車引きの文でござろう」と笑います。

 そんな宴の席でひとり不愉快な顔をして、先に帰ってしまった者がいました。北畠親房(近藤正臣)です。サッサと帰った自宅で、「卑しきもののふと成り上がりの公家どもが、あさましき浮かれようには胸糞が悪うなります」と毒づく相手は、大塔宮(堤大二郎)です。
 大塔宮は、構ってちゃんなのかなんなのか、まだ大和信貴山に引きこもって、新政派に合流しようとしていません。特に高氏にはすごく批判的で、途中で態度を変えた寝返り者だ、信用ならないと。美少年・顕家(後藤久美子)は、「道理をわきまえた人のように思えます」と冷静なのですが。
 そんなことで、大塔宮は、オレは足利なんかと組まないぞと上から目線を決め込んで、引き籠っているわけなのですが、そんな宮にも、帝からお声ががかかる日が来ました。それは、「もう一度出家して、天台座主にもどれ」という、あんまりなもの。
 宮は激怒します。目から火いふいて激怒します。燃えてパッションです(爆)。「麿が還俗し、天台座主の座を捨てたは、決して言う義にあらざりしぞ。世を思い、父帝の理想を具現せんと思えばこそ、この手に剣を握ったのじゃ」「北条は確かに滅んだ。さればこそ次なる北条がこの世におごっておるではないか!
帝のお使いは、坊門清忠という人なんですが、演じてるのは藤木孝さん。ま、その独特のトボケた雰囲気のうまいことうまいこと。
「こは…異なおことば。次なる北条とはたれを指してのお憤りでございま…」「高氏よ!」「………はあ?」
…みたいな。堤さんのハイテンションと会わせて、おもわず吹くようなテンポの妙味があります。
 
 で、大塔宮の怒りが収まらず、高氏を誅罰しろとか言い出すので、困った帝は、「じゃあ護良を征夷大将軍にでもするか」と、その場しのぎのことをやってしまうんですね。
 帝にとってはどうでもいい名誉職でも、征夷大将軍は武家の最高ステータスであり、頼朝以来の武家の棟梁の代名詞。これを自分の子にポーンとくれてやった帝のKYっぷりに、足利家はブチ切れます。特に直義(高嶋政伸)と師直(柄本明)が。
「われらは帝のために戦をしたのでござりましょうや。我らが北条に背いたのは、足利一族や武家の行く末を慮ってのことではござりませぬか。北条殿を倒すためであれば今の帝にあらずとも、担げる帝であればいかなる帝でもよろしかったのでは。たとえ木の帝であれ、金の帝であれ」
 この師直の言葉は、あまりにもラディカルで不敬なので、足利兄弟を驚愕させますが、一面の真実ではあるんですよね。「こは師直ひとりの考えにて、殿に押し付ける気は毛頭ございません。されど一門の願いは、殿には重々おわかりのはず…」
 この言葉は重いプレッシャーです。足利家の三代遺言もありますからね。また、それを守ってきた執事の家の者ならばこそ、主にプレッシャーかけることもできるわけです。
「いまは、帝のご親政を見てみたいのじゃ。北条とは違う、新しき政を見たいのじゃ」と高氏は、とりあえず未来に夢を広げるのですが…。

第24話「新政」

 さてその高氏が夢を託す新しい政ですが、出発のっけから、ろくなものじゃない気配が濃厚に漂っております。
 この回は、そのろくでもない感じがこれでもかと描かれるので、見ていてなんだかドヨーンとしてしまうんですよね。北条時代のほうが、悲しみの殿様・高時のインパクトがあった分、その退廃ぶりも文学的な感じがしたのですが、あのエレガントな後醍醐帝が親政をはじめてみたらば、まあ最初っから腐ってること。とにかく帝周りに腐ったダメ人間しかいないのだから凄い。いちばん凄いのは、その中心にいて、腐ってるのが全然感知できない、鈍感すぎる帝&大塔宮親子です。
 この回は、そのあと続くダメダメ陰謀ドラマの腐臭をとりあえずカバーするように、片肌脱いで弓を引く高氏という、さわやかで健康的な眼福シーンから始まります。そんで、その高氏の肌を師直が拭いてあげたりなんかして(爆)、なにこのサービスショット。…あ、いや、これは特に本筋に関係ないですが、そのあと続くドラマがドンヨリなので、これはこれで良いのです。
 ところ変わって新田義貞のいる鎌倉では、足利党と新田党が反目して、険悪な雰囲気になっています。足利の総大将内裏である、4歳の千寿王が、子役スターみたいになってしまったのですね。どこへ行くにもキャーキャー追っかけがついてくる大人気。本来の主役である義貞(根津甚八)の家来は面白くありません。ところ構わず足利の家来にからんだり、子役スターを中傷したりして、どんどん雰囲気が悪くなってます。
 義貞の実弟の脇屋義助(石原良純)も、こうなることを見込んでガキを大将に立てたのでは、とか勘繰って足利を中傷しますが(こいつ小物だな…)、義貞は一生懸命平常心を保ち、今回の戦の功労者が誰かは一目瞭然、くだらないことで騒いで株を下げるなよ、とか言って、健気に家来や身内の火消をしています。

 都のほうでは、構ってちゃんの護良王子が帝に拝謁し、薄汚い礼儀知らずの田舎者が都にあふれ、雰囲気が悪くてしょうがないとか、お父さんに訴えてます。征夷大将軍のくせに武士はキライだとかいうバカ息子に、お父さん、「世は公家一党の世ぞ。みな朕の王土に生きる者。朕の新しき政には、そこの力も、高氏の力も、ともに大切と思うておる」と、学校の先生みたいなことを云って宥めます。

 ところはいきなり変わって京都の橋の下(!)。そこで、都に流れてきた藤夜叉(宮沢りえ)が、ウナギ売りをして生計を立てているんですね。
 で、懲りない石(柳葉敏郎)が、もうじき日野俊基さんと約束した和泉の土地が俺のものになる、そこで一緒に暮らそうと大口をたたくのですが、藤夜叉はぜんぜん信用していません。
 で、たまたま石と遊んでいた不知哉丸が、町で強盗の捕物騒ぎに巻き込まれ、石とはぐれてしまいます。途中で転んで足をくじいて、泣いていた不知哉丸に目を止め、拾って助けたのが、なんと直義でした。
 そうなんです。これがまた、かなり長―い伏線になりますが、足利直義と、のちの足利直冬の出会いであり、ある因縁の始まりなんですね。やっぱり大河ドラマの伏線っていうのは、このくらい長い射程で、史実を捉えて張っていただかないと、見ている喜びも湧きません。しょうもないセリフとか形見の品とかの、吹けば飛ぶような辻褄合わせの展開は、大河ドラマには不要のものなのです。
 失礼、脱線です。不知哉丸を家に連れて帰り、けがの手当てをしてご飯を与え、しゃべっているうちに、直義はこの子がすごく気に入ってしまいます。それで、いい気分になって不知丸を橋の下の藤夜叉のところに送って行ってあげるのですが、直義は事情を全く知らなくても、いきなり直義とご対面した藤夜叉のほうはびっくり仰天ですよね。
 不知哉丸が、愛する高氏の弟と、偶然とはいえかかわりを持ってしまったことで、身の危険というか不安を感じた藤夜叉は、石のあてにならない夢に便乗して、都を離れる決心をするのですが…。

 さて、大塔宮は、お父さんには言い含められたものの、不満で不満でしょうがない。側近を集めて陰謀を企んでいるのですが、この人、むさくるしい武士のは大キライとかいうわりに、身内の者のメンツが異様に濃くて暑苦しいんですよね(爆)。とくに赤松円心(渡辺哲)がムンムン濃い気を放ってるんですけど。他にも、法員とかいう坊さんとか、円心のせがれの赤松則祐とか、顔からして無駄に濃いメンバーで、なにを企んでいるかといったら、武士をあおって内輪ケンカさせて、共倒れにしちゃおうゼ!という、かなり汚いもの。
 そのために新田義貞を恩賞で釣って都に呼び寄せ、取り込んで、高氏と対立させようという策が練られます。そこで新たに加わったのが、楠木正季(赤井英和)で、座の空気はさらにムサさがアップします。「兄は兄、わしはわしです」みたいなことを云い、自分も高氏は気に入らないとかいう正季なのですが、この人が高氏をそんなに嫌う理由って、なにかありましたかね?
 そんな暑苦しい男が一枚噛んで、立ち上がったのは、なんといきなり問答無用の「高氏暗殺計画」!?

 で、京都に来い、来て帝に拝謁しないと貰えるもんも貰えないよ、みたいな勧誘が、鎌倉の義貞のところに飛びます。
 年中懐の寒い義貞は、多少動揺するわけですね。ホントに恩賞がパアになったら困る、とか。そしてそこに、唐突に義貞の奥さん(あめくみちこ)登場。クレジットでも「新田義貞の正室」とだけで名無しなのですけど、この名無しの奥さんがキョーレツなわけです。「殿、このたびはおめでとうござります。お祝いに直垂を仕立てて国からお届けにまいりました」とか言って、妙に趣味の悪い直垂をその場で義貞に着せる。ご本人も、ビビッドピンクに蛍光グリーンみたい着物を着て、立ち居振る舞いも田舎っぽい。この奥方が「殿、ぜひご上洛あそばせ。そして帝にいってやるのです。新田義貞此処にありと!!」とか言って旦那をあおるわけ。
 義貞も、「あー…ヤス子」と、この奥さんヤス子って名前なのか、とにかく一言言いたそうなんだけど、思いっきり尻に敷かれてる感じで、言えない。で、ヤス子さんに尻叩かれるままに上洛、ということになります。この流れは面白い。義貞を、べつにあからさまなダメ亭主みたいな、マンガキャラにはしないんだけど、微妙にヤス子夫人に臆してる感じを出して、緊迫した展開ながらちょっと空気をゆるませる、良き演出であったと思います。

 義貞の上洛は、高氏との反目をあおる目的というのはけっこうバレバレで、「新田殿が大塔宮につかれるとなると、都の情勢は少々厄介に…」とか言われ、高氏もうんざりしてます。でも、
「離れていると思いは真っすぐに伝わらなくなるもの。新田殿にお会いできるのを楽しみに待つとしようぞ」と、できるだけ前向きに考えようとはするのです…が…。


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。